第16話 Menschheit
前回のあらすじ
死亡したヒルデガルトはヘクサエーダーから操られていた。一方で敵機にパイロットはおらず、遠隔操作されていた。敗北とヘクサエーダーの侵入を受けたことはヒルデガルトのプライドに深い傷を残した。
合同旅団に戻ってきたヘルマンは、Kater司令室で報告書を読んだ。部屋に入ってきた黒服の将校が彼の肩越しにそれを見た。
「また分厚い紙束かい? 連邦軍の紙信仰には飽き飽きしちゃうね」
振り返るとコンスタンツ・ヴェルフ少佐が苦笑いを浮かべていた。そうだ、この報告書は自分が見たあとは第4軍にも共有されるのだ。
「仕方ありませんよ。連邦軍はあなたの軍ほど若くないんですから」
「紙媒体を受け取るとそれをデジタル化する仕事が増えてしまうからね、まったく」
合同旅団の第4軍区域にはその部署があるらしい。第4軍で紙媒体を扱うのが特別に許された一部の組織だという。
何者かによって奪われた3機のユーロファイターには誰も乗っていなかった。1機はヒルデガルトの機体によって撃墜されたが、誰かが乗っていた形跡も、ベイルアウトした痕跡もなかった。その後空域を離脱していった2機は東ドイツの廃村でそのままの状態で発見された。コックピットに人為的な改造が加えられていたという。
ヒルデガルトの言う通りだった。
「何者かがユーロファイターを遠隔操作していた……」
コンスタンツはむしろ安堵のため息をついた。
「そうか。お嬢様は誰も殺さなかったんだね」
「…………!」
彼女はそのために誰も乗っていないことを確認したのか? ヒルデガルトは蜂起した兵士を殺していなかった。
「ヘルマン、この作戦の意図が君には見えたかい? 人間の兵士しかいないことが分かっていながら、なぜ連邦軍はKaterとHRの出動を命じたんだろうね?」
「…………」
ヘルマンは気まずくなって司令室を見渡した。Kater兵士がこちらを見ている。彼はこの部屋でその話をするつもりなのだろうか。気にも留めない彼への精一杯の抵抗の意思表示のためにヘルマンは立ち上がった。黙って司令室を後にする。
「お茶でも淹れましょうか?」
「淹れてくれるのかい? じゃあ頼むよ」
ヘルマンは彼を応接室に連れて行った。湯を沸かし、茶葉を手に取る。この部屋には紅茶しか置いてない。それがこの執務室のしきたりなのだと学ぶのにそう時間はかからなかった。
茶を持って応接室に戻ると、コンスタンツは黒猫カクタスを撫でていた。
「5人の連邦軍兵士は極右思想に影響されていた。ネット上でそれらの思想を育み、SNSを通して他の仲間と連携して蜂起を計画した。ただ、彼らだけではユーロファイターや防空システムの遠隔操作はできない。彼らには指示した人間がいる。それはまだ分かっていないということだね?」
「ええ……」
だが、そのような科学技術を持っている集団など限られている。
「まさかあなたは、軍の高官はカドケウスが関与している事件だと知っていて、リッターさんを出動させたとお考えなのですか?」
コンスタンツは肩をすくめた。
「まさか。そこまでは考えていないよ。ただ、これでカドケウスが連邦軍にとっても実害のある存在だと分かった一方で、軍の中には事態を歓迎している人間がいるのだとね」
5人が過激思想に染まって死ぬ覚悟を見せたのだ。本当はもっといるのだ。そして、過激思想に傾倒しているのはきっと兵卒だけではない。
2019年、連邦軍は極右思想を持つ兵士を追放する取り決めを設けた。それはつまり、当時から軍内部での過激思想が問題だったということだ。その頃から過激思想を秘めていた兵士はもうすでに歳を重ね、一部は将校にもなっているだろう。
