第71話 Aaru

前回のあらすじ

 フェーゲラインの辺境で王剣のアーテファクトを見つけたヘルマンとヒルデガルト。乱れた時空の中で、フェーゲラインの紛争の原因を作った皇女とアーテファクト4の記憶を垣間見る。正気を取り戻したアーテファクト4は皇女を葬った。



 久々に髭を剃る。支給されたシェービングフォームを丁寧に拭う。

 今も銃声が止まず、爆発による地響きが続いている。もう驚くことも慄くこともなくなった。そう近い音ではない。乾いた大気は音をよく通すのだ。

 簡素な寝床にまでまとわりつく砂の感触にも慣れてしまった。命の応酬が繰り返される戦場から野営に戻っても、生活は砂塵一色に染まっている。

 荒廃したカイロは今、アスワン・ハイ・ダムが破壊されナイルデルタが沈没するという噂でパニックに陥っている。

 2030年になってから、中東の政情不安は不安定なエジプトに燃え移った。度重なるクーデターと汚職、疫病の蔓延などでこの国は致命的なまでの機能不全に陥っていたが、ついに内紛となって爆発したのだ。民兵と軍部が政権を転覆させ、暴力を握った彼らは海を超えてヨーロッパに無差別攻撃を放ち始めた。

 民族的しがらみがなくなるや否や、NATOは連合軍を編成して地中海と北アフリカに送り込んだ。

 1年少しでNATO軍は武装勢力に支配されたカイロに迫りつつある。

 耕すようにして進軍してきてなおも、NATO軍の先頭で情報収集に当たる自分にも、自分たちが何と戦っているのか分からなかった。

 砂漠から押し寄せる砂塵が戦場を曇らせている。ここでは戦場の霧はあまりにも濃い。

 地元の人々にとってさえ、誰が味方で誰が敵か分からないようだ。昨日の友好的な者が今日の敵であり、人々を混沌から救うはずの外国軍隊でも彼らの信頼を掴むのが難しい。

 確かなのは、思想上の疫病のようであるということ。

 NATO軍の偵察部隊として動員されて1年以上前線で情報を集めるうちに、だんだんと分かってきたことだ。

 エジプトを支配しているのは、世界に対する酷い憎しみ、そして現状の否定である。彼らは自身をこの世界に産み落とした両親を、血筋を、大地を恨んでいる。それはすべてを破壊するという無差別な暴力で表現される。女子供も聖職者も関係なく暴力の対象となる。この世界に生まれ、この秩序を維持している以上、滅ぼされなければならない。破滅の先に何を築こうとするのか、いまだ見えてこない。この思想にとって、自死と滅亡が目的であるかのようだ。

 彼らはこの地に染み付いたイスラム教の神をも敵視している。生活様式となった信仰を捨てるのは容易いことではない。思想に侵された人を観察していると、彼らはアッラーに祈りを捧げないことが特徴と言いたくなる。しかし、それしか祈りの言葉を知らない者は、アッラーの名を叫んで突撃してくる。彼らの仲間もそれを咎めはしない。

 この新しい信仰の教義は、破壊の実践だけだ。だから多くの人々を包摂することができるのかもしれない。

 なぜこのような幼稚な自己否定が生じるのか分からないが、それはまるで人々のDNAに刻まれた感情を呼び起こすかのように容易に伝染していく。

 爆裂的な憎しみを体現するためならば、彼らは喜んで自爆攻撃に出るし、核のスイッチに手を伸ばすことも厭わない。だから結果としてカイロは包囲され、数週間後には陸海空からの総攻撃に晒されようとしている。


 自分の偵察部隊は危険な市街地を探り、合同作戦のための情報を提供するとともに、多くの不明瞭な情報を本部に報告してきた。しかし上官の表情はいつも険しく、もっと核心的な情報を要求してくる。

 ……本国は明確な戦果だけを求めている。人々の間に蔓延する無謀な思想と、それを蔓延させる風土と国際情勢も、戦果の前には取るに足らない埃に同じ。思想上の疫病を流行らせている者は誰で、どの国なのか。どこにいて、どうしたら暴走した武装集団によるヨーロッパへの核攻撃を止めることができるのか。

