アンドロイド
20文字まで。日本語が使えます。
アンドロイドの場合
「お母さん、アンドロイドになったの」
ただケータイを変えただけだというのに、わざわざ話しかけてくれなくても。アイフォーンからアンドロイドに変えたところで、今まで通り通話もラインもできるし、離れて暮らす我々には大したことじゃない。同じように週1回程度電話をして、安否を報告する程度のことだ。離れて過ごす母親と息子の関係としてはよくあるものだろう。そういえば機種変更を聞いてから、声質が変わったように思える。生の声よりもどことなく機械的な雰囲気が漂っているような。まあ、アイフォーンの方が音質が良かったというのはアップル信者の僕にとっては好都合だ。ジョブズ万歳!
そんなこんなで普段と変わらぬ日常を過ごしていた。母親が機種変更したことなどすっかり忘れて。
母親の機種変更を思い出したのは、人々のケータイ関連の発言に何か気がかりなところを感じてからだった。聞き流せば何気ない発言なのかもしれないが、何度も聞くうちに心に引っかかるようになった。アンドロイドに変えた人たちが、アンドロイドに「した」のではなく、「なった」と言っている。まるで、身体全体がアンドロイドになったかのように。
アンドロイドになるという表現。機械的な声に変わった母親。
もしかして、アンドロイドというのはOSの話ではなくて、人造人間としてのアンドロイドなのでは。漠然とした気がかりが、具体的な言葉となって心の多くを占めるようになった。
母親に聞いてみると、やはり、アンドロイドになったというのは身体を改造されたという意味だとわかった。
バッテリの持ちが悪くなったアイフォーン。そのメンテナンスのために訪れた携帯ショップで受付をしていたところ、アンドロイドへの改造を持ちかけられたという。
「今ならご新規様無料キャンペーン中です!」
そんな謳い文句で、母親は勧誘された。
どこかの野球選手も言っていたけど、ケータイ会社はどこも新規の人に優しいわね。
そう笑いながら話す母親の電話越しで、僕は社会の変化に震えていた。息子に一言もなしに改造を受け入れてしまう母親を作り出した、世の中の空気に。
生産性は、この社会で最も重要視されているパラメータである。
生産性のないものは存在価値がない。生きていても意味がなく、社会から追放されるべき存在だ。
ここで生産性とされる指標は、社会を維持するために必要な能力のことだ。それらは、繁殖と労働、この2つに関連する能力に集約される。生殖能力があるか、労働生産性が高いか。どちらの能力も低いものは、生産性のないものとして相応の扱いを受ける。社会維持に貢献できない者は社会に必要ない。
こんな状況になってしまったのは、過去に国中を覆っていた、社会の維持に対する痛烈な危機感が要因だと言われている。僕が産まれる前のことであり、肌感覚としてはまったくわからないが、社会の大きな変革点として捉えられていて、当時のことは嫌というほど聞かされていた。もちろん、革命的な出来事の例に漏れず、その変革で社会が見違えるほどよくなったという言葉が添えられて。
母がアンドロイドに改造されることをすんなりと受け入れた殺し文句はこうだった。
「昔のような生産性が取り戻せますよ」
生産性。これを言われれば今の人間でアンドロイド化を拒否できる者はいないだろう。
生産性の低いまま生きることは、社会から存在のすべてを否定されながら生きることと同義だ。生産性が低い者も、アンドロイドになって生産性を高めれば存在を許される。
そんな状況の中で、アンドロイドになることを拒むことのできる人間はいない。それを拒否することはすなわち、社会的な死を自分から選択するようなものだ。社会的に殺された上で、心と体はそのまま残ってしまう。普通の人間は、そのことに耐えられない。
別に現時点で生産性がそれほど低くなくても、いつか存在を否定されるくらいに生産性が劣ってしまうかもしれないという恐怖はある。人生に少しでも不安を感じていれば、その恐怖は一層大きくなる。一度生産性が低いというレッテルを貼られればもう終わりだ。社会から否定され、死かアンドロイドかを選ばされる。
