また一際賑やかに。

 十数分後。



「おや?」



 婆やがお茶や甘い物を持ってやってきた。

 俺とミスティの様子に気が付き、微笑んでいる。



「相変わらず、坊ちゃんは隅に置けませんね」


「……気が付かなかった俺も俺だけど、婆や、知ってて俺を通したでしょ?」


「はい。別に止める必要もなさそうでしたので。先ほども申し上げたように、ミスティ様の護衛の方々も気になさってなかったですからね」



 その言葉には、何となくハミルトンでの夜を思い返してならない。

 俺がミスティとアリスの下に行くのを、妙に押されたときのことだ。



「ですのでお気になさらず。さぁ、暖かいお飲み物をどうぞ」



 これ以上の言及をしても、婆やは何も言わないだろう。

 だから俺は、代わりに気になったことを口にする。

 それは、今日まで何度も興味を抱くも、あまり詳しく聞こうとしなかった話だ。



「あのさ婆や、」



 こうなると、その話を優先したくなってしまう。

 手を付けかけていた仕事のことは、もうほっぽり出すことに決める。



「ちょっと話がしたいんだけど、いい?」


「大丈夫ですよ。それで、どうなさいましたか?」


「……答え辛かったら別にいいんだけど。あ、その前に、もしかしたら長くなるかもしれないから、婆やも座ってよ」



 きょとんとした婆やだったが、婆やはすぐにソファに座った。

 座ったのは俺の対面で、俺とミスティを見てくすっと微笑んでいた。



「話ってのは、婆やが見てるミスティのことなんだ」



 婆やがまばたきを繰り返しながら俺を見る。

 それは、どういう感情の下での振る舞いなのだろう?

 分からないが、俺は繰り返す。



「不躾すぎるかなって思ってずっと聞いてこなかったんだけど、婆やとミスティの昔のことを、ちょっと聞きたいなって思って」


「……なるほど、そういうことでしたか」



 婆やは少し迷っていた。

 それはまばたきを繰り返したときと違い、容易に分かった。

 静寂が、十数秒の間に渡って俺たちの間で交わされる。



 その婆やは、ミスティの様子を強く確認していた。



「ミスティ様が得意な空寝ではなさそうですね。……では、少しだけお話いたしましょうか」



 ミスティが空寝を得意としている何て初耳だ。

 けど、そんなことより俺は、つづけて語られる内容にばかり気を取られていた。



「坊ちゃんもご存じの通り、私はミスティ様に魔法を教えておりました。ですので、いわば私は魔法の師ということになりましょう」


「確か、俺が小さかった頃も時々、帝都に行ってたよね?」


「よくお覚えですね。確かに私は屋敷を空けて帝都に――――いえ、帝城に出向き、ミスティ様の下を訪ねておりました」



 俺が気になるのは、それからの話とそのきっかけだ。

 婆やがミスティの下を離れることになったこと。そして、婆やがミスティに魔法を教えることになったこの二つ。




「ミスティのためだけに、ってことかな」



 婆やが頷く。帝都に出向いた理由は確定だ。

 では、理由ときっかけが気になる。



「単刀直入に聞きたいんだけど、ミスティに魔法を教えるようになった理由って?」


「……何と申しましょうか」



 今一度迷った婆やが、困った様子で苦笑い。

 彼女にしては珍しく言葉を選んでいるようで、それから少し、沈黙を交えながら時に「どうしましょう……」などと口にしていた。



「お教え出来る範囲で、ということでお許しいただけますでしょうか?」



 皇族に魔法を教えるということは、それなりに機密が多いのだろうか。

 でも、思えばわからないでもなかった。

 魔法の師からしてみれば、弟子の弱点を知ってるも同然。その弱点が第三皇女の弱点なら、言える範囲が限られるというのも理解できる。



 だが実のところ、他の理由がある気もした。

 何故なら、婆やとミスティが再会したときのことが関わってくる。

 二人の別れ方はおおよそ、円満なそれではなかった気がしたから。




(考えるのはもっと話が進んでからでもいいか)



