この学園には関わらない方が良いのかもしれない。

 次の日の朝は絶好の逆立ち腕立て伏せ日和だった。

 正直、もう数を数えるのはよして丁度いい塩梅までやることにしようかと思っている。その最初の日として、今日は何と清々しい天気だろう。



 よく手入れのされた屋敷前方の庭園で俺は一人、日課の支度に取り掛かる。



「――――よし」



 やるか、と意気揚々と庭で構えたところで。



「頼むから、この町では妙な呼び名が流行らないようにしてくれ」


「父上」


「目が覚めたので様子を見に来たのだが、丁度良かったみたいだな」


「……出鼻をくじかれた」


「くじくために来たのだ、まったく」



 だが言い訳がある。

 そもそもこの屋敷は外壁が高いし、外からは無理にでも覗き込もうとしない限りは俺の振る舞いを見ることは出来ない。加えて屋敷の傍には民が足を運ぶような建物はないのだから、問題がないというのが持論だ。

 が、さすがに今のような父上を前にしたら止めてもいい。



「複製魔法の方はどうだ?」


「以前よりも手際よく使えるようになったと思います」



 相変わらず生き物を相手に使う気にはなれない。

 後はどうだろう、複製魔法が強くなる道はあまり想像できなかった。

 例えば複製物の数を増やす、それを生み出す速度を上げる。

 他に思いつくことと言えばオリジナルを良く知らずとも、明確な複製物を作り出せるか否かぐらいで、大きな違いを生み出せるならこれぐらいだろう。



「剣はどうだ?」


「残念なことに以前と変わらないかと」


「む?」


「だって父上が居なかったですし、訓練の相手になる人が居たわけでもないので」


「おお、そういうことか」


「…………あっ、それなら――――」



 完全な思い付きだが、俺は昨日、父上に時間をくれと言われた婆やの件を思い出す。同時に父上が帝都でラドラムを相手に激昂した件と絡ませて、提案の言葉を口にするのだ。



「一度、父上と剣で立ち会ってみたいのですが」



 剣鬼と呼ばれた父上の力が見たかった。



「何度も立ち会ったことはあろう?」


「試合形式で立ち会ってみたいんです。意味はご理解いただけると思うのですが」


「ふむ…………なるほど、そう来たか」



 今日も今日とて甲冑姿だった父上は当然のように剣も携えていたし、俺は俺で、複製魔法で父上の剣を出せばいい。

 刃は潰されてないから危ないが、技量頼りに寸止めをすればいいだけのこと。



「駄目だ」


「え」


「まだ早い」


「…………」


「不貞腐れるでない」



 俺はコツン、と頭を小突かれる。



「グレンが弱いという話ではなくてな、今は私もグレンも忙しい時期だ。だというのに、万が一にも怪我をするような行いはするべきではないということだ」


「一理ありますね」


「だろう? だからそうだな、せめて我らの生活が落ち着いたらだ」



 ただ一蹴されただけではないと知って俺の心も落ち着いた。

 少しの我慢と思えば、別に気になることもない。

 それにしても、今日からは別の訓練方法も考えないとなー……と腕を組んだところへ――――。



「アルバート様、お客様です」



 庭園にやってきた婆やがこう口にした。



「ローゼンタール家のご家令殿でございます。アリスティーゼ様の荷物をお持ちしたとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」


「構わんぞ、というかあの家の者ならば断わることも難しかろう」


「ええ、なので一応お伝えに来ただけです」


「何にせよ私も行こう。と言うわけだからグレン、妙な噂が立つようなことはしないようにな」


「まるで俺が変人みたいに言わないでください」


「思っていないが、そう思っていた民が居たという話だ」



 昨日より思っていたことだが、何という領民だ。こちとら健全な修行に明け暮れていたというのに、まるで人を珍獣か何かみたいに言うなんて。



『急な訪問にて失礼致しました。実はお嬢様の――――』



 聞こえてきた声、そしてアリスが関係していると知り俺は興味を抱く。

 好奇心というよりは疑心によるものだ。



『アリス殿は持ってきていなかったのか?』


『お持ちでございます。しかしながら、寸法が変わったとのことでしたので、この冬で新調したものが当家に届きまして』


『おお、道理で』



 一体何の話をしているんだろう、と俺は思いながらも耳を傾けることをは止めた。

 父上がいるなら、変な話ではないだろうし。

 俺は訓練に戻って、今日は何をしようかと考えることに努めた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 訓練の後、湯上りの俺の部屋を給仕が尋ねてきた。