 おそらく確かな情報は地面の下にある。だが、民兵が掘った地下トンネルへの侵入は幾度となく失敗してきた。地上のトンネル出入り口付近には、敵味方の死体が弔われもせず放置され折り重なっている。民兵は味方共々トンネルを崩落させることを厭わない。彼らはアリのように毎日新しいトンネルを掘る。

 先日、トンネルへの侵入を試みる別の部隊を偶然見つけて、彼らを救い出した。

 犠牲者は砂泥の中に呑み込まれ、助け出すことができなかった。数人の隊員はドイツ人だったが、彼らの嘘はすぐに分かった。精鋭のKSK隊員と言えど、あの傷では二度と前線には出てこられないだろう。

 虎の子のKSKが壊滅したからだろう、本部はもう情報収集への期待を抱いていない。数週間後の総攻撃の前に、できればミサイル基地を特定すること。それが自分の部隊に下された指令だった。

 多額の予算をかけて育てたKSKが壊滅し、代わりに安い兵力を使い潰す魂胆が透けて見えた。指令を言い渡す上官も、無精髭の剃り残しが見られる覇気のない顔だった。

 ミサイル基地がどこにあろうと、数週間後にはカイロを原始時代に戻すだけの火力が投入される。

 指令を受けた後、同じくNATO軍に動員され、装甲部隊を率いる友人に連絡を取った。彼らもまた数週間後に後方へ一時撤退を命じられていた。総攻撃は長距離打撃によるものだろう。


 重い息をつく。エジプトでの最後の仕事になるだろう。何か核心的な情報を手に入れなければ、今後のインテリジェンスの地位が脅かされることになるだろう。戦争を未然に防ぎ、最も効率的な戦力の運用を実現するインテリジェンスの重要性は、この数年のうちに蹂躙されてしまった。国民の愛国心と復讐心を爆発させ、最大の火力で戦場を焼け野原にすることが成功したら、実際に戦場で起きた様々な営みも、二度と顧みられることはない。

 ともあれ、報告書を書き始めることにする。戦果を急ぐ者の目には留まらないだろうが、良心ある誰かの目に留まる一縷の望みをかけて。


 タイムリミットの間に、いくつか目星をつけていた地点に、数回に渡って偵察部隊を送り込んだ。ある部隊が命からがら地下空間から情報を持って戻ってきた。

 彼らはトンネルから地下に潜入し、無人のミサイル工場を見つけた。血で汚れた砂塵と死臭の広がる地上からは想像もできない、整然とした科学文明の景色。巨大なロボットアームが黙々とミサイルを組み立てていた。

 破壊すべき地点として報告書にまとめる。

 しかし、部下が施設の端末から盗み出したデータを見て煩悶する。それはミサイルの設計図ではなかった。もっと恐ろしく、巨大なものであると推察される。こんな巨大なものがどこにあるのだろうか? このようなものを建造する技術を持った者は、いまだかつて存在しないはずだ。

 無人工場で武器を製造するということは、物資やロボットの供給元があるということだ。

 さらに地下に潜れば、この巨大な建造物や、それを造ろうとしている者が見つかるかもしれない。すべてを破壊する総攻撃が始まれば、ミサイルサイロとともにこの工場や核心的な情報も破壊し尽くされるだろう。

 だが、兵の損耗と士気の低下はもはや根性論で解決できる域にない。総攻撃へのタイムリミットはあと1週間しかない。

 本国は戦果だけを求めている。


 少しだけ、混迷に陥ったエジプト人を魅了するものが見えた気がした。

 このような巨大な破壊兵器があるのなら、この世界を更地に戻し、彼らの楽園を作り直すという妄想も夢ではないかもしれない。

 彼らは自分の身の上を否定している。この国の歴史を背負うことを拒否している。白人に線を引かれた地図を、白人に定義し直された国を拒否している。この地に息づくすべてがこの「受け入れがたい事実」を再生産し続けるのだから、もっと強大なものに縋るしかない。

 最近、体が半分弾け飛んだ民兵の口から聞いた言葉、「アアル」という単語は何千年も前に遡る古い言葉であることに気付いた……。

 葦の原野、死後の楽園を彼らは望んでいるのだ。

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