俺の昔語り ヨウミとその祖父との、限られたわずかな、楽しかった時間

 天気のいい中、長距離の歩行を強いられている。

 近づいてくるはずの体力の限界を押しとどめてくれたのは、人ではなく飲める川の水と、秋でもないのに生い茂るススキの、その穂先に実る米だった。

 俺の世界じゃあり得ない自然現象を見て、間違いなく俺の住んでたところと違う世界を実感する。

 さらに道を歩いて進む。

 田畑も見ることがなくなっていく。

 その代わり、道の両側に山が迫ってくることが多くなった。


「谷間、なんだろうな。ということは……」


 人気はない。

 それでも道があるということは、車を使って人や物が移動する、ということだ。

 そんな道を人が一人で歩いているのは、明らかに不審者の道を進んでいる、ということになる。


「さすがに人は通らなそうだな。家どころか、廃屋の小屋すら見つからない」


 ということは。

 手ぶらで歩く人の姿自体珍しい。

 そして何より、同じ日本の文字がつく国名とは言え、見かける人達の服装と自分のものとえらく違う。

 ヨーロッパの中世と思わせるような世界観のロールプレイングゲームでよく遊ぶ。

 その中に登場する一般人達に似た服装が多い。

 比べて俺は、襟のついたカジュアルなシャツにジーパン。

 おそらくこの世界の人が一目見たら、誰だって忘れられない格好だろう。


 つまり、御者席から見た俺と、あそこであちこちに貼られていた似顔絵は、誰もが同一人物と思うだろう。

 ここでも気配を感じ取れることで助かった。

 車の気配がしたら、身を隠せる場所をとにかく探す。

 山の谷間の道ではあったが、樹木や草むらの影など、隠れる場所には事欠かなかった。

 車も車で、あくまでも物運びや人運びが目的で通り過ぎていく。

 俺を探す目的でこの道を通る者はいるはずもない。

 もし賞金がかかってたら、いくら気配を知ることができても逃げきれないだろう。


 飲み水、そして食べ物も途中で確保しながら進む。

 体力の激しい消耗は免れている。

 けれど、体力回復にまでは至らない。

 休み休み進むが、そのための休憩はやっぱり必要。


「けど、谷間ってことは山を越えることになるんだよな」


 山を越えるということは、そこを境に情報の流通が鈍くなることも多い。

 自分への批判も、この山を越えればかなり薄くなるはず。


「とか適当にこじつけて前向きになると、足もいくらか軽くなる……うん」


 朝六時に歩き始め、休み休み歩き続けて約八時間。

 そろそろ日が沈むころのことを考えないとまずい。

 薄暗くなってから動く野生動物もいるだろう。

 ゴブリンとやらを倒したと言っていた、同じくここに転移してきたあの若者。

 そんな魔物もいるということは、他の種族もいるんじゃないか?

 その話も聞くべきだったが、今は後悔してる場合じゃない。

 夜行性の生き物がいるなら、周りが見えづらくなる俺の身がヤバい。

 気配でその存在は分かるだろうが、襲われたときにどこを狙われるかまでは分からない。


 ──────


「体力が尽きるのが先か、休憩できる場所を見つけるのが先か、ってとこで、体力を犠牲にしてとにかく急ぐ。一時間が限界かなってな。もし見つけたら、所持金の一万円の半分は使ってもいいか、って計算もしたところで……」

