グレスデンの事情、など。

 旺盛な足取りで距離を詰めていたリムエルの足が、不意にピタッと止まった。

 あの男の目は、俺の隣にいるミハエラに向けられていた。

 その表情に目を凝らすと、魚のように口をパクパクさせている。



「こないな」



 立ち止ったままのリムエルに対し、今度はこちらから。

 ミハエラはリムエル以上に旺盛な足取りで進み、俺はと言えば、その後ろをついていった。



 一瞬、リムエルはこの場を立ち去ろうとした。

 けど躊躇った。恐らく相手がミハエラで、俺に対しての態度と違い無礼に当たると思ったからだろう。

 だけど、わからない。

 どうしてあいつは、ミハエラをみてあんな反応をしているんだろうか。



「お前、我が国に留学していたのか」



 何やら顔見知りのようだ。

 俺は思わず口を閉じる。



「え、ええ……そうです……」


「久しぶりだな。もう五年になるか?」



 やはり顔見知りならしく、しかもミハエラの方が偉そうだ。

 いや、まぁ実際に偉いのだけど。

 何かこう、リムエルからはミハエラに逆らえそうな気配が感じられない。

 父上や俺に向けていた強気の態度は、もはや見る影もなかった。



「ミハエラ殿下に置かれましては――――」


「そういうのはいらん! それに我は元・殿下である!」



 ずいっ、と。

 ミハエラが大股の一歩を踏み出し、マントを翻す。



「ところで、お前は何やらハミルトン家に頼みごとをしているんだとか」


「……それが何か?」


「もっと言わなければわからんか? この忙しい時期に邪魔をしては申し訳ないだろう、ということを我は言っているのだが」


「ッ……知ってます! でも――――ッ」


「わかってるわかってる。理由は我にも察しは付くが、目につくようだから声を掛けたまでだ」


「目につく……ですって?」


「ああ。そちらの立場は尊重するが、やりすぎた振る舞いは無視できん」



 すると、リムエルの目が変わった。

 これまではミハエラに恐れをなすまでではなくとも、遠慮がちで、強気に出られていなかったというのに。

 今度は僅かながら敵意を孕ませ、ミハエラとの距離を詰めた。



「何を偉そうに言ってるのよッ! あの子、、、が悩んでいるのは、あんたたちのせいじゃないッ!」


「む?」


「知らないとは言わせないわよッ! レオメルが急激に軍務に予算を投入したこと……そのせいで、私たちグレスデンとの交易姿勢も変わり、私たちが困窮してることは知ってるでしょ!?」



 ミハエラは今一度「む?」と呟き眉をひそめた。

 ついでに、腕を組み小首をかしげる。



「すまんが、よくわからん。レオメルと何かあったのか? 我はてっきり、お前はグレスデン本島に居る、お前の想い人のために外貨を稼ごうとしてたのかと考えていたが」


「それだけなわけないじゃないッ! ッ……どこまで私たちをコケにすれば気が済むのよ! ええ、わかってるわ! 私だって、自分でどうにかで出来ない国力のせいだって知ってる! だけど、今回の件はアンタたちも関わってるって、しっかりレオメルから聞いてるのよッ!」



 ところで、一番状況を分かってないのは俺だと思う。

 そもそもミハエラとリムエルの関係も知らないし、そのリムエルが急に激怒し、ミハエラに対して不遜な態度を採りはじめた理由もさっぱりだ。



 勿論、ミハエラだって首を傾げたままである。



「あの、俺に決闘を申し込んだのは?」



 だから俺は思わず口を開き、気になったことを口にしてしまう。



「私がグレスデンの者として、外貨を稼ぎたくて一枚噛みたかったのは事実よ。一日でも早く、あの子に良い話を運びたかったからに決まってるじゃない」



 それで決闘を挑んでどうするというのだ。

 唖然としていたら、



「グレスデンには決闘の文化があってだな。正統なものとなれば、命を懸けて相手に言うことを利かせることもあるとかないとか」




 ミハエラが唐突に耳打ちをしてきた。

 なんというか、あって不思議じゃないから違和感はないけど………。

 物騒なことこの上ないなぁ……。



(で、)




 かと言って、俺はそのあの子、、、とやらも知らないんだ。

 察するに噂の想い人だろうけど、すると、話が戻ってくる。

 シエスタがレオメルと何かしたせいで、グレスデンがそのしわ寄せを喰ったという話だ。



「……今日はもういいわ。興が削がれたから、またにしましょ」




 結局、ミハエラが言ったような解決は認められなかった。

 リムエルは共を連れてこの場を後にして、俺とミハエラは互いを見合って黙りこくる。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 俺の提案で、ミハエラを連れてローゼンタール邸に向かった。

