エピローグ②
俺は目立たないように裏口から学校を出て駆け続けた。
馬鹿だな、俺。もう振り切ったつもりだったのに。
日司、お前が悪いんだぞ。お前がそんな事言うから、俺はこうやって学校を抜け出してまでお前に会いに行くんだ。
これで何もなかったら、謝るついでに文句の一つや二つ言ってやるから覚悟しておけ。
考えなしに走るものだから、信号機に捕まってしまった時、俺はすっかり息を切らしてしまっていた。いいさ、たまにはこうやって後先考えずに走るのも悪くはない。それにしても、心臓の鼓動が如何とも形容し難いものになっている。興奮と期待と疲れのシグナルとその他諸々の諸感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ってるせいなのだろうが、不思議と不愉快ではなかった。
のんびり屋の信号がようやくOKサインを出すと、俺はすかさず走り出した。ああしかし、何故俺は走る? よくよく考えてみれば、こんなに急いだって仕方がないだろうに。
いいや、多分理由なんてないのだろう。只俺は一刻も早く公園に着きたかったし、純粋に足を動かし、大地を蹴り、走りたかった。
駅前まで来た俺は、丁度いい具合に停留所へ来たバスに滑り込むように乗り込んだ。北公園まで行くバスの中は、平日の昼間という事もあってかガラリとしており、他に一人大学生くらいの女性がいる以外は、数名、高齢の男女が乗っているだけだった。
やがて北公園近くのバス停で停まったので、俺は前もって用意していた小銭をさっさと払い、バスを降りて駆け出した。
走りながら思った。今が冬入りたてでつくづく良かったと。これが夏だったら俺はとっくに倒れていた事だろう。
公園へと続く並木道の前で一瞬、足を止めた。
初冬だというのに、満開の桜が今を盛りとばかりに優雅に花弁を散らせていたからだ。頬に優しく振れた花弁はほんのりと赤みを帯びており、大胆に咲き誇る割に何処か照れ臭そうに見えた。
俺ははやる気持ちを抑え、ゆっくりと歩き出した。その間も花弁はひらひらと楽しそうに舞い、いくつかは俺の制服にふわりとくっついた。
北公園はそれなりに広い。だけど公園の何処へ行けばいいか、それは薄々分かっていた。
北公園神社の脇にある道を歩き辿り着いたのは、かつて俺が瑞葉に告白した場所、街を一望できる見晴台だった。
なんというか、彼女らしいと思った。
見晴台に生えていた木々にはさっき通ってきた道と同じように、いやそれ以上に桜の花が咲き誇っていたし、地面を見ると、散った桜の花びらがあちこちに落ちて桜の絨毯が出来ていた。空を見上げる。地上の様子でも馬鹿げていると思ったのに、ぽつぽつと雪が、いや、桜が降ってきていた。桜が雪のように天からゆっくりと振ってきていたのだ。
勿論、こんな不可思議な事を起こせる少女を俺は一人しか知らない。俺は、特段驚きもせずに、その絹糸のような白い髪をなびかせていた少女の名を呼んだ。
「日司」
「きっと来てくれると思ってたよ、マコト」
俺に背を向けた状態で立っていた少女、日司ミトは振り返りながらそう言った。
「凄いでしょ。俗に言う神通力ってやつ」
「相変わらず常識破りだな」
「神様ですから」
日司は微笑する。
「あのな、お前のお陰で俺は早退する羽目になったんだぞ」
「えー、別に私早退してまで来てなんて言ってませんけど」
「全く」
俺は呆れながらも、日司とまた会えた喜びで自然と笑みを浮かべてしまっていた。
「っていうか、別れの挨拶もなしに転校って前代未聞だぞ」
「まあね」
「褒めてない」
「ありゃ」
ありゃ、ではない。いつもこうだ。日司のこのマイペースは一体どうやったら崩せるのだろうか。
「まあ下手に転校するって宣言すると色々照れ臭いじゃん。それに、決心揺らいじゃうかもしれんし」
「日司」
「やけん、こうやってスッパリと離れる事にした」
