第12話 ihre blaue Augen 2
昼前になると来客のブザーが鳴った。黒服の青年がドアモニターに映っている。ヘルマンはドアを開いた。
「はじめまして、ダニエル・ノルデン上級曹長です」
フェーゲライン第4軍の青年は屈託のない笑みを浮かべながら手を差し出した。
「彼はコニーの副官だ。ヘルマン、お前に渡すものを持ってきてもらった」
ダニエルはヒルデガルトに恭しく敬礼した。
彼は片手に提げたアタッシュケースを開き、薄い板状のものを取り出す。タブレット端末だった。ヒルデガルトはそれを受け取って何やら確認すると、ヘルマンに差し出した。
「第4軍の兵士全員に支給される電子ペーパー端末だ」
ヘルマンが手に取ると、生体認証なのかロックが解除されて画面が点灯した。
「第4軍の業務は99%以上が電子化されていて、兵士はこの端末を通して情報にアクセスしたり命令を受け取ったりする。むしろ、第4軍では紙媒体を扱うと厳しく罰せられる。電子業務は第4軍の根幹だからな」
いまだに紙媒体を信仰している連邦軍とは正反対だ、とヘルマンはひとりごちた。反射防止コーティングされた画面をなぞると、自分宛てに送信された書類データが現れた。新しい研究チームの人員リストであるとすぐに気付いた。
「第4軍の情報、私からのデータはそれで見てくれ。合同旅団のデータも共有されている」
「全部見れるんですか?」
「お前にアクセス権限があるものは見れる」
ヘルマンは資料に目を通し、別のファイルを開いた。命令書だ。ヒルデガルトの名前がある。彼は退屈そうに頬杖をついた彼女の顔を見た。
「定期帰国?」
「そう、私は毎月定期的にフェーゲラインに帰って休息するんだ」
命令書は定期帰国を近日中に予定しているので、連邦軍と日程調整せよという内容だった。だが、宛先は自分ではないようだ。コンスタンツ・ヴェルフ少佐の名前があるが、代理人の名前が添えてある。ヘルマンはダニエルの笑顔を振り返った。
「はい。少佐は多忙でこちらに来られないため、僕が代理で交渉させていただきます」
「そういうことだ」
ヒルデガルトはそう言ってカクタスを腕に抱いた。彼女との会話はこれで終了だ。
ヘルマンは慌ただしく執務室を行き来して、定期帰国の日取りを決めた。毎月のことだから連邦軍の担当者も慣れていた。ダニエルは端末に何やら入力した。
「この端末で指示や命令を受け取って、報告もこれでできるんですよ」
「本当に業務の99%が電子化されているんですか?」
ええ、とダニエルは微笑んだ。物腰柔らかな彼は肉食獣の上官には不釣り合いに見えた。
「業務を電子化して各兵士に端末を持たせることで、祖国を離れていても軍全体を掌握し続けることを可能にするんですよ」
「第4軍の……最高指導者がですか」
彼は頷いた。
「お嬢様はあまりお加減が優れない様子でしたね。それで定期帰国を前倒しするんですね」
突然話題を変えた彼にヘルマンはぎょっとした。
「そ、そうなんですか」
ヒルデガルトはいつもあんな様子だから、体の調子が悪そうだということに彼は気付かなかった。彼女が寝坊してきたのもそういう理由からだったのかもしれない。
執務室に戻ると、デスクにヒルデガルトの姿がなかった。応接室を覗き込むと、彼女は高級ソファの上に身体を横たえていた。言われてみれば元気がないようにも見える。だが、彼女が好きなところで昼寝するのはいつものことだ。
「ダニエルは帰った?」
薄目を開けてヒルデガルトが尋ねた。腕の中のカクタスが喉をゴロゴロと鳴らしている。
「ええ、帰りました」
そう、と彼女は淡白に答えた。
「具合が悪いならそう仰ってくださればいいのに」
「…………」
今日のヒルデガルトは無口だ。いつもは鬱陶しいくらいに人類の愚かさを指摘するのに。やはり具合が悪いのかもしれない。
「一つだけ、答えていただけますか?」
穏やかな陽光に照らされた応接室は、宮殿のようなどっしりとした高級調度品に飾られている。その高そうなソファに寝転がる少女は猫のように気ままなものだ。ヘルマンは汗ばむ手を握りしめた。
「あなたが旅客機の遠隔操縦システムをハッキングしたんですか?」
ヒルデガルトの青い目がこちらを見つめている。彼女の表情は読めない。
「……私じゃない。私にはできない」
「そう、ですか」
ヘルマンは生唾を飲んだ。嘘をついているようには見えない。
「お昼ご飯召し上がらないんですか? もうお昼ですが」
うん、と気だるげに彼女は起き上がった。猫を放してため息をつく。
「その堅苦しい話し方をやめろ。前と同じでいい」
獣たちの令嬢、第4軍の支配者はそう言って先に部屋を出ていった。青い目の猫がヘルマンをちらりと振り返った。
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