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 祖父のそばにいたというその人に話を聞きたかったが、それが誰なのか分からないとのことだった。ただ、祖父が亡くなったときに海にいたのは間違いないと枡屋さんは言った。


 そういえば、ぼくは先祖をまつった仏壇や墓をお参りしていない。船長への報告が済んだら仏壇と墓にお参りに行きたいとぼくが言うと、枡屋さんも他の人も首を横に振った。必要ない、とのことだった。


「この島の神の加護を受けた人には、お墓はないのです。海の向こうのどこかにある、守り神さまの本当の住まいへ旅立つために海に流すからです」


★ ★ ★ ★ ★


 話が終わると、ぼくは村長に促され、鳥居の前に立ち、まず鳥居に一礼した。それから鳥居の真ん中をくぐって、神社の建物に一礼。事前に枡屋さんが教えてくれた通りに頭を下げ、歩く。足音がして、後ろに枡屋さんがついてきてるのが分かる。


 鳥居はよく見るものと違って、石でできた表面に波のような模様が彫ってあり、彫った部分を青く塗ってあった。神社の建物も、外国の家をまねたような造りだ。将棋の駒のような形の屋根をしていた。風見鶏があって、きいきいと嫌な音を立てている。

 建物のまえで祝詞をささげている村長と側に控える人が居なければ、普通に、誰かの家の庭に立っているのと変わらない、そんなことを思った。


 祝詞を終えた村長がぼくの方へひざまずき、枡屋さんがぼくの手に紙を握らせた。ぼくは紙を開き、そこに書いてある言葉を読んだ。すると、ぼくの背後、方角だと南の方から、雑踏の中のようなざわざわとした声が遠くに聞こえた。



 振り返ると、海を埋めるように、何かが浮いていた。



 まるで、海水浴場のようだった。明らかに島の人口よりも何倍も多い、人が、砂浜と、岸壁と、船着き場を埋めていた。


 ご先祖様もいるからよ、と突然枡屋さんが話しかけてきた。いやいや、幽霊には見えない。ちゃんと人が見える。そして、顔が見える人は皆あの風土病で目がぎょろりと出ていた。


 ぼくは叫びだしそうなのを我慢して、教えられた言葉を、海に向かって叫んだ。ぼくの言葉がこだますと、ざわつきはなくなって、音が消えたかと一瞬思った。


 直後、


万歳!船長万歳!!

まあしゅう船長万歳!!!


 声と磯臭さの洪水に、ぼくは気を失った。


★ ★ ★ ★ ★


気を失っている間、

ぼくは夢を見た。


大きな木の船、

映画の海賊船のような船の甲板に、

ぼくは立っていた。


マーシュ船長の船だ。


船長は大きな手でぼくの髪をくしゃくしゃにする。


船長の顔は祖父に似ていた。


おじいちゃん。

ぼくが呼ぶと、

船長が帽子をとって、ぼくにかぶせた。


船長のそばに祖父に似た別の人が居て、

よかったなあ、よかったなあ、と言いながら

微笑んでいる。


船に祖父はいなかった。父も母も妹や弟も。


★ ★ ★ ★ ★


 目が覚めると、ぼくの部屋だった。ぼくは布団に寝かされていた。すぐそばに枡屋さんが正座していて、ぼくの顔の前に彼女のひざや太ももがある。痩せすぎでもマッチョでもない、ほどよく引き締まった健康的な脚だった。魅力的だったが素早く目をそらした。


 どうやらぼくは、ちゃんと認められたらしい。夢を見たと枡屋さんに話すと、彼女は船長が認めてくださったのだ、と喜んだ。


「とても素晴らしいことです、ご主人様。お体の具合がよろしければ、宴会を用意させましょう」


 なぜかわからないけど怖いからさっきまでの話し方がいい、と伝えると、枡屋さんは仕方ないですね、と言った。ずっと、はきはきした元気な声だったのに、心なしか弱弱しいというか、寂しそうというか、声量を抑えた声だった。


