ちょっとしたはじまりの予感。
翌朝、父上とラドラムが俺の部屋に足を運んだ。
二人は会談がどうなったか、とか。周辺諸国の状況はこうなっていて……など。
言ってしまえば当たり障りのない話を俺に聞かせると、勝手にルームサービスを頼み朝食を楽しみはじめた。意味が分からない。
でも俺の分も頼んでくれていたから、不満は飲み込むことにした。
美味い。朝からラドラムの顔を見たことを抜かせば最高の気分だ。
「あ、そう言えばグレン君さ」
「ごちそうさまでした」
「ちょっとちょっと! なんでそう邪見にするかな!?」
「…………本能です」
「なんだいそれ? まぁいいけど……それで、昨日は珍しい人と昼食を楽しんでたって聞いたけど、本当かい?」
それみたことか。
この男がただ食事をしに来るわけがないのだ。
「友人ですよ」
「へぇー……友人かぁー……とても高貴な身分のお方だけど、そんな人を友人にしちゃうなんてグレン君はさすがだね!」
「む!? お、おい! どういうことだ!?」
そして父上を連れて来た理由も決まってる。この男はこうした方が面白いと思っていただけ。ただそれだけだ。
「ラドラム様、どこでその話を聞かれたんですか?」
「風の噂で。それで、彼女と本当に友達になったのかい?」
「――――ええ。だと思いますよ」
こうなってしまうと観念せざるを得ない。
ソファから立ち上がりかけていた俺は座り直すと、深々とため息をついてグラスを手に取る。継がれていた冷たい水を飲み干すと、更に深くため息をついた。
「喧嘩したって言ってなかったかい?」
「ええ。仲直りしたってことです」
「む……まさかグレン。その女性とやらはあのオヴェリア・ロータス嬢ではあるまいな? 先日、ラドラム殿から少し聞いたぞ! グレンが偶然にも出会い、ひと悶着あったとか」
「それなら、俺の髪と目の色が気に入らなかったらしいですよ」
「なるほどな……そういうことだったのか」
父上はガルディアという国の名前を口にせず、しり込みした様子で背中を丸めた。
「けど、僕が頼んだ仕事ならもう気にしないでいいのに」
「意識して接触したわけじゃないですよ。偶然接触できたってだけです。ただそれでも、興味はあるのでまた会ってみようと思ってますが」
「ふぅん……綺麗な子だもんね、しょうがないか」
「二度寝して来てもいいですか?」
「冗談だよ、冗談。――――助かるよ。なんだかんだ、知れる情報は多いに越したことはないからね。リジェル殿が僕に教えてくれてないことが、なんてことのない会話からわかることもあるだろうし」
「だがグレン、危険な真似はするんじゃないぞ」
「分かってます。ちょっと調べてみるだけですから」
あくまでもその主語はラドラムとリジェルの周りだ。
だから、きっと安全なはず。
(まだ調べておいたほうがいいしなー……)
昨夜は多くの情報を選られたが、ラドラムが俺を遠ざけた決定打が足りていない。昨日聞いた限りでは、俺にわざわざあんなことを言う必要がないのだ。
俺はその理由が知りたい。
ただ危険なのか、別の理由なのか。
いずれにせよ、無視することは出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇
今日も今日とて俺はソロだ。
アリスとミスティの二人は会談の場に行ってしまったから、意図せず一人の時間となってしまったのである。
ちなみに今日の俺の予定は夜まで何もない。
日中から動くことは避けたいという大前提と、そもそもあの二人を調べるのに向いていないからどうしようもなかった。
つまり、本当に暇である。
暇を持て余し過ぎてやることがない。
どうしもんかと迷った俺は、観光でもするか……と呟いた。
さっさと着替えをして軽く身だしなみを整えつつ、窓の外に広がるリベリナの景色に目を向ける。ついでだし、今日はレギルタス同盟の大使館の近くにでも行ってみよう。
「よしっ」
部屋を出て鍵を閉めると、廊下を歩いて昇降機の方へ向かった。
昇降機の扉の前に立ってボタンを押せば、一つ下の階からこちらに向かってくる。どうやらちょうど上に来るタイミングだったらしい。待ち時間が短くて悪くない。
昇降機の扉が開かれたのは十数秒後のことだった。
「――――あら?」
中に居た客はリリィだけだった。
彼女は涼し気なノースリーブのタートルネックを着こなし、これまでと違うラフな格好で俺の前に現れた。
「グレン様をお迎えに上がったのですが、ご用事でしたか?」
「暇だから観光でもしようかなって思って。それで、俺を迎えにきたってのは?」
「ふふっ、どうやらいいタイミングだったみたいですわ。お話は中で致しましょう」
俺はリリィに誘われるまま昇降機の中に入った。
ここには彼女しかいなかったからか、彼女から漂う花の香りで満たされていた。まるで脳を強制的に溶かす麻薬のようだった。
