ガルドタイト製の剣は強い。
馬を更に早く走らせた。
蹄が地面を踏みしめる音を聞いてか、森の前に立っていた獣人たちが俺たちの方に駆け寄ってくる。
だが彼らの足は、リリィの隣を走る俺を見て若干迷いを帯びだした。
顔を見ると、獣人たちは皆それぞれ複雑な感情を抱いているように見える。
――――俺はこの辺りで待ってた方がいいかな。
一瞬、この言葉をリリィに告げそうになった。
とはいえ、俺ほどでなくともリリィだって似たようなものだ。彼女の絹糸を思わせる銀髪には、確かにガルディア人の特徴が宿っている。
別行動をするほどでもないと思い、俺はそのまま馬を走らせた。
「我らはリベリナ街道警備隊所属。レギルタス同盟の者だ」
俺とリリィが近くに馬を止めたところで、獣人の代表がこう言った。
「オヴェリア・ロータスですわ」
獣人たちもリリィの容姿を見て半ば予想できていたようで、特に驚いた顔は見せなかった。
彼らは俺のことも探るように見てきたから、俺も倣って口を開く。
「シエスタ帝国から来た、グレン・ハミルトンです」
「ハミルトン……ッ!? ま、まさかグレン殿は、あの剣鬼殿がご令息であるか!?」
「えっと……はい」
父上の威光を借りるようで気乗りしなかったが、通りが良くて助かった。
しかも獣人たちの様子が変わったようだ。
どうしてだろう?
眉根をつん、と揺らした俺に先ほどの獣人が言う。
「光栄だ。――――我らレギルタス同盟の戦士にとって、剣鬼殿と言えば憧れの対象でしてな。ご令息と会話できたことは、いずれ祖国でも自慢できましょう」
俺は道理でと思いながら。
「すごいのは父だけですよ。俺のことはお気になさらず」
半ば受け流すように言って笑みを向けた。
獣人は「謙遜を」と俺を気遣ったが、本当に俺がすごいわけではない。
ただ、これなら俺の容姿が原因で閉口することはなさそうだ。
「リリィ」
「ええ。分かっております」
いずれにせよ、この辺りが中立都市の管轄である以上、俺が獣人たちに尋ねるよりリリィが尋ねる方が互いに都合が良いだろう。
「街道を利用していた冒険者から連絡がありましたの。なんでも、こちらの森で不審な魔物姿があったとか」
リリィは平然と言いながら、その裏では獣人たちの表情を少しも見逃すまいと観察している。ほんの一瞬でも隙を見せれば、その機微はあっさり悟られてしまうことは必定。
――――だというのに、拍子抜けだ。
獣人たちは心の底から困惑した様子で、しかも自分たちも困ってると言わんばかりに口を開く。
声色もやはり覇気がなかった。
「我々も同じ報告を受けたのです。急ぎこちらにやってきたのですが、見つけたのは――――」
「見つけたのは? なんですの?」
「…………ハクロウの子たちだったのです」
説明する獣人は気が重そうに、重要な情報であると言うように俺たちに話していたものの、俺とリリィは同時に首を傾げた。
「ハクロウ?」
抱いた疑問をリリィが代表して口にした。
「失礼。この呼び名は我らレギルタス同盟の中でも、特に獣人の間でしか使われない呼び名でして。ハクロウと言うのはとある魔物のことをさすのですが……そうですな。見た目は狼のような魔物です」
ご存じですか? 暗にそう言われた俺とリリィは顔を見合わせた。
俺たちは頷き合い、俺たちがはじめて会った日の夜に見た魔物がハクロウであることを理解する。
やはり、間違いなかった。
報告にあった情報は正しかったようだ。
……しかし今さっき、目の前の獣人はハクロウの子と口にした。
それならそれで、血の匂いが漂うことが不思議だった。子供を相手に街道を警備する兵たちが不覚を取るか、という話になってくる。
それでは警備の役にも立たないだろう、こう思っていると。
「――――そのハクロウが急に成長したのです」
俺は思わず驚きの声が出そうになったがそれに耐え、平静を装って耳を傾ける。
「そうだな?」