 仕事で居なければそれまでと思っていたけど、幸い、ラドラムは屋敷に居た。



「というわけだ。教えろ」



 と、ミハエラが偉そうに言う。

 すると、俺たちを応接間に通したラドラムが苦笑して言う。



「あの、何をですか?」


「お前のことだ。リムエル・フェッセンのことは全部頭に入ってるだろ? あいつが口にしていたことだ」


「な、なるほど……彼が何を口にしていたか存じ上げませんけど……」



 当然の疑問を口にしたラドラムがつづける。



「フェッセン家と言うとあれでしたっけ。以前、ミハエラ様が拿捕した海賊たちが住んでいた島の、根の守でしたっけ」


「うむ! 当時、我に文句を言われて委縮していたあのフェッセン家だッ!」



 なるほど、合点が言った。

 ミハエラが海賊対処をしていた話は聞いている。

 どうやらあの男とこの女傑は、こうした外交的な話もあって顔をあわせたことがあるらしい。

 そこでミハエラが凄んだのだろう。

 リムエルが最初、あんな態度だった理由も良く分かった。



「だから、我に教えるのだ!」


「……グレン君、助けてくれない?」



 ラドラムに頼られるなんて、すごいいい気分だ。

 仕方ないから手を貸そう。



「ミハエラ様。さっき何があったのか、もう少し説明した方がいいと思います」


「ふむ、レンがそう言うのなら仕方ない。よく聞け、件のリムエル・フェッセンだが――――」



 口にするのはあの男が口にしていた事のすべてだ。

 特に、レオメルがシエスタのせいで軍務強化に勤しんでいるという件を強調し、グレスデンの現状に至っても強く言い聞かせた。



「というわけだ。お前のことだし、何か知ってるだろう?」


「え、ええ……最初から今の話をしていただけたら、僕としても懇切丁寧にご説明したのですけどね……」


「いま説明したのだから同じことだろうに。で、どうなのだ?」



 さすがのラドラムもその勢いに負け、皮肉を口にすることを止めた。



「確定ではありませんが、心当たりはありますよ。レオメルでは最近、大きな事故がありましたからね」


「アンガルダのことか? その事故以来、時堕の姿が見えないと聞いたが」


「それですね。アンガルダはただでさえ大都市ですから、そこの襲撃騒動に加え、時堕に何かあったからと考えるのが妥当かと。シエスタがそれを仕組んだとレオメルが思い込み、先の七国会談で情報共有をした。こう考えるのが筋ですよね」


「ほう! 何ともはた迷惑な話だな!」


「また、こうした事態のためレオメルが軍務に予算を投じた。その結果として、これまで行われていたグレスデンとの交易にも影響が出てしまい、グレスデンの中で危機感が高まった……のかもしれませんね。多分」



 語るラドラムの様子はいつものラドラムだった。

 ただ、普段情報を口にする彼と違い、今回は面倒くさそうな表情を浮かべている。

 どうやら、あまり興味がないらしい。

 昨今はシエスタも忙しく、言いがかりに対応する気もないみたいだ。



「ちなみにミハエラ様はどうされたいとお考えですか? あまりにも目につくようでしたら、私の方でどうとでもしておきますが」



 やっぱり面倒らしい。

 いつになくラドラムの対応が雑だ。



「我は構わん! 我は、あの程度の不敬に眉をひそめるほど小物ではないからな! お前だって、平民に不敬な態度をされたところで、首を落とせ! などと命令はしないだろ?」


「しませんね。面倒ですし無視しますよ。昔の貴族じゃありませんし、そんなことをすれば民の不満を買って審判に掛けられてしまいます」


「うむ、そういうことだ。というわけで我は気にしておらん……が、ハミルトン家に迷惑を掛けられすぎてもかなわん。我、剣鬼はまだ怖いからな。だから先日の詫びとして、その件に我が手を貸すと言ったのだが」



