第4話 Student

前回のあらすじ

 アウトバーンを移動中にテロリストの襲撃を受けた連邦軍の車列。起こされたHR(ヒルデガルト・リッター)はサイボーグを倒し、ICE(インターシティエクスプレス)に突入するも、銃弾に斃れる。最後のサイボーグを倒したのは彼女ではなかった。




 青年は暗い居間の中、照明もつけずにソファの上に腰掛けていた。

 特殊部隊に救出された彼は、簡単な治療を受けてハノーファーの実家にたどり着いた。突然の事件に彼は憔悴しきっていた。誰もいない実家のソファに腰を下ろして数時間、次第に気持ちの整理をし始めた。

 突きつけられた銃、男との揉み合い、隣の車両から響く悲鳴と銃声。自分がなぜ生き残ることができたのか思い至ると、彼は手が震えた。狭い車内で取っ組み合う少女、床に折り重なって動かなくなった彼女たち、飛び散った脳漿、床に広がる赤い血。

 彼は自分が銃を撃ったことを突然思い出した。男に殴られた頭の傷がズキズキと痛んだ。銃を持った覆面の男と揉み合っていたが、銃声とともに相手の男は動かなくなった。震えながら見上げると、黒髪の少女がこちらを睨みつけていた。そして彼女は金髪の少女と取っ組み合い、倒れた。アサルトライフルのけたたましい銃声が耳によみがえり、鼓膜を刺した。自分は、一体どちらに銃口を向けたのか。彼は呆然としたまま眠りに落ちた。


 翌朝、ソファの上で冷え切った彼を玄関のチャイムが起こした。モニターで確認すると、灰色の制服の男が立っている。心臓が跳ね上がった。

「はい、ヘルマン・シュタールです」

「おはよう、シュタールさん」

ドアの前に立ったドイツ連邦軍人は、よそよそしく会釈した。脇に大きな書類封筒を抱えている。彼はドイツ・フェーゲライン合同旅団に所属する兵士だと簡単に名乗った。ヘルマンは用心深く彼を観察した。左腕の部隊章を見れば、嘘をついていないことはわかった。

「突然のことだが、君、ヘルマン・シュタール氏には旅団長から呼び出しがかかっている」

「旅団長から、ですか……?」

軍人は書類封筒から紙を取り出してヘルマンに渡した。呼び出しの旨と、見覚えのある名前のサインが見て取れた。彼は不安と不審に駆られた。

 身支度をしたら連れて行くよ、と軍人は車を指差した。

「すみません、制服は軍大学に置いてきてしまったのですが……」

「ああ、問題ないよ。貴重品だけ持ってきなさい」

ヘルマンはドアを閉めた。


 ドイツ・フェーゲライン合同旅団。2年前にハノーファーに設置されたことは、軍大学に通う彼も知っている。旅団長は、彼の恩人だった。2年前にようやく終息を迎えた第3次世界大戦で両親を亡くして以来、彼はシュタール兄弟を支えてきた。彼と父は士官学校以来の友人だったという。幼少期に彼がしばしば家に遊びに来ていたのを思い出す。

 ヘルマンは頭を抱えた。彼がなぜ今、自分を呼び出しているのか。昨日の事件と関わることだろうか。そうに違いない。

 シャワーを浴びて、昨日から放置していた荷物を解いた彼は、無造作に押し込まれた黒く重いものを見て凍りついた。黒いハンドガン。連邦軍の制式拳銃だ。昨日自分が拾い、どちらかの少女を撃ち、よりにもよって持ち帰ってしまったのだった。ヘルマンは震える手でそれに触れた。錯乱状態でもセーフティは掛けたようだ。彼は慎重にマガジンを取り出し、薬室の銃弾を取り除いた。誰にも見られていないことを確認する。安全な状態で、きちんと説明して返却すればきっと大丈夫だ。叱責を受けても、始末書を書けばいい。彼はそう自分に言い聞かせてハンカチにハンドガンを包み、カバンの奥底にしまった。