「山を越えて……ってことは、そこが……」

「そ、ガーセナル村っつったか? 日本なのに土地の名前はカタカナなのな」

「そうね。名前もカタカナが多いし。アラタの名前が漢字ってのは珍しいわよ? それはおいといて、アラタの昔話にようやく私が登場ってわけね?」


 まぁそういうことだ。


 ──────


 碌に飯も食わずに約九時間。

 よく歩けたもんだとつくづく感じる。

 とっくに足が棒になっていた。

 けど、後ろから俺のことを誰かが追ってきて、追いつかれるかもしれないという恐れと、収入源のないお金がいつなくなるかという不安が、俺の背中を押し続けてきた。


「あそこに見えるのは……柵? 随分広く覆ってるが……」


 その柵に切れ目が見える。

 立て看板がそこにあり、一人の男性の姿が見える。


「見え過ぎってのもどうかと思うんだよな。声をかけようにも、大声じゃないと届かないし」


 その男の感情も、気配から感じ取れる。

 俺が近づくにつれ、俺の予想通り、俺に対して物珍しさを感じ取っている。

 怪しさよりも好奇心の気が強いようだ。


「こんにちは。つかぬことをお聞きしますが」


 立て看板を見ていたその初老の男は俺の方を振り返る。

 俺の姿を見ても、その感情に変化はない。

 あの張り紙の効果は、やはり山を越えたら相当薄まっているようだ。

 ここで一泊しても問題ないだろう。


「ああ、こんにちは。なんだね?」

「ここに、宿ってありますかね? ちょっと休みたいので」

「あぁ。ワシんとこでやっとるよ。このガーゼナル村唯一の宿でな」


 その男の後について行く。

 その宿は、村の入り口から中に入ってすぐだった。


「あ、お祖父ちゃんお帰り。早かったね……って、お客さん?」

「おぅ、ヨウミ、ただいま。魔物が現れなければ空き部屋だらけの宿じゃ。そんときは冒険者で満室になるか、今はそうでもない。ゆっくりしてってくれ」

「あ、あら、ようこそお出でいただきました。ご休憩ですか? 宿泊ですか?」


 ──────


「ようやくあたしの登場ね?」


 なんでドヤ顔してんだよ。

 でもあんときは何と言うか、お淑やかって感じがして、見惚れてたこともあったんだが……。

 距離が縮まると、そんな仕草とか、もう見られないんだよな。

 遠慮がないっていうか何と言うか。


「でもあのとき私には、アラタってホント不審人物に見えたわよ? どこから来たかって聞いたら向こうからとかしか言わないし、出身地聞いてもはっきり言わないし。神殿の方から来たとだけ言われても、それ、出身地じゃないよね?」

「他に言いようがねぇじゃねぇか。言えるのはせいぜい名前と性別くらいだぜ?」

「でもその名前を知ったお陰て、最悪の事態を免れた、と」


 免れた理由はそれだけじゃないんだがな。


 ──────


 その宿で、とりあえず一泊することにした俺は、切迫感からようやく解放された。

 改めて、この世界の人間の生活環境がこっちと違う点をまず確認しなきゃ、と思った。

 会話自体は成立しても、日常会話に差し障りがあるとどこでいつ連行されるか分からない。


 それにしても、つくづく追い詰められた心境になると、あちらこちらに関心を向ける余裕がないものだと思い知らされた。


 夕食までしばらく時間はある。

 それまでは、のんびり宿の周囲を散歩する。

 ここから見える村の様子を見て、状況を整理しよう、というわけだ。


「やっぱりここにも電気はない。照明とかは魔力を利用するっつってたな。その気配も感じ取れるってのも不思議な話だが……」


 ガスもない。

 それも魔力で賄えられるんだそうだ。

 水道もない。

 これはこの村とか、条件が整ってるからかもしれない。

 多くの家は井戸を掘ってるんだそうだ。

 ない家は、共同で使える井戸があるらしい。

 そして川の水も普通の飲めるんだとか。

 水道を引く理由がないってことらしい。

 あとは……米は田んぼから採れる。野菜や果実は畑。

 いわゆる農地も広い。

 あの柵は、その農地ごと囲っている。

 魔物の襲撃とかもあるらしいが、自警団を結成していて、その範囲から外に追い出すらしい。


 それと、警察もないらしい。

 代わりに大王国警備隊というものがあって、国全体の治安維持を目的に活動しているんだとか。


「捕まったらどうなるのかな?」

「え? アラタさんって、どこかで悪いことしてきた人なんですか?」

「こぉれ、ヨウミっ!」


 危ない人を見たら110番。

 火事や救急車は119番。

 こんなのは、幼稚園に入った時に教わった。

 俺が質問しているのはそのレベルの話。

 この世界の、この国の仕組みも迂闊に聞くことはできないな。


「まぁ駐在支部に連れていかれるくらいじゃろ。近くに本部があったらそっちじゃな。ここはちと足を伸ばせば、首都のミルダ市に届くから、本部の方に行くと思うぞ?」

「……なるほど」


 ミルダ市ってどこですか?

