第34話 目撃者A。
「またか」
森川は心底うんざりしたような顔で机の上の手紙を見つめた。今日で手紙は十通目。始め貰った時こそ真摯に対応しようと思ったがもう今はそのつもりはない。手紙の差出人が佐々木勇三であること、書いている内容が全く一緒であることが分かりきっているので手紙を開く気すら起こらないでいる。
手紙は毎日郵便によって届いた。あて先は『警視庁ゴミ屋敷殺人担当森川様』、そう書いていれば必ず自分の元へ届く。ゴミ屋敷の件は殺人ではないと上が判断したのだから森川は取り合うつもりはない。けれど手紙は毎日毎日届く。
――私はゴミ屋敷の老人が河川敷で人と争っているのを見ました。午前七時ころでした。顔を覚えています。あれは殺人です。 東京都○○区佐々木勇三
毎度震えた太い文字でそう書かれている。何度も読んだのですっかり覚えてしまった。読むつもりのない手紙を引き出しに仕舞おうとすると呼び出された。
「森川さん面会人です」
一階の待合椅子で待っていたのは老人だった。顔を見るなり老人が怒鳴りたてる。
「どうして捜査して下さらないんですか!」
あまりの剣幕に森川は怯む。
「ああ、落ち着いてください。貴方は?」
「佐々木勇三です」
「なるほど」
森川はうんと頷いたきり黙る。
「私の投書は見てくださいましたか」
「はい、読ませていただきました」
「だったら……」
「警察としてはですね。あの件は事件ではないと判断したのです。これ以上の捜査は」
「どうしてですか。私は確かに見たのですよ。争っているところを」
はあ、と森川はため息をつく。老人は引き下がる気配がない。形式的にだけでも話を聞けば勇三は気が済んで帰るだろうと判断し、話を聞くことにした。
「どんな人だったか覚えてますか」
「若い二人組の男性でした。亡くなったおばあさんともみ合って何か大きな声で言い争ってました」
「なるほど。話の内容は」
「猫の話だった気がします。ああ、いや屋敷の話だったかな」
森川は首を傾げる。猫の話と屋敷の話では全く話題が違う。あまりあてにならない話だと判断して、けれどメモは取る。
「どのくらい争っていましたか」
「せいぜい二、三分でしょうか」
「で、言い争っている最中に具合を悪くして倒れたと」
「そうです」
「ということはあなたは花村悦子さんが具合を悪くしたのを救助せず見ていたということですか」
急に慌てて勇三は手を振って否定する。
「ああ、いや違います。やっぱり私の勘違いだった。おばあさんは具合を悪そうにしていたけどまだ生きていました。平気そうな様子でした」
森川は疑るような目で勇三の目を見た。勇三の目は泳いでいた。
「また聞きたいことがあると思いますので連絡先を教えてくださいませんか」
手帳とペンを差し出し記入を求めた。勇三は震えた大きな字で住所と電話番号をページいっぱいに書いた。
「ありがとうございました。気を付けてお帰り下さい」
翌日、手紙がまた届いた。不審に思い中身を確認したが中身は同じだった。意味が分からなくなり頭を抱えかけた昼頃また勇三がやって来た。
「どうして捜査して下さらないんですか」
森川は唖然とした。想像もしていなかった事態だった。
「ああ、まだこれからですので。あのあなたは」
森川は試しに昨日と同じ質問をした。
「佐々木勇三です」
「なるほど」
森川はうんと頷いたきり黙る。
「私の投書は見てくださいましたか」
「はい、読ませていただきました」
「だったら……」
森川の想像通りだとすれば彼を目撃者だとあてにするのは非常にまずい。
「犯人の姿を覚えていますか」
「女性でした。おばあさんと言い争って殴り倒してました」
「どんな女性か覚えてますか」
「犬を連れた女性でした」
「なるほど」
そう言うと森川は考えてもう一度連絡先を書かせた。幸い、書かれた住所や電話番号は同じだったので安心する。
勇三を帰し、机に戻った森川はじっと考えた。もう、終わった事件のこと。でも、手がかりがある。その手がかりをみすみす手放すのか。こういう場合気になることを先に片付けると決めている。森川の性分だ。
翌日、森川は書かれた住所へと向かった。
「お義父さんはいませんよ。デイサービスへ行ってます」
出てきたのは中年の女性だった。
「貴方は」
「嫁です」
「失礼なことを聞きますが、お義父さんは認知症でいらっしゃいますか」
「ええ、軽度のですけど」
「今年の二月にゴミ屋敷のご老人が死んだというニュースはご存知ですか」
「ええ、知ってます」
「その日、お義父さんはどうされていたか覚えてらっしゃらないですか」
「さあ、三カ月も前のことだから」
「事件について何か言ってなかったですか」
「関心はあるようでしたよ。週刊誌なんかも買い漁って未だに持ってますし」
「ちょっと見せていただくことは出来ますか」
知れると義父が怒るからあまり物には触らないでくださいねと言うので、分かりましたと返事して宅にあげてもらった。
雑然とした部屋で足の踏み場がない。ベッドは介護用の手すり付きベッド。老人特有の臭いがする部屋だった。
古い雑誌、表紙にはゴミ屋敷殺人事件との文字が躍っている。捲ってみたが変わった様子はない。時々ページが三角に折られていて確認するとゴミ屋敷の特集ページ、本人が関心を抱いていたことは間違いないだろう。
嫁にデイの場所を聞き向かった。すぐ近所の『カッコウ』という大きな施設だった。施設について職員に事情を話し、勇三を呼び出した。
「こんにちは、佐々木さん」
「おお、刑事さん。事件の方はどうですか」
「今、捜査中です」
「犯人が早く捕まるといいですね」
「はい」
勇三はニコニコと笑っている。どうやら機嫌が良いらしい。
「何かいいことでもあったんですか」
「桜井さんがね、お菓子を下さったんですよ。それが美味しくて」
桜井さんを指し示し笑う。品のいい朗らかそうな眼鏡を掛けた車いすの女性だ。
勘のいい森川はすぐそっち方向に考えてしまう。そうか、そうか、と頷きながら。しかし、老人同士の恋愛には興味がないので森川は襟を正し問いかける。
「少しお聞きしたいのですが、亡くなった花村悦子さんのこと何かご存知でしたか」
「ゴミ屋敷に住んでいるということだけは知っていました。綺麗なご婦人だと思ってましたよ」
「喋ったことありますか」
「時々ですけど。あまり話すのがイヤそうなので深く話し込むことはありませんでした」
「犯人について覚えていますか」
「はい、若い男性でした」
森川は意を決すると深く切り込んだ。
「争っているというのを見たのはウソじゃないんですか」
勇三が明らかに動揺した。手が震えはじめる。
「ウソじゃありません! この目で見ました」
「それは争っていたのが他の人ではなくあなた自身だったからではないですか? 今でも花村悦子さんの最後の姿が焼き付いている。それを消そうと必死にもがいている。だから、私の元へ来た。そうじゃないですか?」
「わ、私はただ……私はただ」
そういうとわっと泣き出した。激しく泣きじゃくった後、勇三は起きたこと全てを語り出した。
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