「連邦軍の内部からテロリストが生まれてしまった事実は、ハト派将校団にとってかなり都合が悪い。かねてより試みていた自浄作用が世間に否定されてしまう。閉鎖的な軍隊は自らの問題を自らで解決したがる。警察などの介入など受けたがらない。そこで、自分の兵士に命じて事態を収拾させようと考えるのはまったく不自然ではない。私だってそう考えるさ」
彼はそう言って笑った。しかし次の瞬間には琥珀色の目を鋭く光らせた。
「蜂起すれば殺すと意思表示できたらどんなに便利だろうね?」
「そ、それは……!」
「普通の兵士にはもちろんそんなことは命じられない。自分の立場が危うくなる。だが、半分は自分のものではなく人間ではないものを人間にぶつければ、何が起きるか分からない。KSKではなくKater、HRを出動させれば、手加減のできない彼女がきっと蜂起した兵士を殺してくれるだろう」
ヘルマンは息苦しくなった。コンスタンツはちっとも笑っていない。カクタスだけが彼の膝の上で寝転がって穏やかに尻尾を振っている。
「この都合の悪い事態、しかしあまりにも都合が良すぎる。流石にお嬢様も一目で見抜くよ。お嬢様は意図して兵士を殺さず、敵機にパイロットがいないことを最期まで確認しようとした」
連邦軍は彼女に汚れ仕事をさせたのか。彼女はKater隊員が誤って兵士を殺害することを避けるため、自分が兵士の目の前に躍り出て状況をコントロールしていたのだ。
「残念ながらお嬢様はお人好しじゃない。連邦軍高官の意図を読んだ上で背いたのだ」
「そんな……」
ヘルマンは自分の軍が彼女をそんなふうに使ったということが信じ難かった。しかし、彼女のことを歓迎しているとは言えない高官たちがこの期に及んで出動を歓迎することに違和感があるのは確かだった。
「分かったかい? シュタール少尉。お嬢様が人間じゃないということは、時には人間にとって都合のいいことなんだ。人間にはとてもじゃないが命じられないことをやってくれる便利な存在なんだよ、彼らにとってはね」
「……だからサイボーグとの戦いに彼女を使うんですか?」
コンスタンツは神妙な顔で頷いた。
「君は考えなくていい。自分が何と戦っているのかなど。グレーのものはグレーのままにしておいていいんだ」
彼が何のことを言っているのか分かる。サイボーグがまだ人間なのか、そうでないのか、まだわからないことなのだ。だがヒルデガルトは人間ではないのだからその議論は不要になるのだ。
「お嬢様が従順じゃないというのはよく分かっているだろう? もし灰色のものが黒だと分かったら、きっと彼らはお嬢様を――我々を切り捨てるだろう。そんな未来をむざむざと指を咥えて待っているわけがないだろう。言葉なき反抗を見せなければならないときもあるんだ。いつも人類が正しいとは限らないのだからね」
彼は肩をすくめた。
「お嬢様の言葉で言うと――、『人類が正しいというのは傲慢に過ぎない』かな」
なぜ彼女が連邦軍を信用していないのか。自分が都合よく利用されていることを知っているからだ。
連邦軍病院のICUを抜け出した彼女は何を喚いていた? ヘルマンは胸が痛んだ。
コンスタンツが彼の様子を見てフッと笑った。
「まあ頭の片隅に入れてもらいたかっただけだよ。そんなに重く捉える必要はないさ。お嬢様だって慈悲の心から兵士の命を奪わなかったわけではないんだし。自分の兵士だったら確実に殺していたよ」
「え…………」
ヘルマンはちっとも心休まらなかった。
突然電子音が鳴り響き、ヘルマンは跳び上がった。
「どうした」
コンスタンツが通信機を取ると、その表情はすぐさま険しくなった。
「すぐに追跡しろ」
「まさか……」
ヘルマンは青ざめた。
「お嬢様がお出かけになったらしい」
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