第10話 Angriff - Schiphol Flughafen 2

 高級そうなスーツを着た男が床に倒れている。うめき声を上げる彼は、自分を撃った銃の主が傍らにしゃがみこんだのを見上げた。

「ロ、レーヌ……」

彼は驚愕に緑色の目を見開いた。

「なぜ……」

栗色の髪を肩に垂らした少女は、初老の男を無関心そうに見つめていた。緑色の目は冷たい光を帯びている。その手にはアサルトライフルが握られていた。手を伸ばす男を、少女は冷たい刃で殺した。



 通信口でKaterカーターと司令室が口々に暴言を吐いている。ヒルデガルトはそれを聞き流しながらひたすら走った。セキュリティゲートを飛び越える。彼らの後ろから追ってきていたらしいテロリストが彼女の姿に喚いた。その脇をすりぬけざまにトマホークを振るい、柔らかな急所から真っ赤な血を吹かせる。

 インターネットに張った感覚野の一部がざわめきを知覚した。シープホール空港テロを受けて別の空港へと進路変更した旅客機がこちらに戻ってきている。ハイジャック。ヒルデガルトは冷静な意識下でそう呟きながらテロリストの背にトリガーを引いた。司令室はすでに情報を受けているはずだ。黙っているのは混乱を避けこちらの任務に集中させるためか。ヒルデガルトはその配慮を無視した。

『こちらHR、旅客機がこちらに迫っている』

『見えるのか……? ともかくそちらの任務遂行に集中しろ。現地警察が交渉中だ。できることはない』

『隊員の生存が優先だ。早急にサイボーグを破壊して脱出する』

サイボーグが逃げるはずがない。むしろ自分を待っているはずだ。ヒルデガルトには確信があった。

 エントランスへとつながる長いエスカレーターを飛び降りる。広大な空間が広がる。ビンゴ、とヒルデガルトはつぶやいた。


 3体のサイボーグ反応。栗毛のサイボーグが前方に。ヒルデガルトの背後に2体の金髪のネオナチサイボーグが現れた。拡張視覚に3体を収めつつ、仮想空間に描写する。トマホークを握り、前方に踏み込む。栗毛のサイボーグは床を蹴って斬撃をかわした。代わりに後ろから飛び込んできたナイフの切っ先がMP7のスリングを切り払った。電子コネクトが解除され、冷たい床にMP7が落ちた。飛び退って3体との距離を修正。

「……フン」

 栗毛の女はネオナチの制服を着ていない。ヒルデガルトは掴みかかる敵をかわしながら考えた。表情のないサイボーグ。戦闘力と合わせて少女の姿を残していること、それがネオナチのサイボーグの設計理念としたら、目の前の栗毛のサイボーグも同じだ。カドケウスはネオナチ以外にもサイボーグを供与しているということだ。

 もしも設計元が同じなら、急所も同じはずだ。自ら解剖して得たデータを仮想空間に呼び起こして書き込む。

 不意に明後日の方向から銃弾が飛び込んできた。電磁装甲が火花を上げ、腕にかすり傷を付けた。FCSが背後の脅威にレティクルを合わせるも、敵味方識別プログラムがそれを叱る。

『私を撃ったな!』

マスクの中で怨嗟の声を漏らす。KSKだった。KSKの回線に向かって警告する。ネオナチの腕を掴み、体重を乗せて投げ飛ばす。無防備になった躯体にKSKが撃ち込んで処理した。エントランスフロアの真ん中でもつれ合う彼女たちを、KSKとオランダ軍が取り囲んでいた。

『お前がそこをどけば、こちらが撃てる』

『悪いが逃げ方は教わっていないのでな』

ヒルデガルトはKSKを牽制する。いずれにせよ、人間の反応速度を超えてこちらに反応するサイボーグを振り切って逃げるのは難しい。電磁装甲を解除して彼らに撃たせられるほど、彼女はKSKを信頼していなかった。HRと共に訓練したのはKaterなのだ。

 2体のサイボーグに挟まれた。鋭いナイフが肌に浅い傷を残す。側頭部に硬い肘を打ち付けられ、一瞬意識が揺さぶられる。ヒルデガルトは床に身体を投げ出した。とっさに腰を捻り身を翻す。樹脂の床にサイボーグのかかとが食い込んだ。


 Katerがヒルデガルトに追いついたとき、司令室から通信が飛んできた。

『Kater、HR、ただちに戦闘行動を中止して撤退せよ』

『……了解』

ヒルデガルトは理由を訊かなかった。跳び上がって姿勢を修正しながらKaterに目をやり、撤退の合図を送る。

 ネットワークに張った神経がチリチリと痛む。警察の交渉が失敗したようだ。旅客機はまっすぐこちらに突っ込もうとしている。ネット上には恐怖と錯乱の感情が満ちていた。

 ヒルデガルトは2体のサイボーグを振り返った。今から死ぬことなど彼女たちは知らない。否、もう死んでいるそれらに命の心配など不要だ。

 命令を聞いたKSKとオランダ軍が包囲網を解いて後退していく。

「おい!」

ハインリヒが数メートル先から怒声を上げた。

『サイボーグを一緒に連れて行くわけにはいかない。先に撤退しろ』

サイボーグの包囲網を解くことは難しい。想定の範囲内だ、と彼女はひとりごちた。サイボーグは決して逃げない。彼女たちは使い捨ての駒に過ぎないのだ。確実に自分を殺すための準備を彼女たちの主はしているはずだ。

