第2話
「ふぅ‥」
歩いて10分ほどの砂場とすべり台しかない小さな公園に辿り着く。
幼い頃と比べて少し持つものが増えたから疲れを感じるようになったのかもしれない。男はベンチに座り、少しだけ休憩を取る。
100個ほど作った線香花火は、さほど重くないが、1人だけというのが思いのほか足を速めたのだろう。
一本だけ先に点けようかな‥
水の入ったバケツを横に置き、ダンボールの箱から花火を1つだけ取り出し、ライターの火を点ける。
そして、ゆっくりと線香花火に火を近づける。やがて線香花火の先に火が点き、小さな火の玉がプルプルと震えていた。
「
パチパチッ
火の玉の我慢が解き放たれたように火花が辺りに飛び始めた。この状態の線香花火は確か
この時に怖がりな僕はびっくりして、線香花火の火玉を落としてしまったんだっけ。
ちっぽけな線香花火だが、この一本に自分の幼い頃の思い出と約束が形を変えて生きている。
■■■
淳一がまだ小学生の頃、夏休みの終わりに
近づくと決まって父方の祖父の家を訪れていた。
じいちゃんは花火職人で、ススを被ったように所々、顔は黒ずんでおり体格の良い男たちと一緒に笑い合ってるのを遠くから眺めることが多かった。
小さな頃から花火が好きだった僕はじいちゃんの仕事に大いに興味があったが、じいちゃんは頑なに僕を仕事場に入れることを拒んだ。
大きくなった今ならじいちゃんの考えは理解も納得もできたが、小さな頃の僕は釈然とせず、ある日、勝手に仕事場に潜り込んだ。
深夜を回った作業場は暗く、周りが見えづらかったが、じいちゃんが火薬の配合をした尺玉が規則正しく几帳面に大きさの順に並べられているのは知っていた。
淳一は1度だけで良いから触ってみたいと思っていた花火に手を伸ばした。
だが不用意に手を伸ばしたため、尺玉の前に置かれた炎色剤の入ったビンを倒してしまった。
ガタンと大きな音が響き、ガラスが割れる音が外へと流れる。自分の顔の血の気がサーっと引いていく。
遠くからドタドタと大きな足音が近づき、勢いよく扉を開ける。
「誰がおるんや! 」
■■■
あの時のじいちゃんの怒った顔と声は忘れられない。線香花火を見つめながら僕は少しだけ笑みを浮かべる。
こってりとじいちゃんに絞られた後、僕はじいちゃんの家を去る1日前の8月30日の夜。じいちゃんの家にいるのが嫌になって寝ていると、ばあちゃんが優しい手で体を揺すって夢から現実へと引き戻した。
小さな声でごめんね、と囁くばあちゃん。その時の顔は少し花が咲いたような笑顔だった。
「今から、おばあちゃんとみんなに内緒で
遊ばない? 」
あの時の僕は眠くて眠くて、あまりどういう感情だったのか覚えてないが、一握りの好奇心だけ残っていた気がする。
そこから家の中をゆっくりと回り、遊びに必要なバケツを取って、誰にも気づかれないように家を抜け出すのは何だか映画で観たスパイのようで楽しかった。
家の裏口で落ち合う予定のばあちゃんはビニール袋を片手に先に裏口に着いていた。
そして僕たちは一緒に手を繋いで暗い月明かりを辿る深夜の道を歩いた。
こんな夜に子供を連れ出すのは教育にはよくないけど、その時間は僕に大切なことを教えてくれた。
「昔からね、花火ってのは大人の男の遊びだって言われてるのよ」
2人で歩いている時にばあちゃんは、何を話せば良いか分からない僕に多く話しかけてくれた。
「でもズルイじゃない、男だけなんて。私だってキラキラと綺麗に輝く花火が好きだもの」
今思えば、ばあちゃんもばあちゃんで嫌なこととか不満に思うことがあったのかもしれない。
だから僕はばあちゃんの話を遮らないように、ゆっくりと頷いたり、時に首を傾げたり、ばあちゃんとの時間を飲み込まないように長く口に含んだ。
喋りながら歩くと不思議と時間は早く立ち、気がつくと目的地の小さな公園にたどり着いた。
そして、ばあちゃんは持っていたビニール袋から鮮やかな色の和紙で作られた線香花火を取り出した。
「線香花火はね、女性でも小さな子供でも花火を楽しめるようにって作られたのよ、私と淳一にぴったりな花火でしょ? 」
そう言って僕に線香花火を渡して、僕たちは線香花火に明かりを灯した。
線香花火の先に火の玉が浮き出る
【
パチパチと音を立てながら火花を散らす
【
牡丹より更に火花が多く激しく散っていく【
火花が弱まり、少しずつ垂れ下がっていく
【
最後の力を振り絞るような、なけなしの火花を散らす。
【散り
線香花火には段階があり、それがまるで人の人生のようだと笑いながら教えてくれたばあちゃん。
僕は綺麗な花火を長く見つめていたくて、線香花火の火の玉を落とさないように、ただそれだけに夢中になって花火を楽しんだ。
3回目の8月30日になる1日前、ばあちゃんは線香花火の作り方を教えてくれた。
作り方の手順を知ると、花火とは思えないほどお手軽な作りに拍子抜けした僕は一つ目の線香花火をあっさりと作り終える。
でも初めて作った線香花火はぶきっちょで、婆ちゃんの作ったのより太くて短い無様なものだった。
隣のばあちゃんを見ると、丁寧に紙に折り目をつけて火薬を入れる時に神経を張り巡らせるようにゆったりとした手つきで線香花火を作る。
出来上がりは細く長く色鮮やかで、シワになっているところなど一つもない売り物のような線香花火だった。
何だか自分の花火がひどく恥ずかしく思えた僕は、ばあちゃんの作り方の手順の一つ一つを真似して線香花火を作った。
そうやって夏休みの帰省の際に、僕とばあちゃんは前日に線香花火を作り、決まって8月30日の夜に抜け出して公園へと向かい、線香花火を灯した。
これは僕とばあちゃんの頼りない約束のような伝統になった。
「淳一とおばあちゃんの2人だけの約束ね」
いつも、家に帰る前にばあちゃんはイタズラっぽく笑いかけて話す。懐かしい日々だ‥
大人になった淳一は今でも帰省の際、8月30日の夜に抜け出し公園で線香花火に興じる。
一本目の花火が消え、二本目へと手を伸ばす。
「1人じゃ、この量は多いな‥ 」
改めてダンボール箱に入った100本程の線香花火を見て言葉を溢す。
ピンと長くカラフルな線香花火に火を点ける。蕾・牡丹・松葉、と火花の変わりようをずっと見つめ続ける。
誰もいない真夜中の公園は静寂に包まれ、満月の灯りだけが辺りを冷たい柔らかな光で照らしていた。
そして柳・散り菊、と萎んでいく線香花火。不思議と儚くも侘しくも思わなかった。
最後の散り菊がシワクチャなばあちゃんの
笑顔に似ている、そう思えたから。
線香花火 祭 @tanajun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます