第33話 息子。

「十八、十九、……二十。全部で二千万っと」


 仙道がためらいもなくすべてを袋に放り込む。それを橋本は惜しそうに見つめている。


「仙道さんやっぱり持って行っちゃうんすか」

「国の物だからね」


「千万くらい皆で分けません?」

「分けません」


 二千万円は然るべきところに届けた後、国の物になるという。


「さて、これで清掃は終了だ」


 屋敷の前に皆集まり、仙道が挨拶をする。


「ええ、業者の皆さんボランティアの皆さん。どうもお疲れさまでした。今日で一応作業の方は終了です。お手伝いいただいたおかげでとてもはかどりました。家に帰ってゆっくり休んでください。はい、それでは解散」


 何故か拍手が起こり皆口々に今日は打ち上げだなと言っている。住民同士でゴミ屋敷の消滅を祝うのかもしれない。帰っていく皆を最後まで見送り、優馬たちは伽藍洞の屋敷を見上げた。


 初め見た時は心を躍らせた。抱いた期待。でも、それだけでは済ませないドラマがあった。片付けを通して老女の人生を垣間見ることができた。ノートに記された幻影に踊らされた老女の最後の人生と住民の話してくれた本当の人柄。ひと目会いたいと思ったがそれはもう叶わぬこと。


 屋敷をぼうっと見上げていると仙道が帰るぞと声をかけてきた。優馬は後ろ髪を引かれる思いのまま車へと乗り込んだ。



       ◇



 神の声が聞こえなくなり久しく経った。寝室には金をとりに行くのみでベッドに寝転ばないので彼が話しかけてくることはなかった。でも、その代わり里香と母が騒がしい。悦子は一人ではなかった。仏壇の間に横になりゴミに埋もれて今後のことを考える。この頃気になるのは自分の死後のことだった。


「ヒトは死ぬとどうなるのかしら」

「もうすぐ死ぬから準備をしておきなさい」


 母が身の毛もよだつようなことを言う。


「私は死なない」

「そう。なら死なないわ」

「どっちなの」

「どっちでもいいわ」

「サクラさん指輪はちゃんとありますか」


 里香が問う。悦子は起き上がりタンスの三段目を開ける。猫の砂を掻き分けて指輪を見つける。


「ちゃんとあるわ」


 悦子は毎日指輪を確認した。神のお告げをちゃんと守り続けていた。これさえあれば神にいつでも問える、そんな安心感があった。


 指輪を見ていると久しぶりに神の声が聞きたいという気持ちになった。ゴミを掻き分け寝室を目指す。この頃膝が痛い。足を引きずるように時間をかけ階段を上る。寝室に行くとウサギのぬいぐるみが静かにベッドで寝ていた。隣に寝転び声を聞く。


「ワタシはどうすればいいんですか」


――久しぶりだね。声が聞きたかった。


「どうすればいいんですか」


――財産を渡す準備を始めなさい。


「誰に」


――誰でもいい。屋敷を無くしてはいけない。


「ワタシは死ぬのですか」


――死ぬ。


「本当に死ぬのですか」


――死ぬ。


 何度問うても答えは変わらず、悦子は絶望してひたすら今後のことを考えた。自分が死ぬとこの屋敷はどうなるのだろう。


 考えた挙句、悦子は顔も知らぬ生き別れの自分の子供に資産を託したいと思った。電話を知っていればよかったのだがあいにく連絡先を知らない。よし、ならば直接会いに行こう。そう決意すると一人テクテクと元夫の所有していた印刷会社へ向かった。


 朝から二時間をかけ、印刷会社についた。元夫と結婚していたころ会社は傾いていたのでそもそも会社がまだあるのかも心配だったが、幸い会社はまだ残っていた。

 インターホンを押すと人が出て来るのを待った。暫しして出てきたのは事務員らしき歳のいった女性だった。恐る恐る言葉を選びながら話す。花村礼二を知りませんか、と。


「社長は今留守にしておりまして。三時ごろ帰社の予定ですが待たれますか」

「はい」


 か細く返事をして会社に上がり込み応接室で待たせてもらうことにした。随分と大きなふっくらとしたソファだ、やせ細った悦子には勿体ないほどの弾力だった。事務員がお茶と本を数冊持ってきた。印刷所を確認するがどうやらここで作られた本らしかった。


 本をパラパラと捲りながら落ち着かない。息子はどんなになっているのだろうと期待してしまう。しばらく本を読み入り、突然のノックの音にドキリとした。入ってきたのは若いけれど白髪交じりの男性だった。


「お待たせいたしました、花村です」


 悦子の目に涙が溜まる。自分とよく似て華々しい顔立ちの立派な壮年だった。


「あの……あの」


 用意していた言葉が出てこない。礼二は不思議そうな顔をして向かいのイスに腰かけた。


「失礼ですがどちら様ですか」

「ワタシ、花村悦子です。分かりますか」


 涙交じりで名乗る。礼二は驚いたように目を見開き黙り込んだ。


「あの……」


 悦子は声を震わせる。


「実は以前会いに行ったことがあるんですけど覚えてますか」

「覚えて……ません」


「父が亡くなった時に知らせようと思ってあなたの働いていたお店を探して住所も聞いてノックしたんですね。そしたら話も聞かずに訪問販売は結構ですって断られました」


 悦子は頭が真っ白になる。微塵も覚えていないことだった。


「話すことはありません。父とは喧嘩別れだったでしょうけれど最後のお別れくらいして欲しかった。それだけです。どうぞ、おかえり下さい」


 それ以上何も言えず悦子は泣きながら帰った。遺産の話などしたかったが口にすることは出来なかった。自分は母親でない、その事実を眼前に突きつけられて悲しかった。 



       ◇



 後日、優馬はゴミ屋敷を訪れた。菊を持ってきた。玄関前に置くと手を合わせる。帰ろうとすると一人の男性がやってきた。男性も花束を抱えている。水の入ったペットボトルも持っていた。


「こんにちは」


 朗らかな顔で挨拶すると優馬の置いた菊の隣に花とペットボトルを添えた。しゃがみ込み手を合わせる。


「随分片付きましたね」


 男性の言葉に優馬は苦笑いする。男性によると時々、清掃の様子を覗きに来ていたのだという。優馬は、自分は清掃に来ていた者だということを男性に告げる。すると返ってきた男性のありがとうございました、という言葉に首を傾げた。


「もう来るのは、今日でおしまいにしたいと思ってます」


 優馬の言葉に男性は頷く。


「私もそうするつもりです」


 その言葉には一抹の懐かしさも含まれていたような気がする。全てが過ぎ去りし記憶となって胸の奥に沈殿していくのを感じた。

 そして曇り空の下、屋敷の姿を目に焼き付けるように優馬と男性はたたずんだ。

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