第7話 Hannah Kurz - Majore

 ヘルマンは早朝から叩き起こされ、執務室の隣の司令室で強面の少佐に睨みつけられていた。睡眠不足の眠気はもはや吹き飛び、ヘルマンは理解不能さと理不尽さに縮こまっていた。ヒルデガルトが未明に武器庫に侵入し、武器を持ち去って無断外出したという。その責任がどうやら自分に降り掛かっているようだった。寝ている間さえも彼女を見張っていなければならないのか、とヘルマンは忸怩たる思いに駆られたが、戦闘経験が豊富そうで筋骨隆々とした強面の上官に対して反駁する勇気は到底なかった。

 ゲルト・ノイベルト少佐。彼は旅団に新設された特殊部隊Katerの指揮官だと名乗った。彼を見た瞬間、ヘルマンは本能的な恐怖を覚えた。絶対に怒らせてはいけない部類の人間だと確信した。深く落ち窪んだ眼窩の奥の目に宿る光は鋭い。KSKカーエスカーからやって来た彼は、第3次世界大戦で何らかの戦果を上げたはずだ。

 Katerはすでにヒルデガルトを確保するために出動している。オペレーターが現地の彼らと連絡を取り合っていた。

「あいつは旅団司令部からの外出が認められていない。ましてや、同盟軍兵士を傷つけて武器庫に侵入し、錠前を破壊して装備品を持ち出すなど、到底許されない」

どうやらその始末書を彼女の代わりに書くのも、この肩書の仕事のようだった。もっとも、とノイベルト少佐は付け足す。

「あいつは人間ではないし、人類に対して危害を加える可能性が否定できない。危険なものを司令部から出してはいけないのは当たり前だ」

「危険……」

人間ではないという意味がヘルマンにはまだ理解できなかった。死なないという時点で、一般的な人間と違うことは分かっていたものの。事態は深刻なようだった。少佐の眉間のシワは深い。

「これまで、司令部外を移動する際は彼女は機能を停止され、厳重な拘束を掛けられて収納され、運搬されていた。万が一のリスクを考慮してのことだ」

「そ、そんなに危険な存在なんですか?」

少佐がじろりとヘルマンを見た。

「サイボーグのような新しい脅威と戦うために、彼女と協同する部隊としてこのKaterは作られた。我々はもうすでに2年間ともに訓練し、あいつの性能を目撃している。あれは正常な指揮管理下になければならない。お前もすぐに分かる」

彼は司令室の巨大なモニターに向き直った。Kater隊員の位置情報やバイタル、ヒルデガルトの戦闘モニタリングシステムが表示されている。ヘルマンにはまだそれらの見方が分からない。


 隊長のヘルメットにはアイカメラが据えられている。隊員を乗せた装甲車が停止し、通信が走る。少佐はターゲット地点への侵入を許可した。ハッチが開き、隊員が駆け出す。

 まだ暗い秋の朝。廃教会はネオナチ武装グループの根城になっていた。半開きになった戸を開くと、焚き火に照らされて血溜まりがてらてらと光った。武器を手にした男がそこらじゅうに倒れていた。隊員たちは慎重な足取りで焚き火の向こう側に向かった。

 小さな影がかがんで何かをいじっている。ヒルデガルトだ。ヘルマンは彼女が何をしているのか気付いて思わず視線をそらした。ヒルデガルトは隊長と問答している。司令室の空気が張り詰めた。

