海の向こうには僕のふるさとがある

朝宮ひとみ

1

 ぼくは名古屋の大学に進学したのをきっかけに家を出た。卒業して、先生のつてで東区にある小さな会社に入った。

 先日、四十歳になる前に退職することになった。仕事内容や環境に何も不自由はなかったし、定年には早いけれど。


 理由は、祖父が死んだことだった。

 喪中はがきに、半月ほど前に祖父が死んで葬儀が行われたことと、祖父の遺言で主の亡くなった代々の家屋を継ぐことになるのでぼくに一度島に来てほしいことが書かれていた。


 両親に久々に電話をかけたが、祖父の子である父でさえ、祖父の生まれ故郷について知らなかった。それどころか、あの喪中はがきで祖父の死を知ったのだという。亡くなる前に電話したとか、連絡を取り合うこともなかった。

 ぼくと父は一宮市の端の方で生まれ育ち、祖父は故郷について話したことはなかった。写真などもない。


 ぼくは喪中はがきの消印と、乱暴に書かれた住所を頼りに調べた。伊勢湾に浮かぶ小さな島だとわかった。須間島(すまじま)という島で、知多半島の先にある島々へ行くフェリーが数日に一度だけ寄るという。

 全く聞いたことのない名前だが、逆にそれが興味を引いた。行ってみて良い場所なら住んでもいいか。そのくらいの軽い気持ちで、ぼくは社員寮の部屋を退去し、家電や家具の多くを後輩や近所の大学生にあげた。事前に張り紙をしたのが良かったのか、あっという間になくなった。 





 翌朝、車に全ての荷物を積んだ。道が混むことを見越して夜明け前後に家を出た。こんな時でなければ、日間賀島とかあのあたりのいくつかの島を回っても面白そうだが、時間もお金も猶予がない。荷物でいっぱいの軽自動車で知多半島の先端まで行って、あらかじめ調べておいた該当のフェリーに手荷物だけで乗り込んだ。車は別の便で島に届けられる。

 フェリーの出発時間は既に夕方。須間島に着くのは早くても日が暮れている。運が悪ければ手前の島で一泊しなければいけない。




 日焼けた豪快そうなオッサンが船長で、日間賀島の人だと言っていた。須間島のことを尋ねると、あそこの人は基本的に島の外に出ないよ、と教えてくれた。


「手続きはしてるんだし、あんたを疑う訳じゃあないけれど、まさか、本当に人が来るとは思わなかったよ。俺ぁもう何十年もこの仕事してるけど、あの島について聞かれたのはあんた以外だと、流行のパワースポット巡りの人だけだよ。年に一、二回そういう人がいるけど、大抵島に上がった次の便でひどい顔をして帰っていくよ」



 ぼくは遠い親戚の法事があって初めてあそこへ行き、数日泊まって帰るのだと話した。オッサンの顔が警戒でこわばっていくのを見て、それ以上あの島にかかわるわけではない風を装った。

 あとは世間話とか、他の島の話をたくさんした。でも、警戒心は完全にはなくなっていない様子だった。



 須間島への連絡を済ませたオッサンはこう言い残した。


「できれば、あんなとこへ行くのはやめて、次の便で帰るか、鳥羽のほうへ抜ける路線に乗って遊んできな。そのほうが楽しいぞ」


 さらに、最低限の注意をメモして残してくれた。

==========

・住人の上下関係が厳しい。一番上にあたる『船長』の家の者の悪口を言わないこと。

・魚料理しか出ない。手前の島までに食料品店で缶詰やレトルト、シリアルや菓子などを出来るだけ買え。

・風土病というか、独特の顔つきをした住民がいる。変だとか病気だとか言わないこと。

・信仰に関する神社やほこら、船長の墓などに入らないこと。アスファルト舗装された道だけ通るようにすると確実。

・夜は宿の部屋から出ないこと。

==========



 遠ざかるフェリーは、不必要に急いでいるように見えた。そりゃあぼくだって、そんな怖そうな島なら行きたくない。フェリー乗船前からずっと、風の向きによっては磯臭さでいっぱいだったし。ぼくは磯臭いと気持ち悪くなってしまうので、降りてすぐに町のほうまで逃げた。食料だけは忘れずに買った。言われた時間ギリギリにフェリー乗り場に戻ると、少し外れの、小型のボートや漁船がつながれている場所にさらに一回り小さい漁船がいた。須間島からの迎えだった。