 電子ゴーグルを外し、首に引っ掛ける。ためらうハインリヒを睨み、背中を見送る。

 広大なエントランスが静寂に包まれる。いつもなら多くの旅行客に埋め尽くされているはずの空間だ。邪魔者はいなくなった。

「…………」

ここはオランダだ。フェーゲラインからかなり離れている。回線強度は良くない。だが、不可能ではない。ヒルデガルトはKater司令室に強力な電波を飛ばした。それを足掛かりに向こう側へつなぐ。戦闘システムが苦言を漏らした。戦闘と関係ない行為に電力を消費するなど、と。

 3分だ。とヒルデガルトはタイマーをセットした。

「望み通り、私が相手してやろう」

分かりきったことを呟く。機械の奴隷となった死体は答えない。ヒルデガルトは躯体に新鮮な酸素を取り込み、リミットを解除した。

 7時の方向から鋭い反応。

「ぐっ……!」

電磁装甲が激しく火花を上げた。発砲音が広いフロアにこだました。狙撃。身をよじって眼の前に迫る斬撃をかわし、床を強く蹴る。

 高く跳躍しながら狙撃の主を索敵範囲に捉える。遠い。オーバークロックされた意識の処理速度が格段に向上し、視界がゆっくりと流れる。空中で回転しながら脇からP8を抜き、FCSに無理を言わせる。有効射程距離を超えた銃弾がそれる。修正。スライドが戻るのを待ってトリガーを絞る。3発が命中した。喜ぶFCSを叱りつける。痛みを知らないサイボーグにとってただの命中弾は意味がない。

 着地と共に床を転がり、距離を稼ぐ。MP7を拾い、栗毛のサイボーグを撃つ。狙撃弾が頭のあたりで弾け、激しい電力消費に視界がちらついた。

『HR、撤退命令が聞こえなかったのか!?』

少佐の怒鳴り声が頭の中に響く。

『旅客機が突っ込んでくるんだぞ!』

『リッターさん! 何考えてるんですか!』

通信口でヘルマンが叫んだ。うるさいな、とヒルデガルトは通信回線をミュートにした。

「喚くな。お前はそこで鼻歌でも歌ってればいいんだ」

金髪のサイボーグの攻撃を後退で避けながら、スナイパーとの距離を詰める。狙撃は弾幕に変わり、電磁装甲が悲鳴を上げた。これ以上の電力消費はいただけない。ヒルデガルトはそうつぶやき、サイボーグに飛びかかった。ナイフが腹に突き刺さり、傷がカッと熱くなる。敵に組み付いたまま強引に向きを変える。狙撃弾がサイボーグの躯体に突き刺さった。薄い部分を貫通した弾がヒルデガルトをも傷付ける。システムがアラートで真っ赤に染まった。力が緩んだサイボーグを蹴り飛ばし、トマホークを振り抜く。重い首が数メートル先に飛んでいった。

 銃撃を受けながら、狙撃手に乱射。電磁装甲が知覚を歪め、FCSがエラーをこぼす。数発が命中したらしく、敵の銃弾が当たらなくなった。床を蹴り、カウンターを踏み台にして止まったエスカレーターに飛び乗る。上階から撃ち込んでいたサイボーグの姿が初めて視覚に収まる。赤黒い血を流す茶髪に銃口を向け、トリガーを引く。まだ生きている脳漿が飛び散った。

 3分。タイマーが知らせる。オーバークロック終了。

 不安定な足場にヒルデガルトはふらついて背中から1階に落下した。臓器が損傷し、腹腔内出血をシステムが報告するのを他人事のように聞く。

「ううっ……」

サイボーグは全部撃破した。だが戦闘システムは脅威を感知し、アラートを叫んだ。どこに隠れていたのか、人間のテロリストが銃弾を放ってきたのだ。電磁装甲が作動し、貧血と電力不足に視界が失われる。ポーチから緊急補給用の電解液パックを取り出してかじりつく。不味い液体が吹き出して喉に降り掛かった。むせて咳き込むと躯体が悲鳴を上げた。痛覚マスキングがそれを覆い隠す。

「HR!」

通信はミュートにしたはずだ。

「おい!」

怒声が鼓膜を震わせた。通信ではなかった。銃撃が止み、足音が走ってくる。アラートが鳴らない。うめきながら立ち上がろうとすると強引に引き上げられた。黒一色の装備に身を固めた兵士。Kater隊員だ。

「何してやがる! 撤退するぞ」

ハインリヒはゴーグルの下で顔を真っ赤にして怒っていた。ヒルデガルトは引きずられながら笑った。

「その必要はないんじゃないか」

轟音が響き、空港全体がミシミシと震えた。天井から細かな埃が降り注ぐ。日光が遮られ、薄暗くなる。2人は顔を上げた。ガラス張りの窓の外側に、灰色の巨大な腹が過ぎ去っていく。

「嘘だろ……」

旅客機は轟音を上げながら上昇し、飛び去っていった。

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