 なんて質問をしたらますます怪しまれる。

 分かったふりをするしかない。

 でも首都、か。

 あの神殿にいた男が国王って言うから……あの区域が首都と見ていいか?


「ミルダ市ってどこか分かります? アラタさん」


 ほら来た。

 当てずっぽうで外れたら仕方がない。


「俺が歩いてきた方向ですよね」


 そこから来た、などと言わない方がいい。

 変なセールスが訪問販売に来た時に「市役所の方から来ました」などと言う奴がいた。

 市役所とは何の関係もない、その方面からやってきた、という言い方だ。


「こら、ヨウミっ。お客さんに失礼なことを言うんじゃない」


 孫娘を窘める祖父。

 この時は……。


 ──────


「あの時は、お祖父さんが俺の側に立ってくれるに違いない、と計算してたんだよな。逆にお前の方が俺のこと怪しんでたよな」

「当たり前でしょー? お祖父ちゃん、変な人に騙されないだろうかって心配してたし」


 自警団だけで魔物を追い払うのは難しいこともある。

 それに、魔物の泉現象や雪崩現象が近くで起きることもある。

 魔物の群衆の発生現象だ。

 だから、あの時泊まったのは、冒険者達が常連になっている宿で、俺は滅多に泊まることのない一般人、と見られてたんだな。


 ──────


「仕事探し?」

「えぇ。国内を放浪しながら商売できないかなーって」


 不定期だろうが収入ゼロの日があるかもしれなかろうが、収入の見込みさえあれば何とか生活はできる。

 けどそれだけじゃこの世界では俺にとって危険だ。

 一カ所にとどまらず、あちこちで仕事ができたら何とか生きていけるだろう。

 かと言って日雇いの力仕事も苦手だし、要領も悪い自覚もある。


「……なら……あれは使えるかのう? ヨウミ、納屋に荷車があったろ? 持ってきてくれ」

「え? あれ?」

「うん。使えなきゃ処分するだけ。使えるのなら使いたい者にただで譲ろう。売り物にもならんし、処分するにもお金がかかるでな。そのまま放置してたんじゃが……」


 しばらくしてヨウミが引っ張ってきた荷車は、車輪が四輪。人も引っ張ることができるよう、自転車のようなブレーキがついている。

 荷車はこの時から屋根と壁がついていて、中で人が横になるどころか、小さな家具も置けるほど広い。


「若い頃、こいつで行商をしててな。他にこっちで捨てる予定の道具とかが欲しいなら、持ってってくれるとかなり有り難いんじゃが。ヨウミ、納屋に案内してやってくれ」

「有り難うございます。すいません、よろしくお願いします」


 荷車自体にも何か魔法がかかっているようだ。

 多分人力でも引っ張れるように、という工夫だな。

 で、行商で何をするかというのは、既に見当をつけてある。

 あと必要な道具は……。


 ヨウミの案内で納屋の中を覗かせてもらった。

 鍋を多めに……二十もあれば十分か。

 あとはタライかな? 五つ、六つもあれば……。


「アラタさん」

「はい?」

「あなた、本当はどこから来たの?」

「え、ですからさっき言ったように……」

「新さんのお話しに、具体的な地名が一つも出てこないんですよね。警備隊とかも知らないっていうし。かと言って他の国から来たわけでもない」

「……ただの一般人ですよ?」


 他所の世界から来たという共通点はあるが、自分だけは期待されし、選ばれし者じゃなかった。

 そんな存在には憧れた時代もあったが、そんな時代はほんのわずかな長さ。

 そんな時代は、既に卒業した。


「……犯罪者?」


 警備隊に通報は勘弁してくれ。

 冤罪で重罪人になるのは決定だろうが。


「……日本民国、っていう、こことは違う世界から来ました」

「え? 別の世界……しかも……え? ミルダ市から来たのよね? それは本当なのよね?」

