第19話 Operation Nordwind 1

前回のあらすじ

 死から目覚めたヒルデガルトは単身、フランクフルト・アム・マインへ向かう。スラムと化した大都市で彼女は何者かに連れられ、目的地へ。秘匿された人肉レストランで彼女はサイボーグと、神を名乗る者の声を聞く。



「ヘルマン、お前に仕事があるんだが」

窓からの陽光を遮られ、ヘルマンは顔を上げた。ディスプレイ越しに小さな将校が見下ろしている。ヒルデガルトは書類を差し出した。

「ヴィースバーデンで開かれる会合に誰かが参加しないといけないんだ。お前に行ってもらうことになった」

「ヴィースバーデン?」

ヘルマンはオウム返しに尋ねた。書類には南ドイツのヴィースバーデンの連邦刑事局BKA本部で会合があるとされている。旅団長のサインがある。

「私が行くんですか?」

そうだ、と彼女はうなずいた。一体何の会合だろうか。もちろん対テロ活動のことには違いない。ヒルデガルトは先日の件で厳しい外出禁止を課されていて、仕事であっても外に出られないだろう。

 ヘルマンは会合の日付を見てため息をついた。

「明後日じゃないですか……」

抱えている仕事は一つではない。早く支度しなければならない。

「いいんですか私なんかが参加して。総監部の人が行ったほうがいいんじゃないですか」

「今から動けて、一番現場に理解があるのはお前だ」

それにしても、と彼女はぼんやりと言った。

「いいなあヴィースバーデン。私が行きたかった……」

ヒルデガルトは夢見る少女の表情になった。彼女のそんな顔は今まで見たことがない。ヘルマンはぎょっと目を疑った。

「ど、どうしてですか」

「ヴィースバーデン、温泉じゃないか! それにカジノもある……。娯楽の殿堂だ」

「温泉? カジノ……?」

彼女のうっとりした表情をまじまじと見つめる。の趣味は想像の域を超えているようだ。

「温泉…………」

ヒルデガルトは魔法にかかったように呟いて、そのまま昼寝に入ってしまった。

 残念ながらヘルマンは温泉にもカジノにも興味がなかった。


 早朝、ヘルマンは司令部の屋上に据えられたヘリポートから輸送ヘリに乗り込んだ。アウトバーンと鉄道で前任者たちが殺害されたことから、ヘリで行くのが最も安全らしい。とはいえネルフェニッヒ空軍基地にてKaterカーターのヘリが撃墜されたことは記憶に新しい。

 眼下の景色を見下ろすのも飽きて眠気に襲われた頃、ヘルマンのスマートフォンが震えた。

『寝てる?』

まさかこの上官は人のスマホのカメラをハックして、すべての部下の働きぶりを監視しているのではないだろうか。疑念に駆られながら返信する。

『寝てませんよ』

『言い忘れたが、会合の内容は逐一報告してくれ』

はあ。

『何を言われても絶対に驚くな。すべて物知り顔で貫くんだ。ナメられないように』

『了解しました』

顔文字が返ってくる。

『土産にワインを買ってきてくれ』


 ヘリポートに降り立ったヘルマンはスーツ姿の若い男に出迎えられた。無精髭を生やした彼は笑いながら挨拶した。

「ようこそ。僕はBKAベーカーアーのケラム・デュランだ。君が来るって聞いて楽しみに待ってたんだ」

ヘルマンは挨拶して握手した。まるで彼は初対面とは思えない気さくさだ。

 入館証をもらい、厳重なセキュリティを通って会合の場所に向かう。ケラムはちらりとヘルマンを振り返った。

「……から話は色々聞いてる。連邦軍はまだについて明確な返答をしていないんだ。君は何も知らないけど、ここで返事をする必要はない。が重要なんだ。BKAが持っている情報はまだそんなに多くない。返答を求められたら君は食い下がってさらなる情報提供を要求すればいい」

「はい……」

彼の言う通りにしたほうが良さそうだ、とヘルマンは本能的に察した。

 広い会議室に通されたヘルマンは、一身に注目を浴びてたじろいだ。

「連邦軍……? うちの話には乗らないと聞いたはずだが」

ひそひそと疑念の声が聞こえる。ヘルマンは動じない様子を演じた。

「ドイツ・フェーゲライン合同旅団から参りました、ヘルマン・シュタール少尉です。どうぞよろしく」

貫禄のある男がヘルマンに歩み寄った。彼はBKA局長だと名乗った。どうやらこの会合は何やら大ごとらしい。席についたままじっとヘルマンを見つめている女は連邦警察BPOLのワッペンを付けている。

