第20話 Operation Nordwind 2
前回のあらすじ
命令に従ってヘルマンが向かったのは、
スモークグレネードが煙を上げ、視界が覆われた。熱い発砲炎が瞬き、電磁装甲が火花を散らした。
ヒルデガルトは
『HR、なるべく殺すなよ』
「…………」
床に転がったテロリストを縛り上げて彼女の後ろを進む隊員が呟いた。
ヒルデガルトはいつになく慎重だった。
見られている、と彼女は肌に嫌な感触を覚えていた。打ちっぱなしのコンクリートの屋内にこだまする銃声にまぎれ、耳障りな羽音が聞こえる。小さく、羽虫のような電磁波の気配。
『観客は多い。プライバシーには気をつけることだ』
どういう意味だ、と疑問符を浮かべ、隊長コンラートは気付いた。グレネードの白煙が薄れ、廊下をチラチラとLEDの光が横切る。ヒルデガルトは跳躍して機械の羽虫を叩き落とした。隊員の足元に残骸が滑り込む。小さなローターを2つ付けたドローン。
耳障りなモーター音を響かせ、小さなドローンがいくつも飛んでいた。
『生中継でネットに垂れ流しにされている。視聴者数を知りたいか?』
ヒルデガルトは電磁装甲で銃弾を弾きながら言った。やめとく、と隊員は答えた。
「おい、何やってる」
ハインリヒはヒルデガルトがゴーグルを外したことに気付いた。彼女の前を飛ぶドローンを撃ち落とす。
『あまり喋らない方がいい。声紋で身元をバラされるぞ』
彼女はKaterに警告した。観客が見たいのは自身とサイボーグの戦いだ。誘いに乗ってやろう、と彼女はひとりごちた。
生放送されている動画は何も編集が加えられていない。カドケウスなら中継と同時に悪意ある操作を加えることもできるはずだ。
コメント欄には様々な種類の興奮の言葉が荒れ狂っている。人の死を目撃するかもしれない恐怖と興奮を口々に叫びながら、画面から目を背けることもコメントすることもやめられない。彼らは誰よりも生命の緊張感を味わっているのだ。当事者である自分たちは何の緊張も共有していないというのに。これは生命なき戦いなのだ。
ヒルデガルトはサブマシンガンを握り、廊下を進んだ。屋上からヘリボーンし、地下を目指す。BKAが仕入れた情報によると、敵の極秘通信室はそこに隠されているという。
そこに行けば、ネオナチとカドケウスとの何らかの結びつきを明らかにできる。
ヒルデガルトは角から飛び出した男を瞬時に人間と確認し、肩を撃ち抜いた。苦痛にうずくまる男の背を飛び越えて、高速で人影が迫る。
キィン、と刃が火花を散らした。ナイフが空を滑り、肌に浅い傷をつけた。血の雫が飛ぶ。サイボーグの肩越しにもう一体の青い瞳を見る。
「ぐっ」
アラートなしに肩に銃弾がすり抜けた。挙動がぶれ、急所に飛んでくるナイフを素手で受け止める。
『私を撃つな馬鹿者!』
肩越しにもう1体を撃とうとしたKater隊員に怨嗟の言葉を漏らす。身をよじり、2体のサイボーグから距離をとった。
「……はっ!」
アラートに振り返る。ガラス窓を突き破り、刃が迫った。緊急回避、硬いコンクリートの床に身体をぶつける。
3体目のサイボーグは空振りしたタクティカルトマホークを片手に、Katerに銃口を向けた。
反射的に床を蹴り、敵にタックル。脇から伸びた冷たい腕に掴まれ、視界がぐるりと回転する。
壁に叩きつけられ、ヒルデガルトの意識にノイズが走った。背後からの斉射を電磁装甲が防ぐ。
Katerがサイボーグに銃弾を撃ち込み、拡張視覚から2体の反応が消された。
息を吸い、振りかぶられたトマホークを掴む。ギリギリと敵のマニピュレータが軋んだ。切られた手から赤い雫が滴る。青い目には殺意も何もこもっていない。
壁を蹴り、力に勝る敵の体をようやく突き飛ばす。スリングに提げたサブマシンガンを取り、青い目に撃ち込んだ。
Kater隊員がヒルデガルトの腕を引っ張った。
蹴破られたドアの先に投げ込まれる。
「クソが……」
「感謝しろよ」
床に転がって罵る彼女を引き上げる。ヒルデガルトは荒い息を整えた。腰に吊るしたバッテリーを左腕のコネクタに接続する。
フレンドリー・ファイアされた肩の傷はもう塞がっている。軽い脳震盪、ぶれる躯体の感覚をシステムが補正する。額が切れて血が流れている。軽微な傷は意識下から除かれる。
血を拭い、しかめた顔をすっと無表情に戻す。疑似感情モジュールは正常に機能している。
「……行くぞ」
敵は多く、先はまだ長い。自分に頼る人間を不安にさせるわけにはいかない。
