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 台風が過ぎ去り、それにしてはすっきりしない灰色の空の下、日課の参拝を終えて降りてきたぼくは、水たまりに映る自分の姿に違和感があった。


 あごのすぐ下の肉が、変な段をつくっていた。確かめるようにゆっくりと指を滑らせて触ると、ぶよっとした。段の間は肉が赤くなっていた。逆に、あごのあたりは、余分な肉が減って、あごの骨がよりはっきりと浮き上がっていた。

 水鏡を見ながら、ついでに顔も両手で触っていくと、頬やこめかみなどは、痩せこけてしまったように肉が落ちていた。あごと同じだ。


 枡屋さんが、嬉しそうに言った。


「おいわいに、特別な御膳を用意させましょう!島の伝統料理をお出しするのもいいですね!」


 そうだ。これは、島の人と同じ変化だ。首にはえらができ、遅筋と速筋の割合が変わっていく。脂肪は最低限。めったにいないようだが、よほど太っている人だと、海の者になってもおなかが出ているらしい。


 ぼくは痩せ気味だから、縮み過ぎて子どものようにちっぽけになってしまいやしないか、それが心配だ。




 その日は、夕飯を食べるのが、いつもより三十分か一時間か、遅くなってしまった。

 少しの葉物と、あとは魚だらけなのに、十種類以上の料理が出来上がるなんて。


 生け作りは透けるほどにごく薄く仕立ててあり、しょうゆは一滴たらせばじゅうぶん。なくても美味しい。かけると魚の味が負けてしまう。

 炊き込みご飯は少しかために炊かれて所々おこげが香ばしい。飾られたタイの仲間の皮のあぶった香りが合ってる。

 スープには炊き込みと同じ魚の身をほぐしたものが入っていて、淡白な味を島独特のハーブの香りが引き締めている。

 何種類もの刺身と焼き魚の短冊は、食べ比べるのが楽しい。青魚には大葉などを巻いたり、あるいは、刻んだものを一緒に口にすると口の中がさっぱりして食べやすい。

 逆に煮魚は濃厚なたれがこってりしていて、それでもたれに負けないしっかりとした青魚の味を主張する。

 フライと天ぷらの盛り合わせは島で作っている粗塩と少しの胡椒がぴったり。フライは普通に醤油やソースでも食べてみたけど、やっぱり塩が合う。

 さらに味噌ベースのあら汁と、タラかなにか、見慣れた白身魚の雑炊。


 ぼくがお願いして、お手伝いさんや近所の何軒かの人たちにもおなかいっぱい食べてもらった。数年前に同じようにえらができ始めた「先輩」に話を聞けたのもうれしかった。ぼくはこれで、本当にこの島の仲間になったんだなあ、と感慨深かった。船長の夢を見たとき以上に、強く実感した。


★ ★ ★ ★ ★


 首筋のえらもしっかり出来上がって、みんなにいろいろ言われるようになってきた。そんなおり、珍しく郵便が届いた。両親からだった。弟夫婦の家に引っ越すことになり荷物を片付けたいから手伝ってほしいという内容だった。


 両親のことは大切だけど、ぼくは手伝いに行くことはできない。体の変化が進んでしまって、たとえ匂いがなくたって人の中に入れそうにない。

 顔つきもだいぶ変わってしまっているし、足が変形してきて、持っていた靴が履けなくなった。歩き方も変化した。昔読んだラノベの、半魚人の村の挿絵みたいに、普通に洋服を着ていても明らかに雰囲気が違うというか、違和感のある姿にしかならないだろう。


 手紙に書かれた両親の『終活』の様子を思い描きながら、間違いなく、両親が死ぬより先に、日本人としてのぼくは死ぬ、とぼくは考えた。もしかしたら、そんなものはもう存在していないのかもしれない。


 昔の知り合いに会えないとか家族と離れている寂しさはある。逆にこちらに呼び寄せることができないのも承知している。魚人になれなんて言えないよ。


 でも、ぼくは毎日が楽しいし嬉しい。


 本土の暮らしからしたら変化なんてないように見える静かな生活。話すことなんて漁のことと、昔の言い伝えと、それとは別のそれぞれの先祖の話しかない。

 テレビはほぼなく、漁に出る人がラジオを持っているくらいしか島の外の話題が出ない。その分、人の悪口やどうでもいい見栄の張り合いはしなくていいし、知ったかぶりやごまかしも必要ない。

 海のことや魚のこともたくさん知ることができた。泳ぎも人並みになれた。


 それって、悪いことなんだろうか。



★ ★ ★ ★ ★


 枡屋さんと村長に、ふと質問したことがある。ぼくのように生きてるうちから海の者になっていくのと、例の風土病のように顔つきとか少しだけ変わってあとは死んでから海の者になる人って何が違うんだろう?


 昔は、ご先祖からの血筋の濃さだと言われていたらしい。だけど、ぼくのような直系の子孫でも、亡くなるまで変化に乏しかった人もいたという。何もわからないらしい。研究する人もたぶん居ない。本土のような生活をすると変化が緩くなるとかでもないらしい。分からないなら、気にすることもないか。


★ ★ ★ ★ ★


 マーシュ船長のふるさとは、『風土病』と海の神を恐れた本土、この場合はアメリカかな、国の軍隊によって攻撃されつくし、今は荒野になっているそうだ。港だったところから少し沖に出た場所に、神様をまつった祠がある岩が沈んでいるとのこと。ぼくはまず、その祠まで泳いでみたい。ここの神社にあるよりもずっと大きくてずっと精巧な神の石像があるらしい。


 春になって水が温かくなったら行ってみたいなあ、と泳ぎの上手い人たちに相談したら、必要なものを教えてくれた。

 まずは飲み水と食料を数日分。見た目と違って内臓はまだ陸の人に近いから、海水だけだと内臓がやられるし、魚をそのままでは食べられない。買っておいた耐水のカバンに水と缶詰を詰め込んだ。

 次は星座や地理の知識。自分の現在地や目的地の方向を知らなければ旅はできない。あとは海流についてとか、知らない魚はそのまま食べないとか、船にくっついて楽するのは結構コツがいることとか、人に見つからないようにすること。


 出発の日取りは、島につたわる独特の星座の見方を知っているという人がわざわざ遠くから泳いできてくれた。


 海の者の話す声は、少し前にはごぼごぼとした変な音ばかりに聞こえてたけど、今はずいぶん聞き取れる。慣れと体の変化のおかげだ。聞き取れなかったころは村長や枡屋さんに通訳してもらってたけどもう必要ない。ヒアリングが必要なのはむしろ英語かな。綺麗に音が聞こえたって言ってることが分からなかったら意味がない。


 星詠みさんといわれるその人は、ぼくの生年月日や儀式の日などをもとに、最もよいとされる旅立ちの日を考えてくれた。候補は三つあり、ぼくはその中の一日を選んだ。



★ ★ ★ ★ ★


 旅立ちの日、真っ青な空と、島の全員に見送られて!!


 ぼくは枡屋さんのご先祖に当たる海の者と二人で出発した。枡屋さんが港の足場の一番先っぽで、大きく手を振りながら泣いていた。

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