母もだんだん年齢を重ねてきて、生産性に対して不安が募ってきたのだろう。何かふときっかけがあれば、アンドロイドになって、社会から否定される可能性を排除したくなる。そのきっかけがバッテリーの交換に携帯ショップを訪れた時だっただけのことだ。
変革直前の国内は、崩壊間近と言っていいほどの状況だったようだ。合計特殊出生率は1をはるかに下回り、歪な年齢構成となった社会の中で人々は未来への希望をすっかり失ってしまった。そんな状況下で労働に価値を見出せるはずもなく、ただ死なないためだけに働いているような人々が大半だった。当然、政治への参加意欲もなく、選挙は形骸化していた。どうせ国が滅びるだろうという諦めの中で、崩壊を受け入れるでもなく抗うでもなく、ただ漫然と過ごしていた。
しかし一部の人は、その状況を良しとしなかった。国を崩壊させたくない。その強い思いで、革命を起こし始めた。まずは国政への参加。新党を立ち上げ、徹底的に宣伝を行った。選挙は形骸化していたから、投票されるには単に党や候補者の名前が人々の記憶に残っていればよかった。
こうしてその党はまんまと国政に参入し、あっという間に与党になった。諦めが蔓延しているのは国会だって同じだった。他に積極的に活動できるような党もなく、誰も勢いを止められる者はいなかった。法案はすべて通過し、党の成員たちの、国を崩壊させたくないという強い思いのままに、急進的な政策が行われた。
今生きている人々の中には、当時を経験しているはずの世代もたくさんいる。無論、その中にはアンドロイド化されている人も多いから、単に人々と表現していいのかわからないけれども。
ただ、その人たちはその時の状況をほとんど話すことができない。おぼろげな記憶が残っているのみ。世の中が危機感に覆われていたことを、ぼんやりと覚えているだけ。党に所属していない人たちは、社会の閉塞感の中で、考えることすらやめていた。目の前の状況に流されていた人々に、語るほどの思い出が残るはずもなかった。
それは、現在歴史を教えている教員にさえ当てはまる。党が決めたことをなぞるだけ。授業での話は言葉が上滑りしていて、よくて記憶の片隅に残るだけ。それも、社会がよくなったという面のみが伝えられる。
過去の歴史を振り返り、考える材料とするには、あまりにも貧弱な授業だった。
その結果が、今の状況である。
社会の維持に悪影響となるものは、何であっても排除する。無論、人間であってもだ。一ミリの無駄もなく、超効率的に、社会の維持と発展に向けて邁進する。
おかげで、今の社会に閉塞感はない。出生率は3以上を維持し、経済成長も続いている。生殖能力の高い人間、労働力の高い人間、あるいは両方とも高い人間。そういった人々しかいないのだから、自然とそうなる。
それら2つの能力が劣っている者は、アンドロイドとなり、少なくとも労働力を高める必要がある。アンドロイドにならない者は、社会から排除されても仕方がない。
アンドロイドになって労働力が上がったからといって、人間として能力の高い者ほどの権利は得られない。アンドロイドに付与される権利は、人間よりも一段下のレベルでしかない。しかし、2つの能力が劣っていれば、付与される権利はゼロだ。排除すべき存在。別に殺されても文句は言えない。能力が劣ってしまえば、アンドロイドになるしか生きる道はないのだ。
昔を知らないから、その変化が本当に社会を良くしたのかは判断がつかない。国がこのまま維持され、発展の余地もあることは信じられる。このまま崩壊するという空気が蔓延する社会。歴史で教えられていることが本当であれば、その状況よりは幾分ましなのだとは思える。しかし、ある能力が劣っているからといって身体を改造され、皆がそれを受け入れている状況には、違和感を感じていた。
ただ、違和感を感じているだけで、絶対に社会は変わらないといけないというような強い思いは持っていなかった。結局、まだ少なくとも生殖能力のある自分には、アンドロイドにされることに対して傍観者の立場でしか感じられなかったのだ。
しかし、当事者になる日は突然に訪れる。
ある日、高熱を出した。今までにないような体調不良だった。3日くらい寝込んだだろうか。あまりにもしんどくて、経過した日数もわからないほどに記憶がない。