「じゃあもう、本当に学校には来ないのか?」
「まあね、神様業ってのはそれなりに忙しいから」
「そっか。凄い寂しくなるな」
「何言ってんのさ旦那。私がいた時間なんて米粒並だったじゃん。それに、いつかの時は何処かの女の子に夢中だった癖にー」
日司は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「そりゃそうなんだけどさ、今となっちゃ日司が当たり前の日常だったんだから、いなくなったら、その、やっぱり悲しいよ」
「そんな、やめてくだせえよ。照れるじゃないっすか」
いつものように、独特な口調で日司は言った。
「日司は楽しかったか? 学校の日々とか、俺や岡辺と一緒にいて」
「それは」
日司は答えようとして、言い淀んだ。
「いいって、今更遠慮しなくても。別に学校生活が案外つまらなかった、なんてよくある話だろ? 多分」
「つまんないわけないじゃん、ばーか」
「日司?」
「楽しかったに決まっとるよ。ほんと、もっといたいくらい楽しかった」
「じゃあもっといればーー」
「だ、か、ら、神様ってのは忙しいんだって。いつまでもこっちにいるわけにはいかんし」
「そうか。もう、会えないのか」
「さあ、どうかな。それは私にも分からない」
「そうか」
「しょげるなよ青少年。絶対会えないって言ってるんじゃないんだから、何かの縁があればまた会えるって。だから、それまでに好きな女の子でも作って待っておきんしゃい」
「好きな女の子ってお前」
「いい加減未練たらたらで生きなさんな。この世界は物語の世界じゃないんだから、神様のご都合主義的な采配は期待出来んよ。だから運命の人間だとか、そんなものはちゃーんと自分で選び取らなきゃね。赤い糸ってのは誰かが結んでくれてるものじゃなくて、自分で結ぶものなの。じゃないと、誰も報われないよ」
「んなもん、言われなくても分かってる」
「分かっとるんやったら、よろしい」
少しの間躊躇した。しかし、俺は思い切って口を開いた。俺が早退までしてここに来た、ずっと気になっていた言葉についてだ。
「なあ日司。朝日奈に聞いたんだが、その、瑞葉に会いたくないかって、どういう意味だ。結局瑞葉はいないし――」
「あー、それね」
日司は目を逸らしながら言った。そうして、やがて決心したように微笑しながら俺の方を向いた。
「ねえ、マコト」
「なんだ?」
「これは、瑞葉ちゃんからの言葉」
そう言って日司は一瞬の躊躇の後、徐に口を開いた。
薄々と勘付いてはいた。お前がここにいる理由、そして、伝言者がお前であった理由。
「この身は全きものなれど、なんぞ若き血潮に勝らんや」
「馬鹿、今更偉ぶったって意味ないぞ」
俺が言うと、日司は静かに微笑した。
じゃね、真琴。
まるで明日また会える、とでも言うかのような気軽さで日司は別れの言葉を告げた。彼女の体から光の粒子が抜けていく。そしてそれに伴ってその体は段々と透けていき、
やがて、日司ミトは完全に見えなくなってしまった。
「ああ、じゃあな」
俺は桜の絶えぬ空を見上げながら、彼女の名をポツリと呟いた。
――
あるいは誰かが哀れに思い付け加えたのかもしれない。
悲しい糸姫伝説には、続きがある。
変わり果てた故郷から常世へ渡った長者の娘は、ある日、些細なきっかけで再び現世へと赴いた。故郷はもうないと思いつつも、彼女はかつて自分が育った場所へと自然と足を向けていた。だが、そこには彼女が人であった頃と変わらぬ故郷の姿があったのだ。両親もいて、そして、娘の思い人もそこにいた。長者の娘は、結局彼らに自分の素性を明かさなかったものの、とても満足して、人の世界を後にしたそうだ。
さよならタイムリープ 安住ひさ @rojiuraclub
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