WORMS AND ANGELS
深上鴻一:DISCORD文芸部
WORMS AND ANGELS
教室に入ってきた転校生から、
扉を閉めた長くて細い指。肩までの黒い髪。冷たげな瞳。ややきつめな顔。スカートからのぞく白い太もも。
教壇の上に立った転校生は、新しいクラスメイトたちを睨み付けた。彼女はきわめて短く自己紹介する。
「
立花は望月のその薄い唇に、キスしてみたいと思った。
「望月さん」
それから二週間ほど過ぎたある日の放課後、ついに立花は、廊下で望月に声をかけた。
この聖陵女子学園では、すべての生徒は何らかの部活に所属しなければならない。望月が選んだのは美術部だった。そしてその翌日から彼女は、幽霊部員になった。
望月は集団行動が嫌いだった。いや、それどころか人間が嫌いのようだった。彼女には同じ学園二年生の十七歳の少女たちどころか、教師たちさえをも蔑んでいるふしがある。授業が終わるといつも、誰とも「さようなら」という言葉さえ交わさずに、教室を早足で出て行く。クラスメイトたちから嫌われているのは、当然だった。
そんな望月が今、傾いた太陽の光で茜色に塗られた廊下を歩いている。部活の帰りだった。今日は三年生の美術部員たちが彼女を迎えに来て、教室から美術室へと連行したからだ。
立花に後ろから名前を呼ばれた望月は、ゆっくりと振り返った。
「なに? 今日はもう、疲れてんだけど」
その目にはやはり嫌悪の光があった。
立花は舌と唇がもう動かない。しかしこの機会を逃したら、自分はまた後悔することになる。そう思ったら、立花の肺にしゅーっと空気がすべり込んだ。
「私、立花望!」
「知ってる。クラスメイトの顔と名前ぐらい、もう覚えてる」
私のこと、覚えてくれてたんだ。立花は純粋に嬉しかった。例えそれが、クラスメイトだから仕方なく覚えた中の一人だとしても。
「あ、あのね。私、望月さんのこと、好きなの」
望月の、墨で描かれたような眉が寄った。
「何の悪い冗談?」
「冗談じゃないよ。私、あなたが好きなんだ」
「やめてよ、ほんと、やめてよ」
望月はゆっくりと、その首を振る。夜色の髪が揺れた。
「私、そういう趣味はないんだ。悪いけど、その好意には応えられない」
「そうかあ」
立花はどんな子供向けアニメよりもわかりやすい表現で、その肩を落とした。がっくりとうなだれて床を見る。
「あーあ、ふられちゃったなあ。思い切って告白したのに。でも、良かった。うん、良かった」
「ああ、そう。さよなら」
望月は氷上の姫のようにくるりと回って背を向けた。スカートが華麗に舞った。早足で数歩、廊下を進む。だが、不意に立ち止まった。頭だけを回して、立花を見る。
「良かった、って?」
「え?」
「バカ。ふられたのに、どうして『良かった』って言ってるのか、聞いてるの」
「私に興味が!?」
「うるさい。もういい」
また歩き出した望月の背中に、立花は大きな声で言う。
「あのね! 前に好きだった子には、告白できなかったの! 私に、勇気がなくて!」
「ああ、そう。じゃあ、良かったね、告白できて。一歩、成長したじゃない」
「ありがとう! 望月さん、優しいね! やっぱり好き!」
「あのねえ」
望月がまたくるりと振り返ると、すぐ目の前に立花がいた。
「近い!」
「ああ、ほら、好きだからしょうがないよ」
望月は、どんなカカオたっぷりのチョコレートを口にした時よりも苦い顔をした。
「どうしたの?」
「少し黙ってくれないかな」
「うん、そうする!」
素直に従う立花。命令だって嬉しくてしょうがないようだ。キラキラした瞳が『次はなに?』と全力で問うている。
望月も、その細い肩を落とした。ふーっ、と大きく息を吐く。
「ついでだから、聞いてみるけど」
「いいよ。何でも聞いて!」
「私なんかの、どこを好きになったの?」
「全部」
「それは答えになってない。だって立花さんは私のこと、なんにも知らないでしょ」
「じゃあ外見。その見た目がぜんぶ好き!」
「ああ、そう」
両てのひらを望月は、目の前でひらひらと動かして見せる。
