第15話 Kampf ohne Leben
前回のあらすじ
連邦空軍基地で兵士が蜂起し、Katerはその鎮圧に駆り出される。簡単な任務と思いきや、ユーロファイターが発進し彼らに襲いかかる。ヒルデガルトは自ら機体に乗り込み、敵機を迎撃するも彼女からの通信は途絶える。敵機を撃墜して着陸した機体。ヒルデガルトはすでに死亡していた。
「ゲホッ、ゴホッ」
咳き込んで、ヒルデガルトは目を覚ました。気管に詰まった血の塊を吐き出し、咳き込む。
「ううっ……」
新鮮な空気を肺に取り込むと、ゆっくりと全身に酸素がしみていく。冷たく固まっていた手足に熱い血が注ぎ込み、乾いた血管が痛みを訴える。反射的に痛覚マスキングプログラムが働き、脳がじくじくと痛んだ。手足のしびれがゆっくりと消えていき、網膜が光を感知し始めた。
これは灰色で翼の生えた躯体ではない。力を込めると指先がピクリと動いた。
目を覚ましたベッドは全く覚えのないものだった。看護師が飛んできて、ヒルデガルトの腕に点滴針を刺した。蛇の刺繍つきの階級章をつけた看護師だ。
身体がまだ震えている。何も入っていない胃が吐き気を訴えている。死からの目覚めは何度経験しても最悪なものだ、とヒルデガルトはぼんやりとした頭で独りごちた。オペレーティングシステムに躯体のチェックをさせると、彼女が死んでいる間も誠実に働いていた証拠に、まともな返答がきた。
30分ぼんやりと白い天井を見上げていると、ドアのロックが解除されてヘルマンが現れた。髪が乱れ、顔には疲労が表れている。
「目が覚めたんですね、リッターさん」
「み、みず……」
干からびた声で何とかそう言うと、ヘルマンは慌てて水差しに水を入れて彼女の口に含ませた。喉にまとわりついた血が洗い流され、粘膜が潤う。彼女が深い息をつくのを見て、ヘルマンは安堵に胸を撫で下ろした。そして、信じられないものを見る眼差しで彼女を見つめた。
「本当に生き返ったんですね……」
先程まで反応のなかった平らな心電図は、規則的な拍動を示している。ヒルデガルトはぎこちなく首を動かした。
「ここはどこだ?」
「連邦軍病院ですよ。かなり深刻な状況でしたので」
機銃掃射を浴びて真っ二つになりかけていた彼女の惨状を思い出して、ヘルマンは目をそらした。ちぎれかけた躯体を繕い、再生を促すための処置をして、2日間ヒルデガルトは死んだまま寝台に横たえられていた。反応のない死体につながれたいくつものチューブとケーブルは無意味にも見えた。
ICEの中で頭を撃ち抜かれて死んでいたときと同じだとノイベルト少佐は言ったが、ヘルマンは不安と違和感で胸が苦しかった。
現実をうまく受け止められないでいるヘルマンの様子を見て、ヒルデガルトはフンと鼻を鳴らした。
「身体が残っていただけでも十分だ。それについては奴に多少なりとも感謝しないとな」
「『奴』って……」
「ヘクサエーダー」
その名を聞いて、ヘルマンは報告すべきことを稲妻のように思い出した。
「モニタリング画面にその文字が表れて、我々は何もできなかったんです。管制塔からの報告を聞く限りでは、その間あなたは超人的な機動を繰り返して敵機を撃墜したとか。それで、2機が空域から離脱し、あなたの機体は滑走路に着陸しました」
損傷した機体は緻密な調査が行われた。アビオニクスやシステムにHRが傷跡を残していったこと、ブラックボックスからは機体が解体する寸前の激しいマニューバとドッグファイトの全容が明らかになった。話を聞いて、ヒルデガルトは驚きもしなかった。
「その時私はもう死んでいたよ。ヘルメットも加圧服もなしに飛んで、流石に躯体が限界を迎えていたが、機銃弾を浴びて死んでしまった。そして死んだ私の躯体にヘクサエーダーが侵入し、私の代わりに機体を動かしたんだ」
「ヘクサエーダーって何です?」
ヘルマンの純粋な疑問に彼女は淡々と答えた。
「ヘクサエーダーはフェーゲライン第4軍を統括して指揮・管理を行う巨大なコンピューターだ」
「えっと、司令部にAIを導入しているという意味でしょうか」
ヒルデガルトは首を振った。
「第4軍に『司令部』なんてものはないよ。少なくともそういう建物とか組織はない」
ヘルマンには理解できなかった。
「誰もまだお前に説明してなかったのか……」
ヒルデガルトは面倒くさそうにため息をついた。
「AIなんて可愛いものじゃない。普段は司令部として情報の整理や命令の分配を行っているが、明確な意思を持った超高度知能だ。私はユーロファイターのアビオニクスを掌握するために奴の演算リソースを借りたんだが、そのついでに私が死んだ後に最後まで任務を遂行してくれたわけだ」
「ヘクサエーダーが、ユーロファイターを操って敵機を撃墜した、と……」
ヒルデガルトはうなずいた。
「そんなことが可能なんですか……?」
