二章―港町フォリナーは眠らない―
帝都の姫君。
帝都の城にて。
もう二月に差し掛かる頃、バルバトス暗殺事件から一か月ほどの時間が過ぎた日のことだ。
真夜中の城内を歩く一人の皇女。
名をミスティア・エル・シエスタと言った。
彼女はカツン、コツンと歩く度に音を立て、心に潜む苛立ちを表現していた。
腕を組み、何か考え事をしながら歩いていたが、彼女はふと、窓の前で足を止める。
「――――アリス」
想うのは一か月前、帝都を離れた友人のこと。
理由の詳細は明かされていないが、兄のラドラムからは必要があったからとの返事が返ってきて、それ以上の返答は期待できなかった。
しかしミスティアは疑問に思う。
バルバトスが暗殺されたばかりなのに、どうして妹をフォリナーまで派遣したのかを。ハッキリ言うと、ラドラムはアリスが心配じゃないのかと腹が立っていた。
細く形のいい指で窓に触れると、軽く俯いて決心する。
「法務大臣に直接聞かなきゃ」
そして、あの子の様子を見に行かないと、と。
早速明日にでも城を発とう、そう決めて自室に戻ろうとした刹那。
「こんな時間に何をしてる、ミスティア」
声を掛けたのは整った顔立ちをした、茶髪の美男子だ。
彼は女慣れした穏やかな口調で声をかけ、ミスティアとぐっと距離を詰めてくる。
「別に何も」
「はっ、そんな顔して何を言ってるんだよ。俺に教えてみろよ」
「……気にしないで、大したことじゃないの」
すると、ドンッ。
少年の腕が伸びて、ミスティアの進行を遮った。
「兄を邪見にするもんじゃない。それに、そんな顔をすれば折角の美貌が台無しだろ」
ラドラムも言ったが、ミスティアはアリスと同等に異性の目を引く容姿をしている。
白磁のように磨かれた肌。すっとまっすぐ伸びた鼻梁と、匂い立ちそうな唇。くりっとした目元を長い睫毛が覆い、奥に控えた
桜色の髪の毛は、上質なシルクのように艶めいていた。
称えんばかりの美貌には、天使を思わせる神秘的な魅力がある。
「私の容姿は別にお兄様と関係ないわ。いいから、そこを退いて」
「関係ないことはない。俺は第五皇子だし、場合によっては同じ皇族内で妻を娶ることもある。だから相手は
「私は興味ないから、別の女性に話してくれる?」
「相変わらず、つれない女だ」
すると第五皇子はミスティアに手を伸ばし、ほっそりとした腰をぐっと強く引いた。豊かな胸元がぴったりと密着しそうになったが、ミスティアはのけ反り距離をとった。
眉を顰めて目を閉じる。
つづけて、吐き捨てるように息を漏らした。
「魅力的な肢体に引かれる男は数知れず。ミスティアの容姿なら殊更だ。俺は十四歳で、お前も十四歳。歳の差も関係ないぞ」
「ふぅん、私たちは母が違うから大丈夫って言いたいの?」
「ああ、ご明察」
ミスティアはくすっと笑い、気だるげな動きで距離を詰める。
それをみて喜ぶ第五皇子だが。
「――――ひどい匂い。まるで腐臭ね」
彼女の息吹は第五皇子の顔に届き、頬を少しずつ凍てつかせた。
頬を突く痛みに、彼は思わず手を離す。
「ぐっ……お、お前ッ!?」
「バルバトスとの関与が疑われてるんでしょ? どうせなかったことにするんでしょうけど、私がそんなお兄様を相手にすると思ってるのかしら」
すると、反撃しようと彼も口を開く。
「お前もローゼンタールの後ろ盾が欲しかったんだろ? けど奴は剣鬼と近づいて新たな派閥が生まれた! だから苛立ってるんだ、聞かなくても分かってるんだよ!」
「あのね、私がそんなことで苛立ってるわけないじゃない」
「口ではどうとでも言える。あの男の妹と仲が良かったお前に付くだろうって、かねてから噂だったからな!」
「……だから私は、そんなんじゃなくて」
あくまでも、アリスのことを心配しているだけだ。
しかし第五皇子は聞く耳を持たず、振られたことの腹いせを述べつづけた。
「ほんっと、小さい男」
「なんだって? おい、もう一度言ってみろよ」
「小さい男って言ったの。私を娶りたくて、抱きたくて口説いたくせに。断られた挙句に情けない文句? そんなんじゃ、城下の商売女も陰口を叩くと思うけど?」
