第70話 Schwert und Prinzessin

前回のあらすじ

 フェーゲライン上空に現れたイシスと巨大な砲のもとに駆けつけ、兵士たちを鼓舞するヒルデガルト。彼女に導かれた怪鳥アーテファクト4がイシスと戦い始め、巻き込まれた彼女は墜落する。ヘルマンは他のアーテファクトを集めるため、ヒルデガルトを探しに出る。



 車が大きく揺れ、ヘルマンは目を覚ました。夜明けのまばゆい日差しに目がくらむ。


「よく眠れたか?」


マスケの隊員から問われ、彼はうめき声を上げた。彼らの勧めに従って後ろで横になればよかった。体のあちこちが悲鳴を上げている。

 ヘルマンたちはフェーゲライン上空から墜落したヒルデガルトを探すため、夜通し車を走らせていた。


「もうすぐお嬢様のシグナルがあった付近に着く」


あそこだ、と彼は指差した。荒野に煙が細く立ち上っている。車が燃えさしを踏んでガタガタと揺れた。

 墜落の衝撃で地面がえぐれている。車が減速するや否や、ヘルマンはドアを開けて飛び出した。


「リッターさん!」


熱を持った黒い破片が飛び散り、乾いた草地があちこちでくすぶっている。ヘルマンは煙の中心に目を凝らし、物陰が動くのを見た。


「ヘルマン……?」


ヒトの姿だ。青い目が驚きに見開かれた。ヒルデガルトは自分の捨てた黒い躯体の中から立ち上がった。

 彼女の顔いっぱいに現れた驚きはすぐに取り消された。


「何でこんなところにいるんだ、ここがどこか分かってるのか?」


ヒルデガルトは斜面を上り、無言で佇むマスケの隊員たちを見つけた。ヘルマンは今までの行動を彼女に説明した。ヒルデガルトの非難めいた視線を感じながら彼は続ける。


「アーテファクトを集めなければ」

「……分かってる」


彼女はうなずいた。


「諸君らは私があれと戦うのを見ただろう。ならば自らの責務を果たすべき時だ。命令に従い、己が能力を存分に発揮するんだ。私は、私にしかできないことをする」

「御意に、お嬢様」

「本部に戻り、私の無事と覚悟を伝えるといい。車は借りるぞ」

「どこへ行かれるのですか」

「辺縁地帯に向かい、失われた王剣を手に入れるんだ」


それだけで十分だった。彼女はすべてのアーテファクトを集め、革命を実現する覚悟なのだ。マスケたちはそれ以上尋ねなかった。

 

 マスケを近くの部隊に合流させ、ヘルマンとヒルデガルトは彼らに別れを告げた。ヘルマンは無茶をさせた礼を重ねたが、彼らは礼には及ばないと短く返した。ヒルデガルトは運転席に座り、急にアクセルを踏んだ。ヘルマンは憮然として彼女の冷たい頬を見つめた。


「私が運転するのがおかしいって? お前、道分かんないだろ」

「そうですけど……、いえそうじゃなくて。王剣、アーテファクト3は辺縁地帯にあるんですか?」

「私はさっき荒ぶるアーテファクト4と戦った。あいつは王剣を持ってなかった。だとしたら、剣を持ち去った者が消息を絶ったところに今もある可能性が高い。アーテファクト4はすでに理性を失っていて、王剣をどうこうすることはできなかっただろう」

「アーテファクト4は今……」

「あれは異敵を葬るために作られた兵器だ。人殺したさにドイツに侵入してしばらく破壊活動を行っていたが、イシスがあんな派手にブチかましたから、本来の使命を思い出して中央都市に向かっていった。今が墓荒らしのチャンスなんだ」

「墓……」


ヒルデガルトは言葉少なだが、多くのことを知っている。



 砂粒が車体に叩きつけた。車が急停止し、ヘルマンは慌てて車内のグリップを握った。ヒルデガルトが急ブレーキを踏んだのだ。彼女の運転免許は不正取得だろう。


「これ以上は車で行けない。降りるぞ」


ヘルマンは彼女の後を追った。砂とつぶてが巻き上がり、身体に叩きつけてくる。ヘルマンは腕で顔を庇った。黒い砂利に一面覆われた大地に大きな裂け目が開いていた。


「フェーゲラインの国境地帯は大抵荒れている。ここは特に汚染地域とされ、誰も立ち入らない場所。磁気嵐が吹き荒れ、時空が入り乱れている。ヘルマン、あんまり離れるなよ」

「汚染?」

「1000年前、人の手によって憎しみを体現する存在に転化したアーテファクト4は、目に映るものすべてを焼き尽くし、大量のブルネニット結晶を残していった。過ぎたる祝福は呪いでしかない」