「アリスが?」


「はい、お嬢様が是非お部屋に来てくださいと」


「…………分かった」



 給仕が察しの通りいやいやではあるが、俺は髪の毛が若干湿り気を帯びたまま部屋を出て、下の階にあるアリスの部屋へ足を向ける。

 絨毯が敷き詰められた床は歩き心地が良いが、爺やさんの件を思い返すと気が気でない。

 今日は何をしでかすのかと、心のうちが穏やかさを欠いていた。



「よし」



 部屋に前に到着したところで、俺はノックをする前に呼吸を整える。

 やがて、コンコン。

 質のいい、重厚な印象を抱かせる木製の扉をノックした。



『グレン君だけですかー?』


「うわぁ…………」



 いきなり帰りたくなる返事ではないか。

 俺だけ、、とはいったい何のつもりだ。



「俺だけだよ」



 とは言えここまで来て逃げるのも気に入らないとあって、とりあえず返事をしてみせた。

 するとアリスは「入っていいですよー!」とあっさり返してくる。

 それを聞いた俺は罠の気配を警戒しながらドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。静かに開かれていく扉、中から香るほのかに甘い香りにアリスを想い、慎重に足を踏み入れる。



「可愛いですか?」



 部屋の奥、窓の手前に立っていた彼女がこう尋ねてきた。

 見ればいつもと違い、えんじ色のジャケットに身を包み、白いスカートからスラっと長い足をのぞかせていた。ジャケットの胸元は確かに押し上げる何かが存在を主張して、シルクを思わせる髪の毛が陽光を帯びて神秘的ですらあった。



「それ……」



 似合ってるか似合ってないかで言ったら、全肯定したいぐらいには似合っている。

 思わず見惚れそうになったぐらいで、一瞬、言葉を失った。



「にゅふふー、似合ってるかを聞きたかったんですけど、聞かなくても大丈夫みたいですね」


「……口を閉じていてくれたら、それはもう称賛の言葉を贈ったかもね」


「あー! なんですかそれぇ! まるで口を開いたら残念とでも言ってるような感じじゃないですかぁっ!」


「伝わって良かった。まぁ……似合ってるよ」



 アリスは今までにないぐらい上機嫌になって、背中で手を組んで身体をくの字に。

 トン、トンと軽い足取りで俺の前にやってくる。

 ふわっと微かに花の香りを漂わせて、長い睫毛が数えられそうなほど近くで。



「新調したばっかりなんで、まだちょっと窮屈なんですよ……たはは」



 俺の目の前で苦笑してみせた。



「背が伸びたとか?」


「んー……」


「アリスにしては珍しいね、言い淀むなんて」


「……改まっちゃうと、ちょっと恥ずかしいかなーって思うんですよ!」


「恥ずかしいって、何がさ」



 アリスは察しがつかない俺に業を煮やして、つま先立ちになって俺の耳元に顔を近づける。

 いつもと違い、本当に恥ずかしそうにちょっと言い辛そうだが、結局は大きく息を吸って言う。



「その、胸元がきつくなっちゃったんです……」



 察せられなかった俺自身の情けなさに辟易としてしまい、つい目を伏せてしまう。

 アリスが居ない方の腕で目元を覆い、そっぽを向く。

 まだアリスは恥ずかしそうでも、俺の態度を見て若干の落ち着きを取り戻して――――半歩の距離を取って頬を掻いた。



「何か今度お詫びでも」



 いくら相手がアリスであっても……さすがに女性相手では気が引けて、その詫びとしてだ。



「別に気にしないでいいですが――――あ、でもそれだったら、一つお願いしてもいいですか?」


「内容によるけど、今は寛大な気分で聞こうって思ってる」


「ふふーん、じゃあじゃあ、お耳を拝借しちゃおうかなーって」



 また、というか最近はしばしば耳打ちをされているような気がしてならない。

 だが語られたお願いとやらは意外にも拍子抜けするものだった。

 だからだろう、俺がすぐに「いいよ」と答えると、アリスは一目見て分かる喜色を顔に讃え、その後で俺の目の前で楽しそうに身体をくるっと回転させ、スカートを靡かせた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 また少しの日々が過ぎ、三月に入った頃にはシエスタ魔法学園の冬休みが終わりを迎えた。

