ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ

吟遊蜆

ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ

 強く細かな雨がノイズのように降り注ぐ平日の昼下がり。差した形跡のない白い粉を吹いたビニール傘を手に、濡れそぼった姿で我がオフィスの会議室に現れた自称23歳の女は、面接官である私の目の前で、恐るべき志望動機を語ったのであった。


「《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》番組ってあるじゃないですか?」


 聴取率30%台の番組を語るようなその自信にあふれた声のトーンに、私は「ですね」としか言えなかった。


「わたし、あの《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のパーソナリティーになりたいんです。ここでなれますか?」


 たしかに、当社はアナウンサーが多数所属する芸能事務所であり、私はその採用担当者である。そして私は時にスニーカーを買いに、ABCマートを訪れたこともある。その店内には、いかにも無難なFMっぽい軽薄なノリのラジオが、いやそれでいてどこの局でもやっていないであろう不可思議な番組が、もしかすると流れていたような気がしないでもない。


 つまり彼女がここへ来た動機としてそれは、けっして大きく間違ってはいないのかもしれない。《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のパーソナリティーになりたければ、ABCマート本社を直接尋ねるという方法も考えられるが、靴販売の会社がラジオパーソナリティーをじかに募集しているとは思えない。


「まずはアナウンサーとして様々な番組をやってみて、いろいろと経験を積んでいるうちに、いつの日か《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のオファーが来る、なんてこともかもしれませんね」


 私はややピンポイントすぎる志望動機に戸惑いをおぼえつつも、質問に対しては誠実に言葉を選んで答えた。なぜならば彼女は、圧倒的に美しい容姿と声を持っていたからである。この子は、明らかにアナウンサーに向いている。長年の採用経験により培われた現場の勘が、私にそう告げていた。


 そうなると、むしろ彼女がテレビ各局のアナウンサー試験で採用されていないことが不思議に思えてくる。それくらいの逸材であることに、間違いはない。私は率直にその点について訊いてみた。しかし彼女の回答は、再び私に驚きを与えるものだった。


「そんなの、受けるわけないじゃないですか。だってテレビ局のアナウンサーになったところで、《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のパーソナリティーになれる気が微塵もしないですから」


 よくわからないパーソナリティーが、よくわからないゲストを迎えて、よくわからない曲をかけている。私の中で《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》とはそういうものであったが、彼女がなぜ《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のパーソナリティーにそんなにもなりたがっているのか、私にはさっぱりわからなかった。


 すると今度は、彼女のほうから厳しい質問が飛んできたのだった。


「ではお訊きしますが、貴殿は何年間この業界で働いていらっしゃるのですか?」


「まもなく30年になりますが……」


「30年も業界にいるのに、いまだに《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のエントランスさえ見つけられないなんて、貴殿は30年ものあいだ、いったいどこをほっつき歩いていたというのですか?」


 責められるポイントがあまりに具体的すぎて、私の中には反論すべき言葉が用意されていなかった。もはや無駄だとは思いながらも、私は苦しまぎれに、アナウンサー志望者全体に通じるはずの一般論を持ち出してみることにした。


「そういうことよりもまず、全国放送で有名になりたいとか、日本中に笑顔を届けたいとか、普通はそういう……」


 彼女は私がすべてを言い終わる前に、食い気味で答えはじめた。


「ABCマートは全国にありますよ! つまり《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》は全国区なんです! 笑顔は店員さんが届けてるからいいんです!」


 私の一般論はやはり無駄に終わった。これだけ具体的な人間に、抽象的な一般論など通用するはずがなかった。


 その後も私は彼女に、君のような逸材は、ぜひともテレビ各局を股にかけるアナウンサーとして売り出したいのだと伝えた。しかし彼女は頑として聞き入れなかった。《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》のパーソナリティー以外の仕事は、何ひとつやりたくないのだという。ノーギャラでも構わないから、とにかく《ABCマートの店内でだけ流れてるラジオ》だけをやらせてくれ、と。


 さすがにそこまで一点突破な売り方では事務所の売り上げになるはずもなく、かといって彼女に条件を譲る気配は微塵もなかったため、私はしぶしぶ説得を諦めざるを得なかった。


 会議室を出てゆく彼女の立ち姿は、やはり抜群に美しかった。その美しさを際立たせているのが、自然と履きこなされている真っ赤なハイヒールであった。スニーカーが好きそうなタイプには、とても見えなかった。


 いったん会議室を出かかった彼女が、何かを思い出したように振り返り、バッグの中から名刺を差し出した。もしも気が変わったら、連絡をください。そこに書いてあるインスタのアカウントを見てもらえれば、わたしの仕事に対する情熱がわかっていただけるはずだから。そう言い残して彼女は、踵を鳴らして立ち去ったのだった。


 私はデスクに戻り、早速スマホから彼女のインスタグラムのアカウントにアクセスしてみた。そこには様々な高級ブランド靴に彩られた、彼女自身の足下を捕らえた写真がところ狭しと並んでいた。だがそこにスニーカーは、一足たりとも映り込んではいなかった。

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