第101話 みゃーママの場合

慣れないバーで飲む。

慣れないどころか、そういった店で一人で飲むのは初めてのことだ。

とは言っても、高そうな店では無い。

客層も近所のオッチャンといった感じだったし、カウンター越しに話し掛けてくるホステスも──

「ミスターDT、次は何を飲む?」

ほら、こんなふざけたことを抜かすレベルだ。

まあ可愛くて愛嬌はあるし、十七歳の子持ちに見えないのではあるが。

「退職するのに、こんな高い店に来てていいのぉ?」

「え? 高いんすか!?」

「私の指名料がね」

三十代後半のホステスが、ボッタくりを宣言する。

そもそも、一般的にはバーに指名制など無い。

酒類を提供する飲食店という定義であり、接客はあっても客の接待は出来ないからだ。

接待するような店は風営法の範疇はんちゅうになるから、深夜十二時以降の営業は禁止されている。

今は一時半であるし、この店の従業員が客の隣に座るということも無い。

もっとも、従業員といっても、ママさんらしき人とバーテンダー、みゃーママの三人しかいない。

「それにしても」

みゃーママがつぶやきながら、自分のグラスに高そうな酒をぐ。

俺の伝票らしきものに何か書き加えられるのは何故だ!?

それは接待に相当するのではないか?

ツッコみたくなるが、こういった店では曖昧なグレーゾーンは常態化しているし、指摘するのは野暮というものだろう。

しかし、水みたいに酒を飲む人だな。

「あと一年かぁ」

グラスの酒を飲み干して、溜息のように言葉を漏らす。

何があと一年なのだろう。

色々と思い当たることはあるが……。

「卒業かぁ」

確かに、みゃーが高校を卒業するまで、あと一年ちょっとだ。

「DTと呼べるのも……」

「そっちかよ!」

しかも残念そうに言うなよ!

何が名残惜しいんだよ!

みゃーママがなみなみとグラスに酒をそそぐ。

いや、俺のグラスではない。

アンタ、客より飲んでるんじゃないか?

酔っ払っているようなのに、伝票に書き加えることはおこたらない。

見上げた店員である。

売上への貢献度が素晴らしい。

「考えてみたら私、一人暮らしって初めてなのよねぇ」

一人暮らし? みゃーママが?

「ま、それはそれで、ワクワクする部分もあるんだけどね」

そうか、高校卒業後に、もしみゃーが家を出ることになれば、この人は一人暮らしになるんだ。

そしてそれは、俺の責任で、ということになる可能性が高い。

ワクワクするなんて言っているけど、きっと寂しいに違いない。

だからつい、お酒に手が伸びてしまうのだろう。

「真矢ちゃん」

ママさんが、みゃーママを呼ぶ。

心配そうな顔をしているし、あまり飲み過ぎるなとたしなめるのだろう。

「今日は飲むペースゆっくりね。体調良くないの?」

「ゆっくりかよ!」

思わずママさんにツッコんでしまう。

つーか、もっと飲んでかせげと言ってるだろアンタ?

「今日はしみじみ飲んで語りたいのよ」

お前もお前だよ!

しみじみじゃねーよ! さっきから酒を水みたいに消費してんじゃねーよ!

バーテンダーのシブいオジサンが、俺に同情の目を向けた。

きっと彼は、長年この店で女どもの傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりを見てきたのだろう。

「それで孝介クン」

「なんでしょう?」

「勝算はあるの?」

この先、いや、これからずっと、幸せに暮らしていくための。

「あります」

言い切った。

勿論、色んな人に相談した。

ネット、書籍、図書館、調べるだけ調べた。

何より、支えてくれる人がいる。

それは、みゃーとタマだけでは無い。

「そ、なら何も言わないわ」

グラスに酒を注ぐ。

みゃーママのグラスが、琥珀色こはくいろの液体で満たされる。

何も言わないのではなく、しゃべってるひまがあるなら飲みたいだけなんじゃないか?

「今夜はウチに泊っていくでしょ?」

「いえ、タクシーで帰ろうかと」

「あぁ?」

この人、元ヤンではなかろうか。

「泊らせていただきます」

だとしても、きっと可愛いヤンキーだったに違いない。

「よろしい」

ニッコニコだ。

「明日は休みだし、帰ったら飲み直そうね」

ニッコニコが、ニヤリに変わる。

明日は二日酔いが確定した。

でも、みゃーの家なら、みゃーが介抱してくれるか……。


肩を貸して、人通りの無い夜道を歩く。

やっぱり飲み過ぎだったようで、みゃーママの足元は覚束おぼつかない。

「一人で育ててきたのよ」

たぶん、十回目くらいのセリフ。

「あの子が小さい頃はねぇ……」

脈絡が無く、話は飛ぶ。

苦労を掛けた、いい子だ、私が育てた、断片的に、それらが繰り返される。

俺は相槌あいづちを打ちながら、噛み締めるようにその言葉を聞く。

アパートの前に着くと、みゃーママは酔いが醒めたように真っ直ぐ立った。

「?」

「あの子を起こさないように、静かにね」

酔っ払いが、母の顔になっていた。

声をひそめ、音を立てないように階段を上る。

静かに鍵を開け、そろりと部屋に入る。

豆電球が灯っているので、部屋の中は見通せる。

みゃーの、可愛らしい寝顔も。

みゃーママはその寝顔に見入ったかと思うと、俺の存在など忘れたように服を脱ぎ出し、下着姿になって、みゃーの隣に敷かれていた布団に潜り込んだ。

すぐさま、気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。

こうやって、二人の寝顔が見られるのは幸せなことだ。


……おいコラ、俺はどうすりゃいいんだ。







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