 俺はと言えば、朝からそのシエスタ魔法学園の前にいる。

 停車した馬車の中で、面前の席に腰を下ろしたアリスを送るために。



 さて、俺はシエスタ魔法学園に足を運ぶのは今日がはじめてだ。

 屋敷から少し離れた区画の方だし、用事がなかったからというのがその理由である。



 面前に広がる広大な敷地面積は何かに例えるのが難しいぐらい広くて、中央の奥に鎮座する校舎は小さな城と形容するに相応しいほど巨大。

 尖塔がいくつもそびえ立つ姿には神殿に似た雰囲気を漂わせる。

 後者へとつづく道の左右には見目麗しい庭園が備わり、その道を歩く生徒で賑わっていた。



 ここに着いてから数分に渡って話し込んでいたが、そろそろアリスは馬車を下りなければならない。

 俺は時計を見てそのことに気が付いて、最後にと思い話しかける。



「良かったの?」


「はえ、何がです?」


「お願いがこんなのでってこと」



 先日のアリスのお願いと言うのが、この俺に学園まで見送ってほしいという件だったのだ。

 彼女曰く朝からだとそれなりに手間でもあるし、無理は言わないと珍しく俺を気遣ってきたが、別に大したことではない。だから俺は快諾したのだ。



「私が喜んでるんですから、こんなのって言うのは失礼じゃありません?」


「…………そういうもんかな」


「はい、そういうもんなんです」



 するとアリスが馬車の扉を開け、春先のまだ少し冷たい空気が入り込んでくる。



「ではアリスティーゼ、行ってきます」


「いってらっしゃい。帰りにまた来るから」



 別に頼まれていたわけではないが、それぐらいのサービスはして然るべきであろうから。



「楽しみです。ではでは、今度こそ行ってきますね」



 地面に降り立ったアリスは春風に髪の毛を揺らし、一瞬で周囲の者たちの視線を集めてしまう。

 まるで彼女が居る場所にだけスポットライトが当てられたかのように、突然にだ。



 ――――こうしていると、本当に絵になるな。



 馬車の窓から密かにアリスの後姿を見て、こう呟いてしまう。

 それから間もなく、悠々と歩いていたアリスが不意に足を止めて、いつもと違い小振りに、上品に手を振って見せた。その方角には、先日目にしたばかりの第三皇女の姿がある。



 これまた相も変わらずと言うべきか、第三皇女もまた別格の華である。

 やがてアリスは第三皇女の傍に立つと、そっと俺が乗る馬車の方を向いた。

 何を伝えたのかは分からない。何かを聞いた第三皇女は俺が見ていた窓に目を向け、そして俺が乗っていたことに気が付いたところで静かに目を伏せると。



「謝ったのかな」



 くっと顎を引き、軽く頭を下げるように角度を付けた。

 傲慢とは思わない、彼女は皇女であるしこの場の雰囲気もある。

 せめて、少しでも先日の謝意をと思っての行動だろう。



「グレン様、出発してもよろしいですか?」


「ええ、お願いします」



 御者に簡潔に返事を返すと、すぐに馬車は屋敷への道に戻る。

 …………この辺りには他にも学園がいくつかある。ようはその影響もあって道は賑わっており、歩く学生たちの姿には若さを感じて止まない。

 俺はと言えば、実はその光景を見れば学園に通いたくなるかもと思ったこともある。

 結局のところそれはなかったらしいが、でも行き交う生徒たちの姿を見るのは楽しさがあった。



「アリスはいつもあそこで第三皇女殿下と合流するんですか?」



 御者がローゼンタール家から来てくれている人だから尋ねてみた。



「今日のような日もございました。ですがお嬢様は帝都で第三皇女殿下と共に居らっしゃることもありましたよ」


「へぇー……城で合流してって感じですか」


「左様でございます」


「なんか、悪いことをしちゃった感じがしますね」


「とんでもない。お嬢様を派遣なさることに決めたのはご当主様ですし、お嬢様もグレン様のお傍で楽しそうにしていらっしゃる。我々、使用人としても、喜ばしい限りでございます」