 車に乗せられ、郊外に出た。じゃがいも畑が広がる人気のない郊外にぽつんと旅団司令部はあった。無口な軍人はポケットから取り出したICカードを立哨の端末にかざした。武装した立哨はちらりとヘルマンを見た。

 2年前にできたばかりの司令部はまだ真新しいにおいがするほどだった。時折、敷地内を黒い制服を着たフェーゲライン軍人が通るのが見える。

 廊下を歩き、階段を上り、ヘルマンは旅団長の執務室に案内された。

「久しぶりだね、ヘルマン」

「お久しぶりです」

旅団長はヘルマンを案内してきた軍人を労った。応接室に入り、握手を交わす。ヘルマンは手の汗を拭った。旅団長は苦笑した。

「なぜ突然呼びつけられたのか、不安に思っているだろうね」

「はい」

「私と君との関係は、あくまでも私的なものに過ぎなかった」

彼は表情を引き締めて言葉を続けた。

「だが、生憎にも今日からは公的な関係になる」

一枚の書類を取り出し、ヘルマンの前に差し出した。そこにボールペンを添える。ヘルマンは困惑のあまり言葉をつまらせた。

「えっと……」

「ヘルムート・シュミット軍大学のヘルマン・シュタールは本日付けで、この合同旅団に配置される。突然かつ異例の異動だが、致し方ない」


 背後でドアが閉まった。ヘルマンは異動の通達と承諾書を持って廊下に立ち尽くした。少し時間をもらいたいと口走ると、旅団長は同情の色を目に浮かべ、今日中に返事をするようにと言った。今日中に返事ができなかったらどうなるのか、訊く勇気は出なかった。どうすればいいのかヘルマンには何も思いつかなかった。最後に、行くようにと言われた部屋への道順を思い出し、重い足取りでそこへ向かった。一歩一歩、めまいに襲われるように感じた。

 まだ軍大学での教育を修了していないというのに、司令部に配置されるという状況がヘルマンには理解できなかった。迷彩服をまとい、銃を持ち、的を撃ったことはある。一通りの訓練は受けた。第3次大戦の際は軍大学の学生も後方支援に駆り出された。だが、司令部で働くための士官教育はまだ始まってすらいない。特に、この旅団は普通ではない。働けるはずがない。こんな未熟な人材に一体何をさせようとしているのか。

 目的の部屋にたどり着き、ドアをノックする。誰も返事をしなかった。ためらいながらドアノブを回すと、施錠されていないドアは簡単に開いた。

 眼の前に鎮座するがっしりとした木製のデスクと棚は、近代的な旅団長の執務室に比べるとずいぶんと古風な佇まいだ。窓辺から差し込む光に飾られた国旗が照らされている。黒赤金のドイツ国旗と、深い青色の旗。フェーゲラインの国旗か。机の上にはPCはおろか、書類も何も置かれていない。わずかに埃が乗っている。革張りの椅子は座る人間の立ち場を伺わせた。椅子の背後の棚には、別の部隊からの贈答品らしきものが飾られている。

 振り返ると、隣の壁側に見慣れたデスクの一角を見つけた。近代的なデスクの上にはディスプレイが複数乗っており、書類を大量に挟んだバインダーが整然と並べられている。誰かが退勤した様子そのままだった。

 ふいに隣の部屋で物音がして、ヘルマンは凍りついた。壁側のドアを見つめる。足音が近づき、ドアが開くと、青く大きな瞳と目が合った。

「そん、な……」

ヘルマンは後ずさった。部屋の主はこちらの部屋に入って、後ろ手にドアを閉めた。灰色の制服に身を包んだ躯体はずいぶんと小さいが、ヘルマンを恐怖させるには十分だった。黒髪のその少女は、つい昨日のあの少女そのものだったのだ。

