第6話 Hannah Kurz

前回のあらすじ

 サイボーグを射殺してテロ現場から救出された連邦軍大学の学生ヘルマン・シュタールは、突然ドイツ・フェーゲライン合同旅団に配置される。渋々それを受け入れた彼の前に死んだはずのヒルデガルトが現れる。隣国フェーゲラインからやって来た彼女は人類ではなかった。




 その夜、ヘルマンはあまりよく眠れなかった。信じられないことが多すぎて、頭蓋の中に嵐が吹き荒れていた。

 子供のような少女。人間じゃない少女。灰色と黒の陸軍の制服を着た、小さな将校。フェーゲライン人。全員死亡した研究チーム。

 自分を殺そうとした覆面のテロリスト。それを殺し、自分にも銃口を向けたヒルデガルト。その冷たく凍てつくような眼差し。

 無我夢中だったはずの自分はあのとき、ぞっとするほど冷静に金髪の少女の頭に狙いを定めていた。青い眼球が弾け、世界の動きが止まる。眼窩から血と脳漿を流しながら、ヒルデガルトの上に崩れ落ちるサイボーグ。2人の死体がICEの床に折り重なり、車内は静まり返った。床の上に血が、液体が広がっていく。ヒルデガルトの赤い血に黒い液体が混じっていく。それですべてが終わったのだった。

 悪夢なのか、自分の記憶なのかヘルマンには分からなかった。恐怖と焦燥が蘇り、視界がうねった。



 暗闇の中を迷いなく進んでいく一つの影。監視カメラやセンサーの目を騙し、すり抜けていく。武器庫から必要な武器と弾薬を取って、彼女は司令部の高い塀を飛び降りた。塀の外は彼女にとって馴染みの薄い景色だった。無防備な市民の住む領域。広いじゃがいも畑と並木通り。郊外は人の気配なく静まり返っていた。ヘッドライトを消した車が彼女の目の前に停まり、彼女の姿はそこに消えた。


 車は街外れの廃教会の前に停まり、彼女は降り立った。瓦礫の上で寝ずの番をしていた覆面の男が彼女の姿を見つけて怒鳴った。手には無骨なライフルを持っている。

「止まれ!」

「私はハンナ・クルツに用がある」

男は知らん、と肩をすくめた。彼女は黙って廃教会に踏み込んだ。

 破壊され尽くした講堂の中央に、ドラム缶の焚き火がパチパチと音を立てている。朽ちた座席や柱のそばに不気味な影が揺らめいている。薄青のシャツを着た少女の侵入に、空気が張り詰めた。

「何だ、お前は」

髪を剃り上げた男たちは皆思い思いの武装に身を包んでいた。おそらくは大戦中に仕入れたものだろう。大戦の不安は社会に大量の違法な武器を生み出し、戦争が終わった今もその痕跡は世間を汚したままだ。リーダー格らしき大柄な男が焚き火の奥から現れた。敵意を全身にみなぎらせ、少女を睨みつけている。

「私がヒルデガルト・リッターだ。先日は世話になったな」

彼女の名前を聞くや否や、男たちの中に動揺が広がった。それは一瞬で強い殺意に変貌する。銃口が持ち上げられ、彼女に向けられる。

「そうか、お前が俺達の仲間を殺した女だな」

「私はハンナ・クルツに用があるだけだ。お前たちに用はない」

腕に鉤十字の入れ墨をしたリーダーは眉間にシワを寄せた。

「ハンナ・クルツゥ? そんな女は知らねえ」

ヒルデガルトは首を傾げた。

「そうか?」

彼女の索敵網に、不穏な電磁波が触れる。聴覚と赤外線知覚、電磁波知覚を複合した複合視野の中に、金髪碧眼の少女の姿が浮かび上がった。次いで、背後から接近する人間の姿が戦闘用仮想空間に映し出される。熱い手がヒルデガルトの肩に触れた。

「おい、ガキ、そんな女はここにはいねえ。だがただで帰れると思ってんのか?」

ヒルデガルトは振り返りざまに男の腕を弾き、腰のハンドガンを抜いて間抜けな顔に銃弾を叩き込んだ。

「言っただろう、お前たちに用はない」

黒い影となって跳躍し、朽ちた座席に飛び移る。絶命して崩れる男に銃弾が食い込んだ。

 索敵網はすべての脅威を知覚し、仮想空間がすべてを描写している。火器管制システムFCSに躯体をトレースさせ、機械的に脅威の急所に銃弾を撃ち込む。男たちの放つ銃弾はあべこべに飛び、跳弾する。自らに飛んでくる銃弾だけを電磁装甲が弾く。ヒルデガルトは小さな体を自在に転がし、銃弾を放つ脅威を次々と停止させた。最期の息をつく男の腰からマチェーテを抜き、続きざまに敵の懐に飛び込み、切り払う。システムは人間を絶命させるのに必要なだけの挙動を割り出し、躯体を忠実に操る。

