第45話 きっとそれは、退屈で、幸福な、繰り返しの時間

 それから俺はずっと本を読み続けていた。


 物語の結末は……俺が想像していたものとは微妙に違っていた。


 主人公が選択したのは、堕落を司る女神だった。主人公に選択された堕落の女神は、そのことを喜び、自身のことを反省し、女神として成長する……みたいな感じだ。


 正直、途中まではどう考えても正しさを司る女神と付き合うと思っていたので、意外だった。


 でもまぁ、主人公の気持ちはわからなくはない。別に里奈と留奈の二人をこの女神と重ねるわけじゃないが……確かに俺が留奈を選択した理由や、自分の気持ちを正確に説明白と言われたら、正直難しいと思う。


 だから、この主人公が堕落を司る女神を選択した理由も、正直、物語を読んでいてもよくわからなかった。それは、小説として説明していないのはどうかと思うが、実際はそうなのだろう。


 でも、この物語の主人公は女神に自分の気持ちを伝えていた。自分が好きなのは堕落を司る女神であること、自分が女神にふさわしい人間かわからないが、一緒にいたいことを。


 じゃあ、俺はどうだろうか……俺は、この物語の主人公のようではない。


 留奈に自分の気持ちを伝えていないし、自分がどうしたいのかも言っていない……それは、このお世辞にもよくできたとは言えない物語の主人公よりも情けない男だということだ。


 だとすれば、俺がしなければいけないことは一つだけである。


 すでにオレンジ色の光が、ホームを染めている。そろそろ、俺が待っている人が、この駅にやってくるはずだ。


 本を閉じると同時に、電車がホームに入ってくる。そして、ゆっくりと音をたてながら、そのまま止まった。


 扉が開く。そして、俺が待っていた人が、電車の中から出てきた。


「あ……昭彦?」


 驚いた顔で留奈はそう言った。そりゃあ、まさか俺がまだ駅のホームにいるとは思っても見なかっただろう。


「え……待ってくれたわけ? いや、でも先に帰っていいって言ったのに……」


「いや、別にいいんだ。俺が待ちたかっただけだし」


 そう言うと留奈は驚いた顔のままだったが、少し嬉しそうに頬を緩める。


「あはは……えっと……何か用事でもあった?」


「ああ、留奈に言いたいことがあったから」


 そう言うと留奈は不思議そうに俺のことを見る。言ってしまってから、俺はこれから言おうとしていることが結構、恥ずかしいことに気づく。だが、今更やめることはできないし、やめるつもりはない。


 しばらくの間俺と留奈の間に沈黙が流れる。ホームには俺たち以外誰もいない。


「……留奈。好きだ」


 その言葉は妙にホームに響いた。そして、反対方向行きとなった電車が再び動き出した。


 電車はそのままホームを去っていった。留奈はずっと俺のことを見ている。


「……フッ……フフッ」


 と、なぜか急に留奈は笑いだしてしまった。予想外の反応に俺は少し困ってしまう。


「え……や、やっぱり、変だったかな……」


 俺がそういうと留奈は首を横にふる。


「ううん。全然。むしろ、とっても……嬉しい……」


 なぜか留奈は急に涙ぐんでしまった。


「え……な、なんで泣いてるんだ……?」


「あ……ううん。その……私……ずっと自信なかったから……」


 そう言ってから留奈は目の端に溜まった涙を拭う。


「……私……ずっと自分のこと、里奈ちゃんと比較してて……里奈ちゃんは別に悪くないってわかってるのに……でも、私は何も里奈ちゃんより良い所がないって思ってたから……昭彦に好きだって言ったあとも……昭彦はほんとに私で良いのか……不安で……」


 そう言ってから留奈は無理に笑顔を作る。


「でも……昭彦に、そう言ってもらえたから……ちょっと安心しちゃった」


 俺は自分で自分が言ったことが、留奈にとってとても重要で、もっと早く言わなくてはいけないことだったことをその時ようやく理解した。


「……そうか。その……ごめん」


「へ? なんで昭彦が謝るの?」


「いや、その……もっと早く、こう言うべきだったな、って……」


 そう言うとまたしても留奈は不思議そうに俺のことを見たあとで、苦笑いして俺のことを見る。


「いいって。今言ってくれたから」


 そう言って笑う留奈。俺はその表情を見ていて……やはり、言葉にしなければいけないことというのはあるのだということを改めて強く感じる。


「……さて。随分待たせちゃったけど……一緒に帰る? それとも……今日は本屋に寄っていったりするの?」


 答えをわかっているうえで留奈はそう聞いてきた。俺は思わず苦笑いしてしまう。


「いや、今日は……留奈と一緒に帰るよ」


 俺がそう言うと留奈は安心したように微笑んだ。そして、俺と留奈はそのままあるき出す。


「あれ? 昭彦……それ、小説?」


 と、留奈は俺が手にしていたあの双子の女神の小説を指差す。


「え? ああ……まぁ、そうだね」


「へぇ……それってどんな話なの?」


 そう言われて俺は少し考え込んでから、少し笑ってしまう。


「え……なんで笑うの?」


「いや……別に笑っちゃうくらい大したことない話だから。ありきたりな話さ」


「へぇ……そうなんだ……」


 そうだ。たとえ神であっても人間であっても、それは帰りの各駅停車の電車で起きるような、ありきたりで、それでいて、当人たちにとってはとても重大な話なのだ。


「……ねぇ、昭彦。明日は一緒に帰れるよね?」


 確認するように俺にそう訊ねる留奈。俺はもちろんだという感じで頷いた。留奈は嬉しそうだった。


 きっと、俺は明日も電車に揺られているのだろう。ただ、それまでと違って、いささか……いや、かなり満たされた気分で。きっと、そんな繰り返しの下校時間が、ずっと続くことを願いながら。

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各駅停車と双子の女神 味噌わさび @NNMM

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