第105話 美月へ

タマは美矢より子供っぽい。

最初は大人っぽい子だと思ったが、実際は美矢よりずっと寂しがりだし頼りない。

引っ越しの日が近付いても、美矢はいつも通りの笑顔で接してくれたが、タマは感情の起伏きふくが激しくなった。

不意に黙り込んだり、ねたように不機嫌になったりする。

かせにはなりたくないと言ってくれたけど、上手く自分の感情をコントロール出来なくて、自己嫌悪におちいっている様子もうかがえる。

さすがに今日は穏やかな表情をしているが、我慢をしているだけかも知れない。


「さて、では抱いていただきましょうか」

同じ展開かよ!

いや、これがタマらしいと言えばそうなのだが。

「色仕掛けだろうが何だろうが、無駄だからな?」

何故か、タマが笑った。

「これだけ魅力的な二人が迫っても断れるなら、貞操帯は必要無さそうです」

「ふっ、一人でするのに慣れてるからな」

誇らしげに言うことでもないが。

「それはそれで、何かに負けたようで腹立たしいのですが、今日はその、一人で慣れていることを私がしてあげましょう」

は? いや、それは抱くのとは違っても、やはりしてもらう訳には──

「どうぞ」

ベッドの上で女の子座りをしたタマが、ひざをポンポンと叩く。

え?

右手には、どこから取り出したのか耳掻きを持っている。

なんだ、耳掻きか。

いや、なんだと言うには破壊力が大きいが。

「まさかここまでする女に、恥をかかせるおつもりですか」

さすがに耳搔きまで拒むつもりはない。

「今の私は、さしずめ股を開いてカモーンと言っているに等しいのです」

股を開いてカモーンと言うような女にだけはなってくれるなよ。

それはともかく、俺はベッドに寝転んで、頭をタマの太腿ふとももに乗せた。

な!?

直後、俺の身体に戦慄せんりつが走る。

この、側頭部に伝わる太腿の柔らかさよ!

そして、どうあっても湧き上がる欲望とは裏腹に、包み込むような安らかさよ!

まるで、みだらな夢を見ながら心地よい眠りにひたっているかのようだ。

「おっきな甘えん坊でちゅねー」

うるさい。

だが、温かくていい匂いがする。

「では、執刀しっとうします」

怖いこと言うな。

でも、優しく耳をまさぐられるのを期待している。

耳掻きが、そっと触れてくる。

「ふふ、穴が丸見えですよ」

いや、耳の穴は普段から丸見えだが。

「そうか、こうなっていたのですね」

……普段から丸見えとは言っても、穴の奥までのぞかれることなんて無いわけで、何だか恥ずかしくなってきた。

照れ臭さが、耳の奥に触れてくるこそばゆい感覚と混ざり合う。

いじっても濡れてこないのですが」

「濡れてたまるかっ!」

くすくすと、優しい笑い。

「最初の頃、あなたのタマは、気難しい子でしたね」

優しい声も、でるように耳に届く。

「そうだな。仲良くなれる気がしなかった」

怖々こわごわと、でも丁寧ていねいに耳の奥が掻き回される。

「あなたのタマは、随分と我儘わがままでしたね」

その我儘さが、意外と心地よかった。

両親をうしなってからも、どこかその存在に頼ってきた俺は、誰かに頼られることに慣れていなかった。

だからお前に上手く対応出来ていたのか、少しばかり心配だ。

「さ、反対を向いてください」

言われるままに、身体の向きを変える。

な!?

反対を向くということは、顔をタマの下腹部に向けるということだった。

すぐそば、鼻先と言える距離に、タマの股間があるのだ。

知らなかった。

耳搔きにこんな破壊力があるとは!

でも──

「あなたのタマは、甘えん坊でしたね」

タマの声が少し震えていることに気付くと、欲望なんか掻き消えて、きしむように身体が痛くなった。

心が、痛くなった。

「あなたのタマは、子供で、迷惑ばかり掛けて、あなたを困らせてきましたね」

「いや、そんなことは──」

「あなたのタマは、泣き虫で……ごめんなさい」

まるで春の雨のように優しい水滴が、俺のほほに落ちてきた。

ぽたぽたと、それは止めなく溢れ出て、俺の頬を濡らした。

涙は温かくて、俺自身が泣いてるみたいに頬を伝った。

俺は手を伸ばして、タマの目元を拭った。

泣き虫のタマ。

でも、きっとお前は意地っ張りで強がりだから、滅多に他人に涙を見せることは無いのだろう。

だから、そんなお前が俺に涙を見せてくれるのは、辛いことなのに、どこか嬉しくもあった。

なのに今は、俺がその涙を流させてしまっている。

お前はいつだって幸せになる権利があるんだ。

どんな不幸も、お前と美矢を避けて通るよう、俺は努力する。

お前は幸せになれ。

だってそれが、俺にとっての幸せなのだから。

「美月」

お前はタマという呼称を気に入っていたようだけど、俺達は家族になる。

タマという姓よりも、俺はその名前を呼びたい。

「孝介さん……孝介さん孝介さん」

美月は、噛み締めるように俺の名前を繰り返し呼んだ。

離れてしまえば、その名を口に出して呼ぶことも少なくなる。

当たり前のように名前を呼べるということは、とても幸せなことなんだ。

「美月、ありがとう」

美矢は俺に幸せを運んできた。

美月、お前は俺に幸せとは何かを気付かせてくれた。

だから笑ってほしかった。

普段、あまり見せてくれない自然な笑顔が見たかった。

その思いが通じたのか、美月は涙をぐしぐしとぬぐって顔を上げる。

赤くなった目元。

強い視線。

そして、きゅっと唇を結んでから、浮かべられた笑み。

「あなたの美月は強い子です」

それは、ぎこちない笑顔だったけれど、俺を困らせまいと強がる姿が、やっぱり美月だった。


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