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 発見されたスマートフォンのデータからテキストを復元できたものは以上である。復元できたのは今回提示した画像(別紙参照)とテキストのみである。電話帳データやSNSアプリ、使用履歴など、他者とのつながりを示唆するものは、復元ソフト等を利用しても、事件前の実家との通話以外発見できなかった。


 画像の内容

・テキスト内の「祖父の手紙」と考えられるはがきを撮影したもの

・「島民」と思われる未成年者3名とともに被害者がプールサイドで自らを撮影したと思われるもの。写っている3名の身元は現在調査中。

・「船長の家」と思われる西洋風の家屋を望遠で撮影したと思われるもの

・「海の者」と思われる不明生物らしきもの1体

・「枡屋さん」と思われる女性1名。身元調査の過程で外観が酷似した人物の写真を発見し、南知多町内の古い家屋の元住人であると判明。家屋付近の商店街で撮影されており、店舗の状況や写っているものから、1931~1938年に撮られたことが分かった。なお、被写体である当該人物は撮影当時すでに両親を失っており、兄弟姉妹や子孫もいない。本人も両親も記述内の「枡屋さん」のような、黒目が青み掛かっているという特徴は持っていないほか、代々その家に住んでおり家系図なども残されている。付近の別の家系図などとあわせ整合性がとれており、当該人物は外観が似た全くの他人であると言える。当該人物は1968年に死亡している。


 画像とテキストから、被害者は、須間島の住民と呼ぶ人物あるいは集団により、何らかの洗脳行為を受け、伊勢湾ないし三河湾内のいずれか(遺体発見現場以外)の無人島から入水したものと考えられる。


1.3.1.足取り

 当日の足取り。


 高速道路の複数個所のカメラ映像から、被害者が記述通りに知多半島を南下しフェリーに乗船したのは確認できた。車については受付に関する記録が消失しており不明。


 途中の日間賀島と篠島の商店での買い物についても確認がとれている。ほか、「島民の漁船」が迎えに来たという記述に該当する島までは足取りが確認できた。ただし細かい時間は監視カメラや手続き書類等の物証があるもの以外は証明の方法がなく、その日に被害者が居たあるいは立ち寄ったことしか分からない。


 須間島という島について聞き込みを行ったが存在しないとみてよい。知っていると答えた者がなく、テキスト内にあったようなうわさ話や特徴的な島民の姿などについても、初耳であるという。


 また、テキスト内の「オッサン」と呼ばれるフェリーの船長について。実在は認められるが、その日は計1週間の休暇中であり被害者と面識はないと話した。足取りの調査や、彼への脳科学的な検査においても正しいと確認された。


 考えられる被害者の足取りとしては、フェリー下船ののち、「島民」の船に乗り換え、いずれかの無人島に拉致されたとするのが妥当と思われる。フェリーのコースや、最後の島との位置関係により候補を絞ったが、いずれも他の島との接触が通常通り行われているか、無人島である。


 無人島は違法狩猟の発見を目的として所有者か県による監視カメラが設置されており、島の周囲を含め監視されている。残っている映像を確認したところ、ある島に接近と離脱を繰り返す中型船の姿が視認できた。小型ドローンによる撮影で、当該の島の内陸部に被害者所有のものと思われる軽または普通自動車が1台発見できた。


 現在、冒頭に述べた通り県警による対策本部設置により我々のような民間会社による調査は続行不能であるため、正式な調査報告書もここまでの内容をまとめたものになる。私的な報告もこれをもって最終とする。




 中途半端にしか力になれなくて申し訳ない。警察の捜査がまともに進むことを願っています。

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海の向こうには僕のふるさとがある 朝宮ひとみ @hitomi-kak

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