エピローグ

エピローグ①

 朝が来た。

 俺はいつものように気怠げに起き上がり、朝の支度を済ませるために自室の二階から一階へと降りる。

「ご飯出来てるわよ」

 洗面所で歯磨きなどを済ませてリビングに来ると、お袋がいつものように朝食を作ってくれていた。 

 またいつも通りの日々が戻ってきた。いつものように朝に起き、お袋が作ってくれた朝食を食べ、億劫おっくうになりながらも学校に向かう日々。少し退屈な日常のようにも思えるが、大体高校生活なんてこんなものだろうとも思う。メディアが流す青春群像は世の若者、ひいては大人を惹き付けるためにあえて過度な演出と展開を意図的に盛り込んでいる、言わば作られた青春だ。

 大多数の人間にとって、本当の青春なんてものはもっと地味で淡々としていて、たまに印象に残るような出来事があるような、そんな日々だろう。青春という言葉は一種悪魔染みている。薔薇ばら色の学生生活なんて殆ど学生には縁がないものなのに、無闇にそれを煽り立ててその甘い言葉で人生を踏み外させようとしてくるのだから。


       ○


「おはようさん、岡辺」

 教室についた俺は、後ろの席の岡辺にいつものように挨拶をした。

「ああ、おはよう。張りがない挨拶だな、吉屋」

「うるせえ、いつもの事だろ」

 適当に返してきた岡辺に、俺も適当に答える。

 岡辺とは、あれ以来特に関係が変わったという事もない。只、何もないまま元の友人関係に戻るというのがもやもやしたので、お互い一発殴り合う事で互いに納得させた。

「んー」

「どうした、岡辺?」

「いや、最近なんか物足りないなと思って」

「そうか? いつもこんな感じだったと思うけど、まあ確かに、何か足りない感じはするな」

「ああそうか」

 と思い出したように顔をあげる岡辺。「ミツクニさんが居ないからだよ」

 言われて、俺も納得した。

 確かに、前までは日司が当たり前のようにいて、当たり前のように言葉を交わしていたのだ。

 だが、彼女はもう居なくなってしまった。


       〇


 日司は転校してしまった。

 最後に会ったのは結局、時間跳躍をする時だ。

 俺が過去の時間から現在の時間へと戻り、前と変わらずいつものように学校に登校した時、日司は急な事情で教室に顔も見せずに転校してしまったのだ。そんな馬鹿な話があるか、と普通なら思うだろう。実際、俺だってそれが日司でなければそう思っていたと思う。

 だが、相手は日司だ。自分の事を神様だと豪語してやまないあの少女の周りでは、いくつも不思議な事が起きてきた。だから超剛速球並の転校という不条理位なら当然のようにまかり通ってもおかしくはあるまい。

 日司に常識は通じない。そんな事は重々承知だ。

 だけど日司。いくらなんでも急過ぎるんじゃないか。俺はまだ、お前に謝らなきゃいけないのに。

 それとも、これは約束を破った俺に対する当てつけなのか。


       〇


「吉屋」

 それは昼休みの事であった。クラスメイトの黒井が教室の入り口で俺を手招きしていた。

 俺が何事かと入り口まで来てみると、そこには朝日奈が立っていた。

 羨ましいぜ、などと俺の肩を叩きながら黒井は去っていく。何故男という生き物は女子から呼び出しがあっただけでそういう方向に持っていこうとするのだろうか。俺ならもっと別の可能性も考えてみる。そう例えば、決闘、とか?

「よっ。どうしたんだ?」

「取り敢えず、美術室に来てくれないかしら」

 唐突にそう言われたので、俺は首を傾げた。何故?

「理由は後で説明する。ちょっとここじゃ話しづらいから」

 そう言うと、彼女はさっさと着いて来いとばかりに歩き出したものだから、俺はわけも分からぬまま朝日奈に着いて行った。正直周囲の視線が気になる。自意識過剰というか、明らかに視線を感じるのだ。朝日奈よ、どういうつもりなんだ、これは。

 朝日奈について行きながら、俺は彼女が俺を呼び出した理由をあれこれと考えていた。まさか告白ではあるまい。もしそうだったら、もう少し表にそれらしい態度が出ていなければならない。しかし、見る限り朝日奈にそんな様子は微塵も感じられなかった。では何か。まさか、お礼参りとかだったりするのだろうか。だが俺は朝日奈の不興を買うような事をした覚えはないし、罰当たりな事をした覚えもない。

 疑問に対する答えの出ぬまま美術室に到着してしまった。

「ごめんね、折角のお昼休みなのに」

「別にいいけど、そんな事より俺に話とは?」

 俺が美術室の中央辺りまで歩いていった朝日奈にそう切り出すと、朝日奈は振り返って言った。

「うん。話ってのはね、ミツクニさんの事」

 ミツクニ? 一瞬誰の事かと思ったが、そういえばそれは岡辺がいつも日司を呼ぶ時の名だった。ひょっとして、あのあだ名は普及していたのだろうか。

「いや待て。朝日奈、お前日司と面識あったのか?」

「え、うんそうだけど。知らなかったかしら?」

「ああ」

「そっか。ま、それもそうね」

 一人納得したように朝日奈は頷く。

「それで、日司の事ってなんだ」

「うん。単刀直入に言うとね、ミツクニさんから伝言を言付かってたの」

「伝言?」

「そう、伝言。じゃあ言うね」

 伝言を頼むくらいなら直接俺に言いに来ればいいのに。そう俺が思っていると、朝日奈の口から俺も予想だにしなかった言葉が飛び出してきた。

 

 瑞葉ちゃんに会いたくない?

 

「どういう意味かは私にも分からない。なんで、ミツクニさんが瑞葉の事知ってるのかも、って吉屋君大丈夫?」

 朝日奈は今にも「保健室連れて行こうか?」とでも言いそうなくらい、心配そうな表情で尋ねてきた。それ程までに俺の表情は驚愕きょうがくに満ちていたのだろう。

「ちょ、ちょっと吉屋君」

「ああ、だ、大丈夫だ。ちょっとビックリしただけ」

 俺は朝日奈を安心させる意味も兼ねて深呼吸をした。まあ、なんとか持ち直した感じがする。

「なあ朝日奈」

「何?」

「日司が今何処にいるのか分かるか?」

「え、ああうん」

 頷いて、朝日奈は携帯を取り出した。

「ええとね、北公園って場所。分かるかしら?」

「ああ」

 当然だ。分かるに決まってるじゃないか。

「ありがとう」

「え、ちょっと待って。まさか」

「ああ、そのまさかだ」

「学校は!?」

「熱とインフルエンザと後なんかが出て早退したって伝えといてくれ! それと朝日奈、ありがと!」

「ありがとって、それさっき聞いた!」

 折角の朝日奈の珍しい突っ込みも構わず、俺は美術室を飛び出した。

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