法務大臣の屋敷へと。
一夜明けてからも、俺たちの部屋は賑やかだった。
騎士は宣言した通り、彼らの上司を数人ばかし連れてやってきた。
しかし昨夜、父上に対し高圧的だった騎士は居ない。
なんでも、証拠物品を失ったことに対して責任を問われ、今回の捜査から外されたとのこと。
そしてこれから聴取がはじまる。
昨夜に比べ、随分と人道的な捜査のようだ。
少なくとも新たな証拠をでっち上げでもしない限り、父上が犯人と断定されることは無いし、昨夜の件もあってか強引なことはしないだろう、と父上と俺は踏んでいる。
と考えていたものの、近いうちに牢屋に連れて行くぐらいはされるかも、と父上は言っていた。
強制的に断罪されるかもしれない未来は、まだ消え去っていない。
俺はそれを危惧していた。
「――グレン。悪いが聴取が終わるまで、奥の部屋で待っていてくれないか?」
「それなら、少し外に出てきてもいいですか? ここに居ても気が滅入りそうなので」
「ああ、なら小遣いをやる。気を付けて行ってくるんだぞ」
父上はそう言ってから、俺に銀貨を三枚手渡した。
銀貨は前世の価値に換算すると、一枚あたり一万円ぐらいだったか。
「ありがとうございます。父上」
ところで、貴族の子供だと言うのにこの自由っぷり。
父上らしいというか何というか。
取りあえず俺は、羊毛を織って作られた灰色の外套を羽織る。
――――宿を出て外に出ると今日も寒い。
しんしんと降る雪。
吐息は真っ白で、手袋をしていないと霜焼けになりそうだ。
まだ朝早いと言うのにさすが帝都。人通りが多い。
行き交う馬車や歩く人の数は辺境都市ハミルトンの比じゃない。
俺が大通りの石畳に積もった雪を踏むと、キュッキュッと音が鳴った。
建物や家々が所狭しと並ぶ大通りを歩き、俺はそっと呟いた。
「どこにあるのかなー……っと」
俺が外に出たのは、とある目的地へ向かうためだ。
正直言って気は進まないし、できれば顔も見たくないような相手の家に向かっている。
ただ、その家とやらが何処にあるのかは不明だった。
「はぁ……こんな騒動なんて、二度と関わるもんかって思ってたんだけど」
転生する前に夢を抱き、そして転生してからは目標に至った。
それは、新しい人生は穏やかであること。
優しい妻と可愛らしい子供たちに囲まれた暮らしを送りたい、なんてささやかな目標だ。
そのためには暗殺は勿論の事、貴族の思惑には関わるべきじゃない。
だが、父上を見捨てることもできない。
だから今回だけだ。
俺がこんなキナ臭い騒動に首を突っ込むのは、これっきりにしたい。
とは言え、残念なことに力が足りない。
腕力と言う意味ではなく、権力という意味で足りていなかった。
「そう思うと、昨夜の出会いは幸運だったのかもしれないけど……はぁ」
何度目かのため息を吐いて空を見上げる。
昨日の今日で頼ることになるなんて、彼にとって都合のいい展開過ぎないか?