祝福という言葉はつい昨日も聞いた覚えがある。泉からもたらされる青い輝き。

 ヒルデガルトはすぐ近くにいて同じペースで歩いているのに、突然遠ざかったりかすれて見えるような気がした。


「大丈夫ですか?」


ヒルデガルトの様子がおかしいことに気付く。ヘルマンは彼女の顔を覗き込んだ。


「問題ない……」


顔色が悪い。少し進んだ所で彼女は急にしゃがみ込んだかと思うと、うええと嘔吐した。


「磁気嵐で酔った」


彼女は短くそう言った。ヘルマンはハンカチを差し出そうとポケットをまさぐったが、渡せるものはなかった。彼は離れないように彼女の手を引いた。冷たい汗に濡れている。


「国境が開放されたのに、まだこんなに不安定なんだな」


ヒルデガルトは気丈にひとりごちる。

 礫岩に覆われた大地は地殻変動が起きたようにひび割れたり、折り重なったりしていた。灰色の砂嵐の中に時折青空や草原が見えたり、どことも分からない街並みが見えたような気がした。ノイズのような風音は人の話し声のように聞こえたり、雑踏や雷鳴にも聞こえた。時空が入り乱れるというのはこういうことかもしれない。


「王剣は本来、こういった不安定な空間を安定させるためのアーテファクトだった。剣の見た目をしているが、鋤や鍬のようなものだ」

「そうなんですか……?」

「初期のフェーゲラインは四方八方このような不安定な空間だったという。深海の潜水艦のように、フェーゲラインは何もない次元の隙間に割り込んで存在する。隔壁となる強固な地盤を築くため、皇帝は王剣を持って四方八方に遠征を行った」

「斬ったり突いたりする剣の用途からは想像できませんね」

「裏を返すと同じことだ。空間を斬り、裂け目を広げるんだ」


眠りの君はそうした遠未来の科学技術を中世人の世界観で使役できるように、剣や門というかたちに落とし込んだのだろう。

 しばらく話していた彼女だったが、その歩みはどんどん重くなっていった。


「リッターさん! しっかりしてください。こんなところで立ち止まったら……」


足の上に砂礫がどんどん押し寄せ、まるで地面に飲み込まれていくようだ。

 ここは電磁的な知覚を持つ彼女には過酷な環境なのかもしれない。ヘルマンは砂嵐を凌げる場所を探した。目の前に建物のような物が見えた。しばらく進んでも消えないのを確認する。幻覚ではないようだ。


「…………」


ヘルマンは彼女を引きずるようにして崩れかけた石造りの小屋にたどり着いた。ヒルデガルトはしゃがみ込んで動かなくなった。

 彼女の代わりに王剣を探すしかない、とヘルマンは立ち上がった。

 外から見たより小屋の内部は広かった。地下への階段を見つけて、ヘルマンは警戒しながら降りていく。古めかしい扉を開くと、広大な空間が目の前に広がった。

 フラッシュライトに照らされてホコリがキラキラと輝いた。淀んだ空気はひんやりと冷たい。焦げたまま化石化したような木の机には、錆びた実験器具のようなものが散らばっていた。歩を進めると陶器の破片のようなものを踏んだ。奥の空間は檻のように天井から鉄の棒が何本も突き出していて、溶け落ちた鎖が残っていた。


「ここは……?」


不意に誰かの視線を感じたように思い、ヘルマンは振り返った。誰もいない。檻の方を振り返ると、白い人影が見えてヘルマンは思わず自分の口をふさいだ。


『…………、』


声が遠ざかっていった。ヘルマンは状況を飲み込めないまま、檻の中に繋がれた人影を見つめた。痩せ細った枯れ枝のような少女が鉄の鎖に繋がれていた。髪は伸びるに任せて放置され、痩せこけた顔を覆い隠し、檻の床に広がっている。元から白かったのか、白く色が抜けてしまったのか今となっては分からない。

 これは現実じゃない、とヘルマンは思った。

 鎖に繋がれた少女には両脚がなかった。彼女を檻に閉じ込めた者は、よほど彼女を恐れたのだろう。枯れ枝のように痩せ細った少女に何ができるというのだろうか。


『……――――』


誰かが潜めた声で話しかけている。少女は髪の隙間から淀んだ目でこちらを見ていた。ヘルマンは後ずさった。そして初めて、少女に話しかけている小さな人影を発見した。金色の髪を束ねた少女は、檻の中の少女に向かって一心に何やら話しかけていた。檻の中の少女は頷くことも相槌を打つこともなく、ただそこに座っている。それなのに、金髪の来訪者はさも楽しそうに話しているのだった。何を言っているのか、ヘルマンには言葉が分からなかった。

