帝都への旅のエピローグ
帝都を出た次の日の朝、俺は一人で見知らぬ町に居た。
空は雲一つない快晴。この辺りは雲が積もりにくいらしく、帝都に比べて少し早い春が来ているように見える。
「グレン様、見えて参りましたよ」
「……おぉー、すごい大きい町ですね」
御者を務める爺やさんにそう言って、俺は視界一杯に広がる風景を眺める。
――――港町フォリナー。
シエスタ帝国一の貿易港を保有する大都市で、帝都までおよそ一時間とアクセスの良いところにある。人口などは帝都に劣るものの、やってくる人種の数は他の追随を許さない。白壁と赤レンガ造りの家々が目立つ町並みで、町は円状に整備されていて、町中を通る水路はまるでヴェネツィアのようで美しい光景。
父上が言っていた街道の奥に位置し、アリスが「バルバトスが手を伸ばしている町」と言っていた場所だ。
ど真ん中を通る大通りをまっすぐ進んだその先に、一際大きな屋敷が一件、そびえ立つ。
橙色のレンガが暖かな印象を感じさせる、品の良い洒落た屋敷だ。三階建てだが、天井が高いらしく建物も大きい。
「あれがつい先日出来上がったばかりの屋敷でございます。元は亡きバルバトス将軍が利用する予定で建築されたものですが、既にアルバート様に権利の委譲がされております」
「既に父上の屋敷ってことですか」
爺やさんが笑顔で頷き返してきた。
ところで、俺が一人だけこの町に来ているのは理由がある。
実は俺と父上が帝都を出てからは、適当な町で宿をとろうとして馬車を止めていたんだ。爺やさんが唐突にやってきたのは深夜のことで、そこでラドラムからの書状を父上に手渡した。
書かれていたのは父上が、ハミルトンに加え、港町フォリナーの領主となることについて。
『随分と急な話だな』と父上は渋ったが、騎士のことを想い最後にその話を引き受けた。
将軍の後任だったバルバトスの行いに対しての償いでもあったのだろう。
あとは貴族の立場としても、簡単に断れないことを知っていたからでもある。
で、引っ越しの準備や代官の用意。
それに、婆やを連れてくると言うこともあって、父上だけハミルトンに帰っていった。
「父上はこの町の領主となれば、新たに文官や使用人を雇わないといけないと言ってました」
「ええ、確かにその通りです。ただご安心下さい。当家から給仕が何人かと、ラドラム様がご推薦なさった敏腕の文官が一人派遣されますので」
ラドラムが敏腕と言うだけの文官ならば、何も心配はいらないはずだ。
「俺と父上が礼を言っていたと伝えてください。近いうちに手紙も送ります」
「承知いたしました」
俺を乗せた馬車は注目を集めている。
何せ馬車の主は本来ローゼンタール公爵家で、法務大臣ラドラムが乗っていておかしくない馬車だ。
大通りの賑わいは帝都に勝り、多くの出店に海産物が並んでいる。一人の例外なく、店主や住民、観光客の皆が興味津々な様子で目を向けてくる。
馬車の窓から見える景色はすべてが新鮮だった。
「少し急ぎましょう」
爺やさんが俺を気遣って言うと、馬が少しだけ加速した。
同時に少しだけ揺れが生じていたが、不快に感じるほどじゃない。むしろ徐々に近づいてくる屋敷を見ていると、自然と心が躍り出す方が自覚できた。
「門番とかは一人も居ないみたいですね」
「先日まで無人でしたし、雇うところからはじま――いえ、恐らく騎士が派遣されるかと。帝都貴族と違い、領主となれば国から用意されるのが常ですので」
なるほど、田舎のハミルトンとは話が違うようだ。
考えている内にも馬車は大通りを抜け、人通りが全くない屋敷の近くに到着する。
馬車は屋敷の門の前で停まった。
「到着いたしました。さぁ、お手をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「お伝え忘れていたのですが給仕に加え、旦那様が派遣した文官がすでに屋敷におります」
