世界が変わり果ててしまう直前、戦前末期の社会は著しくストレスに満ちていたという。


 その反動か、飲食店をはじめとするあらゆるサービスへの需要は過剰なまでに高まった。激しい抑圧を受けた人々はその慰めに、他者からの手厚い奉仕を求めたのだ。

 その需要に、願望に、激変したのが飲食業界である。寿司屋を初めとするチェーン型飲食店は、やがてひとつの進化を遂げた。


 すなわち……ロスとミスの根源たる人間の従業員を廃しての、完全なる機械化、自動化である。

『曖昧さ』を理解するAIの開発による機械調理師の導入、発達した冷凍保存技術による数十年単位での生鮮食品の保存。

 コメもまた同様である。絶え間ない減圧倉庫保存によって膨大な量をストックされた白米は限りなく鮮度を保たれ、必要に応じて自動炊飯される。


 一昔前では夢物語と笑い飛ばされた技術革新の数々。しかしそれらは、月面資源の安定輸入開始によってことごとく現実と化した。


 もっとも――戦争の発端となったのは皮肉にも、その月資源の奪い合いだったらしいが。


「まったく何もかも、よく出来ているのか、よく出来ていないのか……」


 そんな歴史の苦さをひとりで味わっていると、目の前のコンベアを茶色の針山が通過した。


「誰かポテト頼んだか?」


 訊くと、子供たちがおずおずと手を挙げて応えた。どうやらポテトなるものが魚の一種だと考えて注文したらしい。

 男が一本をつまんでみると、寿司に負けず劣らずの味だった。このぶんだと調理区画の油やフライヤーも問題なさそうだ。たとえ材料を食い尽くしても、調味料や機械類を活用できる。


(こいつらが食べ終えたら適当なキャンプに教えてやって、弾薬たまや電子部品の足しにでもするか……)


「外とは、まるで別の世界だな」


 呟く少女に目をやると、彼女は遠い窓の外を眺めていた。ひび割れたアスファルトと崩落した建物、銀色の有毒杉ばかりが広がる荒野を。

 確かに別世界だ。旧時代の食品を、料理を、趣を偏執的なまでに保存する寿司屋という空間は、もはやこの時代の異界ですらある。

 先の世代が何かを間違えなければ、外の世界はこの寿司屋と同じように、もう少しまともであったのだろうか。思わずそう考えそうになった男は自戒し、ふたつの警句を思い出した。


『俺たちにとって、本当に大切なことはひとつだけだ』


 目の前の子供たちと同じように食い詰めていた幼年時代、何も知らない無作法なガキにハッキングを仕込んでくれた老人の言葉だ。


『ここでは寿司が食える。ただそれだけだ。それ以上は考えちゃいけねえよ』


(……確かにな。その通りだ)


 戦前の最大勢力たる老年層の限度を知らないリクエストにより、寿司屋は、寿司屋だけが、飲食店の中でも飛び抜けてグロテスクな進化を遂げた。

 おかげで戦後数十年が経過した現在でも、生きた寿司屋は数多く点在している。要塞並みのセキュリティを突破しさえすれば、誰もが豊富なビタミン・タンパク質を含んだ生魚と、カロリーたっぷりのコメにありつけるのだ。

 だが、難度は極めて高い。なんせ戦前における最新のセキュリティだ。力任せに開けようとすれば警備システムが侵入者を排除するし、ハッキングはどうかといえば男自身が先ほど体感したばかりだ。余計なことを考えていれば破滅する。それもまた、寿司屋という空間だ。


 寿司にありつけない腹いせか未開拓店舗の周囲でアンブッシュを構え、腹をすかせた放浪者を狩っては身包みを剥ぐ寿司強盗スシ・ローバーなんて奴らも跋扈しているくらいだ……