獣人は近くの若い獣人に言った。
唐突に話しかけられた若い獣人は微かに緊張した様子で答える。
「は、はっ! 私が急行して確認した際、十数匹のハクロウがおりました。その個体はすべて生後一年ほどの幼体だったため、すぐに処理が可能と判断したのですが……」
「失礼。ハクロウという呼び名は存じ上げませんでしたが、確かその魔物はレギルタス同盟の地域にしか生息しない魔物だったはずですわ。このことについてはどうお考えですの?」
「わ……私にはさっぱり……確かに不思議に思いましたが……」
「ロータス殿。その問いはまるで、我らが本国から魔物を運び、危険な振る舞いをしようとしている……と疑っているようですぞ」
「ご理解いただけて助かりましたわ。当然、私はロータス家の一員としてその可能性を危惧しております。どうかご理解くださいまし」
「…………もっともであろう。しかし我ら警備隊は関与しておりません。
シシアルタとかいう守り神はよく分からないが、それにしても、この場にいる獣人たちは本当に何も知らないようだ。
これがポーカーフェイスで、演技が上手いだけなら俺たちの負けにってしまう。しかし、俺もリリィも傍に稀有な知恵者が居る身だ。
易々とだまされるほど未熟ではない……はず。
「つづけてくださいませ」
リリィもそう思ったらしくつづきを促した。
「はっ! ――――その十数匹のハクロウですが、地面に転がった何かを食んでいたのです。近づいて見ると宝石のようなものをガリ、ガリ……と音を立てて咀嚼していました」
「で、急に成長したんだったな。それは俺もお前たちから聞いている」
「はい。……ですので正直、我々にもさっぱり状況が分からないのです」
ここまで聞いた俺たちは少しの間黙りこくった。
腕を組み、考える。
きっとハクロウたちが咀嚼したという石は、先日のハクロウにも使われた石と相違ないだろう。問題はその時の個体と違い、咀嚼することで身体に影響を与えた事実が気になることくらいだ。
更に以前の話を思い返してみる。我らが第五皇子がクーデターを企てた際、奴が用いた飛竜に使われていた石だって、同じものであると想像することが出来る。
俺とリリィは言葉を交わすことなく、目配せを交わすだけでこれらの事実を共有した――――ように思える。
彼女のことだ。きっと間違いない。
――――この獣人たちは何も知らないみたいだ。
――――私もそう思いますわ。
――――ってことは、彼らにとっても事故ってことになるのかな
――――どうやらそのようですわね。
と、こうした会話をしたような錯覚に浸っていた。
「すみません。血の匂いが漂ってる理由は、奥で他の警備兵たちが戦っているからですか?」
尋ねると、最初に挨拶を口にした獣人が答える。
「その通りですな。我らはハクロウが外部に逃げ出さぬよう外で見張っているところです。それに、この兵もまだ若く、生体のハクロウと戦うには力不足ですので」
「……面目ない」
「い、いえいえ! 確認したかっただけですから!」
というわけで。
「リリィ、ここで待っててくれる?」
「お一人で平気ですか?」
「大丈夫だって。どうとでもなるよ」
心配してもらえて悪い気はしないが、リリィが戦ってしまっては駄目だろうに。誰も見てないのならいざ知らず、獣人が周りに居る中で戦ってしまっては都合が悪かろう。
一方、俺は複製魔法を見せなければ戦ってしまって構わない。
今日の俺は腰にジルさんから貰った剣を携えてある。希少だというガルドタイトで作られた立派な剣だ。
「お、お待ちくだされ! 剣鬼殿のご令息を危険な目にあわせるわけには……ッ!」
「そんなことを気にしてると、森の中に居る兵士が全滅しますよ」
「――――ぜ、全滅?」
「はい。……だってほら」
俺は馬を降りると、森の奥に目を向け見透かすように目を細める。
鼻をすん、と動かして、血の匂いが数十秒前以上に濃厚になったことを確認した。