「こんな手が、立花さんは好きだって言うの?」
うんうん、と頷く立花。その手のやわらかさを、温度を、湿度を、中に隠された骨の硬さを、確かめてみたいと彼女は思った。
望月はその手でスカートの端をつまみ、ほんの少しだけめくって見せる。
「この脚が、好きだって?」
また何度も頷く立花。ふとももの表面の滑らかさを、その皮膚の下にある筋肉の逞しさを感じてみたいと彼女は思う。
望月はその手を、腰のカーブをなぞりながら上へと昇らせた。それに合わせて、立花の魂も高揚していく。腹を撫でたその手は、年頃に似合った大きさの胸をつかんだ。
「この胸のことも?」
立花はゆっくりと一度、頷いた。
望月は立花の顔を覗き込む。その顔は上気していて、瞳は潤んでいる。興奮してるんだ、可愛いな。望月はそう思った。そしてそんな自分の感情に驚いた。
「じゃあ、この唇も好きだってことなの?」
望月は自分の下唇を、人差し指でなぞった。
立花はただ一歩を踏み出して、そこに自分の唇を重ねていた。
その次の日。授業が終わると立花は、美術室へと向かった。
不審げな顔で要件を尋ねてきた美術部員たちに、立花は堂々と告げる。
「望月さんに絵のモデルを頼まれました。ここで待たせてください」
隅の椅子に案内された立花は、握った両手を膝の上に乗せ、面接試験の時よりも背筋を伸ばして彼女を待った。
三十分ほど待たされた後、望月は黒いエコバッグをぶら下げて現れた。その中から大事そうに、使い込まれた鉛筆箱を取り出した。
そして美術部員のひとりに詰め寄って、きっぱりと命令する。
「ヌードを描きたいんです。出て行ってください」
息を飲む声の中に、立花が混じることはなかった。すでに昨日、そのように断じられていたからだ。
部員達は去った。美術室はふたりだけになった。
望月は何も言わず、イーゼルを準備し始めた。
立花はそんな望月に、制服を脱ぎながら話しかける。
「モデルって初めて。緊張するね!」
それに望月は何も答えない。
「ねえ、この下着、どう思う? こういう可愛いの着ける子は嫌い? 望月さんはどんなのが好きなのかなあ」
反応がない。だから立花は言葉を続けた。
「でもネットで調べたら、ヌードモデルの人って、下着は着けないでおくんだって。下着が締めつけた跡が」
「黙る!」
望月は声を荒げた。彼女の記憶では、物心がついてからこんな声を出したのは初めてだった。
「これが昨日の罰だって、わかってるんだよね!?」
立花は身を縮こませた。
「ごめんなさい。昨日のことは、とても反省しています」
「そうは思えないけど!」
ちらりと視線を上げて、望月を見る立花。
「……でも……あれは絶対……誘って……」
「はあっ!?」
「何でもないですっ!」
また身を精一杯、小さくする。
ふーっ、と望月は息を吐いた。
「もういい。時間の無駄だから、さっさと脱いでよ」
「はい!」
立花は手早く下着を脱いだ。
全裸で床に立つ立花は、自分の裸身を手で隠しはしなかった。後ろに手を組んでいる。
望月は目を閉じて、ふーっ、と長く息を吐いた。それが彼女の癖なのだった。再び目を開けると、実直で真摯な眼差しがそこにはあった。その輝きは予想以上に、立花の鼓動を速くしてしまう。
「で、どんなポーズを取ればいいの?」
「ポーズなんて、気にしなくていい。楽に座って」
望月はペットボトルから、スポーツドリンクを飲んだ。それを床に置くと、白い紙に鉛筆を走らせ始める。
軽い鉛筆の音が、美術室の音楽となった。立花の心臓の音が、それにリズムを刻んだ。
その曲に乗って立花の心は踊った。最初から熱かった身体が、さらに火照った。肌が紅潮しているのがわかる。じっとりと汗ばんでいるのがわかる。
ちらりと望月を見ると、真剣な目で立花と画用紙を交互に見つめている。その目が、さらに立花を興奮させてしまった。
ついに我慢できなくなり、立花は声をかける。
「……望月さん?」
「何よ?」
立花は足を組み、腕で胸を隠した。
「恥ずかしくて死にそう」
「いまさら!?」