 早回しのテープを見ているかのように、来訪者は何度も姿を現しては消え、現しては去っていった。

 白い少女が初めて動きを見せたのは、その最後だった。

 少女は顔を上げ、ヘルマンを見上げた。ドキリと心臓が跳ねる。濁った目はもはや何の像も結んでいないが、かつてはあの深い青色だったはずだと悟る。髪の隙間から見えた青ざめた頬はすっかり痩せこけているが、彫刻のように美しく整っていた。この少女が何者なのか、すぐに分かった。これほどまでに美しく、恐れられる作りものは、この世界では眠りの君が手掛けたものしかありえない。

 ヘルマンは息を殺しながら、横に身体をずらした。彼女が見えない目で見ているものを確かめる。

 暗闇の中で青い光が輝いていた。

 小さな足音が近付く。来訪者の紅潮した頬には大粒の涙が流れていた。美しく結っていた髪は乱雑に切られ、血とホコリに汚れた襟口に散っていた。10歳になるかならないかという少女は、小さな体躯に不釣り合いな大きな剣を――青く輝く結晶の剣を引きずっていた。

 少女が剣を担ぐようにして振り回し、ヘルマンは思わず身体を庇った。光がほとばしり、檻の鉄が溶け落ちた。重すぎる剣を引きずりながら少女はよろよろと近付いてきた。白い少女は彼女を、そして剣を見つめていたのだった。


『………………』


少女は檻の中の少女に触れ、嗚咽しながら話した。アーテファクト4は初めて彼女に答えた。ひび割れかすれた声がささやく。少女はうなずいた。

 その瞬間、二人は激しい光と熱に包まれた。

 現実じゃないと分かっていても、ヘルマンはその場から逃げ出そうとした。方向感覚を失ってつまずく。光が弱まり、ヘルマンは背後を振り返った。

 熱い。

 熱がこちらを見ていた。一瞬で考える力も炭化したかのように失われ、ヘルマンは呆然とそれを見上げた。

 巨大な骸骨が檻を突き破ってそこにいた。少女の肉体だったものが一瞬にして焼け、黒い煙と不快な臭いとなって立ち上った。大きな肋骨の中心で魂が拍動し、青い炎を吹き出した。骸骨は一対の腕で地面に這いつくばっていた。ポッカリと空いた眼窩に見つめられ、ヘルマンは魂を失ったかのようにそれを見つめ返すことしかできなかった。

 身体が動かない。恐怖。

 青い心臓が拍動するたびに、机の上の物が、部屋のものがジュッと音を立てて溶けていった。


 半狂乱になって階段を駆け上がったヘルマンは、部屋に戻ったところで躓いて砂利の上に転がった。


「あれ……」


振り返ると、上ってきたはずの階段も、地下室も跡形もなかった。崩れかけた部屋の中を見回して、ヘルマンは横たわる影を見つけて小さな悲鳴を上げた。

 飛び上がってその姿をもう一度確認する。小さな骸が部屋の隅に横たわっていた。

 呼吸を整えながら近付く。錆びた鎖帷子をまとった小さな骸はすでに白骨化していた。何かを大切そうに両手で握ったまま事切れたのだ。大きな棒状の包みは重く、鎖帷子と胸腔を押しつぶすようにめり込んでいた。恐る恐る包みを解くと、青く輝く刀身が現れた。


「これは……!」


ヒルデガルトを寝かせた部屋に飛んで戻ると、彼女は少し回復したようで、不思議そうにヘルマンを見上げた。

 ヘルマンに連れられて骸を見たヒルデガルトは、慎重に大きな剣を取り上げた。小さな骨がパラパラと床に散った。


「王剣だ……」

「本物なんですか?」


ヒルデガルトは黙って深くうなずいた。透き通る青い刀身は、どうやって加工したものか分からない。光が幾重にも屈折し、内部から輝いているように見えた。


「このひとはまさか……」


ヒルデガルトは感慨深く亡骸を見つめた。鎖帷子と兜の様式はかなり古い時代のものを思わせた。プレートメイルが発明される前のものだ。


「王剣を持ち、こんなところで事切れている……。皇女グンヒルドに違いない」


少女の姿がフラッシュバックする。


「見たんです。この部屋を見つける直前に夢か現実か分からないところに迷い込んで……、彼女たちが話しているところを。脚を切断されて閉じ込められたアーテファクト4と、そこに会いに来る少女……。彼女は泣いていて……」


