第69話 Meteor

前回のあらすじ

 フェーゲラインの山岳地帯に向かい、石の伯爵との会合を果たしたヘルマン。そのときフェーゲライン上空に巨大な構造物が現れ、まばゆい砲火が中央都市を破壊した。


 夜の帳が下りるフェーゲラインを見下ろす北部の山嶺。ヘルマンは療養地に築かれた豪勢な建造物の隙間から侵略者の巨躯を見た。

 緑色の装甲に部分的に覆われた巨大な機械の塊は、眼下のフェーゲライン平原に浮かんでいる。突き出した巨大な砲身はまっすぐに大河の岸壁にそびえる城に向いている。今しがた膨大なエネルギーを射出した砲口は暗がりの中で薄青の光を帯びていた。

 岸壁に築かれた城郭都市は、フェーゲライン最大の都市、中央都市だった。

 温泉療養地の客の喉から動揺の声が漏れた。


「あれは……、かつてドイツ上空に現れたのと同じです。間違いない……あんな機械は他に見たことがない」


中央都市から火が上がっている。遠目にも構造物の巨大さは明らかだ。あんなものは恐らく今の人類の文明に存在しないし、存在する必要もない。破壊をもたらす遠未来の産物。フェーゲラインを滅ぼすために建造されたのだと分かる。


「行こう」


ヘルマンは腕を引かれて我に返った。マスケの兵に連れられ、ヘルマンは石の伯爵の本拠地である湯治場の山を下りた。

 ロバの背に揺られて人工的な照明に照らされた一帯へ向かうと、土嚢壁に守られた野戦陣地が現れた。サーチライトに照らされ、ロバが不満そうな声を上げた。


「ここは伯爵の領地じゃないんですか? どうしてこんなところに堂々と陣地を……」

「中立の証として、伯爵は領内に第4軍の部隊が駐留することを許した。政治的パフォーマンスだ」


陣地の背後は険しい山に守られている。一方で、裏切ればいつでも背後から刺せるのだという位置でもある。フェーゲラインの内情は敵か味方かという単純な図式ではないようだ。

 指揮所には緊張がみなぎっていた。砂塵に汚れたタイガーストライプ迷彩の兵士たちが情報端末に向かっている。


「中隊長、子爵領の第16連隊の通信設備が破壊されたという報せ……、ここも標的になる可能性があります」


中隊長、と呼ばれた30代くらいの若い将校はウムムと唸った。


「異邦のサイボーグ部隊の目的は、単に国内の武装勢力の機能不全なのか……」

「その口ぶりだと、標的になっているのは第4軍の設備だけではないようですね」


背後から声をかけられ、将校らはぎょっと振り返った。口を開いたのは寡黙なフレーダーマウスだった。


「何だ、君は。……うん? 見たことのある顔だな」


コウモリのフレディは内密にするようにそっとジェスチャーした。中隊長と将校らの警戒が和らぐのを見て、ヘルマンは推測した。ここはマスケとしてスカウトされる前にフレディが元々いた部隊なのだろう。

 フレディは本来の上官たちに本名を明かされる前に、ヘルマンを紹介して事情を簡単に話した。


「そうだ、国境から急進してきたサイボーグ部隊は、各地の軍事施設を襲っている。我々には敵の正体が分かっているが、皇帝軍は機能不全に陥っているように見受けられる。敵は神出鬼没で、通信設備を破壊したり補給線を絶ったり、指揮官を殺害してすぐに行方をくらませる。侵攻ルートもまったく予測不可能だ。奥地に現れたかと思いきや、次には辺縁地帯の部隊を襲っている。敵の総数も不明だ」

「移動手段は?」

「もっぱらスピードの出る乗用車やバンだが、軍用識別信号を偽装している」


疲れを知らぬ機械の兵士ならではの戦い方と言えるだろう。そしてサイボーグは高度に電子化された指揮系統によって、一糸乱れぬ連携ができる。


「中央都市は……」


中隊長は首を振った。


「中央都市に第4軍の部隊は残っていない。あの未確認飛行物体が攻撃しているのは、皇帝の政治中枢、そして民間人だ」

「…………」


ヘルマンは他の将兵の顔を見回したが、誰とも視線が合わなかった。中隊長の頬はこわばっていた。


「中央都市は人が集まる経済活動の中心でしかない。見せしめに破壊されたんだろう」

「我々は今、自分の身を守るので精一杯だ。我々はお嬢様の手足。この世界を知覚する末梢神経だ。中枢神経となるヘクサエーダーが存続する限り指揮系統に乱れは生じないが、各地に点在する我々が集める正確な情報がなければ、適切な判断ができなくなる」