「……お前!」
「少なくとも私は、お兄様に抱かれるぐらいなら、例の賊に無理やりされるほうがよっぽど幸せね」
「はっ! 犯罪者に興味でもあったのか? 馬鹿馬鹿しい」
「分からない? その犯罪者の方がよっぽどマシって言ってるの」
ミスティアは別に、犯罪を許しているわけじゃない。
だが、殺されたのは、不正と貴族の癒着で極刑ものだったバルバトスで、賊は同時に怪盗の命も奪った。それ以降、賊が何かしたという情報はないし、目の前に第五皇子と比べればよっぽど聖人に思えてくる。
何一つ反論できずに黙りこくった彼に対し、ミスティアは早いうちの別れを願い、悩みを告げる。
「私が考えていたのはアリスのことよ。どうしてあの町に派遣されたのかって、今から法務大臣に尋ねに行こうと思ってたの」
「くだらない…………やめとけよ。お前があの腹黒貴族から聞き出せると思ってるのか?」
「立場は私の方が上なんだから、聞きだしてみせるわ」
閑話休題。
二人は少しずつ落ち着きを取り戻し、第五皇子は疲れた表情で答える。
「馬鹿言うな。ラドラムと言ったらとんでもない男だぞ。兄上たちだって、それこそ父上も口を出さない男だ。お前だって、あの男の凄みは良く知ってるだろ」
「ええ、けど引き下がれるはずないでしょ」
二人の話は着地点を見失い、とうとう静寂が辺りを包み込む。
それから、先に動いたのはミスティアだった。
彼女は思い出したように腕時計に目を向けると「もう行くわ」と言って歩き出す。
――――すると。
「おや、これはこれはお二方! ご機嫌よう!」
廊下の端から現れた、陽気に笑う一人の大貴族。
ミスティアの目的だった、法務大臣ラドラム・ローゼンタールだ。
「ちょうどよかった。貴方に聞きたいことがあるの」
「僕に? ええ、何なりと」
「どうしてアリスが帝都を出て、港町フォリナーに派遣されたのかしら? 賊が出て間もないと言うのに、危険にさらすような真似をしたのは何故?」
はっきりと言い終えたミスティアの近く、壁に背を預けて立っていた第五皇子は苦笑した。
この後どうなるのかなんて、分かり切っている。
「なるほど、つまり姫様は、アリスに危険が降りかかることを危惧していると。そういうことでしたか! 私の妹のためご慈悲を賜り、なんて光栄なことでしょう!」
「…………」
「それはつまり、アリスには安全な場所に居て欲しいということですね?」
何か含みのある言い方だ。
ミスティアは怪訝に思いながら、しかし「いいえ」とも答えられない現状にため息をついた。
「ええ、そうね」
だからこう答えるしかなかったのだが。
「ではご安心ください! フォリナーにある領主の屋敷には、あの
「なっ……そんなの」
「詭弁ではありませんよ」
ミスティアが口をはさむ隙は生じず、ラドラムの優位はつづく。
「事実、アルバート殿以上の戦力はシエスタにおりません。近衛騎士団長、あるいは皇家の側近の何名かも相当な実力者ですが、それでもアルバート殿には及ばない。それこそ、先日暗殺されたバルバトスでは足元にも及ばない強者だ」
「で、でも! 兵力は帝都の方が――」
「しかし、現にバルバトスの屋敷が侵入されました。どうせならフォリナーに居たほうが安全だと思いますが」
二人の様子を眺めていた第五皇子は、やっぱりこうなったかと含み笑いを漏らした。
どこまでも飄々として、掴みどころも付け入る隙も見当たらない。
「アリスも成長しないといけませんしね。特に問題がある派遣には思えませんが、いかがでしょう?」
「くぅ…………ッ」
「姫様がトライアングルまでご成長なさったように、アリスも同じく成長する必要があるんです。どうかご理解いただければと」
結局、少しの反論も出来ずに話が終わった。
ラドラムは消えるように立ち去り、残されたミスティアは不満げに唇をきつく縛った。
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