だ て    ん              し


「ミハさまは、黒鼠くろねずみの葉の蒸し茶を飲みたいとおっしゃっていたので、白尾の首長鳥の鶏冠とさかの漉し汁を作ってお出ししよう」

 金いろえのぐ を詰めこんだ二つの瞳で ぐるり と天井ちかくの茶壺の れつ をながめながら、だてんしは乱高下する独特の よくよう をもつ声で、言った。

 その まつげ には 金ぷん が まぶされて おり、瞬くたびに きらきら と金の りゅうし が舞った。

「〈堕天使〉」

 踊るように 水ば のまえに立った だてんし のうしろから、とおりすがりの誰かの こえ が きこえた。

 やかんに水をくんでいた手を およがせて だてんしはふりかえる。

「ぼくが黒鼠の葉の蒸し茶を飲みたいと言ったときは、黒鼠の葉の蒸し茶を作ってくれたらいいと思うよ」

 ろうかを通りかかった主人が とびら のない 台どころ の入口に立ちどまり、少し困った かお をしている き がした。

 台どころは 広だい で主人のその姿は 豆つぶ のように はるかむこうだ。

 だてんし は ぐるりぐるり、と二つの ひとみ を回して言った。

「それは、どうして?」

 深い むらさきいろ をした岩肌が ろしゅつ する がんくつ の 台どころ に主人が足を踏み入れた。

 その一瞬で主人の かみのけ が淡い むらさきいろ に染まる。

 主人が 広だい な 台どころ を入口から 水ば まで あるいて来るあいだに やかん の中で おゆ が わき、カタカタ鳴る やかん の蓋を押さえた だてんしのひとさしゆび が火傷して、水膨れができた。

 膨らんだ水膨れを だてんし がシャボン玉を飛ばすように ふく と、水膨れが ぱりん と弾けて、なかに詰まっていた 金ぷん が とびちった。

「どうしてかを説明しようとすれば、こういうことだ」

 いつのまにか主人は だてんし の となり に立っている。

 主人は ながいながい 淡い むらさきいろ の かみのけ の渦巻きにかんざしがわりに挿している象牙の杖を ぬきとった。

 ながいながい かみのけ が一条の瀑布のごとく がんばん のつめたい ゆか におちて さらさら ながれた。

 掲げた杖の え で主人は頭上に ならぶ 茶壺の ひとつ を指す。

 水晶の壺の中身は まっ黒 で、あまり へっていない。

 その茶の はっぱ は黒鼠の みみ のかたちに そっくり なことから、壺の首にかけられた ふだ にはこう しるされる。

「黒鼠の葉の蒸し茶」

 しるされてあるとおりに主人は名称をよみあげ、杖の え をこんどはそのすぐ となり の壺に向けた。

「こちらが、白尾の首長鳥の鶏冠」

 首長鳥のとさかは希少品のうえに こわれやすい ために、ひとつひとつが まっ白 な うもう に くるまれて 取引されている。

 だてんしは黒い壺と白い壺をもっと たくさん あつめたら誰かと盤上遊戯ができるかしらと かんがえて いた。

「と見せかけて、実は」

 杖の え が水晶の ひょうめん を叩く。

 途端に壺の中で まっ白 な うもう が まいはじめた。

 とじこめられた つむじかぜ が壺を がたがた とゆらし、棚に並ぶ壺の ぜんぶ に連鎖して、おおさわぎ。

「おおさわぎ。おおさわぎ。落ちてこい。おおさわぎ」

 と、だてんしは言った。

 はじめに暴れだした壺が、ひょいと中空に投げ出されて、主人の杖の上に乗った。

 ななめに傾いて かいてん する壺を きよう に杖の先に乗せたまま主人は、はかい を意味する〈意識語〉を えいじた。

 壺がくだけちる。

「危ないよ、堕天使。裸足で水晶の欠片を踏まないように」

 だてんしは あしもと にころがってきた水晶の はへん をつまみあげて くち にほうりこんだ。

 ばりばりと噛んで ごくん する。

「堕天使は悪食だな」

 呆れたように呟きながら主人は ざんがい のちゅうしんに近付いて手を伸ばした。

 うもう のまう つむじかぜ から主人がひっぱりだしたのは、くりいろ の髪の としわかい 娘だ。

「ミハさま。その首長鳥には肝心の鶏冠がない」

「堕天使。これは人間の娘だよ」

 だてんしは ぐるり と二つの瞳を回す。

「人間の娘はお茶にならない?」

「どうだろう。肉屋でも雇わないことには無理かな」

 だてんしは、おちゃ をいれるしか のう のない だてんし の しごと を、だれかに盗られるのは いや だなとおもった。

「ミハさま。人間の娘をお茶にしないほうがいい」

 だてんしのとりすました顔と乱高下する声に主人は微笑みを向けて、うなずく。

「わかってくれたね。堕天使」

 主人は立たせた娘を 水ば の井戸の ふた のうえにすわらせて、て をはなした。

 ゆか に ひきずる ながいながい むらさきいろ の髪を たぐりよせて 手早く くるくる と渦巻きをつくり、象牙の杖を挿しなおす。

 それをみている むすめ の かお には ひょうじょう が ない。

「けれど隠し場所は変えないといけないな。堕天使の口は軽いから」

 だてんしは黒鼠の葉の茶壺を取ってくるために、天に刃向かって戦いにゆくのに使われるような高い高い高い はしご を掛け、とちゅうで おなか が すいた ときのための おべんとう に水晶の欠片を ひとにぎり 腰の巾着にたずさえてから のぼり はじめた。

「堕天使なら、誰にも知られたくない秘密をどこに隠しておく?」

 考えごとの顔で だてんし の しごと をみまもっていた しゅじん が、戯れにそんなことを訊く。

「初めて会って二度と会わない人の耳の中」

 堕天使はそう答えて、梯子の なかば から岩窟の底を みおろした。

 ここ から落ちたら だてんし は〈堕々天使〉になるのだろうか?

 ちゃぽん。ちゃぽん。

 娘が小さく口ずさむ。

 ちゃぽん。

 ちゃぽん。

 ちゃぽん。ちゃぽん。

 井戸の淵に棲んでいて、ときどき苦しげに水面で跳ねる何者かの しょうたい を だてんし は知らなかった。

 井戸の幽霊、と主人は それ を呼んでいた。

 苦しげな何者かの 水おと を、くるしみ も かなしみ も奪われた娘が無感情な声で まね して歌う。

 梯子にぶらさがる堕天使は、あわれみ を もよおして なきはじめた。

 さ金の なみだ が堕天使の二つの瞳から ながれおちて ゆく。

 娘はあしもとに さらさら と つもって 音楽を奏でる砂金に埋もれてゆきながら、ひかりのない二つの瞳を ぐるりぐるり と回した。

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