 夢の内容を詳しく話し、家族がいなかったのが残念だと感想を言うと、枡屋さんは仕方がないことだと平然とした顔で言った。


「船長の船には、この島の者しか乗れないのですから」


 じゃあ祖父は何故いなかったのだろう。


「亡くなったばかりで、船長のもとへたどり着けていないのかもしれません」


 そうだったのかもしれない。それ以降何度か同じ夢を見たが、何回目かで祖父が船長や先祖から離れた場所からぼくを見ているのに気づいた。


★ ★ ★ ★ ★


 ぼくは少しずつ島の生活になじんでいった。時々あの神社まで上がっていって、海を眺めているのが好きになった。磯臭さにも、わずかずつ慣れていった。


 この島の人は、泳ぎが得意だ。小さい子供以外は多少の波ならそれに乗ってずんずん泳ぐ。


 ぼくが来てから一週間くらいのことだった。五、六歳くらいのまだ泳げない子供が一人、離岸流に流されて、みるみるうちに沖のほうへいってしまった。

 ぼくは眺めていることしかできなかった。そこにいた何人かの島民と見ているうちに、何かが近づいて、子供の身体を抱え、戻ってきた。砂浜に子供を横たえたその姿は、ゲームや小説の魚人のようだった。体はくすんだ青黒い色のうろこでおおわれ、ぎらぎらと光っていた。まぶたはほとんどなく、首にはえらがあってばくばくと動いていた。魚人はぼくを見つけて近づいてきた。ぼくは動けなかった。


 人々は道を開けた。魚人はぼくの前でひざまずいて、何かもごもごと口を動かした。ううとかああとか聞こえる唸り声に合わせ、えらが大きく動いていた。


 ぼくがつっかえながらも有難うとお礼を言うと、その魚人は頭をぶつけそうなくらい下げて、何か言い残して、素早く泳ぎ去ってしまった。他の人は何事もなかったかのように散っていった。

 驚いて固まったままの僕に、枡屋さんが彼の正体を教えてくれた。


「島の人のご先祖様です。島の人は皆、いつか神の御加護であのように海に住まう者となるのです」


 祖父も、ああなったんだろうか。ぼくも、ああなるんだろうか。父やきょうだいは?


「おじいさまは夢の中で船長の船に乗っていたのなら、きっと加護を受けることができたのでしょう。『海の者』と共にいたからかもしれません。

 加護を受けていない者は、海に住まうことはできません。だから貴方様のお父上やごきょうだいは、この島で加護を授からぬ限りは、よその者と変わりません」


 そうか、『報告』のときに海や浜を埋めつくし歓声を上げていたのは、島民のご先祖様で、つまりは、あの魚人たちだったんだ。


 『報告』の時や子供を砂浜へ連れ戻してくれた時はこれ以上ないくらいに怖かったが、そのあと何度か彼らと出会ううちに、慣れてしまった。

 何より、島の生活に欠かせない存在だとすぐに実感した。例えば、多少の波なら逆らって泳げるのが当たり前だという性質のおかげで、かなりのしけにならない限り、漁船は彼らの力で漁を続けられる。あの事故のように溺れる人があっても助けてくれる。


 ただ、島の外の人は、助けられないこともある。彼らのことを知られてはいけないからだ。そういう場合は近くの、あるいは、手の空いた漁師が船で近づいて、助けた人を乗せる。そうすれば顔を合わせなくて済む。


 ぼくは泳ぎが得意ではなかったうえに、中学校卒業後から泳いだことがなかった。それが気になったので、島民や『海の者』に泳ぎを教わりたいと申し出た。毎日練習して、小学校のプールくらいの範囲を泳げるようになった。

 早い泳ぎ方と、浮くための体力を使わない泳ぎ方があって、前者はクロール、後者は平泳ぎに似ている。平泳ぎができないぼくは腕の動かし方が下手で、沈んでしまうのが早かった。小さい子は笑いだすが、枡屋さんが怖い顔をするのですぐに止まる。


「笑ったって、別にいいよ。むしろ、ご先祖様も、ぼくが早くみんなみたいに泳げるようになったほうが嬉しいだろうし、ぼくもみんなと一緒に練習するほうが一人よりも早く覚えられると思うなあ」


★ ★ ★ ★ ★


 ひと月が過ぎた。ぼくは一度本土へ戻って、戸籍を島に移した。電話したら両親に不思議がられた。弟や妹は県外に出ているから電話で話をした。妹は静岡市に住んでいる。想像以上に都会人になっていた。話し方も何とかだら~とか言わない。弟は逆に尾張弁というか岐阜弁というか、なまっていた。ぼくの話し方はどうなのかそれぞれに聞いてみたが、そんなに変わっていないけれどどこか田舎臭い、と二人ともが返してきた。


