固有魔法と。

 俺が身体強化を知ってから、半年ほどの月日が経った。

 晩夏の日の朝、俺は屋敷の裏庭にて逆立ちで腕立て伏せをしていた。



「1998……1999……2000ッ!」



 これで俺の日課は終わりだ。

 春先に身体強化を学んでからというもの、九月になる今日までつづけてきた。

 こんなことを半年近くもつづけてきたせいか、



「……グレン。お前、いったい何を目指しているのだ?」


「……実は俺にも分かりません」



 近くで剣を振っていた父上からは呆れられる始末。



 だが気持ちは分かる。

 俺はまだ十歳と半年の少年だ。

 だと言うのに、毎日、逆立ちになって指先だけを支えに腕立て伏せをしている。

 異様な光景と言われても否定できない。



 前世ではこんなトレーニングはできなかった。

 しかし今は、身体強化を交えることで可能になる。

 回数は2000。これは俺が自分に課したノルマだ。



 父上が剣を振るすぐ近くで、毎日欠かすことなくこなしてきた。

 偶に剣を触らせてもらったりもしたし、教えを乞うこともあって都合がいいのだ。



「急に身体強化を覚えたと思えば、騎士ですらしないような訓練をはじめおって……。なんて健康な身体であろうな。私の若い頃より遥かに使いこなしているぞ」



 健康で片付けてくれるのか。



「鍛えておいて損はありませんしね」


「ふむ、それは良い考えだ。だが何の適正もなかった私に比べ、グレンは全属性の適性があるのだ。たまにはそちらに触れても良いと思うがな」



 父上はそう言って最後に剣を一振り。

 地面に突き刺し、身体を俺に向けてニカッと笑う。



 父上は将軍を務めていたというだけあって、剣の腕前はすさまじい。

 身体強化を用いて剣を振ると、空間ごと切り裂いたような迫力がある。

 振りはまさに神速で、見ているだけで重いと分かる苛烈な剣劇だ。



 確実に、俺が前世でも見たことのない達人のはず。

 なんでこんな人が将軍を辞したのだろう?