「大好きな人に、身体をじっと観察されてるんだよ? こんなプレイは耐えられない!」
「プレイじゃない!」
また大声を出してしまった。どうも立花と話していると、調子がおかしくなってしまう。自分はこんなキャラクターではなかったはずだ。そしてまんざら不愉快でもないことが、かえって望月を困惑させる。
「ケータイで音楽を流すから、それでも聴いてて」
「何かお話ししたいなあ。その方がいい」
立花は足と手を、最初の位置に戻した。
「わがまま」
望月は再び鉛筆を握った。
「望月さんのこと教えてもらってもいい?」
「嫌。自分のことは話したくない」
「じゃあ私を知って欲しいな。何でも聞いてよ」
望月は立花に最初、どうでもいいようなことを尋ねた。誕生日はいつか、好きな食べ物はなにか。彼女に興味がなかったから、ではない。興味があるとばれてしまうのが怖かった。
立花は何も隠さなかった。そしてその中に、たくさんの笑えるエピソードを織り交ぜた。
望月は笑った。おかしすぎて、たびたび描くのは中断された。
こんなに笑ったのはいつ以来ぶりだろう、と望月は思った。
数日後、立花が登校すると、靴箱の前に望月が待っていた。
「おはよう、望月さん。私は今日もぎりぎり。あはは」
望月は挨拶も返さず、自分の要件を告げた。
「絵が昨日、完成したんだ」
「ほんと? 見たい!」
「じゃあ、行こう」
「え? 今?」
さすがに立花も驚く。
「休み時間とか放課後じゃだめかな?」
「嫌。今じゃないと嫌なの。すぐに見て欲しい」
望月は、背を向けて歩き出す。
「えええ!?」
廊下で立ち話をしている生徒達の隙間を素早く縫って、望月は足早に進んで行く。
「わかったから! 行く! そんなに急がないで!」
望月は美術室の前で待っていた。ようやく立花が追いつくと、ドアを開ける。もうすぐ授業が始めるからだろう、部屋には誰もいなかった。望月はイーゼルに架けられた絵の前に立ち、両腕を組む。
「どう?」
「うわあ……」
立花はその水彩画に驚いた。満面の笑みを浮かべている自分。その笑顔は明るく、屈託がなく、無邪気そのもの。見ているだけで心が温かく、優しく、元気になれる、そんな絵だった。
「凄いよ! 望月さん、才能があるね!」
「ありがとう」
そう言って望月は視線を外した。その頬が、ほんの少し赤いことに立花は気がついた。
「照れてます?」
「え? あ……うん。褒められるの、慣れてないんだよね。人に感謝を伝えるのも。私は立花さんと違って、そういうの苦手なんだ」
「いいんじゃない? 苦手なら、仕方ないよね」
その何気ない言葉が、望月の心臓をきゅーっとした。変わらなければいけないという強迫観念と、どうして変われないんだろうという自己嫌悪が、心の隅でときどき痛みを発していたからだ。
「この絵はどうするの? 私、欲しいなあ。家の一番いい所に飾りたい。でも親はびっくりするよね!」
「あげるよ。むしろ、貰って欲しい。戻ってきたら、すぐに渡すよ」
「戻る? どこから?」
「大会に出そうと思ってるんだ」
「えええっ!?」
「そもそも先輩達に言われて、そのために描いたんだんだけど」
「えー? うーん? ヌードをたくさんの人に見られるの、恥ずかしいな……」
望月の前で、立花は額に皺を寄せて考えている。そんな表情をできるのもうらやましいな、と望月は思った。
「私は立花さんがうらやましい。気持ちをいつも、素直に言葉で表現してるから。私はこの絵も、気持ちを素直に表現できたと思うんだ。だから、この絵を世の中に出してみたい。どこまで私の気持ちが届くのか、伝わるのか、確かめてみたくなった」
「ふーん。良くわからないけど、じゃあ、応援すべき、かな?」
「ありがとう」
さっきよりも素直に言葉が言えたと、望月は思った。
「じゃあ、教室に行こう。もう遅刻だね」
その立花の背中に、望月は言う。
「あ、あの」
「うん?」
「私の気持ち、伝わってない?」
「あはは。『作者の気持ちを書け』ってやつ? 私、がさつで感受性がないからなあ。でも楽しそうだよね。この絵を見ると、楽しくて幸せになってくる」