 それに、通学にも時間が掛からないのがいいとか。

 今日に至るまでアリスもそれは言っていた気がするし、一時間ほどの道のりが十数分も掛からないとなれば気分はそう悪くないはずだ。

 アリスの場合、寝ることが好きだから簡単に分かってしまう。



 ――――ふと。



「あれ、これって……」



 アリスが座っていた席の下に小さなポーチが落ちていた。

 手に取ると鼻を利かせなくとも漂う香りに、アリスの姿が瞼の裏に浮かんでくる。



「すみません、アリスが忘れ物をしたみたいです」


「こ、これはこれは……気が付けず申し訳ありません」


「いえいえ、とりあえず引き返して渡してきてもらえますか? 俺は……この辺りは来たことがないんで、ちょっと散策してみようかと」


「なりませんよ、ご領主様の嫡子がお一人で――――」


「父上は大丈夫って言ってたので、気にしないでいただければと」



 さすがはあのアルバート、貴族なのに豪快である。

 はたまた、こればかりはやはり自分も咎めるべきなのか。

 御者はこんなことを考えていそうな顔で俺のことを小窓から見て来たが、気持ちはわかる。俺だって、自分が御者の立場であれば止めていた。



「それでもなりません。お止めしたこと、領主様のお言葉に反したことへの罰はいかようにでもお受けいたしますので、今日はどうかこのままお付き合いくださいませ」


「……ですよね」



 これがまっとうな対応なのだ。

 ラドラムとも違う、一般的な考えなのだ。

 特別、食い下がるようなことでもなく、分かったと答えた俺は再度、シエスタ魔法学園に向かいだした馬車の中で頬杖をついて外を見た。

 すると。



「止めてください」



 直ぐ近くで制服を着た男が壮年の老婆に手を差し伸べ、身体を支える姿があった。

 制服がシエスタ魔法学園のものだから気になったのかもしれないが、何にせよ、事情がありそうだ。



「ちょっと話を聞いてきます」


「お、お待ちを! グレン様ッ!」



 俺は制止を聞かずに馬車を下りて、男子生徒の元へ向かう。

 辺りはまだ学園の密集地とあって人の通りは多く、建物も多い。

 こういう場所だからか、彼の姿は特に浮いていた。

 俺は端正に並べられた石畳を駆け、黒鉄色の街灯の下に佇んでいた男子生徒の前にたどり着き。



「どうかした?」



 と声を掛けた。

 男子生徒は驚いた様子で俺を見るや否や、困った様子で口を開く。



「こちらの女性が気分が優れないとのことだ」



 俺は声の主を見て既視感を覚えた。

 年のころは二十代も半ばぐらいなのに、制服姿と言うのが若干ミスマッチ。

 何処かで見たことがあるような……声も聞いたことがあるような気がする。



「大丈夫ですか?」


「……申し訳ありません、お貴族様たちにこのような老婆に手間を……」


「俺のことは気にしないでください。きっと彼も、そう思って貴女のことを気にしているのでしょう」


「ああ、その通りだ」



 確か近くに診療所があったはず。

 俺がそう思っていると、丁度良いことに近くを歩く騎士の姿に気が付く。



「こっちに来て! 頼みたいことがあるんだ!」



 声を聞いて近づいてきた騎士は老婆を見て察すると、男と変わって手を差し伸べる。



「近くに休める場所があるので、私と共に参りましょう」



 老婆は遠慮がちだったが俺たちと騎士の援護もあって最後は頷き、騎士に連れられてこの場を後にする。完全に自分の足で歩けないわけでもないし、大きな病気とかではなさそうだ。



