ええ、きっとそうですね。

@seinakazami

曇りのない青春を、青臭いと倦厭するようになってしまったのはいつからだったか。私はこれを大人になったと言うのか、スレてしまったと言うのかわからぬまま、今しがた読み終えた本を閉じる。

「安っぽい御涙頂戴話だった」と一蹴するには、この本はあまりに世間で売れすぎていた。「優しい気持ちになれます」「涙なしには読めません」そんな素敵なお話なのかと期待を胸に読んだというのに、あとには薄い味のガムを噛まされたような気持ちだけが残った。

どうしてこんな本が売れているのか、という想いのぶつけどころは無く、閑散とした喫茶店の一角で、割りに合わない値段の珈琲を流し込む。流石に珈琲だけで長居は悪かろうと一緒に頼んだハムサンドは、珈琲の二倍の値段がしたのに食うには五分もかからなかった。

面白くなかった本でも、感想を言い交わす相手がいれば少しは気が晴れたのだろう。しかしそんな相手は今の私にはおらず、悶々と世間の流行に対しての疑問を募らせる。

もう会計をしようかと目線を上げと、丁度こちらに向かってきた女給と目があった。いつのまにそばに来てたんだ、と思っている私を他所に、彼女は愛想の良い声色で私に話しかけて来た。

「その本、とっても売れてるそうですね。面白かったですか?」短く切り揃えた髪を揺らしながら、ふっくらとした唇の両端をきゅっと引き上げる。制服であろうモダンなエプロンドレスを身に纏い、元から細い目をさらに細める。それを見た私の心中はというと、なんとも形容しがたい気持ちががむくりと首をもたげ、先ほどまでの悶々とした想いが胸の奥から押し上げられるようだった。

「いやぁね、売れてると聞いたもんだから、どんなもんかと期待して読んだのに、とんだ肩透かしを食らった気分だよ。」

「と、いいますと、面白くなかったのですか?」

「ううん、面白くはあった、と思うんだがね。これはね、なんとも味のしない本なのさ。」

私はこの胸にあるそれが、得意げに口をついて出るのを止められなかった。

「綺麗で、真っ直ぐで、とっても澄んだお話なんだ。でもね、だからか味がしないんだよ。料理だって、しょっぱいだけじゃつまらないだろ?これはしょっぱいだけの料理なのさ。それにね、これを書いた作者はきっと若いんだろう。言葉遣いも今風で、日本語への理解が追いついていない。なんとも奥行きの無い表現ばかりで、書いてあることだけが全部なんだ。」

「なんだ、そうなんですね。皆読んでるもんだから、とってもいい話だとばかり思っていました。」

「必ずしも売れているものがいいものとは限らないさ。この本に関していえば、完全にあの俳優のおかげだね。何と言ったか、尾崎?尾上?」

「私も忘れちゃいました。」

「そういうことさ。つまり、覚えておくほどの事じゃないんだよ。ただの俳優がちょっと宣伝したってだけ。この本はきっと、後世に語り継がれることのないお話だね。」

私は席を立ちあがり外套と杖を手に取る。会計台に向かう女給の背中に「見かけによらず言葉遣いが丁寧なんだね」などと呟いたが、彼女がそれに答えることは無かった。

2行しか書き込まれていない伝票を差し出すと、彼女は「どうして、面白くもない本が売れるん でしょうね」と、独り言のように問いかけてきた。 それに対し私は「うーん...そうだねぇ...」と逡巡する。財布の中の金をまさぐり、手こずりなが らも会計台に1円を出す。 「きっと、時代のせいさ」思いつく限りの適切な言葉を口にしたはずだが、彼女にとってはそうではなかったらしい。意表を突かれたような顔をしたのも束の間、彼女はすぐおかしそうに「え え、きっとそうですね。」と、くすくすと笑いながら答えた。 釣銭を受け取り店を後にした私は、すっかりいい気分になっていた。自宅に帰り、投げ込まれ ていた夕刊を拾って家に入る。夕飯時にはまだ早いが、どうしたものかと考え、とりあえず風呂を沸かすことにした。排気ガスの煤にまみれた体を一刻も早く清めよう。 手に持っていた夕刊を食卓の上に置き、部屋着に着替えに行くとき、夕刊の見出しが目に留まっ た。

私はそれを誰に伝えるでもなく、何となしに口に出す。

「へぇ、新しい年号は昭和というのか」

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