 不意に背後でドアが開いて、ヘルマンは身体を硬直させた。振り返ると、黒い制服に身を包んだフェーゲライン第4軍の将校が立っていた。少佐が振り返って眉をひそめる。

「遅かったじゃないか。説明してもらおう」

「悪いな」

白髪に眼帯をした特徴的な彼は、この場に似つかわしくない笑みを浮かべた。ヘルマンは彼の頭の上についているものに目が釘付けになった。

「我々第4軍としてはお嬢様を拘束することは認められない。お嬢様を好きにさせるんだ」

アイカメラでは、突如として現れた黒いマスク姿の兵士がヒルデガルトの前に立ちはだかっている。若い将校は口元に笑みを浮かべているものの、琥珀色の隻眼は鋭かった。

「あれはお前の私兵だろう? 最初から仕組んでいたな?」

彼は肩をすくめた。

「我々の信頼関係は揺らいでいる。お嬢様のすぐそばに敵のスパイが潜んでいたのだ。お互いに慎重に動いたほうが賢明とは思わないか?」

まったく、と毒づいて少佐はマイクを取って隊長に命じた。

「HRの確保は断念だ。彼らを家に帰らせろ」

『了解』

ヒルデガルトはアイカメラの視界から去っていった。少佐は黒服の将校に向き直った。

「話してもらおうか」

フェーゲラインの将校は待っていたとばかりに口を開いた。


 鍵となる人物はハンナ・クルツだという。

 彼女は一昨日に死亡した研究員の一人、クルツ中尉の娘だった。フェーゲラインの諜報活動によるとハンナ・クルツは2ヶ月前に行方不明となったが、中尉ら夫妻は捜索届を警察に出さず、連邦軍にも隠蔽していた。10代の若者が突然姿を消すことは、不安定な大戦後の社会では日常茶飯事であった。ハンナは交際相手と駆け落ちしたと彼らは判断したのか。

 ところが、一昨日になってサイボーグをハッキングしたヒルデガルトは、ビジュアルデータの中にハンナ・クルツを発見する。また、交戦したサイボーグらはすべて10代の少女であり、捜索届が出されていた者もいた。おのずから、テロ組織に誘拐されたのではないかという仮説が浮上する。研究チームをターゲットとしたテロ攻撃は、移動ルートや時間についても極めて正確であり、内部情報の漏洩が疑われた。ヒルデガルトは娘を誘拐されたクルツ中尉によるスパイ行為を疑い、ハンナ・クルツの足跡を追った。ただ、他のルートでの情報漏洩を危惧し、また連邦軍のスパイ活動を疑い、ヒルデガルトは第4軍との秘密作戦を選んだということだった。

 そして、たった今行われたヒルデガルトの報告によると、交戦したサイボーグはハンナ・クルツであり、すでに人間としての生命活動を停止していたという。昨日のデータベースとログの捜査によってクルツ中尉が何者かに情報漏洩を行っていた痕跡が見られ、彼の容疑はほぼ確定したという。

