第104話 美矢へ

考えてみれば、三人で出掛けたことはあっても、二人でデートというのはしたことが無い。

そのことを二人に話すと、デートよりも二人きりの時間が欲しいと言われた。

デートだって二人きりの時間だが、他のことにわずらわされず、ただ話すだけの方がいいらしい。

それって、普段とあまり変わらない気もするが、普段通りが貴重に思えるのも判るし、俺も二人とちゃんと話したい気持ちはあった。


要らないものを捨てた俺の部屋は、随分とスッキリして殺風景になっていた。

みゃーやタマが部屋に置いていた持ち物は、一緒に持っていくつもりだ。

もちろん着替えとかじゃなくて、マグカップとか歯ブラシとかだ。

いや、歯ブラシも、二人がいつ来てもいいように実家に置いておくだけで、他に用途がある訳ではない。

クリスマスプレゼントも考えたが、それも二人は要らないと言った。

お別れでは無いのだから、このタイミングでまるで何かの記念になるようなものは欲しくないと言うのだ。

取り敢えず、俺の実家へ行く途中までではあるが、新幹線の回数券を渡した。

プレゼントを買うよりも、よっぽど大きな出費になったが、それは喜んで受け取ってくれた。

これからへ繋がるものを、二人は欲しているようだった。


「さて、では抱いてもらおうかな」

二人きりの部屋で、みゃーがタマみたいなことを言う。

この制服姿も見納めかも知れない。

俺が会いに来る時も、二人が会いに来てくれる時も、たぶん休日だろう。

「二人の規約はどうした」

「今回に限っては、お互い成り行きに任せる、ということで話がまとまってるの」

みゃーは、最初の印象とは違ってしっかり者だ。

ちょっと抜けたところはあるが、みゃーママもいるし、心配はいらない。

「俺は俺で規約があるんだよ」

自分に課した約束事。

卒業まで待つことに意味は無いのかも知れない。

でも、離れて暮らす一年の間に、どんな変化があるかも判らない。

二人のことは信じているが、心変わりが無いと決めつける訳にはいかない。

年上の俺からすれば、心変わりですら二人の可能性を広げるものであると考えておきたい。

一年離れて、それでもなお変わらないものがあるなら、その時こそ可能性は三人と共にあるのだ。

「最初は色仕掛けで迫ったよね」

あれから半年が経った。

こんなにも充実した半年は、他に無かっただろう。

「どんなビッチかと思いきや、天使みたいなヤツだった」

「天使!?」

珍しくみゃーが狼狽うろたえる。

天使が幸せを運んできた。

そんな風に思うのは、俺としては大袈裟では無い。

日常というものは空虚で、空虚であることから目をらして生きるのが日常だった。

もし出会えてなかったら、俺は今頃、つぶれかけた会社にすがっていただろうか。

それとも、もうどうでもいいやと投げ遣りになっていただろうか。

「天使なんて言われてしまうと、色仕掛けが出来ないよ」

「せんでいい」

コイツが堕天使になると、タマより手強くなる気がする。

「こーすけ君が考えてること、判るよ」

時おり見せる、アルカイックスマイルみたいな笑み。

「私のこと、タマちゃんのこと、お母さんのこと、もし何かが変わってしまった時に、みんなが一番傷付かないように」

「いや、俺が傷付かないためかも知れん」

「男の人は、ヤらないで別れた方が未練が残るらしいよ?」

またタマ知識か?

まあ、確かにそうなんだろうが。

「一年と少し」

「え?」

「その時は覚悟してね」

ニッコニコだ。

「酒池肉林でしぼり取るから」

「……」

怖いのか楽しみなのか判らなくなるおどしだ。

「でも、長いなぁ……」

途方に暮れたようなつぶやき。

たぶん俺にとっては短い一年だろう。

でも、二人にとっては長い一年だろう。

時間の間隔は年齢と共に早くなっていくし、二人には苦しい受験もひかえている。

「だけど、楽しみで仕方ないよ」

うん、俺もそうだ。

「こーすけ君は不安もあるかもだけど」

うん、確かにそうだ。

「でも、雨の日も風の日も、晴れの日も、春も夏も秋も冬も、一緒にいられる」

そうあるために、俺は最大限の努力をしよう。

みゃーの笑顔を、絶対に曇らせないようにしよう。

「明日は、タマちゃんと会うんだよね」

「ああ」

「もしその気になったら、私に遠慮しないでね」

「ならないよ。それにアイツは、肝心な時にポンコツになる」

「だね」

二人で笑う。

「あ、そうだ、こーすけ君、これ」

みゃーから手渡された物。

ミサンガとでも言うのだろうか、腕に着ける手作り感のある組ひもだ。

二本の輪が結び付けられているから、みゃーとタマ、ということだろうか。

出来映えもそれぞれ違うから、二人がそれぞれ作ったのかも知れない。

「タマちゃんとチョーカーを渡そうかなんて言ってたんだけどね」

やめてくれ……。

「タマちゃんは貞操帯を渡そうかなんて言ってたんだけどね」

全力でお断りする。

「チョーカーと違って、束縛の意味は無いから」

「ああ、知ってる」

「自然と切れたら願いが叶うらしいから、働いて頑張って、太陽を浴びて、汗を吸って、雨に濡れて、暑さと寒さにさらされて……」

少し言葉を詰まらせる。

「それでもこーすけ君は怪我も無く健康で、代わりにその紐が傷んで……やがて切れて、努力が報われるといいなって……」

知ってるけど、そこまでの想いは知らない。

知ってるけど、自分が知らなかったほどの愛おしさに胸が苦しくなる。

「美矢」

「みゃ!?」

不意に名前を呼ばれて驚く。

でも、呼び名ではなく、ちゃんと名前で伝えておきたい。

「お前には感謝しかない」

「そんなこと……」

すべてはコイツのバカみたいな、けれど、勇気を振り絞ってくれた行動から始まった。

俺が今、前を向いていられるのは、この、まだあどけなさの残る、がんばり屋で笑顔を絶やさない少女のお蔭なんだ。

「美矢、ありがとう」

それしかない。

美矢は何かをこらえるようにしばらくうつむく。

でも、その何かを吹っ切るように顔を上げると、いつものようにニッコニコの笑顔を見せた。

それはいつだって、俺の心を明るく照らしてくれるのだ。

たとえ離れていても、それは変わらないだろう。

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