色々と疑い深いが、悠長に考えている暇も無い。
そろそろ誰かに尋ねないと。
「すみません」
俺はすれ違った中年の男性に声を掛けた。
「ん? どうしたんだ?」
「ローゼンタール公爵のお屋敷をご存知ですか?」
「おいおいおい。ガキが友達の家を聞くのと訳が違ぇぞ?」
「知ってます。でも用事があって」
「……なぁ、お前、自分が怪しいって自覚あるか?」
気持ちは分かる。
貴族の家に用事がある、場所を教えろなんて言われても警戒するだろう。
相手が少年なら尚のことだ。
仕方ない。俺は懐に手を差し込み、一枚の銀貨を取り出した。
「コレで教えてくれます?」
子供がいきなり一万円を差し出して場所を聞く、我ながら怪しさ満点で苦笑してしまう。
だが男からしてみれば降ってわいた一万だ。
男はきょとんとした顔を浮かべたが、すぐさま俺から銀貨を受け取る。
「……大通りの一番奥、城に向かって左の貴族街にある、一際でかい白壁の屋敷だ。右の貴族街じゃねえぞ。平民の俺が知ってるのなんてこんぐらいだ」
「あれ、左右に分かれてるんですか」
「上級貴族と下級貴族でな。まぁ、お前みたいな奴が行っても、見回りの騎士に捕まるだけだ」
そう言って男は立ち去る。
だが十分な情報が得られたことに違いない。
「捕まるだけって言っても、行くしかないんだけどさ」
少し歩く速度を上げる。
向かう先は向かって左側の貴族街、見回りの騎士が居ないことを切に祈った。
しばらく歩いた頃、俺は街の雰囲気が変わったことに気が付く。
ああ、ここが貴族街なのか。
石畳一つ取っても高級感に溢れている。
路肩に等間隔に並べられた街灯は綺麗に磨かれているし、立ち並ぶ屋敷のすべてが大きく、豪奢な造りと巨大な庭を持つ屋敷しかない。
平民が住む地域とは別世界だ。
……さて、ひとまず貴族街に到着したわけだが。
「そりゃ、見回りが居て当然か」
中年の男が言っていたように、見回りの騎士が何人も居る。
俺は、何食わぬ顔で貴族街に足を踏み入れた。
すると。
「――そこの君」
見回りの騎士がすぐさま声をかけて来た。
「はい?」
「ここから先に何か用事でも?」
「そうです。法務大臣閣下の下へ行きたいんです」
「……約束は?」
そんなもんはない、俺は首を横に振った。
いっそのこと、ハミルトン家の者と名乗るべきかとも考えた。だが、昨日の今日で、父上に対して殺人未遂の疑惑がある今、この選択肢は悪手に思えてならない。
騎士に取次を頼もうにも、素性も知らぬ子供の話を真に受けるはずがない。
「帰りなさい。ここから先は、簡単に足を踏み入れていい場所じゃない」
だろうな、正面から足を踏み入れることは失敗だ。
しかし今の騎士は礼儀正しかった。
父上を慕っていたであろう騎士と願い、名前を晒してもよかったかもしれないが。
(それは最後の手段かな)
俺は諦めたような顔を浮かべ、騎士の前を立ち去り貴族街から離れて行く。
それから俺は、くくっ、と自嘲するように笑い声を漏らした。
転生してから十三年が経つ。なのに、暗殺者としての価値観は生きていたのが苦笑を誘う。
正面からいけないなら忍べばいいだけだ。
白昼にあろうと方法はいくつもある。
俺の脳裏を掠めた多くの手段は、そのすべてが暗殺者だったころに培った技術の結晶だ。
いくつかの手段を思いついたところで、俺は辺りを見渡した。
路地裏に周り屋根に上る。貴族街に向かう馬車に忍び込む。騎士を誘い出す。貧民を残りの銀貨で雇い、騒ぎを起こさせて注目を集める――手段ならいくらでも思いつく。
ただし、出来れば今は静かな手段を選びたい。
なら。
「あそこだ」
見つけたのは大通り付近を通る水道橋。
灰色の石材でアーチを造り、それを上下二段に重ねて繋げていた。これ自体はごくありふれた水道橋の造りだが、大きさは前世で見たものの比じゃなく大きい。
幸いなことに、水道橋は貴族街の奥へつづいているようだ。
問題があるとすればただ一つ。
あそこは絶対に寒い。冬場に忍び込むような場所じゃない。
考えるだけで気が滅入るが。
「……行くか」
迷ってる暇なんてなかった。
俺は極寒を覚悟して、水道橋へと足を進める。
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