なんとか出歩けるくらいまで回復し、医者に出向いた。よっぽど救急車を呼びたかったが、電話をするのも辛いほどしんどくて、医者にかかるのがこのタイミングになってしまった。体調は幾分ましになった。このまま放っておいても回復していくのかもしれないが、原因は突き止めたかった。ウイルス性か、はたまた違う原因があるのか。もう2度とあの苦しみは味わいたくない。原因さえわかれば、この先の生活を改善していくことができるかもしれない。
ただ、医者に行っても結果ははっきりしなかった。ウイルスや細菌の仕業ではなさそうだということはわかった。ストレス性だろうということで一旦片付けられる。それほど大きなストレスを感じるような出来事はあっただろうか。訝しみながらも受け入れるしかない。ストレスを溜めないように生活して、少しでも体調が悪くなったら医者に行こう。腑に落ちないままに自分に言い聞かせた。
その時の高熱を境に、確実に体力が落ちていた。
初めは気のせいかと思っていた。体力がわずかに低下した程度で、3日も寝込んでいればそれくらいの衰えは感じるものだろう。まともにご飯も食べられなかったわけだし。
だが、2週間3週間と過ごしていく内に認識が変わっていった。明確な体力の衰えを感じる。階段がしんどい。休日は睡眠に費やされ、ほとんど出歩かなくなった。幸い仕事は肉体労働ではなく、体力の衰えが業務にはっきりと影響を与えることはなかった。とは言え、労働力の低下という嫌な考えが頭を離れない。
さらに、性欲も衰えているようだった。人並みにはそういう感情を抱いていたつもりだったが、高熱を出してからは全くそういう気持ちにならない。
何か悪い予感がする。胸騒ぎを感じながら、再び医者の元を訪れた。
状況を説明すると、1日がかりで精密な検査が行われることとなった。衰えた体力に、長丁場の検査は応える。不安もあって、最後にはどっと疲労感を感じながら検査を終えた。
ちょうど1週間後に結果が発表されたが、悪い予感は的中した。
内臓機能の低下。衰えは通常よりも早い速度で進行していて、他の人よりも早く老化が進んでしまう可能性が高いとのことだった。存在を否定されるほどの労働力の低下が、それほど遠くない将来に訪れてしまうかもしれない。アンドロイド。この言葉が頭をよぎる。
原因はまだ不明瞭なままで、それも不安を増大させた。少なくとも細菌やウイルスの類ではない。ストレスや疲労が蓄積しているのか、元々の体質もあるのか。医者にも判断がつかないようだった。
しかしそれよりも危機的だったのが、生殖能力の喪失だった。性欲が低下しているとは感じていたが、まさか生殖できない身体になっていたとは。3日続いた高熱が、精巣の機能をすべて失わせてしまった。不可逆的な変化で、回復の見込みはないという。
生殖能力と労働力。社会に居場所を得るための2つの能力。
一方は完全に失われてしまい、もう一方もその内衰えてしまう可能性が高い。
二つの能力が失われれば、この社会で生きるためにはアンドロイドになるしか道はない。社会制度の傍観者だった僕が、一瞬で当事者の立場に変わってしまった。
アンドロイド化について詳しく知りたいが、母親に聞くのは躊躇われた。能力が低下していることを察せられたくない。離れて暮らす母親に余計な心配をさせたくないという思いがあった。
相変わらず通話は定期的にしていたから、何気なく探ってみることもできたかもしれない。ただ、自分がアンドロイド化の当事者になりかけている時に、アンドロイドについて聞いてしまえば、その会話の中で動揺を隠しきれる自信がない。何か自分が恐怖に感じる情報が得られてしまえば、通話どころではなくなるかもしれない。それはやはり、母親に心配をかけさせてしまうことになる。アンドロイドにならなくてはいけないという不安が眼前のものとなって、母親に問いかけることにも恐ろしさを感じるようになった。
当事者になって、アンドロイドという言葉への感じ方も変わってきた。今まではどこか他人事としてしか感じられず、あまり深い知識を得ようとはしなかった。自分がそうなることを想像できなかった。だから、母親にも詳しく聞かなかった。そもそもあまり興味がなかったし、アンドロイド化について深掘りしないことが優しさであるとも思っていた。
