第32話 ひとり。

 昨日の死体を溶かし終えると骨を全て砕いた。今までで1番多く処理した。心身ともに疲れ切り、この仕事はもう辞めようと思った。金なら十分あるし、生きていける。掛井に電話をし、もう持ってこないでと伝えると少し驚いた様子だったが、分かった、と呟き元気でな、と言った。こうして悦子はヤクザと手切れした。


 だが長く貯めた死臭はバスタブに染み付いていた。臭いを隠すため洗い場の生ごみをバスタブに放り込む。それでは不十分に思えたので悦子はゴミを拾いにいった。今日は丁度生ごみの日だった。よその出したゴミをひっつかみ、適当に持ち帰る。せっせと往復してたくさん持ち帰った。風呂場にはゴミの臭いが充満して、死臭が分からなくなった気がした。安心した悦子は寝室に行くとそのまま寝た。


 起きて風呂場に行くと嫌なにおいが充満していた。まだ死臭が臭っている気がした。扉を閉めてもまだ臭う。悦子は近所のスーパーに消臭剤を買いに走った。抱えられるだけ購入して持ち帰り風呂場に置いた。


 風呂場全体が臭う気がしたので今度は風呂場の入り口にゴミを置いた。死臭は埋もれて分からなくなった。安心して風呂を見つめる。これでもう風呂には入れなくなった。


「ゴミを集めに行きましょうよ」


 この頃里香がうるさい。


「ワタシ疲れたの。一人で行ってきて頂戴」

「行けませんよ。私死んでるんだから」

「悦子、里香さんはあなたのことを心配してくれているのよ」


 今度は母だ。


「ちゃんと隠さないと誰かが風呂を覗きに来るかもしれませんよ」


 ぞっとして悦子は起き上がる。何かにとりつかれたようにガウンを羽織るとゴミ置き場まで急いだ。


 ゴミ置き場では近隣の主婦三人が団らんしていた。それに構わず、ゴミ袋を両手に持って持ち去る。ジロジロと見られている気がしたが気に留めなかった。


 通路をゴミで塞ぎ誰も風呂場に行けないようにした。風呂は時々近くの銭湯にでも行けばいい。


 それよりこの頃気になるのは指輪のことだった。里香と母がしきりに指輪を隠せという。クローゼットの奥にあるのだし、これ以上隠しようがないと思ったが二人はあちらに隠せ、今度はこちらだ、としきりに指示を出す。

 その時々の声に従い隠し場所を変えた。一日中隠している日などもあってそんな時、悦子は疲れ果ててベッドに横になり枕を頭に乗せて出て行け、頭から出て行けと念じるのであった。


 その日、二人の声に疲れて果てベッドの上で天蓋を見つめていると誰かの声が聞こえた。里香でもない、母でもない。聞いたことのない声だった。


――まだ不十分だよ、悦子。


 彼は悦子の名前を知っていた。


「あなた誰」


――神だよ、神だ。


「神様? 本当に」


――ああ、本当だ。


「私はどうすればいいの」


――メモを取りなさい。メモを。


 悦子は言われるまま大学ノートを持ってきて神の言葉をそのまま書き写した。


――ゴミを集めて城を作りなさい。誰も入れない自分だけの城を。ゴミは毎週ゴミ置き場から拾ってきなさい。そうすれば皆助かる。私はずっと見ているから速やかにやり遂げなさい。


――寝室だけはゴミは入れてはいけない。ベッドには人形を寝かせておきなさい。大事な私との交流の場だ。指輪は仏壇の間へ移しなさい。そこが一番いい。


――指輪は二つ揃ってないと意味がない。同時に管理しなさい。誰にも見つからぬよう大切にしなくてはならない。桐ダンスがいい。桐ダンスを買いなさい。湿気が来ぬように猫の砂で埋めなさい。誰にも誰にも見つからないように。




 悦子はメモにとったこと全てを実行に移した。せっせと集めたゴミで屋敷を埋め尽くしたが寝室だけは綺麗に保った。お気に入りのパーティルーム、小原の働いたキッチン、どれも大切な思い出がある。その思い出さえも言葉に従いゴミで埋めた。桐ダンスを購入して仏壇の間に置くと二つの指輪を引き出しいっぱいの猫の砂で隠した。


 寝る場所は仏壇の間に移した。本当は寝室で寝たかったが神が寝室は交流の場所だから使うなという。その通りでベッドに寝ていると声がずっと止まらず聞こえてきた。なので言う通りベッドで寝るのを止めた。ノートは常に寝る布団の下に隠せと言うのでその通りにした。


 ある日、玄関をノックする音がした。知らない男性だった。


「どちら様?」

「ああ、自治会長の黒岩というものです」

「何の御用」

「お宅、もしかして部屋にゴミを貯めてるんじゃないですか」

「それが何か」

「臭いが酷いって近隣から苦情が上がってるんですよ。ゴミ置き場のゴミも持ち帰ってるでしょう。すみませんがアレ止めてくださいませんか」

「文句があるならあの人に言ってください!」


 目を三角にして怒鳴ると悦子は玄関を強く締めた。黒岩が再度来ることはなかったがそれ以降ゴミ置き場に見張りが付き、団地のゴミは持ち帰れなくなった。


 神が相変わらずゴミを持ち帰れと言うので悦子は一つ向こうのゴミ捨て場にまで足を延ばした。だが、すぐ噂が広まったようで対策が立てられ、団地内のゴミはどこも持ち帰ることが出来なくなった。仕方がないのでリヤカーを手に入れて隣の地区まで足を延ばした。


 行く途中河川敷があり、そこには猫がいた。悦子は動物が好きだった。少し撫でて猫と話す。


「寂しいのね、そう。お腹空いたのね。おお、よしよし」


 幼いころ猫を飼いたがったが母が許してくれなかったことを思い出した。今なら反対する家族もいないが、猫は飼うものではないという思い込みがあるので飼おうとは思わなかった。


 猫と話した日、神との会話の中に猫の話が出てきた。ベッドの天蓋を見つめながら神の声を聞く。


――猫は神の使いだ。大切に大切に可愛がりなさい。


「飼ったほうがいいかしら」


――メモを取ってるかい悦子。


 忘れていたわ、とノートを広げる。


「どうやって可愛がればいいかしら」


――猫を餌付けしなさい。


「分かったわ、やってみる」


 次の日から悦子は河川敷の猫を餌付けし始めた。野良猫がどんどん集まってきて数は日に日に増えた。河川敷を行きかう散歩中の住民とも会釈程度に少し話したが多くは語らなかった。約束が露呈するのを恐れたから。神は約束を話してはいけないと強く忠告してきた。約束とは指輪のことだった。


 神と交信できているのは指輪が2つともタンスにあるからだと強く言われていた。だから神とは仏壇の間の指輪を通して寝室で話が出来ているのだと悦子は理解していた。神は時々多くのことを禁止した。ゴミを片付けること、食事を摂ること、人と関わること。それは悦子にとって時に孤独で辛く、でも守らなければいけないことであった。のどが渇き飲み物を飲みたいと訴えると百パーセントのオレンジジュースなら飲んでいいというのでそれに従い飲んだ。


 どんどん神の要求がつらく感じられ次第に寝室から足が遠のいた。寝室を出ると声は自然と消えて存在を忘れられた。やがて声を恐れ寝室にはほとんど入ることがなくなった。金を置いているので全く入らないというわけにはいかなかったがそれでも極力入るのを避けた。仏壇の間で寝起きして、それ以外の時間は外のゴミを整頓し片付ける日々を過ごした。


 

       ◇



 優馬と橋本はひどく驚いた。寝室は綺麗なものだった。豪華な天蓋付きベッドに何故かウサギの人形が寝かされていて、でもそれだけ。とても片付いていた。これまでのことを思うとまるで狐につままれたようでとても同じ屋敷の中とは思えなかった。

 クローゼットを開けるときらびやかなドレス。ドレスの下の空間には山ほど高そうなバッグがあって派手なエナメルのものが多かった。特に興味をそそられるものはなかったので優馬はクローゼットを閉めると橋本に降りましょうか、と呼びかけた。


 が、橋本が凍り付いたように動かない。ベッドの横のサイドテーブルの開き戸を開けて固まっていた。覗き見ると大量の札束が中を埋め尽くしていた。

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