「ああ、お前がヘルマン・シュタールか」

じりじりと後ずさる彼をよそに、少女は涼しい表情で口を開いた。少年のような凛とした声は冷たい。

「どうした、口も聞けないのか?」

「あ……」

少女は首を傾げてヘルマンをじっと見上げた。深い青色の瞳。

「昨日、死んだんじゃないんですか……?」

ああ、と少女は合点がいったように口の端を吊り上げた。その様子は、死んでいるようにも見えず、錯覚や幻にも見えない。

「悪かったな、死んでなくて。ちょっと昼寝しただけだ」

「からかわないでください」

「はあ……」

少女は木製のデスクの上に腰掛けた。胸元の名札にリッターと書かれているのを読み取る。肩についている階級章は目を疑うものだが、あつらえた制服は彼女以外には着られそうにもない。小さな将校はヘルマンの視線に気付いたようだ。

「私はヒルデガルト・リッター、合同旅団のサイバーセキュリティ中隊の隊長だ」

一応、と彼女は付け足した。

「昨日は確かに一度死んだが、もう再生した。仕事に支障はない」

ヘルマンには訳が分からなかった。彼女の頭の先から爪先まで物色する。黒いプリーツスカートからすらりとした脚が伸びている。彼女はタイツに包まれた脚をぷらぷらと泳がせている。

「昨日は世話になったな、無事で何よりだ」

ヘルマンは首を横に振った。

「謙遜するな、お前が撃ったのは確かに敵だった。いい腕だな」

混乱の只中にいるヘルマンを余所に、彼女は冷静そのものだった。

「お前の撃った銃弾は敵の眼球から脳に侵入し、機能を停止させた。痛みを知らない奴らの機能を即座に停止させるには、最も正しい判断だ」

「えっと」

ヘルマンの心臓は締め付けられた。自分の撃った敵は確かに死んだという。だが、人を殺したという実感がじわじわと腹の底から湧き上がってきた。

「私が、あの女の子を……」

だが、ヒルデガルトは眉を寄せた。

「女の子じゃない、あれは人間じゃない」

「人間じゃない……?」

「撃った後の血の色を見なかったのか? あれはサイバネティクス施術を受けたすでに死んでいる人間だ。死んだ人間が動いているのを正しいあり方に戻しただけだ」

ヘルマンは目を丸くした。彼女が何を言っているのかは飲み込めなかったが、真剣な表情は嘘をついているようには見えない。

「お前が自責の念に駆られる必要はないということだ。感謝して褒めたんだから素直に喜べ」

「は、はい……、リッター、中佐」

ヘルマンが口元を引きつらせると、彼女は満足したようにうなずいた。そして、ふいに思い出したように顔色を変える。

「そうだ、お前私に渡すべきものがあるんじゃないか?」

ぎくりとヘルマンは再び体をこわばらせた。ヒルデガルトは机から飛び降りて、ヘルマンに近づいた。近づくと、きめ細かな黒髪も真っ白な肌も、青い瞳も、ちぐはぐで造り物のように思えた。無言の圧力に怯え、ヘルマンは震えながら重いハンカチの包みを彼女に差し出した。彼女はハンドガンを受け取ると、懐かしむように傷だらけのスライドを撫でた。

「お前の前任者のものだ。これはお前のものになる。窮地において自決に使うか、私に使わせるかしか用途はないだろうが、哀れな将校にも最後の自衛権は認められる」

「ちょっと待ってください」

ヘルマンに遮られ、彼女は怪訝な顔で見上げた。ヘルマンは震える手で承諾書を取り出した。

「まだ、承諾してないんですが……」

サインのない承諾書を見て、ヒルデガルトの大きな目が丸くなった。そして、顔をしかめる。

「ああ……何ということだ。まだ任命されてないのか! 私は喋りすぎてしまったようだな」

慣れた手付きでマガジンを挿入し、スライドを引くのを見て、ヘルマンはのけぞった。壁に背中がぶつかる。少女の眼差しは、昨日のように鋭く冷たく変貌した。ヘルマンは壁伝いに後ずさり、ドアに向かった。心臓が跳ね、汗が吹き出す。