 ……とまで考えて、ふと、ある懸念が浮かんだ。



「ねえ、ママは食べないの?」


 子供たちのひとりが不思議そうに訊いた。見ればママ――少女の前には未だ三枚の皿しか積まれていない。まだ我慢するつもりなのだろうか。

 数ある飲食店の中でも、寿司屋の貯蔵量は膨大だ。この人数とはいえ、最低でも二、三週間は食いつなげるはずだから、遠慮は無用なのだが。


「ママはもういいんだ。お前たちが食べなさい」


 気丈な少女の横顔に、冗談半分に問いかけてみる。


「なあ、ママ?」


「……なんだ?」


 この世で最も汚いものを見るかのような蔑みの視線を返されて、男はすぐさま頭を下げた。


「悪かった。でさ、さっき俺に銃を向けてたよな? ありゃなんでだ」


 あのとき、男は彼女の行動を挨拶のようなものとして片付けた。この荒野では誰もがそうして当然だと。

 しかし今にして彼女の人柄とこの寿司屋という状況を鑑みると、少しばかりあの銃口の意味合いが変わってくることに気づいたのだ。

 少女は眉をひそめながら、躊躇いがちに答えた。


「死体を見つけたんだ。北側、山稜の方」


「どっちから撃たれてた?」


「たぶん、背中。うつ伏せだった。ここから逃げるみたいに」


「……なるほどな」


 その謎の殺人者を、今ここにいる男と勘違いしたというわけだ。

 どうやらすべてに合点がいった。男はすっと立ち上がり、隣に座る子供のひとりに退くよう促した。


「どうした?」


 少女の問いを背中に浴びながら通路に出た男は、壁に立てかけておいた自動小銃をチェックする。騙し騙しで使ってきたものだが、まだいくらかは役に立つだろう。


「腹が膨れた。お先に出て行く」


 男が淡々と答えたその理由が、自分のものと同じ気遣いだと思ったのだろうか。少女は納得いかないと立ち上がり、


「まさか、わたしたちに譲るつもりなのか? ここを開いたのはあなただ。わたしたちに気兼ねする必要はないだろう……!」


 仮にもこのポストアポカリプスにおいて、そんな殊勝なことをのたまう人間がいるとは。男は今さらにこの少女が気に入って、だから笑って声をかけた。


「本当にもう食えないんだよ。歳を食うとそうなる。お前さんこそ、若いんだからたらふく食っておけ」


 抗議の声を後にして、自動ドアの前に立つ。荒野の向こう側からはバイクのエンジン音と狂気の咆哮が幾重にも重なって響いていた。


 男は傍らに倒れるロボットの腕部を手早く取り外し、手持ちのスイッチおよびバッテリーと接続した。急拵えだが、壊れかけの自動小銃よりは頼りになるだろう。


 ――師と仰いだ老人の末期を思い出す。

 ――ハッキングで頭脳を酷使し続けたせいか、晩年の彼はほとんど呆けて、時々旧時代を思い出しては妄言を吐くばかりと化していた。


 サイコロ電脳をふたたび操作し、店外暴徒鎮圧モードを起動する。格納庫に収まっていたドローンたちが次々に店外へ出動し、一斉に警戒態勢をとった。


 ――だが、それでも。あの台詞だけは最期まで変わらなかった。


「いいか。俺がいいと云うまで、ゆっくり腹いっぱい食ってろよ!」


 声を張り上げ叫ぶ頭上で、一機のドローンが爆発、墜落した。

 見れば銀色の花粉煙の向こう、威圧的なエンジン音を響かせながら、錆びた乗用車やバイクの一団が迫りつつある。

 タンデムで銃を構え得意げに嗤う男と目が合う。遠目にも爛々と輝くその瞳には、略奪を前にした高揚だけが燃えていた。


 ――こんな世界でも。変わらないことはある。変わってはならないことがある。


 ――どんな時代でも、誰にでも。くたびれて汗くさい日々の中で、時々は羽目をはずして、家族みんなでスシをたらふく食う。


「ああ。家族で寿司を食う。幸せに。これくらいの贅沢はいつだって、誰にだって、許されていいはずだ」


 開店した寿司屋を前に攻めてきた寿司強盗は、しめて十数人というところか。

 数機のドローンたちとともにその一団を見据え、男は自動小銃の引金を引いた。



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アポカリプ寿司屋での一幕 仁後律人 @25ri3

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