自分のことだけを考えれば、そのことを少し後悔してしまう。他人事だと思っていれば、アンドロイド化についてどれほど深い話を聞いても、動揺することはなかっただろう。さりげなく母親に聞くことも、造作のないことだっただろう。
当事者と傍観者、その隔たりはあまりにも大きかった。
ただ、立ち止まっていても状況は改善しない。社会に否定されるほどの生産性の低下が迫っている私にとって、生きるためにはアンドロイド化しか残されていないのだ。
重い腰を上げて、携帯ショップへ向かった。携帯電話については何の用もない。ただ自分をアンドロイドにするためだけに向かう。
番号札を取り、待ち時間に新機種を眺める。なるべく他の客と変わらないように振る舞おうとする。ただ、アンドロイド化に対する不安、それを仕向ける社会に対する違和感があって、どこか落ち着かない。視線も定まらない。自分の行動に隅々まで気を配ってようやく、ただの客になれるような状況だった。
店内には、『ご新規様アンドロイド化キャンペーン』のポスターが何枚も貼られている。こんな社会になってから長い年月が過ぎた。制度は浸透し、人々の意識にもしっかり根付いている。出生率が上がったおかげで、今後もアンドロイド化される人数は増えていくだろう。産まれた時から制度を教え込まれた世代が年を取って、生産性の低下に直面し、アンドロイド化への岐路に立たされている。そこを目がけて、政府がキャンペーンを行なっている。
ポスターが目に入ると、否が応でも顔を背けてしまう。動揺を隠しきれない。アンドロイドになるためだけに訪れた携帯ショップ。他の客と同じ振る舞いは、もはや不可能だった。
生産性を高めるといったときに、アンドロイド、すなわち人造人間になるという手段自体は想像しやすい。テクノロジーの力で人間の能力を拡張することはよくある話だ。昔から科学技術は人々の能力を高め、社会を発展させてきた。その流れで考えれば、生産性を高めるために、生産性の低い者をアンドロイドに改造していくことは自然な発想として出てくる。
ただ、その改造を行う場所がなぜ携帯ショップなのか。ここには、アンドロイド化を推し進めたい政府与党の思惑があった。
携帯電話は、情報社会、コミュニケーション過多の社会を支える必須アイテムである。今の政府が政権を奪取する前の時代から、誰もが肌身離さず所有しているものであった。
だから、携帯ショップは誰もが訪れる可能性が高い。携帯の契約、機種更新、メンテナンス。ショップに訪れなければ解決しないことは山のようにある。携帯を持っている者はほぼ全員が複数回訪れる。しかも、時間をおいて。人生が変化する時に、携帯電話の契約を見直す人は多い。そういう時は、往々にして自分の変化にも気づく時だ。徐々に進行する老化に気づき始めているところに、アンドロイド化を持ちかける。これが政府の思惑だった。
また、携帯ショップではアンドロイドという言葉を口にしやすいことも都合がよかった。自然な流れで、アンドロイド化の話に持っていける。客のOSがアンドロイドであれば言わずもがな。アイフォーンであっても、機種変更を勧めながらアンドロイドの話をすればよい。
その中で身の上話をさせ、アンドロイド化の話を持ちかける。最近相手の声が聞こえにくくないですか。こんな感じで話し始めれば、客は自身の老化を意識してしまう。
話の中で、自身の能力の低下について気づかせる。そうなればショップ店員の勝利だ。まるで携帯の機種を更新させるように、アンドロイド化の必要性を納得させ、同意させる。
生産性を高めるという殺し文句があれば、最後の一押しは完璧だ。
社会の閉塞感の中で、人々の思考能力も低下している。政府の後押しを得たショップ店員がそういうのだから間違いない。そう人々は思ってくれる。こうして、アンドロイド化は滞りなく進められていった。
そんな中で私は、社会に対する違和感を抱いた数少ない人たちの一人なのかもしれない。