 中隊長と参謀たちは近況を説明した。

 第4軍は各地の拠点を防衛しながら、皇帝軍の攻撃力を削ぐための破壊工作を実行していた。少数精鋭で構成された部隊は、進軍する皇帝軍の兵站の中継地点を目指していた。神の祝福を受けた者たちも、衛生的な食事や水がなければ戦い続けることができない。そして、個人的な忠誠心や虚栄心を動機とした戦意は、単純なことで失われるものだ。

 「攻撃こそ最大の防御」という古典的なモットーに則り、精鋭部隊は粛々と破壊活動を各地で繰り広げた。しかし、ある報せをきっかけにヘクサエーダ―は作戦を練り直す必要に駆られた。

 ある部隊の作戦行動中のこと。夜闇や砂塵に身を潜めながら目標地点にたどり着いた隊員たちは、もぬけの殻となった仮設の倉庫やタンクを見つけた。

 倒れたままになった仮設のベンチや、灯されたままの照明。つい先刻まで人がいた痕跡。皇帝軍の補給部隊は、一足先に何者かの襲撃を受け、間抜けにも物資を置いたまま敗走したのだ。

 真新しいタイヤ痕や無数の足跡を追って精鋭部隊は皇帝軍の敵の正体を探りに向かう。数キロ離れた集落が混乱に陥っていた。逃げ込んだ臆病者を集落の人々は庇わなかった。異形のサイボーグが馬小屋から補給部隊の士官を引きずり出し、その首を鉤爪で引き裂くのをある隊員が見た。作り物の獣の目が、隊員を一瞥した。


「『鉄の狼』がサイボーグ部隊を率いている……」


若い中隊長の顔色は悪い。その報せだけで、第4軍の戦略を一から覆すに十分だった。躯体も感情も持たないヘクサエーダーでも、手足となる兵士の士気低下は看過できない。第4軍は皇帝軍に対する破壊活動を取りやめ、自陣の守りに転換せざるを得なかった。


「皇帝軍や第4軍の設備に対するこれまでの破壊活動は、この世界を知り尽くした者でしか成し得ない精度で行われている。第4軍の中で最も卓越した頭脳が敵の手に渡ったことは、証明されているんだ」

「…………」


マスケの隊員たちの沈黙はそれを肯定している。

 軍の中枢にいた者との思いもよらぬ形での再会は、怒りより恐怖をもたらした。彼らは今や、中央都市からの悲鳴に耳を塞ぎ、自らの守りに徹することしかできないのだ。


『……臆病風に吹かれたか』


端末から声がした。


「ヘクサエーダー?」

『相互承認者の接続を確認した』


冷たい声が告げる。ヘクサエーダーがそう呼ぶのは一人しかいない。


「まさか、お嬢様が……!? お嬢様、どちらに」

『シグナルを確認。中央都市より南西5kmの上空に飛行中』


ヘルマンはテントを飛び出して夜空に目を凝らした。遠くの空に光の筋が瞬いている。

 情報端末からノイズ混じりの声が響く。


『己が身を守ることしか頭にない臆病者が……! どれだけ肥大しようと所詮は戦う躰のない脳に過ぎない。お前の放つ言葉には人を導く力が足りないんだ』


彼女の言葉は、自分の半身ヘクサエーダーに向けられたもののようだ。


『だから私の言葉を、この姿を皆に届けろ。お前は頭脳であり、私は力ある躰だ。盟約を果たすためならば、世界の裏側から舞い戻り、神すらも焼いてみせる……!』


夜闇を横切る流星。ノイズで途切れ途切れになりながら、ヒルデガルトは雄弁に続ける。


『見ただろう、神を冒涜する光を。この世界を否定する神の意志を見ただろう。慄くがいい、これがこの大地を支えるものであり、ひとの夢の永遠を約束する超常だ』


ふと視線を落とすと、テント内の情報端末に映像が写っていた。緑色の装甲をまとった巨大な構造物に向かって幾筋も光線が放たれ、空中で阻まれ散っていく。ところどころ剥がれ落ちた装甲の隙間から、内部の構造がむき出しになっている。空中にたなびくケーブル。もっと巨大なものからむしり取って持ってきたかのような姿だ。



