第15話 終

長い間使われていなかったであろう地下道には、湿気とカビの匂いが充満していた。まるで自分をそこに捕らえて一生日光を見させまいとするようなその重苦しい空気の中を、友樹は重い荷物を担いで歩いていく。

途中で並んで歩く小さな気配を感じる。

「…ずっと、見ていたの。」

『はい、この山は、私の家でもありますから。』

ロクサンは白い尾を揺らしながらそう答えた。

『答えは、見つかりましたか。』

「…うん、答えなんて大層なものじゃないけど、方向はわかった気がする。」

『それは何よりです。』

遠くのほうに光が見える。きっと出口だろう。

「ここを出たら、あなたの力も無くなってしまう?」

友樹はそう尋ねる。

『…気づいていましたか。』

「うん、マヨヒガに来てから元の生活のことをよく思い出せなくなったし、あれだけ里に近いのに今まで発見されなかったのも…」

『今回はさすがに守りきれませんでしたがね…。ええ、ここから先は、私の力は殆ど無くなるでしょう。不安ですか。』

友樹はいったん立ち止まる。

「…不安だけど、何とかやってみるよ。マヨヒガが無くなったときの生き方については、これまで4人で何度か話し合ってきたし…それに、」

跪いて、手をロクサンの前に差し出す。

「やりたいこと、あるから。」

ロクサンは目を細めてその手を見つめた後、ふわりとそこに乗った。


休日の昼下がりの公園。穏やかな日差しが降り注ぎ、心地よい風が新緑の木々を揺らす。市街地の中にあって、広大な芝生広場と沢山の遊具を備えたこの公園に、多くの親子連れが訪れて初夏を満喫していた。

池のほとりのベンチに腰掛けて目を閉じていると、ふいに赤ん坊の声が聞こえる。目を開けると、少し離れたところにある大きな木の下で、若い夫婦がベビーカーを引いていた。泣き声に気づいた母親が、優しくその子を抱き上げる。父親は少しぎこちないが、持っていたおもちゃを動かして、なんとかなだめようと奮闘する。そのうちに、一匹のトンボがそ知らぬ顔でおもちゃの先端にとまり、ふっと赤ん坊は微笑んだ。


人は、沢山の人々に祝福されながら、この世に生を受ける。生命は、それ自体が尊い奇跡であり、誕生の瞬間から、誰でも平等に幸せになる権利と力を持っている。社会の一員となった赤ん坊は、立派な大人になること、社会に貢献することを期待されて、周りの人々もそれが本人の幸せだと信じて一生懸命に育てていく。だが、何が自分にとって本当に幸せなのか、それは自分にしかわからない。

自分の幸せは周りの人々の幸せと、必ずしも共存しないかもしれない。それで良いのだ。人は存在するだけで、他を笑顔にし、他に笑顔にされ、他を傷つけ、他に傷つけられる。その循環は命の有無に関係なく、この世界の全ての存在に通じ、誰も逆らうことができない。

もし、他人の目が怖くなったり、他人から否定されるようなことがあったら、自分が生まれてきたときのことを考えよう。幼いころの、世界の色に染まる前の、真っ白な自分の気持ちを思い出そう。自分がどういう人間なのかは、他人ではなく自分が決めるのだ。


友樹はゆっくりとベンチから立ち上がる。肩で居眠りをしていたロクサンは落ちそうになり、慌ててしがみついた。

『…トモキ、もう出発ですか。』

「うん、そろそろこの町からも離れなきゃ。」

青空にいくつも浮かぶ小さめの入道雲を見上げ、軽く背伸びをする。

『次はどこへ行きましょうか。』

「昨日、コミュニティの人から連絡が有って、山岡に放棄された別荘があるらしいんだ。そこに行ってみるよ。」

『ではもう、由布屋のきつねうどん、お別れですね…』

「あはは、向こうにもきっと、まかない付のバイトはあるよ。」

リュックを背負いなおし、駅へ向かう道をゆっくりと歩き出す。これから梅雨になって、その後、また夏が来る。去年の夏、ドキドキしながら少女に声をかけた。あれから色々な物を手に入れて、同時に失ったりしたけれど、どう生きたいか、それが明確になったのは、成長できたと言えるかもしれない。いつかはあの子にもう一度会いたい。その気持ちを大事にしまって、友樹は歩き続けるのだった。


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幸福 @aki0125

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