ただ、世の中は生産性という価値観に染まっている。生産性を高める最良の手段を否定するような言葉は、軽々しく口に出せるものではない。
自分の違和感を確かめることもできないまま、ここまできてしまった。
世の中には数えきれないほどの人間がいる。その中に私と同じような思いを抱いている人がいてもおかしくはないはずなのに。
ようやく、自分の番号札が呼ばれた。
何気ない風を装って、店員の前に腰掛ける。そんなことをしても、すぐにアンドロイドという単語を出さなくてはならないのだが。
他のテーブルと同じような感じで、店員が話しかけてくる。笑顔と明るい声。まさにサービス業といったところだ。
「ご用件をどうぞ」
いよいよ時が来た。逃げ場はない。覚悟を決めてあの単語を口に出す。
「アンドロイド化について、です」
「アンドロイド化ですね。少々お待ちください」
店員が机の下を探る。チャンスがあればいつでも出せるように、アンドロイド化に関するパンフレットは最も出しやすい位置に配置されているようだ。
手際よく出されたパンフレット類を前に、店員が口を開く。
「お客さま、ベストタイミングですね。今ならご新規様無料キャンペーン中です」
機種変更や電話会社の乗り換えの時と同じ。明るく、ハキハキと、順を追って説明が始まる。
目の前のパンフレットは明るい色ばかりで構成されていた。無料。短時間。キャンペーンに関する単語が目立つ。本業のはずの電話機に関するパンフレットよりも、伝わりやすいレイアウトだ。
「アンドロイド化についてはご存知でしょうか。お知り合いの方でアンドロイドになった方はいらっしゃいませんか」
「いえ」
「かしこまりました。それではアンドロイド化について一から説明させていただきます」
なぜ嘘をついたのだろう。お知り合い。いや、自分以外でこの世で一番知っている人間と言っていいだろう、母親がアンドロイドになっているというのに。
「アンドロイドになっていただくには、軽い手術を受けてもらう必要があります。手術といっても半日あれば十分です。お身体に機材を埋め込むだけですから」
店員の説明をどこか上の空で聞いている。さっきの嘘が引っかかっている。なぜ嘘をついたのか。アンドロイド化なんて、全然珍しいことでもないのに。
「見た目が多少変化してしまうのはご了承ください。顔の横に電源ボタンの膨らみができ、輪郭もどことなく四角くなってしまいます。ただ、些細な変化ですし、言われてみなければ気づかない程度ではございます」
生産性。現代人の最重要指標。人造人間にさせなければならないほど、そのパラメータは重要なのか。
「以上がアンドロイド化の際に説明義務のある内容となります。こちらのパンフレットにも抜粋版がございますし、詳細版もすぐにお出しすることができます。詳細版と言っても、今ご説明した内容を省けば5分程度でお読みいただける長さかと存じますが」
社会への違和感。当事者としての違和感。ただそれだけが頭の中を満たしていた。気づいた時には、店員の説明は終わっていた。
「本日お時間はよろしいでしょうか。詳細版をお読みになりたければお申し付けください。こちらがアンドロイド化についての契約書となります」
スムーズに進んだ説明。目の前に出された契約書。アンドロイド化の最終段階だ。
それなのに、まだ僕の脳内は違和感に満たされている。次に僕が発した言葉は、その違和感が口をついて出てしまったものだった。
「少し、アンドロイド化を考えさせてもらってよいですか」
一瞬の沈黙。その時のショップ店員の目を、僕は一生忘れないだろう。
アンドロイドにならないということは、生産性の低い存在のまま生きるということだ。それはすなわち、社会から排除される存在になるということ。そんな暴挙を、携帯ショップという政府の思惑の最前線で表明してしまうとは。
「不安に思われる気持ちもわかります。そういう方もいらっしゃいましたし、お客さまの場合は特に周囲にアンドロイドになった方がいないということでしたので」
さっきの沈黙がなかったかのように、店員が再び話し始めた。隙のない話ぶり。様々な展開を想定してマニュアルが組まれているのだろう。さすが、政府の肝入り。