 下手な邪推は避けるためにも、俺は密かに気持ちを入れ替える。



「ああ、わかった」



 だから俺はしばらくの間をおいて、婆やの願いに応じた。

 すると婆やは、少しずつ過去の話を口にしはじめる。



「結論から申し上げますと、私は皇帝陛下との約束を順守していたのです。ミスティ様は特に才能に恵まれたお方でしたから、私が師となり魔法を教えるということを」


「え? 皇帝陛下と?」


「はい。ですが誤解のないように申し上げますと、私はそのためだけにミスティ様の傍に居たわけではございません。個人的にもミスティ様の人となりは素晴らしいと思っておりましたし、幼い頃、今より孤独だったミスティ様に寄り添いたいと思っていたのも事実です」



 ミスティの身体が僅かにみじろいだ。

 それを見て、婆やが優しく笑む。

 空寝に違いはないようだが、婆やはミスティの仕草を微笑ましく思っているようだ。



「どうして婆やが、皇帝陛下ほどの方と約束を?」


「申し訳ありませんが、それは秘密です」



 くすっと笑い、でも申し訳なさそうに言った婆や。



「もう少しだけでいいから! それじゃ気になってしょうがないって!」


「……では、お伝えできる限界まで、もう少しだけですよ」



 婆やはつづけて言う。



「しかしそれをお伝えするには、私の過去にも触れなければなりません。少し長くなりますが、よろしいですか?」


「あ、ああ……よければ、是非教えてほしい」


「かしこまりました。それでは少し、昔話をいたしましょうか」



 婆やがこほん、と咳払いをする。

 そして、俺が聞いたことのない話を語りだす。



「私は帝都の貧民街で生まれ、物心ついた頃には、ゴミに混じった僅かな食糧に頼る日々を送っておりました」



 最初から重い話を前に、俺は唖然としながら耳を傾ける。



「その日々が終わったのは、アルバート様のお父君のおかげなのです。つまり先代のハミルトン子爵ですが、あのお方は先代のローゼンタール公爵と共に貧民街の改善に取り組まれました」


「……ああ」


「孤児のほとんどは里親を見つけることができました。しかし私は見つけられず、最終的に先代のハミルトン子爵に引き取っていただいたのです。当時のハミルトン家は帝都にも屋敷を構えておりましたから、私はそこで、アルバート様にお仕えすることになりました」



 ということは、父上と婆やは幼い頃からの仲ということだ。

 道理で仲がよくて、互いに遠慮のない間柄だったのだろう。



「ですが、私は恩返しがしたかった。だから先代のハミルトン子爵に頼み込み、更なる奉公をするために多くのことを試しました。その際、私が魔法の才に恵まれていたことが分かったのです」



 婆やが間を置く。

 喉が渇いたようだったので、俺のためだった茶を婆やに飲んでもらう。

 婆やは「すみません」と言い、つづきを口にする。



「それから私は多くを学び研鑽を積み、魔法の腕を磨きました。――――そしていつの日か、先代のハミルトン子爵を通じて、私に皇帝陛下からお声が掛かりました」



 しかしハミルトン子爵は断ったそうだ。

 理由は分からない。

 その理由を婆やが意図的に語らなかったから。

 だが、婆やは承諾したのだとか。



「私はどうしても恩返しがしたかったので、お受けすることと致しました。……当時の仕事はとても大変で、日々、心を削りながらの暮らしだったことを覚えています。ですがこれで、救ってくれた皆様へと少しでも恩返しになれば、と考えれば頑張れました」



 すると婆やが、思い出したように言う。



「念のために申し上げますと、妾ではありませんよ?」


「良かった。一瞬それかと思って心が痛んだよ」


「ご安心ください。皇帝陛下は妾をお一人も作ったことはありません。常に王妃様方にだけ、その寵愛を下賜しておいでですので」



 では、やはり魔法の腕を買っての仕事だ。

 しかし心を削りながらの仕事というのが気になる。

 だがそれも、婆やが口にする様子はなかった。



「――――そうした日々を過ごす間に、私は仕事に慣れました。おかげで心は嫌でも落ち着き、日々の暮らしに余裕を持てるようになりました。……ガルディア戦争が勃発したのは、その頃のことです」


「……まさか婆やも戦争に?」


「ええ。とはいえ戦うことは滅多にございません。あくまでも皇帝陛下のお傍に居ましたから」



 それにしても、だ。

 俺はまた唖然としてしまう。



「ただ、あの戦争の凄惨さを語るのはやめておきましょう。私は幸いにも、無事に祖国へ戻ることができました。ああ、これからまた忙しくなる。戦後処理に追われるシエスタを見ながら、私はそう確信しました。忙しない日々がやってくるのだろう……と」