「どちらにせよお前に選択肢はない。あの旅団長が老婆心を働かせなければ、お前の身に何が起きるかなど知ったことではない」

「なぜ……?」

ヘルマンは恐怖を覆い隠そうと虚勢を張った。

「サイボーグを射殺した人間はお前しかいない。彼らの目的や正体が明らかでない現時点で、何が起きるかは分からない」

「そんな……」

ヒルデガルトはハンドガンを持ったまま淡々と続けた。

「そもそも私には分からないのだが。お前は慣習を破ってまで守る価値のある人間なのか? 慣習を破るなんて、ドイツ人の最もやりそうにないことだろうよ」

「そんなこと、私のほうが知りたいです」

彼女は肩をすくめた。

「旅団長に訊けばいい。私に知る権利はないが、お前にはあるだろう」

取り付く島もない彼女の態度に、ヘルマンはしびれを切らしてドアノブに手をかけた。ロックが掛かっている。振り返ると、ヒルデガルトは壁際のデスクを指さした。

「ヘルマン、お前の職場はここだ。着替えてくるんだ、私はここで待っている」

「…………」

返事をした覚えはない、という反駁のセリフを飲み込んで、もう一度ドアノブを回す。ロックは解除されていた。

 振り返らずドアを閉めると、ヘルマンは大きく息をついた。恐怖と不快感で後味が悪い。こんなのは脅迫だ、と苛立ちの火が灯る。配置を拒否したら死ねということか。テロリストに路上で殺されるか、小さな将校に撃ち殺されるか。それとも、最も不名誉な配置を承諾するか。

 そもそも、この執務室に行くように言ったのは旅団長その人だった。彼は自分が脅されることを見越して自分を向かわせたのかもしれない。一体誰を信じればいいのか、彼にはわからなかった。残された猶予はあまりない。生きるか死ぬかという選択ですらある。ヘルマンはため息をついた。重い足取りで旅団長の執務室に戻る。


 いくつかの承諾書と契約書にサインをした。ここでの生活に必要な一連の物品を手に入れるために、ヘルマンは建物の外に出た。秋の冷たい風が頬を撫でる。植えられたばかりの芝と細い木で敷地は緑化されている。池や噴水が設けられているのは、フェーゲラインの豊かな水資源を表現するためか。鑑賞のために水を垂れ流しにするなど、ドイツ内地では考えられないことだ。

 敷地の奥から、貨物を大量に詰め込んだトラックの列が激しくエンジンを唸らせて通り過ぎていった。積んでいるのは飲料水だ。

 フェーゲライン帝国。北ドイツの中心都市の一つ、ハノーファーの郊外にぽつんと立った白い門の向こう側にある国。ハノーファーで生まれ育ったヘルマンですら、触れてはいけないその国の存在を感じたことがない。門を自在に出入りできる者は、有史以来誰もいないと言い伝えられている。門の向こう側のことを詮索すること、疑うことはタブーだった。この合同旅団は、門の周辺の空き地に建てられた。敷地の奥に進めば、門があるはずだ。

 存在すら疑わしかったおとぎの国は、この数年で突然現実の世界に干渉するようになった。第3次世界大戦の無差別核攻撃で河川が汚染されたヨーロッパは、致命的な水不足に陥った。フェーゲラインは水を足がかりに、この国と接点を持つことができた。帝国について一般的に知らされているのは、2年前にドイツとの間に結ばれた「ドイツ・フェーゲライン資源・国境管理協定」と、それに基づいて作られたこの合同旅団のことだけだった。協定に基づいて、白い門は両国の軍隊によって管理され、水資源の安定供給を実現しているという。

 ヘルマンは生活に必要な物を揃え、あてがわれた寮に片付けた。承諾書にサインしたとはいえ、まさに今日からここで働かなければならないことを実感する。一つ一つ片付ける毎に、今まで積み上げたものが欠けていくような心持ちがした。最新デザインのモダンな部屋はまだ新築の匂いがした。下ろしたての制服に腕を通すと、鏡に映る自分は滑稽に見えた。昨日対峙したサイボーグのように感情のない顔が映っている。与えられた地位、与えられた部屋、与えられた服。軍大学まで来たのは自分の努力だった。その先の進路も自分で掴み取るはずだった。ヘルマンは首を振り、静かに部屋を後にした。小さな将校が待っている。


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