 半狂乱となって飛びかかった男の腹に蹴りを入れ、骨折と内臓破裂の苦痛に悶えるすきも与えず銃弾を撃ち込む。

 薄い色で描写される人間の脅威の姿の中に、目立つ色で描写された一体が接近してくる。仮想空間と拡張視覚のデータが融合され、暗がりの中にはっきりと金髪碧眼のサイボーグの姿を描き出す。

 正確に急所を狙った銃弾を、電磁装甲が火花を上げて遮った。ヒルデガルトは人間を盾にサイボーグに接近した。急速に迫る目標に向かってマチェーテを振るうと、腕に当たったマチェーテの刃が曲がった。慣性に任せてマチェーテを手放し、相手のナイフの一撃を身を捩ってかわす。

 地面に身を投げ出し、転がりながら武器庫から持ち出したタクティカルトマホークを抜く。銃弾を弾き、再び接近する。サイボーグは片手でアサルトライフルを握り、片手でタクティカルナイフを持って迫る。打撃を受け止めた銃身が火花を上げて割れた。

 アサルトライフルを弾き飛ばし、突き出されたナイフの腕に片腕を巻きつける。サイボーグの人工関節がきしむも、相手が苦痛を感じる様子は見られない。サイボーグは片手でハンドガンを抜いた。ヒルデガルトは力に任せて腕を引いた。敵の関節が外れ、引きちぎれる。

 アラートを聞いて身を捩ると、ハンドガンの銃弾が肩の上をすり抜けて肉をえぐった。彼女は強く踏み込み、首に向かってトマホークを叩き込んだ。サイボーグの頭が傾き、動きが鈍る。もう一撃。強靭な人工頚椎が割れた。スイッチが切れたように停止し、サイボーグの身体は崩れ落ちた。重い頭部が冷たい床に落ちる。

 全脅威の沈黙を確認。仮想空間上に動くものは残っていなかった。ヒルデガルトは長く吐息を落とした。過熱した筋組織を休ませる。彼女は転がった頭部を拾って首の上に添えた。その無表情は自らの死も苦痛も感じていない。とうの昔に死んでいるからだ、と彼女は独りごちた。

「ハンナ・クルツだ」

一昨日に死亡した研究メンバーの一人、クルツ中尉の娘だった。フェーゲラインが寄越した諜報データの顔と90%一致する。彼女の中で仮説の証明が完了した。

 一体のサイボーグに接続し、ハッキングした際、椅子に縛られた少女の後ろ姿を見た。あれはこのハンナ・クルツだったのだろうか。ビジュアルデータの日時から割り出すと、サイボーグ化手術があまりにも早すぎる。何者かに逆探知を食らい、あわやハッキングし返されるところだったことを思い出す。その何者かが合成して仕込んだビジュアルデータだったのかもしれない。そうであれば、自分はここにおびき出されたことになる。しかし、もう脅威は存在しない。ヒルデガルトは感覚を研ぎ澄ませて索敵範囲を広げたが、目立った敵性反応はなかった。

 彼女はタクティカルナイフを拾い、サイボーグの腹に突き立てた。そのまま上に切り開く。先日破壊したサイボーグの躯体は連邦軍に回収された。自らの目で見ておかなければ。


 朝が近づき、サイボーグの躯体を物色する彼女の背中に、マグライトの強い光が向けられた。

「手を上げろ! 武器を捨てるんだ」

最新鋭の武装に身を固めた特殊部隊員たちが彼女を取り囲み、銃口を向けた。ヒルデガルトは気だるげに鼻を鳴らした。

「抵抗するな。お前を無力化して回収するよう命令を受けている」

「そんな権限を誰が持っているんだ?」

彼女は顔を上げた。マグライトの光に眩しさを感じる素振りは見せなかった。敵意を見せた彼女に、特殊部隊員たちの間に緊張が走った。

「私が抵抗したらお前たちにどうこうできると思うのか?」

彼女は片手をひねった。不意に天井から何かが飛び降り、彼女の前に着地した。光学迷彩が切られ、黒いポンチョをまとい、不気味な獣のマスクをかぶった人影が現れた。

「お前のお守りか」

「…………」

マスク兵は答えずヒルデガルトをかばうように立ちはだかった。ヒルデガルトは刃の欠けたナイフを持って立ち上がった。シャツはサイボーグの体液で赤黒く汚れている。

「私は自分で帰る。用は済んだ。邪魔をするな」

「司令部外での自由な行動は禁止されているはずだ」

「私は連邦軍を信用しない。私を拘束することは認めん」

隊長は司令室から指示を受けた。ヒルデガルトはそれを盗み聞きし、満足げに踏み出した。包囲網が緩められ、2人のフェーゲライン人を見送る。連邦軍の装甲車の隣に黒い車が停まり、2人を乗せて走り去った。





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