 が、そこで転換点があった。



「ですが、戦後のある日のことでした」



 婆やの目が変わった。

 冷淡且つ迫力のある、俺が見たことのない鋭い目に。



「私はある事をきっかけに、皇帝陛下に――――シエスタに仕える気持ちが、すべて消えてしまったのです」


「――――え?」


「大恩を返すべく全身全霊を賭して仕えていたというのに、すべてです。私はその日のうちに皇帝陛下の下へ出向き、職務をまっとうできないと告げました」



 が、許されなかったという。

 婆やの仕事はそれほどに重要なもので、皇帝はがんとして頷かなかったそうだ。

 しかし、婆やも婆やで諦めずに直訴をつづけた。



「最終的に、私は期間限定ではありますが、生まれて間もなかったミスティ様の師となることが決まりました。加えてハミルトン家を離れず、他国に渡ることも禁ずる、と。勿論、携わった仕事を語ることも許されておりません」


「…………」


「ただ私は、元よりアルバート様から離れるつもりはありませんでした。ですが当時、アルバート様はまだ帝都を離れられなかったのです。それでもアルバート様は私の気持ちを汲んでくださり、遠く離れた辺境都市、ハミルトンの屋敷に行くように仰ってくださいました」



 婆やはさらっと口にしたけど、それはつまり、父上が婆やと皇帝の間に何があったのかを知っているということだ。

 また、父上もその時には帝都を離れようとしていた、とも取れる。



(無関係じゃなさそうだな)



 父上が帝都に苦手意識を持ち、特に帝城には絶対に入ろうとしないことが。

 また、バルバトスの策により父上が拘束され、開放された際、ラドラムが匂わせたことも。



(婆やと皇帝の間だけじゃない。父上と皇帝の間にも、何かがあったんだ)



 だから二人は帝都を離れ、辺境都市で暮らしていた。

 それが奇縁により、いまは港町フォリナーに居る。



「――――唯一の救いは、ミスティ様が仲良くしてくださったことでしょうか」



 婆やは何度も念を押していた。

 ミスティとの間に煩わしいことは一切なく、むしろ、救われていたのだと。

 だから個人的にミスティに思うことはなくて、それはもう好ましく思っている、とも。



 それは本当に沈痛な声音だった。



 だが、婆やはハミルトン家に仕えていた。

 優先すべき立場があり、彼女にもゆずれないものがあった。

 期間限定の師が終わってからも何度かミスティに会いに行こうと思い、父上に頼んだこともあった。

 父上は快諾してくれたようだけど、最後には勇気が持てなかった。



 帝都に行くたびに心を傷めるのも辛く、一歩を踏み出せなかったと言う。



「ミスティ様との時間はいつも賑やかでしたよ。ミスティ様は物覚えがよく、素直で、頑張り屋で、失敗したらよく泣いてしまう子でしたからね。……そう言う意味では、坊ちゃんより手が掛かる子でした」



 最後にそう口にした婆やは、ミスティとの時間に一切の悔いは覚えていないようだ。

 ただ一つ、俺に語ろうとしない一つの出来事が。

 皇帝に愛想を尽かしたきっかけだけが……。



(父上と婆やは何があって、皇帝と袂を分かったんだろう)



 気になるけど、これ以上はよそう。

 せっかく婆やが限界まで話してくれたのに、更に押してはその厚意に背く。



「んぅ……」



 俺は隣で寝言を漏らしたミスティを見て、おもむろに彼女の鼻に手を伸ばす。

 軽く鼻先を突いてみれば、彼女はくすぐったそうに身をよじった。

 彼女はそのついでに、俺の太ももに顔を寄せて身体を丸めた。



 少し寒いのかもしれない。

 俺が着ていたジャケットを掛けてあげると、満足したのか彼女の身体から力が抜けていく。



(帝剣だっけか)



 最初はミスティから聞き、次はリバーヴェル人のリリィから。

 それは皇帝直属の暗部であり、特別な力を持った者たちのことだ。

 もし、もしも婆やがその所属だったのだとすれば――――。



(まさか、だけどさ)



 半信半疑ではあるが、俺はそれを一蹴できない気がした。



 ――――それから数十分後、ミスティがやっと目を覚ました。

 俺と婆やがとりとめのない世間話に花を咲かせていたところで、急にだ。

 そのミスティは状況が分からず、情けない声を上げる。

 特に俺の服を摘まんで眠っていた状況に対し、顔を真っ赤に染めて慌てていたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 それは、夕食を終えた後のことだった。