 BKAにBPOLと連邦軍の人間が集まっている。こんな重要な会合に自分のような人間が参加していいのかヘルマンは荷を重く感じたが、平静を装った。


「お集まりいただき深く感謝する。この度、我々BKAはネオナチ武装組織の南ドイツ拠点を特定した」

モニターにスライドが投影される。

「フランクフルト・アム・マインで検挙された人肉レストランシェフの情報から、遺体の流通ルートの一部が明らかになった。その結果、流通に関わった南ドイツ支部を特定することができた。これまで我々が監視していた施設はダミーであり、実質の物資の融通は別の施設で行われていた」

「これを受け、我々BKAは大規模作戦を計画し、南ドイツ支部内のネオナチ幹部を検挙することを望んでいる。ただ、施設内には多くの武装したテロリストがおり、サイボーグと思わしき子女の姿も近隣で目撃されている。ゆえに実働部隊を持つBPOLと連邦軍に協力を要請したい」

なるほど、とヘルマンは心の中でうなずいた。

 BKAの要請に連邦軍の上層部は明確な返答をしていないのだ。対テロ作戦に使うとしたらKaterとHRハーエルだが、上層部としてはBPOLのGSG-9で足りるならこちらの戦力を割く必要はないというのだろう。それに、上層部はヒルデガルトが動くことをあまり歓迎していない。

「実際にサイボーグと交戦し、破壊した経験を持つのは現状では連邦軍のKaterとHRだけだ。実働部隊を持たないBKAとしては、連邦軍の作戦参加を期待している。君は合同旅団から来たのか」

「はい。連邦軍からの会合参加ということで、Katerの後方で動いている自分が適任として選ばれました」

「総監部の人間が来ると思ったが……」

この場で意思決定までできないことは相手も理解しているだろう。自分がここにいることが重要というのはどういう意味だろうか。

「私のことはメッセンジャーだと思っていただければ」

ふむ、とBKAの局長はうなずいた。目配せを受けて職員が再び口を開く。

「我々の目的は、ネオナチ幹部を押さえ、カドケウスとのつながりを暴くことだ。カドケウスの正体や拠点はいまだ明らかになっていない。この作戦によって事態を進展させたいのだ」

その点ではBKAもBPOLも一致しているはずだ。法の秩序を守る組織なのだから。だが、連邦軍は? 連邦軍の目的は、大義は一体何なのだろうか。

「その目的はもっともです。カドケウスを叩きたいのは我々も同じです。対テロ特殊部隊Katerを持っているわけですから。ただ……」

視線が注がれる。ヘルマンは汗ばんだ手を膝の上で握りしめた。

「総監部を説得するには弱いかと存じます。連邦軍は多額の予算を費やして育成した兵士を消耗させようとは思いません。HRとKaterの2個分隊で十分に対処できる敵勢力であるかどうか、明確な情報がなければ説得は難しいでしょう。Katerで足りなければKSKも出動させなければなりませんから」

「ご自慢のHRは一騎当千の強者と聞いているが?」

「それでも大勢の敵に囲まれれば危険です。HRはあくまでも人間の兵士の盾として先陣で戦います。敵がそれを利用してKaterの兵士を狙い撃ちにするならば戦い方を変えなければなりません」



 会合は長引いた。休憩が挟まれ、ヘルマンは会議室を出てため息をついた。すべて物知り顔で構えているのは非常に疲れる。こんな責任重大な仕事を押し付けて総監部は何のつもりなのだろうか。下っ端に適当に処理させて断るつもりなのではないだろうか。

「ご苦労さん」

肩を叩かれてヘルマンは振り返った。ケラム・デュラン捜査官が冷えたコーヒーを持って立っていた。

「ああ、ありがとうございます……」

「お嬢さんに報告しなくていいのか?」

ヘルマンはびくりとした。すっかり忘れていた。スマートフォンを取り出した彼は通知がいくつも残されていることに気づいた。

『BKAは連邦軍に協力してほしくてたまらないんだな』

実は彼女はずっと盗聴しているのではないだろうか。ヘルマンはそう思って報告を省いた。

『本当に今返事できない状況でいいんですか?』

『いいんだ。BKAの要請は無茶苦茶だ。安請け合いするわけにはいかない』

色んな疑念が浮かび上がってくる。帰ったら彼女を問い詰める必要がある。

『とにかくお前は事態を進展させようと努力してくれればいい。お前は総監部を断らせないようにするための楔だ』

それは誰の意思なんだ?