階段を駆け下りる。強い電磁波を感じる。ヒルデガルトは迷いなくトリガーを引いた。コンクリートの壁に銃弾が突き立つ。
階段下から黒い影が躍り出た。振りかぶられたナイフが耳元をかすめ、黒髪を何本か切り払った。仮想空間に敵の姿が灯る。
ヒルデガルトは床を滑り、テロリストの懐に飛び込んだ。死なない程度の打撃を加え、アサルトライフルを蹴り飛ばす。サイボーグが振り返りざまに発砲した。
「ああ!」
テロリストの身体を銃弾が貫いた。邪魔だ、とヒルデガルトは呟いた。サイボーグに撃ち込み、クリアする。
『向こうにいる』
ヒルデガルトは壁に身を隠しリロードした。目配せを受けた隊員が頷き、フラッシュグレネードを投げ込む。炸裂とともに身を翻す。
至近距離に踏み込まれ、ヒルデガルトはサブマシンガンから手を離した。
サイボーグは目で見ていないのか? 攻撃をしのぎながら彼女は思考を巡らせた。羽虫が飛び交っている。
包囲網を突っ切り、テロリストの首根っこを掴む。腕力に任せて投げ飛ばした。ためらうことなくサイボーグはトリガーを引いた。血肉が飛び、電磁装甲がスパークする。
敵に向かってタクティカルトマホークを振る。熱く赤い血が吹き上がり、ヒルデガルトの顔を濡らした。
「こいつ……! 人間を盾に!」
悲鳴を上げる男の脇腹から銃口が覗き、アラートが視界を赤く染めた。電磁装甲がエラーを吐き、内臓に銃弾が食い込んだ。
クソ、と舌打ちしてヒルデガルトは身をかわす。すぐさま急速再生が始まり、出血は止まる。
「このクソアマァッ! 裏切り者!」
喚く男を引き剥がし、床に投げ飛ばす。斬撃を見切りながら作り物の青い瞳がヒルデガルトから目を離さない。
ヒルデガルトはトマホークを手放し、脇からナイフを抜いた。急所を狙った一撃が銃身に防がれ、火花を散らした。
左手でハンドガンを抜く。乱れる物理視野を補正し、
見物客は私が人を殺すところを見たいらしい。ヒルデガルトは呟いた。
「だが、こいつはもう死んでいるんだ」
振り回されるアサルトライフルをかわし、まがい物の肩にナイフを突き刺す。硬い骨格の隙間に食い込んだ歯は人工神経を断ち切った。攻撃がやんだ一瞬のすきをついて銃口を青い瞳に押し付ける。後はトリガーを引くだけ。
義眼を満たすゼリー状の物質が眼窩から噴き出し、サイボーグは動きを止めた。
「…………!」
ヒルデガルトの目は死んだはずのサイボーグの口元が動くのを捉えた。
「何のために戦う……?」
いまだ糸が切れないでいる操り人形を睨みつけ、ヒルデガルトはKaterを振り返った。前進の合図を送る。
『サイボーグはもう死んでる。自分の意志で話しているわけじゃない』
誰かがサイボーグの口を使って演じているのだ。
「なぜ戦う?」
突進してきたサイボーグの口が動いた。
「仕事だからだ」
突き込んだナイフが首に通る人工神経を断ち切り、鉄の骨髄をガリガリと削った。サイボーグはそのまま彼女の後ろ側に倒れていく。
「あなたは人間じゃない」
激しい発砲炎が視界を覆う。バリバリと弾ける電磁装甲。補正された聴覚が言葉を拾った。ヒルデガルトは答える。
「そうだ」
被弾を恐れず踏み込んでトマホークを振り抜き、サイボーグの首が吹き飛ぶ。
「なぜ人間を守る」
床を蹴り、硬い敵の腹に回し蹴りを入れる。開いた自らの傷口から血がほとばしり、システムが苦言を呈した。
音を立ててうるさい死者が倒れた。ヒルデガルトは腹の傷を押さえた。溢れた血が手を濡らし、指の隙間から床へ滴る。赤い血がポタポタと音を立てた。
「大丈夫か?」
踏み出したコンラートが床に落ちたサブマシンガンを手渡した。
「大丈夫」
銃弾が身体の中で止まっている。その分、体内の傷は大きい。作戦を続行しなければならない。
彼女にはKater司令室のざわめきが聞こえていた。
『BKAの事前調査よりサイボーグが多い。想定の誤差を超えている』
『HRの参加のためにBKAがでっち上げの数字を言っていただけというのは?』
『それに、敵の迎撃体制は万全だ。ドローンだって戦闘を見越してあらかじめ用意されていたはずだ』
「…………」
ヒルデガルトは平然を装った。作戦行動中、士気を左右するような不明確な情報は現場には伝わらない。当然、盗み聞きしている彼女も隊員には包み隠している。
想定内だ、と彼女は胸の内で呟いた。BKAがヒルデガルトの応援に頼るために嘘の情報を仕入れたということも、何者かが敵とつながっているということも。人形遣いが自分と接触したがっていることも。
『ならば、我々の目標である通信設備もすでに破壊されている可能性が……』