 ぼくはその小さな漁船で酔ってしまい、着くまでずっと横になっていた。朝食を食べそこねたせいもあって、胃の中が空っぽになった。船を汚してすみませんと謝ったが漁師さんは何も言わず、バケツを差し出しただけでぼくの方を見もしなかった。




 どれくらい眠っていたのか、それとも気を失っていたのか。島は夕方と夜の境の暗い空と海に囲まれて、見た目は特徴のない、テレビでよく見る離島の一つといった風情だった。不気味な森とか不自然に海が荒れるとか、そういうのはなかった。むしろさっぱりした印象を受けた。

 意外と悪くない、とぼくは思った。それに、想定していた時間より早く着けそうだ。


 近づくと、昭和っぽい雰囲気の、広そうな家がぽつぽつ見えてきた。どの家も灯りが少し暗めで、電気に不自由してるとかあるのかなと思った。漁師さんに尋ねたら、単にこの島の人は眩しいのが苦手なのだということだった。

 特に、メモにあった風土病の人は目が見開き気味になるので、昔の電球みたいなオレンジがかった明かりにさらに傘を付けて覆ったりするのだと教えてくれた。


 島の港についた時、完全に陽が沈んで、星々が美しいと思った。小さいころ行ったプラネタリウム以外にこんなにたくさんの星は見たことがない。思わず見上げながら歩きかけて、気を付けるよう漁師さんに注意されてしまった。


「あなたさまは、大切なお客様ですゆえ、何かあったら船長に合わせる顔がありませぬゆえ、はい」


★ ★ ★ ★ ★


 ぼくは案内してくれた漁師さんに連れられて、村長の家へ案内された。そこでぼくは、祖父が船長の直系の子孫の一人で、島内にいたなら今頃村長になっているはずだったと聞かされた。


 今の村長の家の隣に、ぼくが受け継ぐ家があった。広いし、何十年も空き家だったとは思えないくらい綺麗に手入れがされていた。元は家畜小屋だっただろうか、木造の車庫にぼくの車が停めてあった。ぼくが車に気付いて口を開いたところで村長が頷いた。


「荷物は今運び入れますか、明日になさいますか」

「明日、お願いします。今日は休みますね。有難う御座います」


 村長は電話で人を呼びつけた。呼ばれた人は僕と同じか少し若いくらいの女性だった。ハーフか何かなのか、室内で見ると瞳の色が青みがかっているのが分かった。


「枡屋(ますや)です。よろしくお願いいたします、ご主人様」

「こちらこそよろしくお願いしますね。でも、『ご主人様』っていうのはちょっと恥ずかしいなあ」


 枡屋さんはぼくの家を管理していてくださった方で、例の『船長』の家の人に代々仕えている一族だという。ぼくは彼女に、この島の上下関係について尋ねた。ぼくを除けば、


村長>枡屋さん>村役場の人>昔の貴族的な人の子孫>残りの住民


という風で、ぼくは、今はまだ後継ぎとして認められていないので村長と同格か少し下といったところか。


 狭いけれどと案内された寝室は一〇畳はあり、長くアパート暮らしのぼくには驚きの広さだった。その真ん中にぼく用の布団、襖のそばに彼女用の布団が敷いてあった。女性なんだし隣の部屋を使いなよ、とぼくは言った。枡屋さんはそれはダメですと答えた。


「それでは、あなたのご様子が分かりません」


 ぼくは思わず、恥ずかしくて眠れないよ、と言ってしまった。余計に恥ずかしくなって、さっさと手荷物を下ろし、彼女を急かした。


 食事は、ぼくの船酔いのことを漁師さんから聞いたらしく、魚の欠片が入ったおかゆだった。分量も少な目。そして、可哀想というか申し訳ないというか、一〇人ずつ二列、同じものを同じくらいだけ盛られた茶碗が置かれた寂しいお膳がずらっと並んでいた。