「しかしまぁ、頑張るのは良いが……ハミルトン家の跡取りは逆立ちしてる時間の方が長い、なんて言われてるのを知ってたか?」


「うわぁ。なんて風評被害だ」



 なんて評判だ。

 俺は手を腰でにあて、不満をあらわにする。



「風評も何もないだろうに」



 ぐうの音も出ない正論に、俺はそっぽを向いて口笛を鳴らす。

 すると父上が言う。



「偶には魔法の訓練もしてみたらどうだ」


「うーん……非効率的に思えるので、あまり手を付ける気になれないんです」


「む? と言うと?」


「例えば、適性があれば、湯を沸かしたりするぐらいの炎なら誰にでも出せます。でもそれ以上の魔法って、ようは戦いに使うためのものですよね?」


「……そうなるな」


「なら俺は、魔法を武器にするよりも、自分自身の身体を武器にする方を選びます。……何か一属性ぐらい、満足に扱えるようになってもいいとは思いますが」



 暗殺者として生きていたころは、当たり前だが銃を使ったし刃物も使った。

 しかし、あくまでも強靭な肉体あってこその話だ。



 魔法を別のものに例えよう。

 例えば重火器、例えば戦略兵器だ。

 俺は相手がそうした武器を保有していようと、暗殺を失敗したことがない。

 ならば魔法という力を手に入れるよりも、生存能力が重要となる。

 つまり今するべきことは、肉体の強化に励むことだ。



 身体強化という能力があるのだから、これを極めればいいだけの話だろう。



 ……なんて考えてると、また暗殺者として生きようとしているみたいだ。

 でも、今の穏やかな生活を手放すつもりは無い。あくまでも保険のようなもので、自分が襲われたときの自衛手段とでも言えばいいか。



 だからリソースを裂くべきは身体強化である――というのが持論だ。



「身体強化は鍛えれば、属性魔法にも耐える肉体が得られる。私のようにな」



 すげえ。

 それなら俺の選択は確実に正解じゃないか。



「しかしグレン。身体強化もいいが、複製魔法はどうなった?」


「それはもう。凄いことになってますよ」



 俺は腕を組み得意げに言う。



「複製した本が五分ぐらい消えなくなりました」



 前は数十秒が限界だったというのに、随分な進歩だ。

 しかし父上の反応は微妙。



「そ、それは良かったではないか」



 いや言いたいことは分かる。

 得意げに言ってみたが、俺も同じような感覚だ。



「だが、偶には別の物を複製してみてもいいんじゃないか」



 父上はそう言って、地面に突き刺していた剣を抜いた。



「これなんかちょうどいいぞ」


「……じゃあ、早速」



 俺は剣を受け取り右手に持つ。

 子供の俺には少し大きかったが、重さは別に問題ない。

 思えば本以外の複製なんてしたことがない。

 本一冊を満足に複製できなかったから、他の複製を試す気にもなれなかった。



 取りあえず、俺は気を取り直して剣を見る。

 これまでに本を複製したときと同じく、脳裏で強くイメージした。

 すると、左手から光の粒子が生じていく。



 粒子は剣を形どり、徐々に刃の色や輝きが浮かび上がった。



 一応情報を付け加えると、別に右手に持たないと複製できない訳じゃない。

 ただこうするとイメージしやすくて楽なだけだ。



「出来ました」



 数秒も経たぬうちに、俺の左腕に剣が握られていた。



「相変わらず不思議な魔法だ。――借りてもよいか?」


「ええ、大丈夫ですよ」



 父上は複製された剣を俺から受け取り、軽々と振り回す。



「重さも握りも全く同じだな」


「何せ複製ですから」


「切れ味や硬さも気になるところだ。グレン、もう一方の剣も私に」



 俺が剣を渡すと、父上はオリジナルの剣を宙に放り投げた。

 何をするのかと思いきや。



「ぬぅうぁああああああッ!」



 放たれた覇気がビシビシと空気を伝う。

 父上は剣を大きく振り上げ、放り投げた剣が落ちてくるのと同時に振り下ろす。

 強烈な金属音が響き、ぶつかり合った剣の一方が地面に衝突した。



 どっちも折れてないし、複製した剣が消えても居ない。

 父上もそれに気が付いて「ほぅ」と声を漏らす。



「造りまで見事に瓜二つではないか」


「でも、少し不思議です。複製した本は何も書かれていない不完成品なのに、どうして剣はこんなにもしっかりと複製できたのかな、って」


「いずれ理由が分かると良いだろうな。だが、これほど見事に複製できるとは」


「なんか使い道がありそうな気がしますね」


「弓を扱う者であれば喉から手が出るほど欲しい力だ。剣を使う者であっても同じことだが」



 俺は頷いて同意する。

 仮に本と同じく五分も持つならば十分だ。三十秒程度であったとしても、弓矢なら問題ない。



「敵に奪われても問題ない武器だ。間違いないな?」


「ええ。任意で消せるんで。――例えばこんな感じに」



 俺が頭の中でイメージすると、剣は光の粒子になって消え去ってしまう。



 思うに、複製されたものと言うのは、あくまでも魔力で創られた張りぼてにすぎない。

 鉄を複製しても鉄によく似た存在が生まれるだけ、ということだ。



「あまり目立ってはなんだしな、他人にその力のことは言うんじゃないぞ?」


「別にいいですけど、教会の方は知ってるんじゃないんですか?」


「グレンの複製魔法を知っているのは、教会の者と、私と婆やだけだ。生まれ持った才能と言うのは、みだりに他人へ教えるもんじゃない。教会は教会で、相手が皇族であろうと秘密を守る者たちだぞ」


「へぇー……分かりました。覚えておきます」



 複製を試していた俺と父上の下へ、婆やの呼び声が届く。



「アルバート様ーッ! お客様がいらしてますよー!」


「ああ、今行く! すまんな、街から商人が来る予定だったんだ。悪いが私は屋敷に戻るよ」


「俺もそろそろ戻ります。書庫で色々確かめてみたいですし」



 こうして俺は父上と別れた。

 父上に遅れて屋敷に戻り、そのままの足で書庫へ向かう。

 道中、気になっていたのは複製魔法のことだ。



 どうして剣はうまく複製できたのか。

 どうして本はうまく複製できないのか。



 その理由が知りたかった。



 俺は書庫に足を踏み入れると、すぐさまいつもの席に腰を下ろす。

『魔法学:基礎』の本を手に取って、頭の中で複製魔法のイメージをする。

 ……すると。



「うん、複製は出来るわけだ……でも中は白紙」



 理由がさっぱりわからない。

 どうすれば分かるか考えていると、不意に俺は思いつく。



「例えばこうしてページを切り取ってみる」



 ビリッ、と勢いよく一ページを切り取る。

 それを右手に持って複製魔法を使うと。



「えぇー……なんでさ」



 結論を述べると、そこにはしっかりと文字が書かれていた。

 まったく同じ紙質で文字も同じ。

 複製魔法が成功したといっていいだろう。



 でも、なんでだ?

 なんでページ単位なら成功するんだ。

 俺は口元に手を当て考え込む。



 思いつく理由は魔力が足りない可能性。

 でも、剣は十分な複製が出来た。

 本だけが違う、というのも合点がいかない。



 俺は更に数ページを切り取って重ねる。

 纏めて複製すると、やはり成功した。

 そこから十枚、二十枚とページを増やしていくが成功。

 だが、一定の枚数に至ったところで白紙になった。



「もしかして――――」



 一つの予想だ。

 俺は席を立って本棚に向かう。

 呼んだことのない本を一冊手に取って、席に戻った。



 さっきと同じようにページを一枚だけ切り取る。

 複製魔法を使うも結果は白紙だ。

 つまり、このことが意味することは。



「複製対象を完全に理解してないと、どこか欠けてしまうってことだ」



 恐らく『魔法学:基礎』も俺が覚えきってない箇所がある。

 だから複製しても白紙になったのだろう。



 一方で、父上の剣を完璧に複製できた理由は分かる。

 今日までこなしたノルマの最中、父上の剣は毎日見ていたし、借りて振ることだって何度もしている。

 理由が分かったところで、俺は気分よく背筋を伸ばした。



「んー……多少の制約はあるってことで間違いない」



 いくらかのデメリットは仕方ない。

 それから軽めのため息を吐いて、午後の勉強の支度にとりかかった。

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