「私も楽しかった」
望月は言う。
「ずっと絵を描くのが楽しくなかった。でも、あの時間は楽しくて、幸せだった」
「私もだよ!」
「ちなみに、この絵」
「なに?」
小さく呟く。
「……恋人」
「え? なに?」
「タイトルは、友人」
「うそ! いま、確かに恋人って言った!」
「聞こえてたなら、聞き返すのはずるい」
「だって、でも、その、私たち、恋人ではないよね? 友人かもあやしいけど。あはは」
「じゃあ、たった今から、恋人だ」
こんなに早く目を閉じるなんて私はださい、と望月は思った。距離も首を伸ばして調整したし、場所も少し上にずれてたじゃない。
自分でも呆れるくらい、下手なキスになった。
教室の清掃が終わり、立花は自分が所属する文芸部の部室に急いだ。活動のない部活で、そこは彼女の城となっていた。ドアを開けると、長テーブルに座った望月がひとり、本を読んでいる。
「裕子ちゃーん」
立花は横から抱きついたが、いつものように抱き返してくれなかった。本から顔さえ上げない。
「もしかして、お昼のこと、まだ怒ってる?」
「うん」
「あのね、あのね、一緒にお弁当を食べるのは楽しいの。でも前にも言ったでしょ。手を繋ぐのは我慢して欲しいし、ましてやキスなんて、ね?」
「私は」
望月は立花を見ない。
「キスしたかった。凄くしたくなったから」
「私だってね? 裕子ちゃんと、いつだってキスしたいよ?」
「だったら、するべき」
「学校でキスはだめだよう!」
「ああ、この部室も学校だよね」
「いじわるう! んー、ここではキスしようよお! ちゅー!」
望月は本を閉じた。
「望はずるい」
「え」
「私は、望がして欲しいことはすべてしてあげたい。望がしたいことは、すべてさせてあげたい。あの、お泊まりの日だって、私は全部……」
「あああ!」
「……なのに、私の気持ちをわかってくれない。私は、こんな暗い部室で抱き合うのは嫌。キスするのも嫌。私たち、悪いことしてる? どうして、世の中に隠れて付き合わなきゃいけないの? 私、わがまま言ってる? 私のこと、本当に好き?」
「好きだよお! すんごく好きだよお!」
はっ、とした。もう遅かった。立花は、顔をくしゃくしゃにして泣き出していた。
「言い過ぎた」
「ううん、ううん、私がだめなんだよお。ごめんね、ごめんねっ」
望月は、どうして自分は、こんなひどいことを立花にできるのだろうと思った。立花のことを、本当に好きなのに。いつだってあの水彩画のように笑っていて欲しい、そう思っていたはずなのに。自分のわがままがいけないんだ。我慢すればいいんだ。
「でも、ありがとう」
え?
立花は涙を手で拭いながら言う。
「わがまま言ってくれて。裕子ちゃんのわがまま、嬉しいよ」
「……望」
自然なキスになった。上手とか下手とかはどうでもいいことなんだな、と望月は思った。
「チケット」
「うん?」
望月は、立花を抱きしめた。
「土曜日に、遊園地に行きたいと思って買った。一緒に行って欲しい」
「バカ。もちろんだよう。あのね」
「なに?」
「手をつないでデートしようね。観覧車のてっぺんでキスしようね。お別れのキスもしちゃおう」
「それはだめ」
望月は、立花の耳元でささやいた。
「その日から、母親が旅行に行くんだ。友達が泊まりに来てくれるかも、って言ってある」
強く抱きしめる。
「だから土曜日にデート。日曜日の夜まで、絶対に帰さない」
望月の描いた絵が、高校文化大会で入賞した。文部科学大臣の名前がある賞状を、彼女は受け取らなかった。
噂の導火線には美術部員が火を点けて、学園中を巡り巡ってあちこちで爆発した。ふたりは奇異の目に晒されるようになった。望月はまったく平気だった。しかし立花は、それに耐えられなかった。
奇異の目が、やがて悪戯になった。そしてある日の朝、酷すぎる悪戯がついに立花の紙風船をぐしゃりと潰してしまった。中に閉じ込められていたプライドが、汚れた空気に溶けてしまった。教室を泣いて出て行った彼女を、望月は追いかけた。しかしふたりは出会えなかった。抱きしめてあげることも、その涙を拭ってあげることも望月にはできなかった。立花は文芸部の部室に、内側から鍵をかけてしまったからだ。