「たのもー!」



 遅めの時間に帰ってきたアリスが、妙なことを口走った。



「……ちょい、こっち来て」



 そのアリスは俺の部屋を尋ねたばかりなのだが、俺は熱でもあるのかと思って隣に手招く。

 素直にやってきたアリスと額を重ねるが、何ともない。外の寒さで冷えてたくらいだ。

 すると、アリスはまばたきを繰り返して硬直してしまう。

 そのことに対し、俺が急なことをしたな――――と申し訳なく思っていると、



「グレン様」



 俺の名のを呼んだのは、アリスと共にやってきたリリィだ。

 で、どうして二人が一緒に?

 疑問に思った俺の前で、リリィがちょこん、とつま先立ちになっている。



「念のために、私も確かめていただけますか?」


「いや、リリィは何ともなさそうだけど」


「いいえ。もしかすると熱があるかもしれませんわ」



 その言い草は明らかにないときのそれだ。

 だがリリィは引こうとせず、俺の傍を離れない。

 諦めた俺が額を重ねてみれば、やっぱり何ともなかった。



「いかがです?」



 彼女の吐息が俺の唇にかかった。

 こうしていると、リベリナでの別れ際のことが思い出される。



「……なんともないよ」



 と言い、俺は額を離す。



「ふふっ、なら良かったですわ」



 今更だけど、立てつづけの振る舞いが、まるで女性を侍らせる男に見えてどうかと思った。

 ………とはいえ、傍から見れば今更なのかもしれない。

 傍には前々からアリスとミスティが居たから、誰かに「前からそうだっただろ!」と言われてしまえば、返す言葉が思い浮かばなかったから。



 それはどうなんだ、と密かに自問して間もなく。

 二人がこの時間まで帰ってこなかった理由を聞こうと思った。



「あのさ、こんな時間まで制服姿でどこに行ってたのさ?」


「実はアリス様には、私の家まで案内していただいていたのです」


「え、もう家を買ったの?」


「いいえ、やはり借りることにしましたの」



 ようは賃貸契約だろう。



「その家が決まったのは今朝だったのですが、場所が分からず困っておりました。それを、学園で偶然出会ったアリス様にお話してみたところ、私に案内してくださることになったのです」


「こほん。そういう感じで、ちょっと遅くなっちゃいました!」



 アリスは案内のついでに、フォリナーで家具や食器などの日用品を買うのにも付き合ったのだとか。それにミスティが居なかった理由だが、ミスティは学園で用事があったため別行動をしていたとのこと。

 道理でミスティだけうちの屋敷に居て、疲れた様子で眠っていたのだ。



(だから泊まるって話になってたんだな)



 というわけで、ミスティはアリスの部屋にお泊りをするという話だ。



「てか、いつの間に仲良くなってたのさ」



 素直な疑問を口にすると、二人は顔を見合わせて苦笑い。

 何処か言い辛そうに、少しずつ語り出す。



「た、たはは……色々と共通点があり過ぎたのとか……その……色々と……」


「……お恥ずかしい話ですが、私も友人がいたことないのです……。どうやらアリス様とミスティ様も同じらしく、波長が合うのも合いまして……」


「他にも、やんごとなき事情と言うか……言い辛い話があると言いますか……」



 妙に歯切れが悪い言葉を聞きながら、俺は「えっと?」と声を漏らす。



「もーっ! あまり気にしないでくださいっ! 私たちにも事情があるんですっ!」



 アリスが俺の右腕を掴み、何故か強い口調で言った。

 すると今度は、



「はい……っ! なのであまり、お尋ねにならないでくださいまし……っ!」



 左腕をリリィが掴む。

 二人は同じように俺を見上げ、同じように腕をぎゅっと身体を寄せてきた。

 何やら語気の強い二人は、俺が次の言葉を口にしようとすれば必ず口を挟み、妙な協力関係を以て俺のことを抑えにかかった。



「どうしたの? さっきから賑やか――――で――――」



 こうしていたら、半開きになっていた扉からミスティが顔を覗かせた。

 そして俺たちの様子を見てまばたきを繰り返し、やがて、扉を開けて中に入る。

 ミスティはややため息交じりの声で、



「……何をしているのよ、あなたたちは」



 と、若干呆れた声で呟いたのである。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る