暗殺対象:森の魔物
夕食時。
食堂でいつも通りの食事をしていたが、父上は違った。
片手に分厚い紙の束を持ち、唸りながらパンをかじっている。
「父上、何かあったんですか?」
「ん、ああ……朝に来た客人がちょっとな」
そう言うと、父上は俺にふっと笑いかける。
「近くの森で『四ツ腕』が現れたそうで、どう対処すべきか考えていた」
「…………なんですか、その奇妙な単語」
「魔物だ。私より二メイルは高い身長の猿で、腕が四本もある面倒な奴でな。どこかから流れて来たのだろうが、森に採集に出ていた民が、早朝に命を奪われたらしい」
メイル、この世界における距離の単位で、メートルとまったく同じ。
つまり聞くだけでも恐ろしい体躯の魔物ということ。
「とは言え、騎士が二十人も居れば対処が可能だ。皆がシングル以上の実力者であればな」
「それ、結構危険じゃありませんか?」
「危険だとも。今は森に潜んでいるようだが、町に迷い込まれれば特に危険だろう」
「例えばなんですけど、父上なら倒せるんですか?」
「はっはっはっ! おいグレン、何を言うのかと思えば急に」
ああ、さすがに父上でも無理か。
二十人でやっとの相手だし、仕方ないか。
「私なら一振りで真っ二つにできるさ。だが私一人が捜索に出たところで、森は広いから簡単に対処が――――む? どうして頭を抱えているのだ?」
「いえ……新たな情報を聞いて困惑してるだけです」
どれだけ強いんだろう、父上は。
こんな嘘なんてつくとは思えないし、真実だと思う。
限界値をいずれ目にしてみたいものだが、さしあたって今は四ツ腕だ。
「で、では! 父上と騎士が二手に分かれて捜索を?」
「残念だが、それが出来ないから困っているのだ」
父上が書類を俺に見せてくる。
この町に常在している、騎士全員の名前が書かれていた。
上から数えると人数は合計二十五人程度。
これだけで、ここがどれほどの田舎か良く分かる。
でも人数は足りているように思えるが……。
「どうして出来ないんですか? 人数なら足りているようですが」
「半数が戦力に数えられんからだ。若い頃は帝都で騎士をしていた者も多いが、六十代のご老体ばかりでな」
「……そりゃ仕方ない」
「だろう? 結局、私が一人で森に入ることになる。私は一人でも一向にかまわんのだが、仮に私が森に足を踏み入れていた際に、四ツ腕が町に迷いこんでは対処できん」
「では、近くの町に増援を頼むのはどうでしょう?」
「すでに書状を送ったが、到着まで一週間以上はかかる」
なんてことだ。
田舎の弊害がここにも影響を及ぼすとは。
「というわけで困っていたのだ。この辺りに現れる魔物なんて、いつもは巨大な虫程度のものだ。だから大して戦力もなかったし、これまでも問題は無かったのだが…………はぁ」
父上のことだし、この町への騎士の増援は頼んでいたはず。
でも増えていないということは、この町の重要度が低いことに他ならない。
俺でも気持ちは分かる。
特産も何もない田舎町で、観光向けの何かもない。
言い方は悪いけど、無駄に金を使いたくないはずだ。
「どうにかして戦力を増やせればいいが……あまり贅沢は望めん」
父上が力なく、パンを噛みちぎる。
グラスに入ったワインを一気に飲み干して、燦々と輝くシャンデリアを見上げた。
「いっそのこと、私が町の入り口にずっと張り込めばよいのだろうが。それでは仕事も進まんし、どうしたものか」
「俺も何か力になれればいいんですが」
「その気持ちだけ受け取っておく、すまん、心配をかけてしまったな」
なんとかして協力したいけど、俺で戦力になるのかが分からない。
相手が人間なら、こんなに迷わなかったと思う。
でも相手は魔物で、俺が見たこともない存在なのだ。