「……そう、ひとの夢の永遠を約束するモノ。言い得て妙ね」


小鳥のさえずりに聞き入る女の乾いた拍手が夜空に響き渡った。


「蛮勇にも世界の底を破って躍り出たのは褒めてあげるけど。そんな可愛らしい攻撃では、オシリスの衣にさえ触れることもできないわ」


めくれた外殻の一部に腰掛けていた白い女が赤い目を細める。

 黒いブルネニット結晶の躯体を駆り、ヒルデガルトは熱線を放つ。巨大な砲はそれ自体が強力なエネルギーシールドで守られている。


「オシリスか。ご自慢の艦はないようだが」

「この箱庭世界を壊すのに、我がオシリスの本体なんて必要ないわ。このセルケトの火力で十分」

「どうだか。この都市を壊したところで何の痛手にもならない。無駄玉を後悔することだな」

「あら、挑発したことをじきに後悔するわよ」


イシスは冷たく笑みを凍らせた。その白い頬が青い焔に照らされる。


『――――――――!!!!』


空気を震わせるおぞましい叫び。全身を襲う不快感。小鳥のものより遥かに大きな光刃がエネルギーシールドにぶつかる。莫大な熱を吸収したシールドが輝き、夜空に異形の兵器と、おぞましい怪物の姿をあらわにした。


「やっとまともなのが出てきた。ここまでがあなたの仕事かしら、ヒルデ?」


イシスはフッと笑い、衝撃に弾き飛ばされた小さな黒い鳥を目尻に捉えた。



「お嬢様……!」


燃える翼で羽ばたく怪鳥が姿を現し、ヒルデガルトの声は激しいノイズで聞こえなくなった。


『生じた電磁パルスにより、相互承認者のシグナルを見失った』


観測装置が映し出す夜空には、巨大な砲に取り付こうとする怪鳥の姿が映されている。

 中隊長はわなわなと拳を握りしめた。


「お嬢様はひとり戦っておられた……。戦いながら我々に語りかけ、鼓舞してくださったのだ。臆病風に吹かれたのはヘクサエーダーではなく、我々だ。お嬢様はすでに誰よりも厳しい覚悟を迫られ、ひとりでご決断なされたというのに……!」

「そ、その通りです中隊長。あんな巨大なものと戦っていらっしゃるのです、我々は小さなものと戦えばいいんです」


将兵の青白い顔には、恐怖を振り払おうとするこわばった笑みが浮かんでいた。中隊長は興奮に上ずった声で言った。


「ヘクサエーダー、まずは中央都市の民間人救出作戦を実施すべきだと私は考える。他にもできることはあるはずだ」

『士気の再評価を行うとしよう』


ヒルデガルトの言葉と戦う姿に、彼らは大いに勇気付けられたようだ。ヘルマンは自分も熱い血が体を巡るのを感じた。

 だが、ヒルデガルトは一体どこに行ってしまったのか。


 けたたましいサイレンが兵士たちの語らいを遮った。瞬時に緊張がみなぎり、中隊長は直ちに命令を発した。


「敵襲だ。各員持ち場に戻り、自衛するように!」


何者が現れたのか、問うまでもない。彼らは次は自分たちがターゲットになると覚悟していたのだ。マスケに腕を引かれ、ヘルマンは指揮所を離れた。

 現れた敵がカドケウスの尖兵なら、彼らは最も効果的な一点しか狙わない。情報の中継地点となる通信設備や、ヘクサエーダーと接続する指揮所の設備、高価な兵器を集約した武器庫だけだ。