「実際に私がユーロファイターを操縦できただろ。もちろんあんまり新しい機体じゃないからすべての機能は掌握できなかったが、ヘクサエーダーにとって死んだ私の腕に電気信号を送って筋組織を制御し、操縦桿を握らせることはそう難しいことじゃない」
「そんな……」
彼は信じられないものを見る目をしている。人間には理解し難い情報を出しすぎたかもしれない、とヒルデガルトはひとりごちた。
「私だって嫌だよ。たとえ血を分けたヘクサエーダーといえど、他人に躯体を使われるなんて」
ヒルデガルトは嫌悪感をあらわにした。
「……そうだ、私が死んでヘクサエーダーが操縦していたように、敵機も亡霊が操っていたんだ」
「それって……」
空軍基地から上がってきた報告によると、所属するパイロットは全員無事が確認されたという。武装した兵士に射殺された整備兵がいたものの、ユーロファイターを操縦できる兵士の離反はなかった。鹵獲機の3機に一体誰が乗っていたのかまだ明らかになっていないということだった。そして、管制塔からの通信に鹵獲機は応答しなかったという。撃墜された1機から誰かがベイルアウトした形跡もなく、墜落機の中にパイロットの痕跡もなかった。その謎が氷解して、ヘルマンはわずかに震えた。
「私の死にかけの眼球が確かなら、コックピットには誰も乗っていなかった」
「そんなことって……」
「できるんだろうな、人間にも。私にもできて、ヘクサエーダーはもっと上手くできたんだ。知識のある者があらかじめ機体に細工をしておけば、遠隔操縦もできたんだろう。実際、防空システムはハッキングされていたんだろう?」
彼女は悔しそうに顔を歪めた。
「今回の蜂起は綿密に計画されたもので、もっと巨大な敵が背後にいたんだ」
ヘルマンはごくりと生唾を飲み込んだ。
「すまないヘルマン、体が痛む……少し休ませてくれ」
ぐったりと目を閉ざすヒルデガルト。ヘルマンは布団を掛け直して静かに病室を後にした。
点滴と輸血、モニタリング用のケーブルなど様々なものが体と機械を結んでいる。ヒルデガルトは再び貧血に襲われて霞んだ目で、ICUの設備を見回した。
躯体から意識を手放した後、自分の意志に反して躯体を動かされた。いつもの蘇生よりひどく身体が重く全身が苦痛を訴えているのは、その間ヘクサエーダーが好き放題に身体を振り回したからだろう。ヘクサエーダーの飛行はさらなる被弾をすべて回避したが、生命体にはできない激しい機動はヒルデガルトの身体を引き裂きかけた。
普段から四肢を持たない知能であるヘクサエーダーは、肉体への遠慮や配慮というものを知らないのだ。
ヘクサエーダーに自分の躯体のコントロールを奪われたことも、ヘクサエーダーのほうが上手く機体を飛ばせたというのも、ヒルデガルトを苛立たせた。静かに胸の奥で感情が高ぶり、心拍数が上がると全身が再び悲鳴を上げた。
敗北の言葉が彼女の脳裏にめらめらと燃え上がった。あの戦場に自分はいなかった。
ヒルデガルトは苛立ちの眼差しを機材に向けた。繋がれたケーブルを引き抜いて、震える体を起こす。再生したばかりの筋肉が悲鳴を上げた。
フェーゲラインの通信回線からヘクサエーダーの呼び声がする。
『相互承認者よ、躯体の状況は悪い。休息が必要だ』
「うるさい……。誰のせいでこうなってると思ってるんだ」
荒い息をつきながら、体を曲げる。損傷が回復し始めたばかりの臓器が苦痛を訴える。
『我は必要なことを実行したのみ』
「黙れ、私に触れるな」
感覚の鈍い足を冷たい床につけ、体重を乗せる。崩れそうな膝に叱咤し、ヒルデガルトはふらふらと立ち上がった。血液が上体に上らず、吐き気と悪寒に襲われる。
『疑似感情モジュールが誤動作しているだけだ』
「…………」
疑似感情モジュールだと? ヒルデガルトは顔をしかめた。
「そうとも、これは感情なんかじゃない。私の生存本能が誤ってアウトプットされているだけだ」
前後左右にふらつきながら、彼女は足を踏み出した。システムが口々に制止するのを無視してドアまでたどり着き、開く。
手すりを頼りに歩を進めるも、力が抜け床に崩れ落ちる。遠のく意識を必死で握りしめてヒルデガルトは体を丸めた。
『状況を理解しているというのに、不可解な行動だ。何が望みだ?』
ヘクサエーダーの無機質な声だけははっきりと頭の中に響く。
「私はサイボーグじゃない……、ロボットでも機械でもお前のおもちゃでもない……!」
誰かが駆け寄ってきて呼びかけたが、感覚はすでになく、何も聞こえない。頭の中が赤く明滅し、意識が砂の城のように崩れていく。暗闇の中に金属の巨大な立方体が浮かび上がり、言った。
『そうだ。そして生命でもない』
「…………」
………………、
…………
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