 素直でよろしい。息子の前で言うのはどうかと思うが。



「同感です。アルバート殿は怖いですよね。怒ったときなんて、特に」


「む? 怒らせたことがあるのか? よく首と胴体が繋がっているな」


「温情ですよ。――――さて、それではどうしましょうか。フェッセン家へ連絡を取ってもいいですが、聞けば、例のご子息もそれだけでは手を出してきそうですが」


「我もそう思ったのだ。だからこそ、奴の想い人に声を掛けてるところであるぞ。ハミルトン家に協力するといった話のことが、このことだ」


「……え? リムエル・フェッセンの想い人にですか? あの、本気です? 嘘って言ってくれた方が僕の気持ちが楽になるんですけど」



 凄く珍しい姿だ。

 唖然としたり、ハッとして詰め寄ったり、今日のラドラムは忙しない。

 傍から見てると良い光景である。



「本気だとも! 我はその想い人とも、言葉を交わしたことがあるからなッ!」


「ええ……安易に国賓、、を呼ぼうとしないでくださいよ……また面倒な……」


「そうか? どうせならついでに話せばいいだろうに」


「ああ、合点がいきました。ついでにレオメルとの件で誤解も解き、その他必要な話もしてしまえばってことですか」


「その通りだとも。いくら我とて、考えなしにそうは動かんとも」



 内容は良く分からないけど、最後の言葉には同意しかねる。

 お前、割と考えなしに動いたせいで父上に謝ったじゃないか。

 などと思ったけど、意外とラドラムが違和感を覚えていなかった。



「あ、グレン君」



 俺がそれらのことを考えていたのを察してか、ラドラムは苦笑いを浮かべて語り掛けてきた。



「ミハエラ様は頭のいいお方だよ。偶に暴走するけど、ちゃーんと筋が通った理由があって、暴走に比例した成果を出すお方なんだ」


「はっはっは! そう煽てるな!」


「てなわけだから、まぁ……大丈夫だと思うんだよね」



 最期は語尾に多分、とついてもおかしくない微妙な声色だった。

 でも、ラドラムがこう言うのなら嘘じゃないと思う。

 この男も似たようなところがあるし、俺だって慣れたもんさ。



「じゃあ、細かいところはお任せします。というか国賓って言葉も聞こえましたし、俺が口を出す問題じゃなさそうですからね」


「すまないな。フェッセン家の倅のことだが、あの様子ではしばらく手を出してこないだろうから、もう少し時間をくれ」


「わかりました。こっちも言うほど困ってるわけじゃないので、あまりお気になさらず」



 そうはいったものの、一つ聞いておかなければいけないことがある。

 リムエル・フェッセンの、想い人についてだ。



「ちなみに、あの男の想い人って言うのはそんなにすごい人なんですか?」



 元・皇女であるとはいえ、ミハエラが簡単に連絡をとるあたり判断がしづらい。

 でもこのミハエラだし……という考えもあって更に良く分からなかった。



「我が教えても構わんな?」


「はい。どうぞ」



 二人は目の前で確認してみせた。

 そして、ミハエラが俺に告げるのだ。



「リムエル・フェッセンの想い人はだな――――」



 つづく言葉を聞いて、俺はふさわしい言葉が見当たらなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 屋敷に帰ってからはもう力尽きそうだった。

 ああ……今日も色々なことがあった。



 もう、帰りたい。

 いや、もう帰ってた。



 心身ともに疲れた俺は頬を強く叩くと、残された気合を込めて広間に向かった。

 そこで聞いた話を整理しつつ、銀月大祭関連の仕事を少し片づけたい。

 そうだ。婆やに甘い物を作ってもらおう。

 心に決めたところで、俺は広間につづく扉の前に立つ者たちを見た。



「申し訳ありません。ハミルトン子爵にも、どうかよろしくお伝えいただければと……」


「いいえ、どうかお気になさらずに」



 俺はそこへ近づいて話しかける。



「ただいま、婆や。それに――――ミスティの騎士さん?」


「お帰りなさいませ、坊ちゃん」


「これはグレン様……お久しぶりでございます――――っとと、申し訳ありません! 私はそろそろ城に戻らなければなりませんので!」



 よくミスティの傍に居る女性の騎士だ。

 彼女は丁寧に頭まで下げてくれたが、慌てて屋敷を出て言ってしまう。

 どうしたんだろう? もしかして、ミスティに関係する話のために帝都からきて、また大慌てで帝都に戻ったところだろうか。



 それだったら、もっと労いたいところだ。

 でももう彼女はいないから、俺はその背を見送ってから婆やを見た。



「広間で仕事したいんだけど、甘い物とか持ってきてほしいんだ」


「承知いたしました。あ、中はお気になさらずお使いください。先ほどの騎士の方も、そのようなご様子でしたのでお気になさらず」


「……ん?」


「では、すぐにお持ちしますので中でお待ちくださいませ」



 良く分からないまま、でも疲れてた俺はあまり気にせず広間に入った。

 豪奢な広間に敷き詰められた分厚い絨毯を歩き、窓際に置かれたソファに近づく。

 ……きっと、いつもなら気が付けた。

 今日は疲れ切って油断していたからだ、と誰に言うでもなく俺は言い訳する。



「なるほど」



 そこにはミスティが居たのだ。

 しかも、寝ている。



「すー……すー……」



 ミスティは規則正しい寝息を立て、クッションを枕に身体をくの字に眠っていた。

 その姿を見た俺は、座りかけていた腰を動かしソファを離れようとした。

 しかし、どうにも身体が言うことを聞かない。



 振り向いてみれば、ミスティの片手が俺のシャツの裾を摘まんでいる。



「……んぅ……」


(ま、いっか)



 ミスティの寝言を聞いた俺は、結局、仕方なくソファに腰を下ろす。

 眠ったままのミスティは俺のシャツを摘まんだまま、引きつづき規則正しい寝息を立てていた。

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