第13話 junge Forscher
前回のあらすじ
シープホール空港作戦から帰還したヒルデガルトは、定期帰国でフェーゲラインに帰った。第4軍の電子ペーパー端末を持たされたヘルマンは、彼女が第4軍の頂点に君臨していることに気付く。
ヘルマンは連邦軍の技術研究所で行われているサイボーグの解析データを受け取った。すべての解析は完了していないが中間報告書だ。分厚い書類を手に、ヘルマンは地下研究室に降りた。薄暗い研究室にはコンピューターの明かりが灯り、以前にはなかった活気がある。
ヒルデガルトがいないうちに新しい研究チームの人員が集結した。彼らのほとんどは民間人だった。民間の研究施設にいた者や大学生までいる。どうやら、彼らはヒルデガルト自身がスカウトした人材だという。ヘルマンはまったく違うタイプの若者たちの扱いに頭を悩ませた。
彼は研究室の中心に彼らを集め、報告書を開いた。
サイボーグはドイツ全土で行方不明になった少女たちの肉体を改造することで作られていた。犠牲者は12歳から19歳と幅広い。少女たちは何らかのルートでカドケウスの施設に渡った後、人工の骨格、筋肉と内臓に換装されて改造される。それらの機械部品はあくまでも身体機能を向上させるためであり、生命維持の機能をもたない。生体脳は残され、電子部品を移植されている。人工髄液を供給されているだけで、脳死までは時間の問題だという。推定で3週間程度で脳が機能を停止するという。
「悪趣味だな」
と若い研究員が呟いた。
「戦わせるなら、1からロボットを作ったほうが早いし強靭だ。サイボーグは表面上は元の人間の姿を留めている。倒錯的だな」
元の人間の姿を留めているとはいえ、皮膚も人工物に置き換えられている。画一的なデザインの方が効率がいいはずだ。
「あえて人間の姿をさせてるんだろう。映像の解析を見る限りでは挙動も人間そのものだ」
2032年の現在、人類はまだ不気味の谷を克服したロボットをまだ開発できていない。むしろ、戦争遂行のために人間の範疇を超えた戦闘ロボットの研究が優先され、ヒューマノイドロボットの研究の多くは打ち切られた。
「それだね、カドケウスには研究を打ち切られたヒューマノイドロボット研究者がいるんだ。そいつはカドケウスで夢を実現しちゃったんだよ」
「夢のためだけにこんなコストの掛かることをするでしょうか? ロボットでなくサイボーグなのはどんな意味が……」
研究者は肩をすくめた。
「カドケウスに直接聞きたいもんだね」
2030年の終戦直後、ドイツ全土に宣戦布告映像を流した以降、カドケウスは闇社会に潜伏してメッセージを発していない。かつて追放された科学者が違法科学の研究を進めているというが、彼らのイデオロギーすら不明だ。
「そもそもカドケウスはどこで何をしているんだろ」
彼らの名前は闇社会では通りがいい。ネオナチも喜んでサイボーグを受け取るくらいだ。ただ、それだけ有名なのにどこを本拠地にしてどこから資金を得ているのかはまったく掴めていない。カドケウスのやることすべてに対して政府は後手に回っている。
「これだけの高い技術を持っていて、少なからぬサイボーグがいるんだ、小さな組織じゃない」
報告書の詳細に目を凝らしながら、大学生の研究員が言った。ヒロヤ・クワヅル、バイオエレクトロニクス専門の研究員だ。彼はヘルマンの家を間借りして住んでいるハノーファー大学の学生だった。偶然にもこんなところで同僚になってしまった。
「サイボーグの電脳についての詳細がもっと知りたいな。どうやって躯体を制御してるのかが肝だ」
専門知識を持つ研究員にとっては、中間報告書にはあまり満足できないらしい。技研は情報を出し惜しみしているのかもしれない。
「詳細をもらえるか問い合わせてみますよ」
生体コンピュータはヒロヤの専門分野の理想形だ。仮にカドケウスにその技術が確立されていて、生体脳情報の書き換えや電子化が可能だとしたら、彼はその情報を欲しがるだろう。
若い研究員たちは資金に恵まれなかったものの、確かに先端技術に携わる切れ者揃いだった。民間人という身の軽さを思うと、彼らがいつカドケウス側に寝返るか分からない。だからこそヒルデガルトがヘッドハンティングしたのだろう。旅団の研究室の予算は大きく、彼らの裁量で好きに研究できるはずだ。
「カドケウスに行けば何でも教えてもらえるんじゃないですか」
ヘルマンはそう鎌をかけてみた。
「そっすね」
とヒロヤは笑った。
「まあ、当分はあのお嬢さんの方が魅力的なんでね」
「はあ……」
「ヒルデの脳には確かに何のICチップも侵襲もない。でも身体には電気が流れてて、生体脳がコンピュータとして機能してる。そんな生き物はこの世に他にないっすよ」
「それって生き物って言えるんですか?」
ヘルマンは率直な疑問をぶつけた。ヒロヤは鼻を鳴らした。
「どうかな、生物の定義ではヒルデは到底生き物じゃないみたいだ。心臓が止まっても脳死してもまた目覚めるようなのが生き物とは認めがたいけど、目の前で呼吸したり会話したり体温があるやつを生き物じゃないとは言いがたいっすよね」
「でもサイボーグはもう生き物ではありませんよね」
「あいつとサイボーグを隣に並べたら、本人にぶん殴られるだろなー」
「そうなんですか」
ヒロヤは焦げ茶色の髪を掻き上げた。
「ああ見えて、自分の躯体に揺るがぬ自信があるみたいなんで。人間が作った偽物の人間もどきなんかと比べるべくもないっすよ」