「我ら獣人なら問題ありません! 我らの毛皮は身体強化により筋肉と同じく強靭に……! しかも、いくら成体になろうと、ハクロウ程度の牙や爪に後れを取るほどでは――――」
普通ならそうなのだろう。だが今はそうじゃない。
……獣人としては俺に助けられることは不本意だろうが、見殺しにするのもいい気分じゃない。その後も俺を制止する声が届いたが、俺は止まることなく鬱蒼と生い茂る木々の合間を縫って前に進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
森は外から見れば小さい印象を受けたとはいえ、入って五分、十分で端から端を歩けるほどではない。見てくれから察するに、なんだかんだ徒歩で数時間は要するだろう。
(獣人たちは……)
ここに来てからというもの、俺の肌をさすようなプレッシャーが常に漂っていた。
気配を探す。
風に乗って届いた音がした方角を目指した。
すると――――。
「ッ!?」
リリィたちと別れてから十数分後のことだった。
俺の頭上の遥か高い場所まで成長した木々の合間から、刃のような一陣の風が吹き荒れて、俺の頬を僅かに掠る。
剣を抜いて頭上を見上げると、数十メイル離れた木々の上で、飛び跳ねるようにして移動するいくつかの影が見えた。
影は忙しなく移動している。
最初は数十メートル先にいたその影が、徐々に俺の真上に近づいているようだ。
間違いない。狙いは俺だ。
戦いの合図は唐突だ。
木の上から新たに放たれた新たな風が、さっきのように俺の顔を狙いすます。疾い。まさに疾風だ。目にもとまらぬ速度を前にした俺は、身体をくっと捻って回避を試みた。
大丈夫……さっきは先日の個体が見せなかった技に一瞬困惑しただけだ。
ただ、速度になれていなかったせいもあり、反応が遅れた。言ってもまばたき一度分くらいのほんのわずかなものだったが、風は俺が手にしていた剣を包むように舞い降りた。
「…………え?」
情けない声が出たのは、そのせいだ。
剣を握った俺の手は重さを感じた。そりゃ剣なんて重量があって当然なのだが、そうではない。そして風が押し寄せたことによる重さでもなかった。
言葉で表すなら、まるで風が物質と化したような――――そんな重さだった。
だが、切れた。刃が引かれた剣で何かを斬ったときと同じように、断たれた何かが剣の腹を撫でる感触が手に伝わってきた。
風を切る――――比喩ではなくて、言葉通り風を斬った。
この表現が脳裏を掠めた刹那、グレンは悟った。
あの風はハクロウが用いる魔法なのだ。
『ギィィィィッ!』
不意に背後から迫る風と悲鳴のような声。
剣を冗談に持ち上げるようにしながら振り向いた俺は、微塵も臆することなく迫る気配に向けて振り下ろした。
雲散しつつある風が頬を撫でる。刃のような鋭さが既に消えた涼しい風だった。
これが俺にとってはじめての経験となった。はじめて自分の意思で魔法を斬ったということになる。
つづけて目の当たりにした。驚きのあまり狼狽えつつあったハクロウが、吸い寄せられるように俺の剣身に迫るのを。
「ぜぁ…………あ……?」
俺の威勢が良かったのはそのときまでだった。
堅牢であろうハクロウの頭部が迫ったことで力を込めたのだが、それが不要であると言っているかのようだったのだ。
「…………嘘でしょ」
俺の両脇にはハクロウだったものが両断されて横たわる。
遅れて噴き出た鮮血が地べたを濡らすのを見て、同じく迫ろうとしていたハクロウたちの気配が一斉に消えた。
「切れ味が良すぎますよ……ジルさん……」
まさか、すれ違いざまに刃を添えるだけでスッ――――と両断してしまうなんて。
これがいい剣だと聞いていた俺も、想像したことは一度もなかったのだから。
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