知ってる、とヒルデガルトに遮られ、ヘルマンは目を丸くした。摩訶不思議な現象なのに、ヒルデガルトは驚きすらしなかった。知っているとはどういうことか訊こうとして、彼の声は遮られた。


「――――――――!!」


嵐の音に混ざって響く不吉な咆哮。全身が総毛立ち、汗が噴き出した。

 ヒルデガルトは古めかしい剣の柄を握った。

 衝撃とともに砂粒まじりの風が小屋の中に吹き込んだ。屋根がもぎ取られたのだ。


「やめろ! この剣が分からないのか!?」


金色の兜の中から、上顎のない怪物の焔がこちらを睨んでいる。

 ヒルデガルトは輝く剣を掲げたが、怪鳥は燃え盛る青い翼を叩きつけた。結晶が輝き、焔は見えない力に遮られた。怪鳥は断末魔の叫びを何人も幾重にも重ねたような叫び声を上げている。


「やめてください! 忘れてしまったんですか? 皇女はあなたの……」


怪鳥の咆哮に地面が揺さぶられる。ヘルマンはヒルデガルトに引っ張られ、石の小屋を飛び出した。

 ここは世界の端。不安定な空間だ。神の造り出した兵器が暴れれば、容易に崩れてしまう。ヘルマンにはヒルデガルトの意図が分かった。彼女はふたりのことを知っているのだ。


「剣があれば誰もが言うことを聞くって……」

「今のこいつには駄目みたいだ。怒りに支配されている」


熱線が追いすがる。青い結晶の刀身がそれを叩き切る。身につけた服が発火してしまいそうな熱だ。怪鳥の骸骨は青い焔に包まれている。

 砂礫に足を取られ、ヘルマンは滑り落ちた。頭の血がサッと音を立てて引く。足元の地面が崩れ、空が遠ざかる。


「ヘルマン……!」


振り返ったヒルデガルトが手を伸ばした。


「リッターさん!? 剣が……!」


ひんやりとした両手に掴まれる。輝く剣が奈落の底にきらめきながら消えるのが目の端に見えた。


「手を離してください! あなたなら空を飛べる、剣を取り戻すんです」

「それはできない……」


砂礫の大地がどんどん崩れていく。彼女の手以外、何も体重を支えられるものがない。両足は無の空間に投げ出され、もがいても何の手がかりもつかめない。ヘルマンは彼女の手を振りほどこうとしたが、冷たい手は信じられないほどの力で掴んだまま離さない。ヘルマンは彼女の青い目を見つめた。


「王剣を手に入れなきゃ、ここまで来た意味が無いじゃないですか」

「私は人間を守ると決めたんだ! お前を失うわけにはいかない」

「そんなプライドはもう良いじゃないですか! 私だって足手まといなんてごめんです」

「黙れ! 私はこの化け物みたいになりたくない……!」


ぽたりとヘルマンの頬に雫が落ちた。喚く気も一瞬で失せてしまう。馬鹿な、何でこんなときに泣いちゃうんです? 覚悟を決めたって言ってたじゃないですか。

 彼女を見上げるヘルマンの顔に大きな陰が落ちた。熱い。まっすぐに殺意がこちらに向かっている。

 青い焔が彼女の体を包む。涙が蒸発するのが見えた。

 焔が燃え移る寸前になって解放されたヘルマンは、世界の底に真っ逆さまに落ちていった。



 体が何かに跳ね返され、ヘルマンは硬い地面に転がった。

 息ができない。両肩に、背中に見えないゾウがのしかかっているようだ。

 闇に包まれ、色を失った世界。かろうじて建物の輪郭だけが見て取れる。うめきながら体を起こすと、そばには天井が凹んだ車があった。この車の上に落ちたおかげで、落下死を免れたようだ。

 これはおそらくフェーゲライン世界に押し潰された自分の世界だ、とヘルマンは推測する。

 彼の目の前に唯一青い光の筋が見えた。固まっていく身体を必死に動かしてそこにたどり着く。粘度の高い液体の中をもがくようだった。輝く結晶の剣が道の真ん中に突き立っていた。剣が輝き、そこだけ生気を取り戻したかのように色彩が感じられた。


 耳元でささやき声がして、ヘルマンは背筋が凍った。


4フィア……、私、どうして生まれてきたんだろう』

「皇女……、ですか?」


なぜか彼女の言葉が分かる。石のように固まっていく身体を必死に伸ばし、ヘルマンは剣の柄を握った。すると四肢が軽くなり、再び呼吸ができるようになった。


『グンヒルド、吾は汝の問いへの答えを持たない』


小さな声が重なる。悲しみ、憎しみ、激情に揺れる皇女の声に対し、アーテファクト4の声は冷たく無感情だ。


『人間は、皆意味を持たず生まれてくる』

『……そうだね、だって私は、お父様にはそう望まれていないはずだもの。騎士たちが口々に言う私の「意味」は、あってはならないものだと分かってる……。だから尚の事、分からないよ』


