冬休みは呆気なく。

 謎が謎を呼ぶというのは便利な言葉で、俺が抱いていた感情はまさにそれだった。

 婆やが放っていた妙な威圧感は俺には向けられていなかったものの、どうして第三皇女と、そして彼女に魔法を教えていたという話は? と、俺の中で疑問は尽きない。



 そんな中、屋敷に帰っても落ち着いた空気になるはずもなく――――。



「とりあえず、ミスティは私のお部屋に行きましょっか」


「ちょっと! 私はまだ――――ッ!」


「いいからいいから! ほら、私のお部屋に行ってお話ししましょうね~」



 屋敷に入ってすぐに引っ張って行かれる第三皇女の背を見送り、道中で合流した、彼女に撒かれていた騎士たちの慣れた様子で見送る目線を見て、俺は考えた挙句に婆やを見た。

 一方の婆やも慣れた口調で騎士に指示を出す。



「お屋敷の中はお気になさらず。中にアルバート様がいらっしゃいます」


「はっ。我らは正門付近にて警護に当たります」


「頼みます、何かあれば私へ連絡を」



 少なくとも子爵家の使用人に対する態度ではなく、しかし騎士たちはそれを当然と考えている態度でしかない。

 俺がその態度も疑問に思い、どうしたもんかと思っていると。



「…………とんでもない事態になっていたようだな」



 階段を下りてきた父上が何とも言えない、複雑な現状を察した様子でこう言った。

 実際、俺も置いてけぼりを食らっていたのだが、婆やはそっと俺の傍を離れ、一階に降り立った父上の傍に行き、小さめの声で語りかける。



「私からご報告致します」


「――――まぁ、おおよその察しは付いているが。一応聞いておくとしよう」



 どことなく俺が近づいて聞き耳を立てるべきではないような。

 二人の間に漂う雰囲気には近づきがたい何かがあった。



「大方予想通りだ。しかしまぁ、ミスティア殿下がこうも急にいらっしゃるとは思わなんだ」


「それほどまでにアリスティーゼ嬢と近しかったのしょう」


「さもありなん。婆やが帝都を出た後で深まった仲なのだろうさ」


「…………」


「そう気に病むんだ顔をするな。後のことは私に任せておけ。さぁ、婆やは殿下へ顔を見せてこい」



 最後に父上が婆やの肩をトン、と叩いてから俺の傍にやってくる。



「父上」


「ああ……気になっているだろうが……その、なんだ……」


「時間が欲しいって感じですね」


「相変わらず敏いな。情けない話だし、こう秘密を募らせるというのは父としてどうかと思うのだが……すまん、いずれ話すから、今はまだ待ってほしい」


「なら一つだけ教えてください」


「む、なんだ?」



 俺は密かに心の内で強い意志を抱き、すぅっと息を吸う。



「城でラドラム様が父上を怒らせてしまった話、あれと今回の婆やの件は関係があるんですか?」



 確信めいた声色で言うと、父上は目を見開いた。

 決して俺への敵意や怒りはない。

 驚きと、最後に訪れたのは切なさが入り混じった表情だった。



「…………どうだろうな」



 父上は暗にその通りであると言うような態度で肩をすくめ、腕を伸ばす。その腕は俺の頭にまで伸びて、勢いよく撫でてきた。



「夕食が楽しみだ。港町フォリナーと言えばシエスタでも有数の大都市でな、大陸の各地から運び込まれる食材は絶品だぞ」


「知ってます。俺の方が先に来てましたし、一か月も居たら学びますよ」


「む、言われてみればその通りであったな!」



 他の特徴と言えばやはり異人の数もそうだし、後は帝都からの生徒も多い学園もあった。

 それこそ貴族が通うような名門校だってあるぐらいだ。

 俺としては帝都からわざわざ足を運ぶことには疑問符を抱いたこともあるが、広大な敷地を有した学園とあって、もう、帝都にはそれを置く土地がないのだろう。



 帝都との違いはいくつもあるが、この港町フォリナーは先進的な一面が良く目立つ。

 ――――さて。



「俺は部屋に戻ってます。後で食堂に行きますから」



 予定ではアリスと父上の歓迎の支度をするつもりだったが、それは難しい。

 後のことは婆やに任せ、俺は静かに部屋で待とう。



「それにしても」



 俺が部屋に戻ろうとしたところで父上が言う。



「アリスティーゼ嬢はその、なんだ」


「どうかしましたか?」


「……適切な言葉が浮かばんが、普段からあのような感じのお方なのか?」



 あのような、とはどのことを差しているのだろう。

 ウザいことならそうだし、妙に猫っぽいのもそうだ。

 他には相手を選ぶ前提ではあるが、人懐っこい性分なことだろうか。

 あるいはウザいことについてなのかもしれない。



「偶に鬱陶しい絡みをしてくるところがですか?」



 俺の返事を聞いて父上は項垂れてしまい、額を抱えた。

 恐らく父上も先ほどのアリスの態度を見て、俺の言葉で察したのだ。



「基本的には無害なので安心してください」


「違う、そうではない。二面性のある者なんていくらでもいるが、それがあの男ラドラムの妹と聞けば、何とも妙な縁を感じて止まぬだけだ」


「…………大変ですね」


「他人事のように言うな。ま、まぁ、いい……アリスティーゼ嬢が振る舞いやすければそれでいい。というかグレン、また随分と投げやりな言い方をするな、相手は公爵令嬢だぞ」


「俺たちはこれで楽しくやってますので」


「む、むむ……最近の若い者の感覚というやつか……」



 同じ屋敷に住むのだから隠してはいられない、これはアリスも覚悟の上だろう。

 問題は何時、どのタイミングで暴露されるかだったが、これなら問題なく振舞えるはずだ。

 むしろ父上が感づいてくれたからこそ、の幸いであろう。



「今度こそ部屋に戻りますね。何かあったら呼んでください」



 不思議な占い師との出会い然り、今日は色々なことがあった。

 項垂れた父上と別れた俺が階段に向かった際の足取りは、いつにも増して重かった。

 階段を上りながら、今、アリスたちは何を話しているのだろうと考えてしまう。特に婆やと第三皇女は、いったいどんな再会の言葉を交わしているのだろうか。



 二階につづく踊り場を過ぎ、そして二階を過ぎて三階への階段に差し掛かろうとしたところで。



「グレン君グレン君」



 二階から三階へつづく踊り場に立っていたアリス。

 彼女は俺が近づいて来たところで、何故か耳元に顔を近づけて俺を呼ぶ。



「え、近い」


「なーんで不満そうなんですかねー?」


「そう言うんじゃないけど、急で驚いただけだよ。それで、どうかしたの?」


「やははー……何か、席を外した方が良さそうな雰囲気でしたから」



 すると彼女は「あっちです」と自室がある方角を指し示した。

 確か婆やがついさっき第三皇女の下へ足を運んだはず。

 どうやらアリスはそのことで、雰囲気を感じ取って席を外したようだ。



「驚いた」


「ふえ? 何がです?」


「その気遣いに」


「…………あーどうしようっかなー! ミスティには私の部屋に泊まってもらっちゃって、私はグレン君のお部屋にお泊りしてもいいんですが!」


「俺が投獄されそうだからやめてもらおうかな」


「どうせだったら一緒に投獄されます?」


「アリスが一人でされとくといいよ」



 雑に返して三階への階段に向かうと、アリスはたいそう不満な声と表情を浮かべて俺の腕にしがみ付く。

 それはもう、町で見かけたら目を背けたくなるような情けない姿で。



「冷たくないですかね?」


「というか、第三皇女が泊まったとしても、アリスが俺の部屋にくる理由にはならない」


「ベッドが一個しかないんですよ!?」



 俺の部屋にだって一個しかないのだが、もはや何も言うまい。

 すべてが藪蛇な気がしてならなかったからだ。



「あー! 面倒だからってツッコむのを止めましたね!? いいんですか!? かましちゃいますよ!?」


「何その脅し」


「私がその気になったら後悔しますからね!」


「だから何をかますのさ……」


「それは――――考えておくので、後悔するかもしれないって恐怖だけは忘れないでください!」



 何て残念な脅しなのか。微塵も恐怖を感じれないではないか。



「ちなみにミスティは夕方には帰るそうです」


「それを先に言ってほしかった」


「にゅふふー、冷たくあしらった罰ですよ、罰」



 つづけてアリスが言ったのは、そもそも第三皇女は多忙で、今日は無理をしてここ港町フォリナーに足を運んだということだ。

 俺は事態が一段落したことに安堵して、息を吐く。

 おかげで腕に感じるアリスの感触、、に動じることはなかったのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 聞いていた通り、第三皇女は夕方になると帝都へ帰って行った。

 その際、父上へと騒がせたことを謝罪して、驚くことに俺にも短めながらも謝罪をした。

 アリスが不本意にこの屋敷にいるわけではないこと、そして今は楽しくやっているという話を聞いたらしく、棘のある態度だったことに強い後悔を感じていたのが分かる。



 ――――おかげさまで、しばらくは第三皇女と会うこともなさそうだ。

 俺はそう思いながらフォークを伸ばし、父上の歓迎のために用意された美食を楽しんでいた。



「アリスティーゼ嬢、貴女のおかげで当家の仕事が助かっていたと聞いている」


「アリスで大丈夫ですよ。あのアルバート様ですもの、それにグレン君のお父君ですし、私のことは気軽にアリスって呼んでください」


「ではアリス殿、と」



 父上たちの相性も悪くなくて、今のように気軽なやり取りを交わせていたのは俺も見ていて嬉しかった。

 ところで、アリスは父上へは言葉をいつもより選んでいるようだ。

 俺への態度の一端は確かにあるが、会話の中には明確な畏敬の念が垣間見える。つまりは父上を一人の大人として、そして騎士として尊重し、下に見るようなことはなかった。



「しかし良いのだろうか」


「はえ、どうか致しましたか?」


「……じき冬も開け、間もなく春先であろう。アリス殿はずっとこの屋敷で仕事をしているわけにもいかぬだろうしな」


「ん、それってどういうことですか、父上」



 するとアリスはハッとして、同時に俺を見て腕を伸ばす。

 席が近かったからか、俺の耳を塞ごうとしたようだが――――。



「アリス殿は学園があるからな。あの学園の冬休みはとても長いが、そろそろ終わるのだ」


「…………アリス?」



 俺はそんな話は聞いていない、という目でアリスを見た。



「あ、あはは……いや違うんですよ、違います。このままお屋敷でお仕事をしてる方が楽しいし、別に学園は行かなくてもいいかなーって……」


「俺がそれを許すと思った?」


「グレン君にはそう言われると思ってましたが、私、卒業に必要な単位は取り終えてますよ?」



 そもそも何処にある学園なのかも全く分かっておらず、俺はアリスの言葉を信用しきれないままに父上を見て、眉をひそめて言葉を待った。



「恐らく、本当だ」



 無情にも事実らしい。



「帝都貴族が通う学園と言えば、この港町フォリナーにある名門・シエスタ魔法学園だが、かの学園は特別優秀な成績を収めた生徒に限り、単位の認定が認められている。いわば多忙な貴族家の者のための措置なのだ」



 父上が口にしたシエスタ魔法学園と言うのは、今日、屋敷に帰って来てから俺の心をよぎった学園のことである。

 その名の通り魔法を教える学園であり、父上が言うように名門校。

 広大な敷地を有し、生徒たちが伸び伸びと学べる最高の環境を誇っている。



 しかし帝都にそれを設けられない理由がやはり、その広大な敷地面積にあった。



「かの学園は我が国初の四属性使いテトラが創設者とあって、帝都から通う価値があるだけの拍が付くからな」



 そうは言ったものの、帝都と港町フォリナーの距離はおよそ一時間ほどだし、通うのに苦労はないだろう。



「そうですよ! グレン君も一緒に通えばいいんです! 我ながら名案じゃありませんか!」


「え、やだよ」


「……即答ですね」



 別に学園に忌避感があるわけではないが、そもそも余裕がない。主に時間的な意味で。



「でもでもでも! 学園は卒業しておいた方がいいですよ!? たとえばほら……学歴は……まぁ、グレン君の場合は必要ないかもしれませんけど……」


「言葉をはさんですまぬ。グレンは魔法学園ではないが、いわゆる地方の平民も通うような普通の学園の卒業資格ならば、既に保有しておるのだ」


「――――はえ!?」


「父上、俺も初耳なんですが」


「お前は幼い頃より学園に興味を抱いておらんかったろ。通いたいかと聞いても別にと言ってたんだからな」



 確かに記憶はあるが、だからといってどうして卒業資格があったのだろう。



「ハミルトンに居た頃の話だが、無理を言って近隣都市の学園の者に足を運んでもらっていた。古い制度なのだが、一般的な学園の卒業資格であれば、それこそ貴族家の者ならば必要な知識量があれば手に入るのだ」



 古い時代、今よりもっと貴族がせわしなかった頃は学園に足を運ぶ余裕のない者も多くいたという。

 この制度はその時代の名残で、シエスタ帝国が認めるだけの素養が認められた際には、一般的な学園の卒業資格を得られるというものだそう。

 間違えてならないのは魔法学園の者とは別の、本当にありふれた学園の卒業資格であるということぐらいだ。



「ありがとうございます、おかげで仕事に励めそうです」



 別に学園そのものが無価値だとは言わない。

 俺に限っては特に必要性を感じないというだけである。



「むぅうううう! 一緒に行きましょうよぉー! 魔法学園ですよ、魔法学園! 魔法を学べるんですよ!?」


「剣の方がいいかな」


「すまぬ、アリス殿。グレンはハミルトンに居た頃からこうなのだ。やがて身体強化魔法にはまり、いつしか領主様のご子息はいつも逆立ちになって腕立て伏せをしていると語られるようになってな」



 俺はその時のことを思い出して遠い目で。



「なんて領民だ」



 と、惚けて見せた。



「毎朝毎朝、奇妙な姿をさらしていたのはグレンであろうに」


「……私は嫌いじゃないですけどね」



 こんな時だからだろうか、アリスの言葉が妙に心にしみわたる。

 嘘を言っているように見えないし、本心のようだ。

 彼女の言葉に短くも感謝の言葉をと思ったその刹那、俺は不意に妙な予感をした。



「あのさ、アリス」


「はいはい、何です?」


「シエスタ魔法学園のことは良く分かってるし、長い冬休みだからアリスが通ってなかったことも良く分かった。サボろうとしてたのを未然に防げたのも良かったよ」


「一緒に通ってくれるんですか!?」


「通わない。で、一つ聞いておきたいことがあるんだけど」



 俺は隣から期待に満ちた瞳を向けて来るアリスを流す。

 相変わらず、どこの令嬢にも劣らぬ華を向けて来る彼女だが、平然と。



「アリスがシエスタ魔法学園で一番仲のいい友達の名前が知りたいんだ」


「…………聞いちゃいます?」



 その返事でもう確定したも同然なのだが、アリスは俺の耳に顔を近づけて。



「――――女の子なんですけど、ミスティア・エル・シエスタっていう可愛い子なんです」



 やはりか、と俺は目を伏せた。

 冬休みが終われば彼女もまた港町フォリナーに通うようになる。俺はその事実を知り、もう謝罪をできるほどの落ち着いた第三皇女ではあると分かっていたが、帝都での騒動のようにまた何か起こるのではないか、という嫌な予感に苛まれたのだった。



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