千鶴さんと河童くん
「雨ですね……」
「うん、雨だね」
今日は生憎の空模様で朝から降り続く雨は止む気配はなくジメジメとした湿気を運んでくる。
カウンターに腰掛けて店長自慢の紅茶を飲みつつ窓から外をぼんやりと眺めている。
カランカラン。
開店前の扉を開ける鈴の音が鳴り女性が入ってくる。
「遅くなってごめんなさいね」
「あ、千鶴さん。こんばんは」
「いやいや、かまわないよ。濡れなかったかい?」
「店長に世那さん、こんばんは」
丁寧に挨拶をしながら入ってきたのはこの店の従業員であり先輩でもある
170センチを超えるスラッとしたモデル体型に腰まである綺麗な黒髪と目鼻立ちの整った美貌。
初めて見たときは、どこのモデルさんかと思ったほどだ。
今日も本職である某雑誌の取材に出かけていたらしく見慣れたスーツ姿だ。
「少し濡れてしまいましたので着替えてきますね」
隣を通るときにフワリと香水の匂いがさりげなくも千鶴さんらしい。
「千鶴さん、今日は早いんですね?」
千鶴さんは本職があるので大抵は夜遅くに来ることが多い。
「雨だから……開店前に来たんだね」
「あ、そうですね。雨ですものね」
店内に微妙な空気が流れる。
因みにこの時、危険を察知したロビンは店の隅の奥の方へと避難していた。
「おまたせしました」
「あ、ああ、急がなくてもまだ時間は大丈夫だから」
そう言って着替えてきた千鶴さんなのだけど……この辺りが色々とこの人の残念なところなわけで。
ジーンズにTシャツ、髪は一纏めにしてお団子にしてある。ラフな格好でもその美貌になんら陰りはない。
ただ……
Tシャツの前面には"亀命"と恐ろしく達筆な字がプリントされており背中には"亀LOVE"とこれまたプリントされている。
色々台無しである。
引き攣った笑顔の店長と微妙な空気の私を素通りしてキョロキョロとロビンを探す千鶴さん。
ダメ〜!ロビン!逃げてぇ〜!!
店長と私の心の叫び虚しく隅の奥の方から引きずり出され頬ずりされるロビン。
心なしか泣いているように見える、というか泣いている。
ガサガサっと店内の水槽内の凡ゆるカメ達が隅に避難するが千鶴さんはそんなことお構いなしに一匹づつ丁寧に丁寧に撫で回し頬ずりし……
「店長!この子とこの子病気にかかってます。あとこっちの子は温度が少し低いって言ってますので温度調整お願いします」
「う、うん。わかった」
千鶴さんはカメのことになると恐ろしく細かい。それはもうホントにびっくりするくらいに。
それぞれの水槽の温度と湿度を調整して、うんうんと頷いている後姿(亀LOVEな)が妙に頼もしく見えたりもする。
「あ、もう開店の時間ですよ、店長」
「うん?もうそんな時間か……じゃあ開店しようか」
「はい」
各水槽に淡く青い光が灯り店内がまるで海の中のようになる。
カランカラン。
あっ、お客様が来たみたい。
「いらっしゃいませ、AQUA LinQsへようこそ」
「こんばんはだね〜」
扉を半分だけ開けて店内を覗きこんでいるのは……
「いらっしゃ〜いっ!!!」
「ひっ!ち、千鶴さん!い、いたんだね?」
ぎゅっと千鶴さんに抱きつかれてズルズルと店内に引っ張ってこられたかわいそうな方。
年の頃はまだ少年といっていいくらいで、緑の髪にちょっとぽっちゃり体型、そして頭の上には丸いお皿が。
彼は"河童"のカミリくん。
雨が降る日だけこの店にやって来る。
そして……
うふふ〜えへへ〜と美貌を完全に台無しにして抱きついている千鶴さんの餌食になるかわいそうな男の子だ。
千鶴さん曰く「河童は亀の神様」だそうだ。
私にはよくわからないけど。
「て、店長さ〜ん」
「ぼ、僕は二階の片付けがあるから……」
あっ店長逃げたっ!
「せ、世那さ〜ん!」
「わ、私も倉庫を片付けないと……」
ごめんなさい!カミリくん!私には無理です!神様仏様道祖神様!ごめんなさい!
その後、深夜のAQUA LinQsで慟哭が聞こえたとか聞こえなかったとか……
AQUA LinQsへようこそ 揣 仁希(低浮上) @hakariniki
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