「あれ? 随分と早いんですね」
「旦那様はグレン様方が帝都を去ったその日のうちに、皆をこの町に派遣しておりましたから」
本当に仕事が早い男だ。
だが、給仕が既にいるのは本当に助かる。
文官にも、先に挨拶しておけばいい。
「私は既に中を確認しておりますので、先にグレン様のお部屋へ参りましょう」
爺やさんの先導について門を潜り、無駄に広い庭園を過ぎて屋敷の扉に到着する。随分と手間暇かけられた豪華な提案だったが、扉も負けず劣らず、見事な彫刻が施された分厚い木製。
中に入ると、純白の大理石が広がる床の左右に、二人ずつの計四人の給仕が立っていた。
まだ調度品は少ないのが、新居らしくて少し面白い。
「お帰りなさいませ」
一人が代表して俺に声をかけてくると、四人が一斉に頭を下げてくる。
……何というかくすぐったい。
まるで貴族を相手にするような対応じゃないか。
いや、思えば俺って貴族だった。
辺境暮らしが長かったからか、よく自分の立場を忘れてしまう。
「グレン様、何かありましたらこの者らに遠慮なくお伝えください」
「あ、はい……わかりました」
「お部屋は三階の右手奥になります。左手の奥が当主のための、アルバート様のためのお部屋となっております」
「豪華すぎて気が引けて来たんですが」
「ご安心ください。数日も住めば慣れるでしょうから」
最後の最後に力技とは恐れ入った。
それから俺は踊り場から左右に分かれる階段を上った。二階に着くと、いくつかの部屋が並んでいるのが視界に映る。
「執務室や書庫など、職務に必要な部屋の多くは二階にございます。他にも多くの部屋がございますが、ご説明は後ほど。先に三階へ参りましょう」
そして三階へつづく階段もまた、踊り場から左右に分かれている。
ただ、左右に分かれた階段を上ってしまうと、右と左の領域は完全に隔絶されているのが二階との違いだ。踊り場を経由しないと、父上と俺の部屋の行き来が出来ない。
「まずはお部屋ですが、他の扉は浴室などが備わっております。一階には大浴場もございますので、ご自由にお使いください」
「……やっぱり豪華すぎませんか?」
「何せここは大都市ですので」
説明になっていない。うちは子爵家なんだ。
辺境都市で慎ましく生きて来たんだぞ。
「どうぞ中へ。派遣された文官が中でお待ちです」
「分かりました――って、爺やさん?」
「私は荷物を運んでまいります。食事のことも給仕らに話して参りますので、後程また参ります」
「え、あ、はい」
なんで急に? あと、どうして俺の部屋で文官が待ってるんだ? 浮かんだ疑問に答えを得られないまま、俺は静かに扉を開けた。
部屋の中もガラッと物が少ない。
しかし一つ、唯一俺に背を向けて置かれたソファに一人、誰かが座っていた。
「――――お待ちしておりました」
少し硬い、どこか棘のある警戒心が宿った声色。
立ち上がった彼女は俯いたまま俺の方に振り返って、一度も俺を見ずにカーテシーを披露する。
「兄より命を受けて参りました。アリスティーゼ・ローゼンタールと申します」
「……うん」
知ってる。
あと、ラドラムが推す文官ってのも良く分かった。
「非才な身ではありますが、課せられた
「仕事仲間として?」
え、また何かやれってこと? ラドラムめ、今度は何をさせようっていうんだ。
「はい。あくまでも仕事仲間として、お傍においていただければと」
しっかしなんで今日は棘があるんだよ。
ウザすぎるのも問題だけど、この調子ならウザすぎるほうがいい。
俺が一歩踏み出すと、アリスの身体がビクッと揺れた。
「別に取って食いやしないってば」
むしろ、この前までは俺が取って食われそうだったじゃないか。
「し、失礼いたします! 私は他に仕事が――――」
顔もあげたかったからだろう。
アリスは躓いて、俺にもたれかかるように倒れこんだ。