 銃声から遠ざかっていく。兵士の寝床となるバラックに潜む。何か言いたげなヘルマンの腕を強く握り、シェーファーフントが念を押した。


「気持ちは分かる。だがあなたが行っても何にもならない」


その通りだ。アサルトライフルを握ってみても、自分は一人の兵士でしかない。サイボーグとあの狼の前には無力だ。

 指揮所の方から激しい銃声が響く。サーチライトが射抜かれ、夜空に火花が散る。

 何か後ろから近付いてくる物音を聞いて、ヘルマンは物陰から顔を出した。蹄の音だ。走る馬の足音、きしむ甲冑の音が迫ってくる。ぬるい風に乗って死臭が漂う。


「やあ狼よ! 何かわしに一言申し開きせねばならんのではないか!?」


プレートメイルに身を固めた石の伯爵だった。

 大きな黒馬に跨り、砂煙を上げながら指揮所の方へ突進していく。

 やはり、かれはここに来ているのか。ヘルマンは指揮所の方へ駆け出した。崩れた土嚢の陰に身を寄せる。悪態をつきながらマスケの兵士が背中にぴったりとついてきた。

 黒馬が悲鳴を上げ、ガラガラと大きな音を立てながら伯爵が砂地を転がった。愛馬の血飛沫を浴びながら、鉄の剣を抜き払う。飛びかかった鉤爪がそれを受け止め、火花が散った。


「見境のないケダモノめが!」


ハハハ、と乾いた人工音声が笑った。テントが燃え上がり、狼の輪郭を照らし出した。


「こんなところで何をしている? 名高い元老院の伯爵が。貴様の敵はあそこだ」


鉤爪が大仰に空を指差す。巨大な光がぶつかり合い、空に稲妻が走っている。


「地を這う鈍重な骸骨め。戦いの誉れをここに持ってきてやったのだ」

「ぬうっ……!」


腕力に任せて剣を振り払われ、伯爵はよろめいた。鋼の足が彼を蹴り飛ばした。

 指揮所が大きな爆発音とともに弾け飛んだ。土嚢の陰に伏せて頭を守ったヘルマンの上に、熱い金属部品が飛んでくる。砂利を踏む重い足音が近付く。ヘルマンの後ろからシェーファーフントが飛び出して割って入った。


「おや……」


向けられた銃がはたき落とされる。格闘に持ち込もうとするシェーファーフントを直視もせず、狼は鋭い爪のついた手で彼の首を掴んだ。


「君、駄目じゃないか。なぜこんなところにいる?」


ヘルマンは頭上から投げかけられた声に臆すまいとして虚勢を張った。血と砂塵に汚れた黒い制服。


「あなたこそ……!」

「お嬢様は丸腰で、己の身ひとつで戦っているじゃないか。君ときたらせっかく革命の覚悟を固めるのを見届けたというのに、彼女に剣ひとつ持たせられないだなんて」

「だったら、あなたが持っているアーテファクトを渡してください」

「この状況で交渉しようだなんて、君と私の関係にまだ何か期待しているというのか? ハハハ、悪いが今は持っていないんだ」


狼の合金のマスクに表情はない。作り物の目に感情はない。ヘルマンはかれをただ睨んだ。


「命拾いしたな、ヘルマン。私はただ天空の神々の戦いを邪魔させるなと命じられているだけだ。君を殺しても何の意味もない。ちょっとを受けたと言っても、君はただの人間だ。何にもなれない、情けない男さ」


かれはシェーファーフントを放り投げ、踵を返した。その脇に銃弾がかすめるのも意に介さない。火の粉で穴の空いた黒衣を翻し、狼は濃い闇の中に消えていった。


「くそ……」


ヘルマンは歯噛みして地面の砂利を引っ掻いた。

 悔しい、と歯の隙間からうめき声が漏れる。砂粒が詰まった爪で首筋を掻きむしりたくなる。だが、ここで喚いているばかりでは、かれの言った通り情けない男であり続けるだけだ。ヘルマンはどうにかして立ち上がった。胸の内で荒れすさぶ嵐が体をぐらぐらと揺さぶる。

 ――そうだ。自分は情けない男だ。いや、男ですらない。人間であることだけが――唯一信じられるものだ。

 彼女は革命を実現するんだ。夜闇を切り裂く一筋の流星となり、暁を導く。彼女の手にアーテファクトを持たせなければならない。流星は燃え尽きるものだ。彼女はそうであってはならない。


「リッターさんを探しに行きます。彼女に……、剣を持たせなきゃいけないんです」

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