ヒルデガルトは雑談に割り込んだ。
『その心配はない』
確信を持って言う。
『彼らは私を待っているからだ』
反論が口々に放たれるのを待たず、ヒルデガルトは盗み聞きをやめた。
「行くぞ……! 目標地点は近い。挟撃に気をつけろ」
ヒルデガルトはKaterを睨み、ドアを開いた。
物理視覚が真っ暗になった。誰かがブレーカーを落として照明が消えたのだ。彼女の拡張視覚が仮想空間上に明かりを灯す。隊員のゴーグルに投影する。
トリガーを引き、人間の輪郭に撃ち込む。ドローンの羽虫がほのかに光っている。
すぐそばにあるはずの通信設備の電磁波は、分厚いコンクリートに阻まれて聞こえない。
「…………!」
厚いドアを開いた瞬間わかった。ヒルデガルトはトリガーに掛けた指を離した。
「撃つな」
Katerを下がらせる。後ろを警戒しろと指示する。
目の前にいるのは一人。人間ではない。だが、サイボーグでもない。物理視覚で彼を見る。コンピューターの明かりにぼんやりと照らされた白衣の男は微笑んでいた。
「お久しぶりです……。ヒルデガルト・リッターお嬢様」
知ってる、とヒルデガルトは胸の内で呟いた。そもそも彼女はすべての兵士を記録・記憶している。なるべく多くの兵士に会うように心掛けている。
「フェルニ・ロレント曹長……」
『し、知り合いですか?』
通信先のヘルマンが尋ねる。
「一度しか会ったことのないような下っ端の顔と名前も覚えていてくださるんですね。こんなところでお会いするとは奇遇です」
「当然だ。私の兵士を忘れることなんて」
ロレント曹長は痩せこけた顔で微笑んだ。その顔には生気が感じられなかった。
ヒルデガルトは驚愕を隠せなかった。それと同時に、これが目的だったのかと閉口する。ドローンの羽虫が飛んでいる。
「2ヶ月前に失踪したと……」
「それについては決して故意ではなかったのです。運命の悪戯で国外に放り出されることさえなければ、あなたとこの場で会うことも、第二の短い人生を歩むこともなかった」
ロレントは話し続けた。
「2ヶ月前、私は開発部隊で瓦礫の片付けをしていました。そして朝起きてみると見知らぬ土地に寝ていたのです。今になって思うとあれはイタリアの南部だったようです。手に金もなく、何も持たず、それでもこの世界はずっと素晴らしい。金もなく国籍もないというのに2本の脚で立っているというだけで、誰もが施してくれました。ムチで打たれ、家畜として働くしか人間には生き方を許されていない祖国とは違う。私は何もない状態から、手柄を立てて立派な人間として認められました」
「それが……ネオナチ幹部としてお前が得た第二の人生か?」
ロレントはうなずいた。
「命を断つべきかとも悩みました。ですが、紛れもなくあなたが仰ったことです。どんな苦境にあっても生きろと。自分の生きる目的を持てと。……私はこの道に見出したのです」
ヒルデガルトは顔をしかめた。
「それが、私に背くことだというのも理解しているのか?」
もちろん、とロレントは悪びれもなく言った。
「ご存知でしょう。フェーゲラインに生を受けた以上、我々は国の外では生きられない。私の命も短くない。あなたとてその例外ではない」
「ならばなぜ戻ってこなかった」
「イタリアを出る時点で私はすでに道を踏み外したからです。背く者をあなたはお許しにならない」
「お前は行方不明扱いになっている。まだ軍の登録は消えていない。……私の手の内で死ね」
ええ、と言って彼はハンドガンを握った。
「!」
ヒルデガルトはトリガーを引いた。悲鳴を上げてロレントはハンドガンを落とした。血のほとばしる右手を押さえてうずくまる。
細く煙を上げる銃口を向けたまま、ヒルデガルトは歩み寄った。青い瞳が冷たく彼を見下ろす。
「殺すと思ったか?」
なぜ、とロレントは食いしばった歯の隙間から問う。彼女は答えなかった。
補助電源で動き続ける通信用の端末に触れる。情報はまだ生きている。ヒルデガルトはコネクタを挿し込み、データの移植を始めた。
「一つだけ答えろ」
ヒルデガルトは冷たく感情のない眼差しで彼を見下ろした。
「なぜ私ではなく、ネオナチの理念に命を捧げる?」
ロレントは苦痛に顔を歪ませながら、喉の奥をくっくっと鳴らした。
「間違っているからです。……我々という存在、フェーゲラインという存在が」
ヒルデガルトの目に青い炎が閃いた。
「お前……」
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