少し大きな猿だと仮定して、突然変異で腕が四本に増えただけ…………ああ、どう考えても簡単には割り切れない。
何か都合よく、強さを比較できるようなものはないだろうか。
スープを飲みながら考えていると、
「あっ」
一つだけあったじゃないか。
今日の朝、父上が言っていた言葉を思い出す。
「話は変わりますけど、若い頃の父上と四ツ腕ならどっちが強いんでしょう」
「それも私だな。対して問題なく討伐できるだろうが、急にどうした?」
「いや……若い頃の父上を、どうにかして呼び出せないかなーって思いまして」
「はっはっは! 何を言うのかと思えば。おかしなことを言われたせいで、気が晴れて来たぞ」
「あははっ――――お力になれたようで何よりです」
軽い口調で返してから、俺はテーブルの下で両手をぐっと握りしめた。
◇ ◇ ◇ ◇
真夜中。
前世と違い蛍光灯の灯りなんてない。
それにただでさえ小さな町だ。
街灯のような灯りもなく、ぽつ、ぽつと点在する人の営みだけが辺りを照らす。
――――何も敷設されていない砂利交じりの道。
フクロウ? 何かわからないが、鳥の声と木々が風邪で揺らぐ音。
空をは雲一つなく、漆黒の天球が星に彩られて目が惹かれる。
頬を撫でる風は涼しくて、コレがただの散歩なら、ゆっくりと楽しみたいぐらい自然豊かで居心地が良かった。
ところで、父上は一度寝たら朝まで起きない。
婆やも眠りが深いタイプだし、俺が家を出たことに気が付いていないだろう。
だから俺は何の憂いもなく外を歩いていた。
着ているのは薄汚れたローブで、これは屋敷にあったのを適当に選んだ。
ローブの内側には、厨房からくすねたナイフが数本。
あとは、ペンのインクを瓶ごと持ってきた。目つぶしにでも使おうと思ってる。
こうしている内にも、俺は町はずれを抜けた。
「暗いな」
森の中は灯り一つなく、上空から降り注ぐ星明りだけが頼りだ。
でもこんな状況は何度も経験したし、大した問題じゃない。
怖気付くことなく森に足を踏み入れると、木の枝を踏む乾いた音が森に響き渡った。
一瞬、立ち止まる。
何か近づいてくる気配がないかと警戒したのだが。
「杞憂か、行こう」
数歩進んだだけで、木々のさざめく音が一層高まってきた。
徐々に夜空が見えなくなって、代わりに枝や葉ばかりが辺りを覆う。
森の深いところに差し掛かったようだが、まだ十分ほどしか歩いていない。
辺境都市と言うだけあるのだ。
人の住む場所を少し外れるだけでこのざまである。
もう少しぐらい整備してもいいんじゃないかなー……って、俺は心の内で呟いた。
予算なんて下りないだろうけどね。
ふと――――鳥の鳴き声が聞こえなくなった。
ああ、どうやら四ツ腕が近くにいるようだ。
これまで以上に息をひそめ、おもむろに樹上に向かう。
目を閉じ、辺りの様子に五感を研ぎ澄ますこと数分。
ハッ、ハッ……獣の息遣いが耳に届いた。
重い物を引きずるような音につづき、キィッ、と動物の鳴き声が鳴り響く。
何か獲物でも見つけた後で、これから食事にでもするのだろう。
「…………」
俺はローブの内側に手を伸ばし、ナイフを握った。
そして、そのあとすぐ……俺が上った木の真下に四ツ腕がやってきた。
『ヒ、ヒヒィッ! ハフッ――――ハフッ!』
獲物の首筋に食らいつき、血潮をすすり肉をちぎる。
巨躯は父上が言っていた通りだ。
四本の腕は逞しい筋肉が大きく隆起して、手の先には鋭い爪が四本。
臀部では、二本の尾っぽが上機嫌に揺れていた。
足先から顔まで、全身が真っ白な体毛で覆われている。
しかし、獲物の鮮血で赤く染まっていく姿がおぞましい。
俺はナイフでは対処しきれないと判断して、手を離す。
ローブの内側で複製魔法を発動して、父上の剣を創り出した。
切れ味だって問題ない、完璧なコピーだ。
『キヒィイ! ヒッヒィイッ!』