「手の怪我も完治してないんだし、そんな慌てなくてもいいと思うけど」
「ですが…………え? 手の怪我……?」
「うん。バルバトスのもだし、俺が切った怪我もまだあるでしょ」
ここでアリスはようやく顔を上げたのだ。
驚きの染まり、信じられない物を見るように俺を見て、されど期待するように俺の顔をじっくりと見つめてくる。
なんでこんなに感動的になってるのか分からない。
「え、嘘……なんで、どうしてグレン君が…………ッ!?」
「なんでも何も、父上が港町フォリナーの領主になって、俺が一足先に来たからだけど。ってか声で分からなかった?」
「だ、だって! 声をちゃんと聞く余裕がなかったから……!」
何かかみ合っていない様な気がする会話だ。
爺やさんは文官が待っていると言ってたけど、居たのはアリス。そしてアリスが口走っていた言葉からは、やってきた人物に対しての警戒心と、拒絶反応がひしひしと伝わってきたわけで。
「ああ、あの狸貴族のせいか」
十分察しが付く。
アリスは意図的に情報を遮断され、且つ、この屋敷の主人に仕えるよう言われたんだ。
思いつく理由としては、ラドラムが与えると言っていた罰ぐらい。
「ラドラム様からは、なんて言われてここに?」
「お、お兄様からはその……この町の新たな領主の下働きをしろって。無期限って言ってたの! だから、だから私は誰かの物になると思って……ッ!」
「俺は爺やさんから、ラドラム様が派遣した文官が居るって聞いてたよ」
中々性格の悪い罰ではあるが、それでも格別の罰だろう。
実質的に脅しだけで、帝都を離れて仕事をさせられるだけなわけだ。
ふと、アリスの頬を大粒の涙が伝った。
彼女もまたラドラムの思惑を察したようで、宝石も霞む可憐な笑みを浮かべて俺を見る。
今の涙は、ようやく安堵したからのものだろう。
「……私はグレン君が拾った猫なんです。最後まで面倒みてくれますか?」
先日、俺が言った言葉に対しての返事か。
しかし素直に「うん」と言うのも芸がない。
「悪いけど俺、犬派なんだ」
「じゃ、じゃあ! 犬でも狼でも別に構いませんよ!」
「なんだそれ。飼い犬にでもなりたいの?」
「ふふふー……どうします? ワンワンって甘えたら飼ってくれるんですか?」
俺の胸元に両手を置き、身体を押し付け甘えるようにアリスが言う。
甘える仕草は止まることを知らず、大胆にも俺の首に腕を回してきた。
「きっと飼い犬にしては上等ですよ、私」
確かに。
アリスは艶美な空気を醸しながら可憐さを忘れず、教会に描かれた天使のように高貴で、俺に対して妙に懐っこいのはツボをついている。
アリスのような女の子なんて、世界中探しても見つかるか分からない。
「残念だけど、人を犬と称して飼うほどの鬼畜でもない」
「むむぅ――! もういいです! なら無理は言いません!」
すると彼女は俺の胸元に顔をうずめ、少し不安な感情を隠し切れずに。
「……じゃあ、アリスって言う女の子が近くに居るのは、どうなんですか?」
少し意地悪をし過ぎてしまった。
彼女はきっと今に至るまで不安だったはず。それなら、もう少し素直に受け入れるのが正解だった。
俺は強く後悔し、詫びの意味も込めて彼女の背に手を当てる。
「それは楽しそうだし、悪くないかも」
帝都へのパーティが決まった日からおよそ一か月。
あれほどの騒動に巻き込まれ、面倒な男に目を付けられて、最後に公爵令嬢を抱きしめるなんて思いもしなかった。
グレンとしての生活は穏やかなものを望んでいたが、まぁ、こういうのも決して悪いとは言わない。
「…………最初からそう言ってくださいよ、バカ」
不満げながら、嬉しさを隠しきれていない震えた声。
俺は悪かったよと言って、アリスの頭をそっと撫でた。
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