第28話 ぬいぐるみ。

 夜、羽織ったガウンを擦りながら荷物の到着を見つめた。敷地に車体のほとんど全てを乗り入れると運転手の男と助手席の男が降りて来て荷台を開けた。

 積まれていたのはダンボール箱。悦子は玄関を開けると荷物を運び入れるように案内した。二階の開いている部屋に荷物を降ろし、男たちは次の荷物を取りに行く。全部で5箱、降ろし終えるとトラックは速やかに去っていった。


 悦子はさっそく段ボールを開けた。入っていたのは大きな茶色いクマのぬいぐるみだった。


 針箱を持ってくると糸切バサミでクマの背を数センチ開く。一箱に五体入っていてその全部の背を開くと他の段ボールも開けた。同じクマのぬいぐるみばかり。一つの箱にクマの下に隠れるように目的のものが入っていた。白い粉の袋、覚せい剤だ。


 一袋取るとぬいぐるみの背から深い場所に詰めて綿でしっかりと隠し縫合した。裁縫は得意ではなかったが出来るだけ丁寧に縫い合わせた。クマは全部で二十五体。ようやく五体分を仕上げた時には作業に飽きていた。目は疲れるし肩は凝り指を刺して痛い。作業を投げ出すと寝室へ行き寝てしまった。


 疲れていたせいか菊川の夢を見た。あまりいい夢ではなかった。あの時の病室そのままの情景で、でも妻などはおらず悦子ひとりだけだった。菊川のクビに手を回すと縫い目がありほどくと覚せい剤が出てきた。それも幾袋も。開けたい衝動に駆られる。しかし、開けてはいけない。眠る菊川の顔を見つめる。ぐっと歯を食いしばって我慢していると口の中が段々苦くなってきた。それは悦子の想像する覚せい剤の味かもしれない。耐えられなくなり目を開けると朝だった。


 枕もとには『晴れ時々くすり』がある。大丈夫、この漫画さえあれば自分は戻ることはない。漫画を持ち作業部屋へと戻った。


 目に見えるところに漫画を置き眺めながら作業をした。くすりを見つめ漫画を見つめ、くすりを見つめ漫画を見つめ。次第に視線はくすりにくぎ付けになる。覚せい剤はどんな使い心地だろう。少しだけ、ほんの少しだけ。いや、ダメだ。絶対ダメだ。頭を振りよこしまな考えを捨てる。これは仕事、このくすりは自分のものじゃない。そう暗示をかけ作業に没頭する。


 午前中は三体しか縫えなかった。集中できず気が付けばくすりのことばかり考えていた。この仕事はもしかしたら受けなかった方が良かったのかもしれない。そんな風にも考えた。


 昼食を摂り、これからのことを考えた。こんな仕事いつまでも続けるわけにはいかない。作業が好きでないのもあるが、何より見つかるとまずい。改心して若い時のように定食屋で働こうか。しかし、今の自分にはまるで似合わない仕事に思えた。


 ソファで寝そべっていると電話がかかってきた。元ヤクザ、掛井からだった。掛井は開口一番に、出来たかいと問う。まだ八体ほどだと告げると出来てる分だけ夜取りに行くからと言って電話を切った。金曜日に仕上げればいいと聞いていたのでほとんど出来ていなかった。


 夜、また大きなトラックがやってきた。出来上がったぬいぐるみをダンボールに詰め運び出していく。作業部屋で封筒を貰った。中には四万円が入っていた。1体五千円らしい。


 ぬいぐるみの背を縫うだけで四万円、割のいい仕事だなと思った。四万円を手にして悦子は考える。今月いっぱい頑張ったらこの仕事は止めよう。出来るだけ稼いで止める。ちょっと手を出すだけ。ずっとじゃない。


 それから気の向いた時に作業をして、掛井から電話が来ればそれに応じた。二度目のクマが搬入される頃には作業にも慣れて手早く仕上げられるようになっていた。


 ある日、誰かがドアをノックした。開けると女性の若い近隣住民だった。


「花村さん、夜何やってらっしゃるんですか」

「えっ」


 悦子は返事に困る。


「しょっちゅうトラックが来てるじゃないですか」

「ああ、それは荷物を」

「みんな睡眠不足なんです。夜に荷物の運び込みなんて迷惑だとおもいません? 止めてくださいませんか」


 強い口調に反感を覚え悦子も声を荒げる。


「仕方ないでしょ! 夜にやってくるのは向こうの都合なんだから」

「昼間にして下さいません。あなた働いていないから昼でも受け取れるでしょ」

「働いてます! 勝手に決めつけないでくださる」


 そう言うと会話を遮断するように扉を閉じた。


 夜、荷物の運び込みをするのは様子を近隣住民に見られないようにするため。しかし、これ以上トラブルになると警察に騒音通報されるかもしれない。これ以上の行為は危なすぎる。


 予定よりずっと早いが心を決めると悦子は電話をかけた。


「あっ、掛井さん。悦子です」

「すみません、本当に申し訳なんですけどぬいぐるみのお仕事辞めたいの」

「ええ、ええ。今来てる分は仕上げたいと思います。でもそれ以上はお受けできなくて」

「いえ、実はご近所の方に疑られてて」

「はい、すみません。本当に申し訳ないわ」


 電話を終えると悦子はさっそく残りのぬいぐるみを仕上げにかかった。ゴールが見えていると作業ははかどるものでその日のうちに全て完成させてしまった。


 出来上がりを箱詰めしながら躊躇する。クマの顔を見つめ中身を想像する。欲しい衝動に駆られた。


 夜引き取りに来て段ボールの中身をヤクザが検品した。


「一個足りないぜ」

「一個は買い取らせて頂戴。お給金から差し引いていいから」


 ヤクザは鼻でフット笑うと数万円抜き取り給金を悦子に渡した。ぬいぐるみはお守り代わり。使う気などないけれどこの先何があるか分からないから。だから、持っておくことにした。


 黒い関係ともこれで手切れ。危ない橋は渡らない、この時の悦子はそう思っていた。



       ◇



 階段の清掃を終え、行けるようになった二階の部屋をあちこち覗く。二階の納戸を開けた優馬は大きな茶色のクマのぬいぐるみを見つけた。


「可愛らしいぬいぐるみですね」

「オレにはそんな趣味ねえからな」


 橋本が明らかにゴミと思われるものだけ持ちだして行く。ゴミはほとんどなくて納戸の掃除はすぐに終わってしまった。


 ぬいぐるみの状態は比較的綺麗。おっきくてふかふかとしている。買えば高いのだろうなと思いながら抱きしめて気付く。ぬいぐるみの背が開いていた。

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