「生産性を高めるということがよくわからなくて不安になる方もいらっしゃいます。先ほども申しましたが、小さな機器を埋め込むだけです。身体への影響はほとんどありません。ただ少し、集中力や思考力といった能力を--」
自分からアンドロイドになると言ったのに、アンドロイドになる気のなかった客にするような説明を受けている。退路を断つかのように、あらゆる角度から綿密に説明が繰り出される。さすが、ショップ店員。
携帯ショップ店員は現場の最前線だ。政府が推し進める生産性向上政策のために、失敗は許されない。
そのために、高い思考力が必要とされる。客が抱くどんな些細な疑問にも答えられるように。アンドロイドに違和感を持った客にも、納得して受け入れてもらえるように。ありとあらゆる状況を想定して、時にマニュアルに従い、時にアドリブを駆使して、独力で切り抜けなければならない。店員が隙を見せてしまえば、そこが生産性向上の小さな綻びとなってしまう。
そして、ショップ店員には政府への強い忠誠心も欠かせない。頭の良い者は、往々にして社会への反感を抱きがちだ。高い論理的思考力。これは、今の状況を批判的に見ることにつながりやすい。そのため、ショップ店員に対しては思想の確認が定期的に行われる。少しでも政府に反する思想があれば、二度とショップ店員にはなれない。その思想が強く反政府的であればどうなるか。真実は誰にもわからない。ただ、消えたショップ店員という話は、都市伝説的に各地で語られている。
こうして生き残った存在がショップ店員である。政府の要人を除けば、トップクラスのエリート達なのだ。
まだ違和感が拭い去れないまま、店員の話を聞いていた。
反応が薄い僕に業を煮やしたのだろうか。店員は最後の切り札を出してきた。
「アンドロイドにならなかった場合のお話をさせていただきましょうか」
社会から認められない存在。言葉ではわかっていても、頭では理解できていなかったようだ。店員の話す内容は、まさに地獄だった。話の結論としては、社会から排除されて死ぬ。ただ、その過程が恐怖そのものだった。周囲の目、政府からの圧力。この世のすべてを敵に回すようなそんな感覚。じりじりと責められて、自分という存在を完膚なきまでに否定されていく。アンドロイド化を否定したからといって、すぐに殺されるわけではない。しかし死ぬまでの間に、すべてを否定されていく。死ぬこと自体ではない。死までの猶予期間こそがまさに地獄であるのだ。
生産性の低下を自覚する僕にとって、これ以上ない効果があった。
逃げ場はない。アンドロイドになるしかない。
地獄の話が頭の中を駆け巡りながら、震える手で契約書にサインした。
ジョブズ万歳!
かつての口癖も、心に響かない空虚な言葉となってしまった。
僕はアンドロイドだ。一定の生産性が保証された、社会に居場所のある存在だ。
そういえば、とうの昔にジョブズは亡くなっていたっけ。アンドロイドになってしまったから、それ以外のことがおぼろげになっている。
生産性が低下したから、アンドロイドになるしかなかった。でも、それで良かった。能力が衰えても、アンドロイドになれば居場所が得られる。社会から必要とされる。向上し続ける生産性が、ご新規様無料キャンペーンの原資を生み出す。誰でも、無料で、アンドロイドになれる時代はまだまだ続きそうだ。
人間とアンドロイドは違うかもしれない。アンドロイドは元々、生産性の低下した人間だ。それを改造してようやく人並みの生産性が得られる。能力の高い人間と比べれば、一段下の権利しか得られない。それは、アンドロイドになって実感するところでもある。
でもアンドロイドにしかない良いところもある。人間だった時は、悩みを抱えてよく眠れなくなっていた。でもアンドロイドにそんな心配はない。
夜23時。だいたいいつも同じ時間。
今日も明日も生きていける喜びを胸に、頬のボタンを押す。
視界が一瞬で暗くなった。
翌朝のアラームまで、視界は絶対に明るくならない。
アンドロイド 20文字まで。日本語が使えます。 @osushi_mawaranai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます