賑やかよりも、穏やかを願って。
ミスティと呼ばれた彼女は冷たい瞳を俺に向け、それから俺を掴んだアリスの腕と目線を往復させる。アリス自身の意思があろうと飼い猫の件が気に入らないのか、俺への親しみは微塵も感じらない。
人目を奪って止まないというのが良く分かる顔つきに。
宝石に似た瞳は美しくも、俺に向けた負の感情もまた隠しきれておらず……。
「あのさ、アリス」
「晩御飯楽しみですねー……」
俺を逃がすまいと手を掴んだ彼女に語り掛けるが、ノータイムで首を横に振られてしまう。そして謎の話題変更は無理を感じなかったのか問いただしたい。
とりあえず、屋敷に戻ったら折檻しよう。
強く決心したところで、俺は第三皇女の前に一歩進んだ。
目の前の第三皇女は白銀と紺碧のドレスを着こなして、こんな港町の一角には似つかわしくない華を存分に纏っていた。異性の視線を奪って止まないであろう身体付きも。絹のような桜色の髪の毛だって。
傾国といっても過言ではない美貌もまた、息を呑むような艶を感じさせて止まない。
俺も男だし美しさには吐息が漏れそうになったが、彼女の誤解を解くことにしか俺の意識は向いていない。
「私はグレン・ハミルトンと申します。……第三皇女殿下とお見受け致しますが」
「そうよ。――――で、飼い猫っていうのはどういう意味?」
この話運びからは、俺個人には興味がないという気持ちがひしひしと伝わってくる。
俺はと言えば「どうしたもんか」と頭を悩ませている。
後ろめたいことがあるわけではないが、少なくとも最初に猫派という言葉を口にしたのは俺だ。
その後、勝手に飼い猫宣言してるのはアリスとはいえ、第三皇女には関係ないだろう。俺個人としては大いに関係があるのだが、この話運び的に俺が悪者になるのは必至だ。
「……じゃれつかれていただけです」
都合のいい言い訳があればよかったのだが。
アリスから聞いた話によれば、第三皇女との仲の良さは親友と言っても過言ではない。
この駄猫の本性なのだと言うことで打開を図るも。
「不思議ね、公爵令嬢が子爵家の者にじゃれつくなんて」
彼女のそれは
だって貴女が言う不思議な令嬢が、現に俺の隣にいるのだから。
気持ちは分かる。俺だって良く分かってるさ。
そりゃ、仲のよかった友人の下を尋ねたというのに、その友人が知らない男にじゃれついていたら不思議に思うだろうさ。それが立場も立場で、これまでも色のある噂話のなかったアリスならなおさらの事だろう。
しかし、しかしだ。
もうこれ以上に説明のしようがないんだ。
「ミスティ! 来てくれたのは嬉しいんですけど! 喧嘩腰なのはどうかなーって思うんですよ!」
「貴女には後で聞くわ。今はこのグレンとかいう殿方と話がしたいの」
俺は別に話したくないんですが。
何て口が裂けても言えないが、もう帰りたい。
ふと、そう遠くない場所から聞こえてきた女性の悲鳴。
「誰か! 私のお財布をッ!」
振り向くと石畳に膝をつき、縋るように手を伸ばした老婆の姿が目に映る。
伸ばされた手が向いた先は俺たちがいる場所だ。
俺たちと老婆の間には全身をローブで身を包んだ者が駆けていた。手元には財布らしきものを握って、風に靡いて見え隠れした口元からは、奴が男であるという情報だけが伝わる。
男の前に立とうとした俺は相手の一挙手一投足に注視した。
(……ひったくりか)
決して治安が悪すぎるというわけではないが、犯罪ばかりは人が多ければどうしても発生は防げない。
俺は奴を捕えることを決め、足を前に動かした。
すると第三皇女がほぼ同時に動いて、ため息交じりに、そして面倒くさそうに細腕を伸ばす。
「警告はしないわ。だから、好きなように降伏なさい」
凛とした声が辺りを反響して間もなく。
彼女の足元から、ドレスがふわっと舞い上がり。
つづけて肌を刺す冷気を漂わせたところで。
艶めく唇を微かに動かし、呟く言葉。
「――――
石畳から不意に生じた幾本もの氷の腕。
最初に男の両足を拘束して、倒れたところで両腕に纏わりついていく。やがて胴体に至るまで、全身をくまなく押さえつけた。
男が気を失ったのを確認したところで俺は思う。
あれが彼女の実力なのか、と。
俺はラドラムから聞いたことを思い出して目を細めた。
(あのバルバトスと同じ
基本五属性と言えば火、水、風、雷、地だが、彼女は恐らく水属性が得意と思われる。氷を作り出すとなれば、一番に関係するのはそれしか考えられないからだ。
「それで、貴方はどう思う?」
「え?」
「子爵家の者に対して、公爵令嬢がそう易々と甘えてくるかしら」
恐れ入る。
まさかここにきて男から目を逸らし、俺への詰問に戻ってくるとは。
「それについては先ほど答えた通りです。ところで、そこの男を優先するべきではないかと」
「いいのよ。どうせすぐに騎士が来るもの、私が撒いてきた騎士たちがね」
「……撒かない方がいいと思いますよ」
「別に、貴方が気にすることではないわ」
彼女がが言った通り、間もなく大通りを掛けてくる騎士たちの姿に気が付いたが……。
戸惑っていると、第三皇女が仕方なそうにため息を漏らす。
「先日の帝都での逃亡劇は見事だったんですってね」
「逃亡劇……ああ、お忍びをした際のですね」
「それに先ほどの観察眼もそうね。男に生まれた隙を見逃してなかったわ」
「勘違いではないかと」
「ふぅん、皇女に嘘を吐くのかしら」
そう言われてしまうと弱い。俺は確かに男の隙を見つけていたし、第三皇女が動かなかったら俺が動いて男を転ばせていた。
肩をすくめた俺が「ご賢察の通りです」と返すと。
彼女が纏う空気が少しだけ穏やかさを孕んだ気がする。
「アリス」
「はいはい! 何ですか?」
「彼は強いのね」
「……はて?」
誤魔化すのならもっと上手くやってくれ。
小首を傾げて唇に指をあててそっぽを向いたアリスを見て、首根っこを掴みたくなる衝動に駆られた。
が、手を持ち上げそうになった刹那――――近くから、手を叩く音が聞こえてくる。
「お二人とも、往来でするようなお話ではございませんよ」
振り向いたところに居た、苦笑を浮かべた婆やを見て、俺はまばたきを繰り返しながら口を開く。
「どうしてここに?」
「アルバート様に頼まれて、坊ちゃんとアリスティーゼ様のご様子を窺いに参ったのです。剣呑なご様子でしたので止めるべきかと迷ったのですが、つづきはどうか、お屋敷でして頂こうかと思いまして」
そう言って、第三皇女を見た。
「
ごく当たり前のように、愛称で呼ぶ。
俺が違和感を抱かないぐらいに、当たり前のように。
すると第三皇女が。
「――――どうして貴女がここにいるの」
信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開き。
グレンから興味を失って、婆やとの距離を詰めた。
「どうしてと言われましても、私がハミルトン家に仕えているからですが」
「仕えている……急に城を去った貴方が、剣鬼に仕えていたというの?」
「問題がございましたか? 私が文にて辞意を伝えた際、陛下からもご許可を頂戴しておりますが」
淡々とした答えを聞いて、第三皇女が唇をきゅっと結んだ。
困惑して、それでいて悲しみに苛まれたような。
見ているだけで心が痛くなるような、そんな表情を浮かべてしまう。
「そういうことを聞いてるんじゃないの……ッ! どうしてよ! 急に私の前から消えたくせに……どうしてこの男の家に仕えているのよッ!」
「私事ですので、ご容赦ください」
俺とアリスは肩を近づけて様子を見た。
正直、いきなりの会話に付いていけていなかったからだ。
「……
「いいえ、ミスティ様を見限るようなことはございません。私はあの城で生活することに限界を感じていたのですよ。……将軍でいることを止めてしまったアルバート様のように」
不意に以前のことが脳裏をよぎった。
城で解放されたばかりの父上とラドラムの会話だ。
確か父上は激昂して、尋ねられた言葉へ強く聞き返していた。
内容は確か……父上にもう一度帝都で仕事をしないかと誘ったラドラムへと、父上がその気力がないと答えたんだ。
その後でラドラムが十数年前の陛下の件といったことを覚えている。
婆やが帝都で、それも城で第三皇女の傍で仕事をしていたは初耳だが。
父上と婆やの二人が陛下と何があったのか、これが気になって仕方がなかった。
「城に帰って来て。お願い」
第三皇女が見せた弱々しい表情には、微かな希望と願いが宿る。
けれど婆やは静かに首を横に振った。
「屋敷へと参りましょう。ここでは民の注目を浴びます」
「私が素直に承諾すると思うのかしら」
「もうひと暴れというのは感心しません。民に危害がないとも言い切れませんので。だから、そうですね……ミスティ様には一つ、思い出していただく必要があるようです」
すると、婆やが懐から短い杖を取り出した。
おもむろに歩き出して俺たちに背を向けると、軽快な動きで、軽く数回振ってしまう。
一陣の風が、目に見えない圧が唐突に生じたと思いきや。
やがて――――。
「ッ――――!?」
何の前触れもなしに第三皇女が膝をつき、身体を動かすことに苦労している様子で呼吸を荒げる。
「誰が貴女様に魔法を教えたのか、お忘れになりましたか?」
――――と。
婆やが腰に手を当てて軽やかに振り返る。
くすっと屈託のない笑みを浮かべ。
第三皇女を窘めるやさしい声で口にしたのだ。
「もう一度言います。お屋敷に参りましょう」
「…………」
「ミスティ様」
「分かったわよ……もう……分かったから……」
不服そうにしながらも、婆やに窘められたのが嬉しかったのだろうか。
呼吸を荒げつつ、第三皇女は唇を密かに緩めていた。
「グレン君、グレン君」
耳元に顔を近づけたアリスが話しかけてくる。
「賑やかになってきましたね!」
首根っこを掴みたい衝動にかられたのは何度目だろうか。
「穏やかな生活を求めていたはずなんだけど、アリスと出会ってからいつもこうだよ」
「私が居るおかげで賑やかだって言ってますよね! 遠回しに!」
「アリスがいるせいでってのが正しいかな」
「はいはい、照れ屋さんなんですから。おうちに帰ったらいい子いい「不要かな」……むぅ!」
ここが屋敷だったら容赦しなかったものを……。
こう思ったところで、俺はアリスに第三皇女のことを目配せをした。
「ほーらっ、ミスティ」
「……ありがと」
二人が仲のいい友人同士というのは疑いようのない事実らしい。
俺は彼女たちの和やかな様子を眺めつつ、立ちあがった第三皇女からの敵対心を孕んだ瞳に対して、困った様子で微笑を浮かべたのだった。
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