 たったひと月前にも味わったはずなのに、名古屋の人の多さで目が回った。そういえば電車に乗る機会は寮にいる間は月に一回もなかった。両親に顔を見せようとか、遊んでこようとか、色々考えていたくせに、役所の手続きや買い物をさっさと済ませると逃げるように島へ帰った。


 帰りのフェリーがあの時のオッサンだった。オッサンには手前の別の島に住んでるということにしたが即バレた。独特のにおいがするんだと言われた。磯臭さとは違うらしい。


「あんた、あん時からずっとあそこに住んでるんかい。よう平気でいられたもんだなあ。気を付けて暮らせよー」


 オッサンの話し方は、初めての時のえらく心配してくれた風と違う感じがした。少し距離感があるというか、他人ごとのような応対だった。ぼくが船長の子孫だと知ったら相当驚くだろうなあ。それとも、それ以上に気味悪がられるだろうか。



★ ★ ★ ★ ★


 お盆の少し前、住人の一人が亡くなった。ぼくの家からは離れた地区の、知らない人だった。


 ぼくは初めて伝統的な葬儀の喪主を務めた。


 神社の近くの木を一か二本切って遺体を乗せる簡易的な船を周りの人たちで作る。作った船は遺体を乗せてから海に浮かべる。遺体と村長とぼくを乗せた船は漁船で引くか『海の者』に頼んで沖まで運ばれる。その際にぼくや村長が手や柄杓で海水をすくって、遺体の口にそそぐ。


 沖から戻ったら神社の崖の下にある祭壇に、生きた魚を一尾串刺しにして供える。串には故人の名前が書いてある。家族は葬儀の日に船を作り終えたら家から出ない。ぼくと村長は朝夕に祭壇に通い、串だけになったらそれを家族に届けに行き、庭に刺す。それで葬儀は終わる。


 伝承では、加護を受けた者が亡くなると、船長がそうなったように、少しずつ『海の者』になり、海の中で暮らす。葬儀の、口に入れる海水や串に刺した魚は、海の者生活の第一歩ということなのだ。


 こちらでのお盆は、特に何もない。いろんな意味で何もない日が続く。仏壇や墓を作る習慣はすたれてしまっているし、海の者たちは決まった時期に戻ってくるということは基本的にない。ばらばらだ。一斉に同じところを目指すのは、神様の住処と、神の遣いが顕れるとされる特定の時期だけだ。その時期は少なくとも現代の暦と関係ないところで決まっている。


★ ★ ★ ★ ★


 島へ来たときは意味不明だった島の守り神。でも、船長をまつる神社といくつかの祠に毎日通っているうちに、何となく、ぼくの中でも神様への親しみというか、イメージが形になってきた。海の神様で、イカやタコのような触手モチーフだから一見気持ち悪い外見だ。約束を破ったりしたら呪うだか食べるだかするっていう怖い面もある神様だから、それくらい不気味な外見のほうがそれっぽい。


 神社の脇にあった石像から想像を膨らませて、適当に守り神様の絵をかいてみた。荒れた海から、ざばーっと海面に姿を現すところをイメージした。全くもって迫力に欠けるぼくのへたくそな絵を、枡屋さんは興味深げに見て、神様の迫力が感じられると言ってくれた。さらに、賞状を入れておくようなきれいな木目の額縁を用意してくれた。

 そんなしっかりした額に入れて飾られたら逆に恥ずかしい。飾るならもっと丁寧にかくよ、とぼくが言うと、神様の姿を描いたものだから捨てるとしても見えないようにして捨てないといけないと枡屋さんは教えてくれた。スマートフォンで写真を残してから、絵は塗りつぶし、その面を見えないようにして丸めて、庭先でしっかりと燃やした。


★ ★ ★ ★ ★


 秋口のことだった。台風の接近前に、通販サイトで買い出ししたものを取りに向かった。日間賀島とか知名度が高い島の近くにあるささやかな島で、須間島含めいくつかある発送されない「離島」のものはその島に届くことになっている。

 そこでぼくは、その島を離れるまで何度も他の「離島」の人に陰口をささやかれた。聞こえてないつもりの人も、わざと聞かせてくるような人もいた。


 ぼくは逃げるように荷物を大きめの漁船の船室に積み込んで、別の村人がスーパーマーケットから戻ってきたらすぐに須間島に引き返した。


 その翌朝から昼にかけて、台風が接近し、去った。そんなに強くない。海のしけ以外何ともなかった。さすがに船は出せないが、海の者が彼らだけで泳ぐなら平気だ。

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