彼の口ぶりは、彼女のことを以前から知っていたようだ。否、本当にそうなのだろう。無許可では司令部から出られないヒルデガルトは、おそらくインターネットを通じて優秀な人材に接触していたのだ。
ヒロヤの言葉とは裏腹に、ヒルデガルト自身も何者かによって作られたような雰囲気がある。派手ではないが美しく整った顔立ち、艶のある黒髪、きめ細かな白い肌、深い色を湛える青い瞳。誰かが何らかの意図と美意識をもって創り上げたような姿だ。だが、機械ではない。研究報告書は彼女の解剖データを残している。人間とは異なる体組成や臓器を備えるものの、人間の技術では作れない。
「……アレは多分、フェーゲラインでも底なしにヤバいものなんすよ」
突然ヒロヤが重い声でぽつんと言った。
「ここの2年分の研究報告書をサラッと見たんすけど、すべてが分かったわけじゃないみたいっす。2年も研究漬けだったのに」
電子化された報告書はヘルマンも見たが、ここに来て数日で全部目を通せる量ではないはずだ。
「それに、見ちゃいけないものもある」
「見ちゃいけないものというと?」
ヘルマンは無邪気にオウム返しに聞いてしまった。
「研究上見てしまうものだけど、追求してはいけなかったり報告書に残しちゃいけないことっすよ。多分、俺たちも見ることになる」
「…………」
研究報告書をうわべだけ見ても察することがあったらしい。ヘルマンは口を閉ざした。
ヒルデガルトはあくまでもフェーゲライン第4軍との協定の中で、技術供与という名目で研究を許されている。許可しているのはフェーゲラインだ。研究内容についても連邦軍は何をどうするか詳細に第4軍と交渉しなければならず、その結果についても例外ではないのだ。フェーゲラインは何を隠そうとしているのか、ヘルマンは不穏な気持ちに駆られた。
「ま、公的機関なんでそういうことは往々にしてあるんでしょ。気にしないことっすよ」
「そうですね」
不穏な存在、権力者には抗わない。こういうところで人生経験の違いを見せつけられる。ヒロヤはヘルマンより数歳年上だ。ヘルマンは研究チームの責任者とはいえ、彼らには頭が上がらない。自身であれば無鉄砲にも闇に手を出してしまうだろう、とヘルマンは思った。
「真っ当な研究者なら、彼女の身体を目の前にぶら下げられて正気でいられるはずがないっすよ」
「こ、言葉がよくありませんよ」
ヒロヤはカラカラと笑った。
「俺たちは知的好奇心を人質に取られて、ここに集まってきたんだ。できるところまでやるよ」
ヘルマンは研究室を見渡した。薄暗いフロアには最新鋭のコンピュータが揃っている。隣には施術室や精密機器もある。技研に比べると規模も設備も劣るものの、必要なものは取り寄せればいいらしい。それらの使い方についてヘルマンは精通していないものの、必要性への理解はある。
「しかしそれにしても、あなた方はリッターさんが選定したんでしょう? よくそんな破天荒な人事案が通ったものですね」
「うーん、多分めちゃくちゃ偉いんでしょ」
ヒロヤは適当に答えた。
「前回の研究チームは全員軍人だったって聞いたけど、彼女、軍人が嫌いなんすかね」
「というより、連邦軍人をあまり信頼してないようですね」
彼女は連邦軍でサイバーセキュリティ中隊長という形だけの役職を一応持っていることもあって、会議にも顔を出す。ただ、彼女はそこでの業務にはまるきり無関心な態度を隠さない。おかげで旅団の高級将校らは彼女にそれ以上の働きを期待しない。将校らと彼女との間には常に緊張した空気が流れていて、穏便とは言い難い。将校らは彼女に極力話しかけず、ヒルデガルト自身も訊かれたことに機械的に答えているだけだ。
しかし、それも彼女があまりにも高い立場を持つ存在だからなのかもしれない。本当に彼女が事実上の第4軍の長ならば、たとえ灰色の制服をまとっている間でも、自分より肩の星が多い「人類」に対して右手を掲げることはないのかもしれない。
「なんかめんどくさいっすね、偉い人達てのは」
ヒロヤは他人事のように言った。デスクの椅子に背中を預けて伸びをする。
「でも、ヘルマンさんだって何でこんなところに来たんすか? てっきりまだ軍大学にいると思ってたんすけど」
「はあ……、確かに、どうしてでしょうね」
はっきり言って、研究チームの責任者という役職はただの便利屋だ。ヒルデガルトの暴挙の責任を取り、研究チームが上げたデータを上に報告する。自分をここに置いたのは、個人的な恩がある旅団長の一存なのだ。
「……ここだけの話、ヒルデはヘルマンさんのことかなり疑ってると思うんすよ」
「えっ」
「そりゃあ、自分が選んだわけではない人間なんすから」
それが信頼されていない理由だというのか。ヘルマンは途方に暮れた。
「ま、ヘルマンさんは人が良いから何とかなるっすよ」
ヒロヤは彼の背中を叩いて椅子ごとスライドしてデスクに戻っていった。
人の良さなど上辺でしかない、とヘルマンはひとりごちた。
報告書をめくり直して、彼は最後のページに気付いた。数体のサイボーグは解析できずに保管されているという報告だった。「遺族」が「遺体」を返還するように要求しており、当局が対応中だからだという。
ヘルマンはドキリとした。サイボーグはサイボーグなどではないのだ、人々にとっては。帰るべき家があった何者かだったのだ。
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