「……すいません。その地名も知りません。ただ……あの山の向こうを越えての大きな町の……気が付いたら神殿の地下」

「ミルダ市の神殿って、慈勇教の教会よね?! 小高い丘の上の、草原のある」


 宗教の名前も、神殿の所在地の地形もあってた。

 ただ、流石に国王と大司教の名前は忘れてしまった。


「よくご存じで」

「……それで、旗手様じゃないの?」

「一般人、と言われました。帰る方法も分らず、一万円だけ頂けたのでそれを元手に、帰ることができるまでこの世界で生活しようと……」


 そこまで言うと、ヨウミの警戒心がかなり薄まった。

 ただ、俺を怪しんでるのは変わりはなく。


「ふーん……。まぁ帰る方法があるならすぐに帰るっていうなら、特にトラブルとかは持ち込まれることはないか」

「トラブル?」

「旗手様じゃないのに旗手だって言い張る人が時々いるのよね。でもあなたは」

「キシュ? あ、あぁ、勇者の別の言い方って大司教って人が言ってたな」

「あぁ、大司教様ともお会いしたのね。でもほんとにあなたは旗手様じゃないの?」


 しつこいな。

 思い出したくないんだよ。


 ……気にしないつもりだったんだけど、やっぱり子供の頃の嫌な記憶を思い出してしまうからなんだろうな。


「その宗教とその勇者? 旗手? は綿密な関係にあるらしいけど、俺とは無関係なんだと」

「……そっか。……あのね」


 急に明るい声に変わるヨウミに一瞬気を取られた。


「え?」

「この中にあるのって、いずれ全部処分する予定らしいの。正直言うと、盗まれても痛くもかゆくもない物ばかりなのね。だから気に入ったのは全部持ってっていいから」


 逆光だが、初めてヨウミの笑顔を見た。

 邪心のないそんな表情は、俺の、そしてこの世界でも見たことがなかったような気がした。


「あ、あぁ……。ありがとう……」

「じゃ、晩ご飯の準備しますので、時間になったら受付の隣の奥の部屋にどうぞ」

「あ、あぁ……」


 彼女が立ち去った後も、その方向をしばらく向いたままだった。

 が、我に返ると、すぐにお言葉に甘えて物色。

 捨てる予定なのがもったいなく思える道具のいくつかを頂くことにした。


 ※


 納屋で気に入った物を持ち出した後、この老人からいろんなことを教わった。

 まず、村の中での商売は困ること。

 なぜなら、客になるのは村民のみ。

 隣村や隣町からの買い物客はまず来ない。

 賑わうのは魔物が発生するとき。

 冒険者が買い物に来てくれるから。

 それを横取りされたように感じる者もいないとも限らない。


「柵の外なら問題ない」

「柵の外、ですか」


 村を覆っている柵は、魔物の襲撃から村を守る最低ライン。

 つまり、その柵の外側で被害を受けても、自己責任で身を守ってもらいたいという印。

 誰もが安全な場所で生活し、仕事をしたいわけだから、よそ者や新参者がその柵の外で儲けを出しても、身の安全が大切な村民は背に腹は代えられない、ということらしい。


「ましてや荷車だ。退いてほしいと言われたら、すぐに動けるじゃろ?」

「いろいろ荷物を乗せましたが、俺一人でも動かせました。いい物を頂けてうれしいです」


 ヨウミに呼びかけられた。

 晩ご飯の時間らしい。


「え? 三人で?」

「はい。三人で。自営業ですもん。」


 夕食の時間は、この二人と一緒に食べることになった。

 いくらか物腰が柔らかくなった孫娘に、祖父は相好を崩す。

 久々に家庭的な時間を過ごさせてもらえた。


 しかし、こんな楽しい貴重な時間はこの日限りとなってしまった。

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