不快な鳴き声と血潮の滴る音を聞いて、俺は暗殺の決行を心に決める。
左手に構えた剣で、四ツ腕の首筋を狙いすます。
すぅっと息を吸い呼吸を整え、最高のリズムに至った刹那――――。
『ッ――――キィッ!?』
落下しながらの一振りが、四ツ腕の首筋を深々と切り裂く。
四ツ腕は訳も分からぬ様子で辺りを見渡して、思わず四本の腕すべてで傷口を覆い出す。
「悪いとは思ってる。けど、この辺りは俺たちが住む場所なんだ」
俺は四ツ腕の目にも止まらぬ速度で駆け、背を奪う。
すれ違いざまに『ガァァア――ッ』と必死の鳴き声の後、四本の腕すべてが俺に伸びた。
それらに剣を滑らせ、身体強化による力も用い瞬く間に切断。
最後は首筋に届いた剣閃が、今度こそ四ツ腕の首を落とすに至る。
ゴトッ、と鈍い音を立てて横たわったが。
『ヒッ……ヒィ……ヒヒッ……ッ――――ァ』
絶命するまで、数秒の猶予があった。
俺が魔物の生命力に驚嘆したことは言うまでもない。
黙って見つめていたが、内心では驚き一色だ。
「はぁー疲れた……」
何はともあれ俺の勝ちだ。
異世界でも暗殺をするなんて、と苦笑が漏れる。
二度と関わるまいという気持ちだったのに。
ただ、あくまでも自分の居場所を守るため……そう、だから仕方なかったんだ。
誰に言うでもなく、俺は虚空に向けて言い訳をする。
願わくば、もう暗殺なんてすることがないように、と願って。
◇ ◇ ◇ ◇
屋敷が賑わい出したのは、昼を過ぎた頃だ。
父上の下に戻ってきた数人の騎士が、森での調査結果を報告したらしい。
そして、それを聞いた父上が書庫にやってきて、窓際で風を浴びていた俺に近づいてきたのだ。
「グレン、昨日の四ツ腕のことだが、森の中で首を切り落とされていたらしい」
「良かったじゃないですか。父上の悩みが一つ消えたってことですし」
「ああ。だが分からん……奴の首を落とすなんぞ、この町では私以外にはできると思えんのだ」
「魔物同士の戦いだったのでは?」
「首は鋭利な刃物の跡があったようでな、私は人の仕業だと確信している」
やれやれ、父上は含み笑いを漏らしつつ俺の隣に立った。
俺に倣い窓の外を見て、同じく風を浴びて黄昏れる。
「で、厨房のナイフは何に使ったのだ?」
いつもの調子ながら、鋭く俺を問い詰める一言。
だが。
「夜中に小腹が空いてたので、果物を切っていただけですよ。ほら、書庫で勉強しながら食べてたので」
そう言って、机の上を指さした。
あるのは皿の上に置かれた果実を食べた後で、わざと皮を残してある。
昨晩、問い詰められてもいいように用意していたのだ。
「わざわざ何本も持っていってか? おかしな話だ」
「ついでに複製魔法の検証をしてたんです。何か違いが出るかなって思って」
「…………ふむ」
俺を射抜く父上の瞳には、いまだ疑念が宿る。
しかし、それ以上問い詰めるようなことはせず、俺の頭をガシガシと撫でてきた。
「なんですか急にっ!?」
「別に何でもないさ。よっし、これから町に出て私たちも肉を食うか!」
「に、肉!?」
「四ツ腕の肉は高級食材なのだ! 誰が討伐したのかは知らんが、美食にはありついておかねばな!」
父上は豪快に笑い歩き出す。
俺に背を向け、甲冑から音を上げながら離れて行った。
「ほら急げ急げ! 早くしなければなくなってしまうだろう!」
「ちょっ、待ってくださいってば! 父上!」
父上はきっと分かっていたんだ。
けど、あれ以上問い詰めなかったのは優しさか、それとも見逃されたのか。
考えは予想できないが、一つだけ、確かなことがあった。
町に出て食べた四ツ腕の肉は、これまで食べたどの美食よりも旨かったってことだ。
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