「見たところ、君も貴族だろう?」


「え……俺?」


「ああ、素晴らしい振る舞いだったと思ってな。見ての通り、周囲を歩く者は一人たりともこの私の傍に来ようとしなかった。分かるか、皆が見て見ぬふりをしたのだ」



 正直、声を掛けづらいというのは俺も理解できるが、彼の言う通りと言う側面もある。

 同時に彼の正義感の強さも明らかだ。

 まさに弱きを助ける、良い貴族という感じがして印象はとても良い。



「その点、君は素晴らしい。どうだい、私の友人になってくれないか?」



 差し出された手は逞しく、重ねてみると見た目に沿う温かみがあった。

 すると男はニカッと白い歯を露出して、爽やかな笑みを向けてきた。

 男らしく、でも端正さも失っていない顔立ちのままに、覇気のある声で言う。



「私はクライト。クライト・アシュレイだ。栄えあるアシュレイ伯爵家の長男で、騎士団においては第五皇子専属部隊に席を頂戴している」



 なんてこった、エリートじゃないか。

 でもやっぱり既視感のある話で、俺は古い記憶を辿ってしまう。



「どうだ、私が推薦する。その歩き方を見ていると君も剣を扱うのだろう?」


「扱う……まぁ、扱うけど、ちなみに推薦って?」


「第五皇子専属部隊にさ! どうだ、詳しくは帝都で話したいのだが……そうだ、心配はいらないぞ! 第五皇子殿下も無下にはなさらないはずだ!」


「気遣って頂いたのに残念だけど、余裕がないかな」



 俺の返事を聞いたクライトは大層驚いた様子でまばたきを繰り返す。



「な、何故だ!?」


「いや仕事があるし、父の仕事も手伝わないといけないからね」


「くっ……ま、まぁ初対面で無理を言うのも何だ……しかし我らの仲間ともなれば、良き縁だって望めるぞ! 私だって良縁に恵まれ、つい最近になって許嫁が出来たのだ!」


「それはおめでとう。お相手はいい子?」


「ああ、私の巨躯と違い何とも小柄なのだが、優しくて穏やかで…………じゃない! 私の話は良いのだ! ようは第五皇子殿下のお傍にいれば貴族として、家のために良い事だってあると言いたいのだ!」



 顔を赤らめているところを見ると、その許婚とやらに強く惚れているようだ。

 貴族の婚姻と言えば裏の話が多いが、彼は違うようで微笑ましい。



「言いたいことはわかるけど……でも無理かな」



 そもそも良縁と言うとアリスが近くにいる。

 恐らく彼の言う良縁と言うのは結婚に関することだろうが、それを抜きにしても、俺はラドラムとの関係だってあるから特に気にすることではない。

 と言うか、彼が居るのに他の貴族と仲良くなれるなんて逆に難しい気がしてならない。



「くぅう……惜しい、何とも惜しい……君のような正義感のある男とならいい仕事が出来ると思ったのだが……」


「ごめんね、いずれ縁があったらってことで」


「いずれ共に働けることを祈って――――ところで、君は私と何処かで会ったことはないか?」



 奇遇だな、俺もそれを感じていたんだ。



「あった気がするけど、思い出せないんだ」


「何か縁がありそうな――――おっと、そろそろ時間だ。もう学園に行かなくては授業に遅刻してしまう」



 すると彼は名残惜しそうに踵を返してシエスタ魔法学園へと向かう。

 俺は彼の後姿を見ながら、やっぱり見たことがあるなーと腕を組んでいた。

 いったいどこで。何時、彼の声を聞いたのだろう。

 こう思っていたところで不意に、彼の自己紹介の言葉が脳裏を掠めた。



「伯爵家……騎士団では第五……」



 このワードに覚えがあり、どこで聞いたのかと必死になって頭を働かせた。

 すると、遂に。



「あっ」



 同時にクライトも足を止めて、何やら思い出した様子で俺の方へ戻って来るではないか。

 そして俺も遂に気が付いたとあって、クライトを見ながら口を開き。



「もしかして――――ッ」


「見たことがあると思ったら、まさか貴様は――――ッ」



 そう、あれは俺がアリスのお忍びに付き合った時のことだ。



「アリスに求婚してた男だ!」


「アリスティーゼ様の隣にいた男か!」



 言葉を重ねた俺たちは互いの顔を見て、互いの顔に指を向けた。



「あれ、お前アリスに求婚してたってのに、もう許婚が出来たの!?」


「なっ……ち、違う! 私がアリスティーゼ様にそうしてたのは理由があって「理由って?」いや貴様には関係ないだろう! 私のことを騙したのだな!?」


「いやいやいや騙してないし、互いに気が付いてなかったし!」


「ああ! 確かに貴様の振る舞いは正義感があったが、しかし…………ぬぐぐ……ッ!」



 なんかもう、面倒くさくなってきた。

 アリスに嘘の求婚をしていた理由とやらは問い詰めたいところだが、ここで問い詰めるのは彼がかわいそうだ。周囲の注目を集めていることがその理由ではない。

 俺はその理由を教えるため、袖をまくって腕時計を指さした。



「また機会があったら話してもいいけど、今は時間が危ないと思うよ」


「ッ――――ほう、意外といいところがあるではないか」


「こんなんで褒められてもうれしくないけどね」



 こいつは俺を敵視したいのか認めたいのか、もう良く分からない。

 正義感が強いのは分かる。

 だが、俺にとって若干面倒な性格と若干面倒な立ち位置のせいなのが悪い。



「話す機会はもうないだろうが、もしもあったら次こそ性根を叩き直してやろう!」



 最後に謎の捨て台詞を放ち、クライトは足早に立ち去った。

 俺はと言えば、その後ろ姿を見送ってから、注目を浴び妙な居心地の悪さに苛まれるまま、御者を待たせている馬車へと戻って行っていく。



 頬を引き攣らせたままに、あの学園には関わるべきではないと心に刻んで。



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