第102話 ─閑話─ いろはの場合

みんなの提出物も集まったし、後はこれを職員室に持って行けば、今日の学級委員長のお仕事はおしまいっと。

ん? 教室の窓際、後ろの方の席にいる二人が気になる。

何やら深刻な顔で、顔を突き合わすようなひそひそ話。

「お二人さーん」

我慢出来ずに声を掛けると、美矢はニッコリ笑い、多摩さんはジロリと睨んでくる。

「こ、孝介サンのことで何かお悩みっすかぁ」

雰囲気がちょっとアレなので、努めて明るく元気に行きまっす。

「夫婦の問題ですのでお引き取り下さい」

う、それを言われると、あたしは何も言えない……。

「まあまあタマちゃん、いろはちゃんだって心配してくれてるんだし」

美矢、ごめん。

純粋な心配じゃなくて、好奇心が半分くらい。

でも、もし三人の間が上手くいってないなら由々しき事態だ。

世間の常識から逸脱いつだつしてるけど、ある意味、束縛や嫉妬しっとを越えた愛、というものに、あたしも何かしらの希望みたいなものを持っちゃったりしてる。

「いろはちゃんは遠距離恋愛について、どう思う?」

さっきまでの二人の深刻な顔。

まさか、孝介サンが転勤?

「ロマンチックになれるかどうかだと」

「ロマンチック?」

「引き裂かれた二人が、遠く離れても愛し合う、という風に思って酔えるかどうか」

「ふむ」

「なかなかいい意見ですが、自分の意思で遠くへ行った場合はどうですか」

あれ? 転勤じゃないのかな。

「んー、彼の夢を、遠くから見守っております、みたいな?」

「ふむ」

「なかなかいい意見ですが、どれくらいの期間、見守ればいいと思いますか、あるいは耐えられますか」

何だか尋問じんもんされてる気分になってきた。

「ぶっちゃけ、一年が限度……かな」

何故か二人がうなずく。

おおむねそれくらいが、二人にとっても許容出来る範囲なんだろうか。

ただ、あたしの場合は、愛情を維持出来る期間を言ったけど、二人の場合は多分……。

「私達はともかく、向こうはどうかなぁ」

「向こうって、孝介サンのこと?」

「うん。男の人って、やっぱり身近にいる女の人に惹かれそうだし……」

「みゃー、彼は私達にめろめろきゅんきゅんなので問題無いかと」

無表情にめろめろきゅんきゅん言う多摩さん可愛いなぁ。

あたしが言っても似合わないしなぁ……。

「いろはさんは、あの下僕の優柔不断さをどう思われますか」

「優柔不断と優しさをき違えるケースって確かにあると思うんすけど、あの人の二人に対する想いっていうのは、寧ろかたくななくらいじゃないっすかねぇ」

「あらあら、なかなか的確なご指摘ですわね」

多摩さんがお嬢モードに!

しかも何やらご満悦な様子だ!

「ただ、ですけど」

水を差す訳では無いけど。

「何か注釈が?」

「いえね、二人に対する想いは不動でも、それ以外も受け入れちゃうような優しさっつーか優柔不断さっつーか、懐の大きさみたいなものが」

「誰でも受け入れる肉便器みたいな男だと?」

「いや、多摩さん、言葉の選択がおかしいですって」

「でも、一理ありますね」

「私達が田舎に泊まった時は、近所に年頃の女性はいなかったみたいだけど」

田舎? 泊まった時?

「え、孝介サン、実家に帰るの?」

「恐らく」

「たぶん」

「え、それって、二人の我儘わがままやおりに疲れました、実家に帰らせてもらいます的な──ちょ、待っ、冗談っす冗談!」

多摩さんだけでなく美矢までが凄い形相ぎょうそうで立ち上がる。

「で、えっと、いつ?」

「たぶん今の仕事を辞めたらだから、年が明けたらかな……」

「あの男は、一年くらいバイトしてでもこっちで暮らすという選択肢は無いのでしょうか」

みゃーはしょんぼりして、多摩さんはイライラしてる。

「その、一年って何?」

「え? 私達が高校卒業して、こーすけ君のところへ押し掛けるまで?」

だよね。

やっぱり、アンタ達はそうなんだ。

私は一年が愛情を維持出来る限度って思ったけど、二人にとっては、離れて暮らす限度期間であって、後はもう好きな人のところへ突っ走っちゃうんだね。

「その一年って、二人を受け入れる準備期間?」

「え?」

「え?」

「え、いや、そんなに見つめられても困るけど、向こうで新たな仕事、えっと、農業? 何するか知らないけど、二人を受け入れるためには生活基盤というか、軌道に乗せなきゃならないわけで……」

「……」

「……」

あらら、何か二人ともしょんぼりしちゃった。

「えっと、二人はそれで地方の大学を?」

二人が大学のパンフレットを熱心に見ていたのは知っている。

その中でも、特に念入りに見ていた大学……。

「孝介サンも、離れたくはないんすよ」

二人がうつむく。

でも、うらやましいなぁ。

そうやって、待っててくれる人がいるなんて。

そうやって、形振なりふり構わず飛び込んでいけるなんて。

「あたしも行きたいなぁ」

「!?」

「な!?」

「あ、いや、遊びに! 遊びにっす! 田舎とか星とか!」

「いろはちゃんは、都内の大学だよね?」

「まあ、まだ先の話だけど、たぶん……」

「夏休みとか、遊びにおいでよ」

「まだまだ先じゃん」

「……」

「……」

ありゃ、またしょんぼり?

あ、そうか。

夏休みじゃなくても、離れてしまってから一年以上も先だと思うと長いか。

いや、でも、

「アンタら一緒に暮らすんしょ? あたしは──」

「寂しいよね」

「寂しいのですか?」

あれ? 孝介サンなんて実際のところ、四回か五回しか会ったこと無いのに……。

「あたしは、ほら、別に」

実感は無いのに、どこか漠然ばくぜんとした寂しさが広がっていく。

そうか、この二人だ。

この二人とは、まだ一年以上一緒にいられるのに、それでも、離れることが確定したという事実に、あたしは戸惑ってるんだ。

「いろはちゃん?」

「あ、いや、何でも無いっす!」

「……泣かないで」

「泣いてないっす!」

「孝介さんの実家は、部屋が七つくらいあったので、いつでも泊まりに来ればいいです。私の家ではありませんが」

「多摩さん……」

「帰れる場所が増えたと思えばいいです。私の家ではありませんが」

そっか……そうなんだ。

迎えてくれる人がいるところが、帰れる場所なんだ。

だったら、こっちとあっち、帰れる場所が増えることは嬉しいことなんだ。

「いろはちゃん、こーすけ君も私達も、来てくれるのを待ってるから」

まだ先の話だけど、あたしを一番に誘ってくれた。

「うう、あざっす」

「私達のイチャラブを、とくと見るがいいです」

「う、やっぱりお邪魔っすか?」

「いえ、あの……イチャラブを……見に来てくだされば……」

「喜んで行くっす!」

思わず多摩さんに抱き付く。

「ちょ、いろはさ──うぷっ、こ、この乳魔神め!」

嬉しい。

幸せそうな三人に会えるのは、きっと嬉しくて楽しい。

会いたいときに、会いに行っていい場所があるのは、何より幸せなことなんだ。

少しの寂しさは、それで覆い隠そう。











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