望月はそのドアに背をもたれて膝を折って座り、いつまでも待ち続けた。
その日の午後、授業中に突然、望月は手を挙げて立ちあがった。視線だけで教師を隅に追い払い、教壇に立ってクラスメイトたちひとりひとりをナイフの眼差しで切り刻みながら言う。
「私は立花望が好き。愛してる。それは悪いことなの? どうして私たちを邪魔するの? それは面白いことなの? やめて。私たちを放っておいて。いや、違う」
望月は、言葉を続けた。
「私には何をしてもいい。悪口だって言っていい。物だって隠していい。ゴミをロッカーに入れたっていい。でも望には何もしないで。お願い。望にだけは、何もしないで、ください」
望月は頭を下げた。その目から涙が落ちて、教卓に落ちた。
立花は立ち上がった。
クラスメイト一同の視線が、立花を空間に縛り付ける。
みなの目が、自分を汚らわしい物かのように見ていると彼女は感じた。この恋心は、みなにとっては気持ち悪いものなのだろうか? このままでは弱り疲れきった心に、黒いコールタールが敷き詰められてしまう。その熱が冷めた時、大地は水も吸わない平坦な黒面へと変貌してしまうのだろう。
そんなの嫌だ!
「私も望月裕子さんが好きです」
響け!
「私たちは、間違ってない。好きだから。本当に好きなんだから。あなたたちに、負けたりなんかしない!」
立花は泣かなかった。意地でも泣いてやるもんか、と思った。
教師に呼び出されたふたりは生徒相談室には行かず、校門をひらりと飛び越えた。ふたりは手をつないでいた。
ふたりで駅に向かい、ふたりで電車に乗った。寄り添ってベンチシートに座ってうたた寝をし、終点で降りた。
無限の緑色のグラデーションが続く山道をふたりは歩いた。その遊歩道は、どこまでもどこまでも続いていた。
雨がやがて降ってきた。激しい雨となった。
ふたりは小屋の鍵を外して、その小さな防空壕の中にビニールシートを敷いた。トタンを叩く水音を聴くために、言葉を発するのをふたりは止めた。
立ったまま、濡れた制服を互いに脱がし合った。
ふたりの指と唇が、互いの肌の表面積を測った。
朝になると雨は上がっていて、ふたりはまた手をつないで散歩した。小川があり、石の上を跳ねて向こう岸に渡った。川沿いを、最初のひとしずくを求めて山奥へと分け入った。
太陽が天頂に来た時、ふたりは歩くのをやめた。
まだ濡れた草むらの中で、手をつないだままふたりは横になった。
草の優しい香りがした。虫たちの甘い声が響いた。
「私は、私のことが嫌いだった。そんな私を好きになってくれて、ありがとう」
望月は言葉を続ける。
「また聞いてもいい? 私のどこが好きだった?」
立花は答える。
「もちろん全部だよ」
美しいから。背が高いから。冷めた表情が素敵だから。でも笑顔は可愛いから。不器用だけど、とっても優しいところ。気が利いて、して欲しいことをすぐに察してくれるところ。
そんなことはすべて、水面に現れた波紋のようなものだった。その河底に眠る、乙女たちに守られた黄金の美しさは、とても言葉では言い表せられない。
「私も望のこと、全部好き」
「私たち、好きになりすぎちゃっただけだよね?」
「うん。たった、それだけのことなのに」
そうしてふたりは微笑んだ。
そして時の女神も、息をするのを止めた。
ふたりには虫たちが、周囲を優しく近づいてくるのがわかった。
そして天使たちが空から舞い降りてくるのを、ふたりは確かに見たのである。
〈了〉
「WORMS AND ANGELS」Echobellyのアルバム『ON』より
https://youtu.be/GyGQyQQAcoQ
すうぃる氏に感謝
WORMS AND ANGELS 深上鴻一:DISCORD文芸部 @fukagami
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