皇女は1000年前に生きた人間のはずだ。こうやってふたりが交わした言葉が聞こえてくるのは、この空間が不安定で時空が入り乱れているからだろう。

 これは事実の記録ではない。モノに記された記録ではなく、意味と感情を伴った記憶だ。この剣とアーテファクト4は彼女の魂をアルケーに焼き付けて憶えているのだ。

 ヘルマンは顔を上げた。砂嵐の音に混じり、断末魔の叫びが聞こえる。

 先ほどのヒルデガルトの言葉を思い出す。王剣は不安定な空間を切り裂くアーテファクト。だからこの剣がある場所は時空が安定していて、皇女の遺体は1000年も風化を免れていたのだろう。

 どうやって使うのか分からないが、状況を変えることができるかもしれない。

 ヘルマンは重い刀身を振り上げ、地面に向かって叩きつけた。

 まばゆい光が立ち上り、空間がざわめいた。結晶がキラキラと空中に散る。暗黒だった空間にものが見え始めた。青い光が飛び交っている。熱波が彼の顔に叩きつけた。

 おぞましい咆哮が臓腑を震わせる。礫岩に覆われた大地にあの歪な骸が出現し、飛び回る小さな鳥に向かって骨の腕を振り回していた。


「リッターさん……!!」


空を横切り、ヒルデガルトは巨大な凶鳥に青い熱線を放っていた。金色の古代の兜を被った人面鳥はおぞましい叫び声を上げながら、今度は明らかにヒルデガルトを狙って激しい力をほとばしらせていた。

 黒い手がヒルデガルトを叩き落とした。凶鳥は墜落した彼女を仕留めるべく、鳥の足を持ち上げた。4つの鉤爪がついた禍々しい足が大地に影を落とした。


「うわあああ!!」


ヘルマンはどうにかなれとばかりに重い剣を担ぎ、振り回した。きらめく刀身から光が放たれた。鉤爪が砕け散り、怪鳥は怨嗟の叫び声を上げた。

 熱い……!!

 彼女の転化した躯体は数千度にも上る。あまりにも近付きすぎて、肌が一瞬にして火傷を負うのを感じた。服の金具がバチバチと火花を散らした。


「あはは……、これで化け物にならずに済むでしょう……」


剣の重みを支えられず、ヘルマンは柄から手を離して尻餅をついた。


「――――」


黒い結晶の躯体が起き上がり、青い一つの目でこちらを見つめた。知性ある仕草だった。頭部の真ん中に輝く大きな結晶がチカチカと明滅するのをヘルマンは凝視した。


「…………?」


後退りながら見つめていると、ヘルマンはようやく彼女の意図するところが分かった。


ダンケありがと


音で話す代わりの手段。モールス信号だと分かれば単純だった。

 彼女は黒い腕を伸ばし、王剣の柄を握った。青い刀身がまばゆく輝く。

 片足を砕かれたアーテファクト4が空っぽの兜でこちらを見た。

 あの声の言葉が分かった今なら分かる……。1000年前に生きた皇女グンヒルドは、大きな苦しみに押し潰され、すべてを無に帰そうとしたのだ。この禍々しく相対した者を恐怖で支配する怪鳥は、ただ彼女の願いを叶えるため身を転じたのだ。

 ヒルデガルトの黒い躯体が音もなく浮き上がった。

 アーテファクト4はしかし顔を背け、崩れかけた石の小屋に向かった。剣を振ろうとしたヒルデガルトをヘルマンは制止した。

 凶鳥はゆっくりと巨体を丸め、屋根の中を覗き込んだ。その仕草には今までにない知性を感じられる。片足を吹き飛ばされて少し頭が冷えたのだろうか。

 少しの間、そのまま小屋の中を見つめていた怪鳥は、片腕を持ち上げ、静かに小屋を押し潰した。骸の指の間から煙が立ち上るのが見えた。

 ヘルマンは熱に目が乾くのも忘れ、その姿を目に焼き付けた。

 幼い少女が背負わされていたものを、この神の造物は代わりに背負ったのだ。その焔はまだ消えそうにない。だがしばしその憎しみは忘れてもらわなければならない。

 ヘルマンは目の端で青い光がチカチカと明滅するのを見た。結晶の目が自分の名を紡いでいる。


『行こう。まだ仕事がある』

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