「リベリアの外にある森まで遠乗りしますの。よければご一緒と思ったのですが、いかがでしょう?」
「また急だね。どうして森に?」
「実は、お兄様が昨夜宿に戻ってから、私にお教えくださったことがありまして」
何でもリベリナを出て数十分の森で、先日の狼に似た魔物の目撃情報があったそうだ。
それがリジェルからリリィに告げられた際、可能であれば様子を見てくれとも頼まれたらしく、リリィは上機嫌に頷いたという経緯だったらしい。
「見つけたらどうするのさ」
「倒しますわよ」
「その格好で戦うってこと?」
「いけませんか……?」
「いけないってことはないけど、折角の服が汚れたらもったいないような」
「平気ですわ。だって、汚れませんもの」
自信を裏付ける実力があることは俺も知っている。
先日より気軽に行こうとしてるのを見れば、目撃情報があった魔物たちと言うのも、先日ほど強力でないか、数が少ないのかもしれない。
それなら俺も気負うことなく同行できる。
「今の俺って割とピクニック気分だから気を引き締めとくよ」
「残念。どうせならお料理を作ってくればよかったかしら」
「え……?」
「え、ってなんですの? 私だって簡単な料理くらいできますわ。できないと、何かあったときに大変ではありませんか」
「あー、一人で遠出するときとかもあるからか」
「そうです! もう……機会があったら、絶対に味見していただきますからね」
「毒は――――」
「もちろん、グレン様の心がけ次第です」
俺とリリィは互いの顔を見て笑いあうと、一階に到着した昇降機から出た。
リベリナの町に繰り出してからは、リリィの案内に従うまま、馬を借りて町中を飛び出していったのである。
◇ ◇ ◇ ◇
思えば馬に乗った経験は数えるくらいしかなかった。
それも幼い頃ばかりで、帝都でのパーティ以降は一度も乗った記憶がない。今も乗馬が出来るか不安だったが、俺はちょっとしたプライドのせいでそのことを言いだせなかった。
え、乗れて当たり前じゃん? という態度で涼しい顔をしたまま馬を走らせてからは、身体が感覚を覚えていたことに安堵して密かに胸を撫で下ろした。
しかし、馬を走らせて十数分が過ぎた頃。
「ご無理はなさらないでください。私はご一緒しても構いませんから」
どうやら経験が少ないことがばれていたらしい。少し照れ臭かった。
(森は――――あっちか)
照れくささから逃れるべく周囲を見渡すと、街道を外れた平原の奥に、木々が鬱蒼と生い茂る森が見えてきた。リリィと出会った森と違う、小さな森だった。
「魔物が居なかったらどうする?」
「それこそ、ピクニックをして帰るだけですわ。町を出る前に買った昼食をいただいて、来たときと同じように帰るだけです」
隣を馬で駆けるリリィは俺に流し目をくれながら微笑んだ。
「今日は涼しいからね」
「ええ。たまにはゆっくりした一日も悪いものではありませんわ」
今日の日差しは手で目元を隠さなくとも眩しくないくらいだった。馬上では向かい風もあり暑苦しさに苛まれることもない。
森に入ったらもっと涼しいことも想像できる。
ピクニックにはもってこいだろう。
「俺としては魔物が居てくれた方がいいんだけどね」
ぼそっと、向かい風にさらわれそうな小さな声で言う。
――――やがて、向かい風に乗って血の匂いが届きはじめた。
馬が駆けるたびに濃くなる匂いは、俺とリリィの鼻孔をほぼ同時に刺激した。
匂いは当然、森の方から漂ってくる。
俺たちは言葉を交わすことなく馬を急かした。
(血の匂いがするってことは、戦いがあったってことだ)
それが魔物同士か、人間が犠牲になったかということ。
考えはじめた俺に答えるかの如く光景が、森の入り口近くに広がっていた。
(獣人?)
何人かの獣人が立っていた。
彼らは皆、革製の防具に身を包んでいて武器は手にしていない。
どうして獣人がここに? まさか自分たちで連れてきた魔物に手が付けられなくなったわけではないだろう。
そんな間抜けなことになるとは思えないし、白昼堂々目だつことをするとも思えなかった。
「あそこにいる獣人たちはリベリナの街道警備兵ですわ」
俺が疑問を抱いていたことを察してから、リリィがすぐに言った。
「…………っていうのは――――」
「中立都市に大使館を置いた国には、付近の街道での相互警備義務が課せられます。彼らの防具をご覧ください。白い剣の紋章が刻まれているのがおわかりいただけるかと」
目を凝らすと確かにその紋章がある。
ともあれば獣人たちがこの辺りにいるのもおかしな話ではない……ともとれるが、果たして経緯はどうなのだろうか。
願わくば、俺が居ても獣人たちが会話をしてくれますように。
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