『ケラムによろしく』

ヘルマンははっとして隣のケラム・デュラン捜査官を見た。彼はヒルデガルトを知っている。


 自分の特殊部隊を使い潰したくないのは連邦警察BPOLも同じだった。BPOLも連邦軍の、HRの作戦参加を望んでいる。口にはしないが、サイボーグがまだ人間性を残しているかというグレーゾーンも問題なのだろう。

「サイボーグがいることは確実だ」

ケラムがヘルマンに囁いた。ヘルマンは糸口を与えられたと感じた。

「本当ですね? 人間でも処理できる作戦を連邦軍は受けません」

「確実にサイボーグが複数いればいいんだな? GSG-9だけではこなせない任務だと証明できるだけの情報があれば、連邦軍は首を縦に振るか?」

「……約束はできかねますが、私も総監部の説得に尽力しましょう」


 夜になってようやく会合が終わった。BKAは期日までに情報を揃えると約束した。この約束を引き出せただけでも十分な働きをしたと認められたかった。

 深々とため息を付いて、ヘルマンは頼まれごとをもう一つ思い出した。

「デュランさん、お土産を頼まれてるんですが、おすすめのワインってありますか?」

「ワイン……?」

彼は虚を突かれたような顔をして、すぐにはにかんだ。

「それなら丁度いい。客人にあげようと思ってワインを買ってたところなんだ。君にあげよう」

彼は自分のオフィスに入り、ワイン瓶を持って出てきた。

「本当にいいんですか?」

「いいよ。客人って君のことだ」

ヘルマンは絶句した。偶然なのか?

「あの……、リッターさんとはどういう関係ですか?」

ケラムは無精髭を掻いた。

「実際に会ったことはないよ。ネット上でやり取りして、すぐに仲良くなったんだ」

というだけでこれだけの根回しができるか。ヘルマンはすぐに彼の言葉の意味を理解した。全部あらかじめ用意されていたのだ。


 ヘリでヘルマンが旅団に帰ったのは日付が変わってからだった。もう誰も起きていない。小さな悪魔に文句を垂れるのは次の日にしておこう。



 次の昼、ヒルデガルトは嬉しそうに執務室に現れた。

 程なくして旅団長が部屋のドアを神経質に叩いてやってきた。彼の顔は怒りで赤くなっている。旅団長はヘルマンを一瞥した。彼は慌てて立ち上がる。

「君、シュタール少尉。まんまと騙されてくれたな。いや、私も騙された。このおぞましい悪魔に……」

指をさされてヒルデガルトは目を丸くした。

「私が悪魔?」

「そうとしか言いようがない。ありもしない命令書を偽造し、指揮系統の上から下まで欺いてみせた。そうとも、その命令書のサインは私が書いた。総監部から1名代表者を会合に送るように命令を受けてのことだ。私はきちんと確認したとも。電話でな。その相手の存在すら架空のものだなんて思うかね?」

彼の声は震えていた。

「ど、どこからどこまでが偽造なんです?」

「会合に1名送り出すようにという総監部からの命令自体が存在していなかった。私は偽造音声の電話と命令書データを受け取り、君に出張を命じた。今朝、BKAから総監部に電話が来たらしい。『会合に出席してくれてありがとう』とね。それで驚いた総監部がこちらに連絡を入れてきた」

ヒルデガルトは椅子に腰掛けたままだ。

 本当なのか? ヘルマンは彼女をじっと見つめた。これでは彼女が旅団長に命令したということになる。椅子に座ったままの彼女と怒りで赤くなった旅団長の姿は、立場が逆転して見えた。