「皆さんは、あの、普通に召しあがったほうが。」

「それはできませぬゆえ」


 ぼくが言いかけると村長が漁師と同じ何とも言えない平坦な口調で遮ってきた。居心地が悪いというか、背中がむずむずした。

 ぎこちなく食事を済ませ、片づけはしなくていいと言われ、追い出されるように部屋に戻った。



 普段寝ている時間には早いし、テレビもパソコンもないというので、ぼくは風呂に入ってから家の中を見て回ることにした。

 浴室だろうがトイレだろうが枡屋さんはついてきた。ぼくが抵抗したので個室や浴室には入っては来なかったが、すりガラス越しにはっきり見える姿は恐怖すら感じた。ぼくが抵抗しなかったら、体を洗ってくれるつもりだったと聞かされ、そのまま浴槽に沈みたい気持ちになった。


 上がって寝間着を着せてもらい、風呂場の近くから適当に目に入った部屋をいくつかのぞいた。人が居なかったのだから生活感がないのはともかく、どこも埃がほぼない。食事をとった大部屋とあの寝室以外はフローリングか土間だったのも不思議だ。だが、それ以外に気になるものは見当たらなかった。



★ ★ ★ ★ ★


 翌朝、ぼくは村長と枡屋さんに連れられて、家の裏手にある細い道をたどって森の中へ入っていった。土を削って固め、石で補強した階段が続いた先に神社があった。メモにあった、よそ者が入っていけない信仰スポットの一つだとすぐに分かった。

 村長が言うには、当主になるという報告を祭られている船長に対してしなくてはいけないのだという。


 準備の間、神社の鳥居のそばで、枡屋さんが、島の歴史について教えてくれた。


★ ★ ★ ★ ★


 昔、この島は正式な名前のない無人島で、船が沈んだ人が流れ着いて細々と暮らしていただけだった。そこにあるとき、当時としては大きめの船団がやってきて、リーダーらしき人が、自分たちを島にかくまってくれないかと持ち掛けた。積んでいる日用品や食料を対価に、彼らはかくまわれた。


 リーダーは今でいう欧米人で、マシュウだかマーシュだとかいう名前か苗字だった。とびぬけて背が高く筋肉質だったのと、島民を手助けし、なぜか彼が船を出すと必ずしけが収まり大漁になるのもあって、その人たちを疎む者は少なかったらしい。


 マーシュ船長たちは島にお礼として自分たちの守り神の加護を授けた。約束事を守っている限り、自分たちが食べるだけのものを採っていれば飢えたり苦しんだりせずに暮らしていけるのだとマーシュは言い、島民は受け入れた。友好の証として、彼は自分の子どものうちの何人かを島の者と結婚させた。


 船長の守り神と、亡くなってからいつか神になるという船長本人の加護で、この島は守られているという。例えば二度の世界大戦の影響を受けていない。そもそもまともに公に存在が記録されたのが二次大戦の末期のことだという。徴兵や供出ゼロ。


★ ★ ★ ★ ★


 逆に、島民は今でも、島の外のことに興味がない人がほとんどらしい。祖父のことを尋ねたら村長が悲しい顔をした。


「あれは、よそ者に『病気』を移されたので。」


 どういうことかと尋ねると、村長のそばにいた別の島民が教えてくれた。


「島の外に出たがるのは、島の外の人と多く接する者の中からしか出てこないのです。だから、伝染病に例えているのです」


 ぼくの祖父が一〇歳になるかならないかの頃、この島に昔の軍で使われていた船が流されてきたという。軍の船と言っても、知多かどこかの漁船だったものを買い上げて使っていたものだったそうた。当時島民は、亡くなった人を弔う場所と、体を乾かしたりするためのたき火だけを提供して、あとは干渉しなかった。数日後に軍艦がやってきて人や物を引き上げていったが、それまでの間、ぼくの祖父だけはたき火に近づいて、暖をとる人や魚を焼く人と話をした。


 島の外の人と多く接すれば、島の外の話を聞いたり、興味を持つのは必然だろう。祖父は、このあたりの島の人が通う高校にはいかず、今の名古屋市にある私立高校に入り、その近くで下宿した。そしてぼくの祖母になる女性と出会い、結婚した。結婚式は母の実家とこちらとで二度行われたらしい。それ以来、祖父はこの島に戻ることはなかった。亡くなったときに側にいたという人が、祖父の遺体を島に届けたという。

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