「娘を人質に取られ、彼女の生命と引き換えに情報漏洩に応じたということか。それは確かなのか?」

「クルツ中尉の通信先が敵の組織であることまではつかめていない。それは今後の調査の課題だ」

敵が誰なのかまだ分からない。それでは、ヒルデガルトも第4軍も慎重になるのだろう。

「脅迫に応じたクルツ中尉も殺害され、娘もすでにサイボーグにされていたわけだ。しかし、敵が何の目的で研究チームを狙ったのかという疑問が残る」

「安直に考えれば、本プロジェクトの妨害だが」

将校は視線を鋭くした。獲物を見定める肉食獣の目だ。

「そう単純だといいが」


 司令室のドアが開いて小さな影が現れた。血まみれのシャツはすでに着替えてきたらしい。ノイベルト少佐の表情は険しくなり、黒服の将校は顔をほころばせた。

「お嬢様、ご無事で何よりです」

「うん」

つい先程までの蛮行も何もなかったかのように涼しげな顔をしている。彼女は将校の古風な挨拶を当然のことのように軽く流した。苦い表情の少佐を見上げる。

「報告が必要か?」

「いや、戦闘ログを提出してもらえればそれでいい。連邦軍がお前に求めるのは探偵の仕事ではない」

「好意を受け取らないと後悔するぞ」

そう言ってヒルデガルトは左腕のアダプタから何やら端子を引き出してコンピュータに接続した。司令室の巨大なモニターにログが表示される。

「武装したテロリスト13名を殺害。サイボーグ1体を破壊した。戦闘ログは好きに使うといい」

彼女は端子を引き抜いて司令室を後にした。少佐に睨みつけられ、ヘルマンは彼女の後を追う。

「リ、リッター中佐!」

彼女の後ろ姿を探し、隣の自室に戻ろうとしているのを見てヘルマンは胸をなでおろした。ヒルデガルトは不満そうに振り返った。

「あんまり中佐って呼ぶな」

「は、はあ」

「お前もシュタールと呼ばれたくないだろ」

ヘルマンは答えなかった。ヒルデガルトは振り返って、昨日のように机の上に腰掛けた。石鹸の香りがほのかにした。

「一人で全員、その、殺したんですか?」

「そうだ」

彼女は爪の間に残った汚れを気にかけている。

「人間を殺すのはいともたやすい。私はサイボーグのような新たな敵を破壊するために、特殊部隊Katerと仕事をする予定なんだ」

彼女はあくびをした。13人殺してサイボーグをバラバラに解体していたとは思えない。ヒルデガルトは机から降りて隣の扉を開いた。

「2時間ほど仮眠をとるから、始末書でも書いててくれ」

扉が音を立てて閉まった。唖然として、すぐに言葉の意味を理解するとヘルマンは苛立ちを覚えた。

「何と無責任な……」


 デスクにつき、ヘルマンは仕事をするよう試みた。しかし生まれてこの方、模範的に生きてきた彼は始末書の書き方を知らなかった。ヘルマンは頭を抱えた。

 その時、執務室のドアをノックする音が響いた。ヘルマンは立ち上がり、鍵を開けた。先程の黒服の将校が立っていた。

「やあ」

彼は気さくに挨拶した。執務室に入り、部屋の主がいないことを確認する。

「お嬢様はお休みかね?」

お嬢様、ヒルデガルトのことかと合点がいく。

「ああ、ええ、お休みになりました」

ヘルマンは彼の頭の上についているものから目を離せなかった。隻眼の将校は自己紹介した。

「挨拶が遅れてしまってすまない。私はコンスタンツ・ヴェルフ少佐。フェーゲライン第4軍、地位向上局の監査官だ」

ヘルマンは慣れない肩書を名乗り、握手を交わした。コンスタンツは意地悪そうに口角を上げた。

「ところで、君はさっきから私の耳に向かって話しかけているようだね」

頭の上の尖った獣の耳が動いたのを見て、ヘルマンは度肝を抜かれた。

「お察しの通り私はオオカミだよ。群狼のヴェルフだ。フェーゲライン人にまだ慣れていないようだね」

「す、すみません。失礼しました」

気にするな、と彼は笑った。ヘルマンは彼の胸元に輝く青い略綬に気がついた。ヒルデガルトと同じものだ。

「私は局の中でも比較的自由な立ち場でね。フェーゲライン本国とこちらをかなりの頻度で行き来しているんだ。HRプロジェクトの監査は私の主要な職務の一つ。これからよろしく頼むよ」

立ち場の割には軽い立ち居振る舞いだ、とヘルマンはそう印象を受けた。そもそも若い。左目を覆った黒い眼帯と鋭い視線は威圧的だが、物腰に威圧感はない。Kater指揮官とは対照的だ。

「君のことは報告を受けている。正直同情を禁じ得ないが、同情も君には癪だろう」

「ああ……はい」

釈然としない返事をする彼に、コンスタンツは笑った。

「重要な仕事だ。お嬢様が何と言ったかは分からないが、決して誰にでも務まる仕事じゃない。やり遂げられたら、君の価値を示すことになるさ」

「正直、何をする仕事なのかまだ分からないんです」

正直でよろしい、と彼は言った。

「お嬢様のことはもちろんだが、第4軍とのスケジュールのすり合わせから意思疎通、交渉などなど。連邦軍総監部との折衝も必要だ。前任者の業務報告書が残っているはずだ。プロジェクトの文書はすべてデータでやり取りされているから、お嬢様に照会したまえ」

了解しました、とヘルマンは答えた。

「じゃあ、私は会合があるのでな。何かあったら呼んでくれたまえ」

ヘルマンは彼のふわふわの尻尾を敬礼で見送った。自分のデスクを振り返る。彼はああ言ったものの、今目の前にあるのは雑用だ。


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