「ですが、虚偽の命令でなされた行為は効力を持たないのでは?」

「そうだったら総監部は苛立ちはしない。BKAは連邦軍が作戦に参加してくれるものと喜んでいる。連邦軍内部の問題だったらどうにかできよう。だが、今回は相手先がいる」

ヘルマンは混乱した。ここにいることが大事というヒルデガルトの言葉は核心そのものだったのだ。他ならぬ彼女だけの意思だった。

「弁解はしないのかね? リッター中佐」

「なぜその必要がある? 私は必要なことをしただけだ。究極に大事な計画を棒に振ろうとした総監部の代わりに正義を成しただけだ」

彼女は腕を組んだ。

「総監部はご老人たちの勢力争いに明け暮れて大事な判断もできなくなっている。ネオナチ幹部を押さえ、ネオナチとカドケウスの繋がりを掴むこれだけのチャンスというのに!」

「君は自分がカドケウスと戦いたいだけだろう。戦果を奪われたくないだけだ。君は自分の都合のために連邦軍を勝手に動かした。違うかね?」

「違わないな」

彼女は喧嘩を買った。重く緊張した空気が流れる。ヘルマンは息もできなくなった。

「この事態、誰が責任を負うと思うかね」

フン、とヒルデガルトは鼻を鳴らした。旅団長はゆっくりと踵を返して執務室を出ていった。


 ヘルマンはフラフラと椅子に腰を下ろした。

「何をしたんですか?」

ヒルデガルトは悪びれもしない。

「彼の言ったとおりだ。総監部の電話回線を使い、総監の声を合成し、旅団長に命じた。同時に命令書を偽造し、総監のサインを自動筆記機で書き付けて送付した。命令書の確認作業のためにやり取りされたデータは私が回収し、適切に処理されたように見せかけて処分した。旅団長は命令に従い、私に命令書を渡した。そして私はお前に会合に行くように伝えた」

彼女はどこまで指揮系統に食い込んでいるんだ。アナログでの作業も改ざんできるのか。

「デュラン捜査官はあなたのブローカーですか?」

「そうだ。BKAがネオナチ南ドイツ支部の情報を掴んだと私に知らせたのは彼だ。そして、合同作戦の打診をした功労者でもある。彼は連邦軍に要請を掛けたと言っていた。ならば私の方にも何かしら降りてくるはずだろう。それがないということは、残念な方向に事態が進んでいるということを意味する」

「そして、あなたは自分が望む方向に状況を操作した」

「お前は望まないのか? ネオナチを叩きたいと。カドケウスの正体を突き止め、叩きのめしたいと」

「それは……」

うなずいたら、彼女に協力したとして自分も裁かれるのではないか。よぎった疑念にヘルマンは恐れた。

「リッター中佐……。私はあなたの操り人形なんですか?」

ヒルデガルトは目を閉じた。

「私が真にドイツ国旗を背負っていて――連邦軍人だったとしたら、お前は同じことを言ったか?」

「…………」

何を言っているんだ。ヘルマンは後悔した。彼女が自分の上官だったとしたら、こんな台詞言うはずはない。

 ヒルデガルトが立ち上がってこちらのデスクに歩み寄った。顔を上げると、彼女はなぜか笑っていた。意味がわからない。ヘルマンはどうすればいいのか分からず顔をひきつらせた。

「今の言葉を撤回する必要はない。良い質問だ。それはお前自身に向けられるべきだ」

「なぜ……そんな顔を」

「なぜって……。嬉しいからに決まってるじゃないか」

ヒルデガルトは微笑みながらドアに向かった。

「お前は私の理想とする兵士だからだ」




「君が体験したように、彼女の性能は我々の想定や実測値を遥かに超えている。我々は2年間、超人的な生命力に着目して研究を続けてきた。しかし、彼女はこの2年間で我が軍の深奥まで食い込んでいる。それに、彼女の実力は連邦軍の指揮系統をジャックできるにまで至る可能性がある。このことがどれだけ脅威的か分かるかね?」

「はい……」

「今回の件の責任は私が負う。だが、総監部も怒り狂っているだけではない。恐れているのだ」

「…………」

「これは総監部から直々に君に下された命令だ。手書き文書を郵送で送ってきた。読みたまえ」

「……私が彼女を監視するというのは、同時に彼女から監視されることでもあります。私に彼女を出し抜けというんですか」

「それが難しいのは分かっている。ただ、彼女が真に何を企んでいるのか常に見ておかなければならない。可能ならば君が止めるんだ」

「そんなこと……。それに、私が彼女に操られる可能性だって」

「そのリスクを自覚できるのなら十分だ。常に自らの人間性、道徳心に問うことだ。それは彼女の持ち合わせない理論だ」

「了解、しました」


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